「……That fake-ass smile.(……嘘くせぇ笑顔)」
俺が小声で吐き捨てた言葉。
俺たちの話はここから始まった。
*
(……また来た)
校舎の端にある非常階段。俺はため息を飲み込み、食べかけのパンを乱暴に袋へ押し込んだ。
「あー、いたいた」
「チッ」
あからさまな舌打ちが聞こえたはずなのに、こいつは貼り付けたような微笑みを崩さず階段を登ってくる。
気怠げに揺れる黒髪。右目の下にはホクロが一つある。その上にある瞳が全く笑ってないことを知っている。
急いでパンの入った袋を掴み、逃げるように立ち上がった。
――始まりは、一週間前の昼休みだった。
*
五月の半ば。新学期のクラス替えから一ヶ月が経ち、クラス内のグループはすっかり固まっていた。
誰とも会話をせず、あえて孤立を選んでいる俺には関係ないことだけれど、昼休みは静かに過ごしたい。
俺の定位置である非常階段での静かな昼食を終え、教室の自分の席でチャイムが鳴るのを待っていた。
教室内は相変わらず騒がしく、俺はいつものようにイヤホンを耳に突っ込んで、鬱陶しい世界から意識を切り離している。
「鈴村〜、今日終わったら暇?」
「ハルくん、この前の頼んだのやってくれた?」
イヤホン越しでも漏れ聞こえる声に、鈴村はニコニコと答えている。
この鈴村春日という男は、いわゆるクラスの優等生だ。いつも人当たりよくみんなに接し、何でもそつなくこなす。
あいつの周りだけエフェクトでもかかってんのかよ。正真正銘、俺の嫌いなタイプの塊だ。
ふと横目でその横顔を盗み見た瞬間、得体の知れない苛立ちが込み上げてきた。
――あの顔は、絶対に作られた顔だ。
胸の奥が冷たくなる。
それに、……俺の『晴』と言う名前と、微妙にかぶっているのも気に入らない。
鈴村が俺の席のすぐ横を通り過ぎたとき、苛立ちに任せ、思わず吐き捨てた。
「……That fake-ass smile.(……嘘くせぇ笑顔)」
口に出してしまった直後、少しだけ後悔した。けれど、どうせ英語のスラングだ。普通の高校生には聞き取れないだろう。それに、イヤホンをしていて自分の声のボリュームが分からなかったが、喧騒に紛れて聞こえていないだろう。
そう、思っていた。
その翌日の昼、俺はまた非常階段の踊り場でスマホを触りながらパンを食べていた。
誰も来ないはずのそこに、鈴村が通りかかった。ガッツリ目が合った。
「あれー。佐久間くん、ここでお昼食べてんの?」
「……」
「たまたま通りかかったんだけど、……ここ静かだね?」
相変わらず胡散臭い笑顔でニコニコと。
その言葉を無視したが、鈴村は階段を登ってこようとした。
(なんでこいつ、ここに来たんだ? 最悪)
俺は急いで食べかけのパンを詰め込み、すぐに立ち去った。
けれど次の日も、その次の日も、俺のいる非常階段に現れた。また無視して立ち去る。
そんなことを繰り返して、一週間が経った。
*
そして、今日。
教室では一切声をかけて来ないのに、また非常階段にノコノコとやってきた。しつこい。毎日無視して避けているのに、なんでここに来るんだ。
(明日から昼飯食うとこ探さなきゃな)
「逃げなくてもいいじゃん」
一見爽やかな笑顔でそういうが、目は笑っていない。
俺は関わり合いを避けるため、無言で横を通り抜けようとした。
けれど――ダンッ、と目の前の壁に長い腕が伸ばされ、退路を塞がれた。
「は……ていうか、お前ウザい! なんで付き纏ってくんの? どけよ――」
「嫌だ」
苛立ちまかせに睨みつけると、鈴村の顔がゆっくりと近づいてくる。右目の下のホクロが嫌でも視界に入った。
そして次の瞬間、不意に伸びてきた手に、右耳のイヤホンをあっさりと奪い取られた。
「なっ――」
遮断されていた世界に、鈴村の愉快そうな声が直接流れ込んでくる。
「ねぇ、佐久間『晴』くん?」
いつもの明るい優等生の声じゃない。気怠げな、冷めた声。
「初めて話すね。……俺たち、下の名前似てるよね。『はる』と『はるか』。……あ、もしかして、それも気に入らないとか?」
「――っ!!」
「俺さ、佐久間くんと仲良くなりたいんだよね」
「……お前」
「毎日俺の顔見るなり逃げちゃって。俺の『笑顔が嘘くさい』って吐き捨てるくらいには、俺のこと嫌いなんでしょ?」
ゾワっと鳥肌がたった。
貼り付けたような笑顔でニコニコとする鈴村。
『That fake-ass smile.(嘘くせぇ笑顔)』
――あの日の一言を、こいつは全部聞いていたんだ。
これ以上コイツのペースに巻き込まれたら、絶対に終わる。俺は焦りを隠すように、乱暴に腕を払いのけ、逃げるように教室へ帰った。
*
完全にバレたあの日から数日。俺は昼休みのたびに校内の死角を探して逃げ回ったけれど、すべて無駄だった。
鈴村は俺がどこに隠れていても、必ず数分後には、あの胡散臭い顔で現れるからだ。
……結局、この一週間で逃げ切れたのは一回だけ。なんなんだよ、あいつ。絶対、俺のストーカーだろ。
(もう、逃げるのも疲れた……)
結局、俺は元の非常階段に戻ってきていた。
スタスタ、と誰かの足音が聞こえてくる。見なくても誰だかわかる。
「あ、やっぱりここに戻ってきたんだ。俺もここが一番好き」
「……」
鈴村が当然のように、俺の隣に腰を下ろす。
服が触れそうなくらい近い。
俺はため息を一つ吐き出し、「勝手にしろ」とだけ呟いて、両耳にイヤホンを深く押し込んだ。
ノイズキャンセリングをオンにする。鈴村の耳障りな声も、気配も、すべてが遠のいていく。
目を閉じ、壁に持たれてパンをかじる。
無視だ。
完全に存在を消してやればいい。
そう思って薄く目を開けると、視界の端で、鈴村が俺を見てクスッと笑っていた。
……もちろん、鈴村の目は笑っていない。
(あー……マジで最悪。なんでこんなことになってんだ)
*
翌日の非常階段で、俺は相変わらずイヤホンで周りを遮断している。
すると、隣で弁当を広げていた鈴村が、俺のイヤホンを片方外し、自分の耳に入れた。
「……へぇ、なに。雨の音? 音楽でも聞いてんじゃねーの?」
「っ、返せよ」
「そういやさ。お前、俺の作り笑い、なんでわかったの? 初めてだわ、あんな暴言吐かれんの」
鈴村が卵焼きを面倒くさそうに口へ放り込みながら、聞いてくる。
(……なんでって。俺にはわかるから。嫌というほどみてきたから)
言葉の通じない場所で、親切そうな笑顔の裏に悪意を隠していた奴らの顔を。
俺は胸の奥に湧き上がる不快感を、なんとか飲み込んで、無言で睨みつけた。すると、鈴村は、怒るどころか面白そうに目を細めた。
「あんなこと言われて、俺嬉しくなっちゃってさ。しかも英語って」
頭おかしいんじゃないか?
チラリと横目で見ると、鈴村はいつもの優等生スマイルを捨てていた。背中を丸め、面倒臭そうに顎をかいている。
(こっちが、コイツの本性……?)
「……お前、いま素が出てるけど?」
「あー、当たり前じゃん。やっと気ィ抜ける場所見つけたんだから」
「はぁ? どういう意味だよ」
「俺は、佐久間と仲良くなりたいって言ったじゃん。だからここでは、いい顔すんのやめる」
「……俺は誰とも仲良くなるつもりねーし、馴れ合いたくねーよ。違うところ行けよ」
俺がイヤホンを取り返そうと手を伸ばすと、鈴村は気怠げな動作のまま、スッと手をあげ躱した。
「お前、なんでいつも一人でいんの? ツンツンしてるしさ。もっとうまくやれば?」
「……だから、嫌なんだよ。お前みたいに毎日、胡散臭い顔を貼り付けてるような奴」
俺が吐き捨てると、鈴村はピタリと動きを止め――。
「プッ……、あははっ!」
(え、なにこいつ)
鈴村は腹を抱えて、笑っている。その顔はいつもの『嘘の顔』じゃなく、本気で笑っているようだった。
「お前、ほんと最高。……やっぱ俺、ここでお前と昼飯食うわ」
そう勝手に宣言をして、鈴村は手に持っていた俺のイヤホンを返してきた。
「俺はお前と昼飯食うのはやだ」
文句を口にしたものの、さっきの作り物ではない、本気で笑う彼の顔がチラついて、なぜかそれ以上強く拒めなくなった。
それからというもの。
毎日、昼休みになると鈴村は当たり前のように非常階段へやってきて、俺の隣に座るようになった。
彼は弁当をつつきながら、ちょこちょこ話しかけてくるが、俺はイヤホンをしてほとんど無視を貫いている。
それでも、俺は『一人じゃない』ということだけで、じわじわとストレスが溜まっていった。
(あー、毎日こいつが隣にいて息が詰まる……!)
金曜日の放課後の電車の中で。
限界を迎えた俺は、スマホの画面をタップした。
週末は久しぶりに、あそこへ行こう。
誰も知らない、誰にも邪魔されない場所へ――。



