【超短編】彼の言葉はいつだって甘い

「あんた、もー何やってんの」
「またそんなことして」
「だから言ったじゃない」
「ちゃんとしなさいよ」
「だからあんたはダメなのよ」

 俺の母親はちょっと神経質な人で、小さな頃からそんなお小言ばかりを耳にしていた。
 だからなのかもしれない。
 俺には、言葉がお菓子に見える。
 え? 何を言ってるかわからないって?
 俺にだってわからないよ。
 
「あーあ、あんたのことなんて、産まなきゃよかった」

 そんな言葉が吐かれた瞬間、一緒に真っ黒なドロドロしたゼリーみたいな奴が母親の口から出てきたんだ。
 初めてそれを見た瞬間、俺は吐いた。
 気持ち悪くて吐いて、また母親に怒られた。

 その後も母親の口から出てくるのは黒かったり茶色かったりするお菓子だ。
 形もドロドロだったり、トゲトゲだったり、ギザギザだったりする。
 あれは甘くなくて、苦かったり、辛かったり、なんとも表現できないとにかくまずいやつ。

 でも、世界には美味しいお菓子だってあることを知っている。

「まぁくんはいい子だね」
「まぁくんは優しいね」
「ばぁちゃんはまぁくんのこと、大好きよ」

 おばあちゃんの言葉は丸くて、キラキラしていて、飴玉みたいに甘いんだ。



「学、今日、どうする?」
「なんか食べてく?」
「お前、食い物のことばっかな。ゲーセンは?」
「そういうお前はゲームばっか! 腹減らね?」

 それなりに仲のいい友達はいるけれど、まぁ、友達なので、彼らの言葉は程よく塩気がついてたり、ちょっと甘みもあったり、まぁ、当たり障りのない味がする。

「二人とも、もうすぐ期末だぞ?」

 だから、放課後に寄り道している暇なんてないという俺の言葉に返ってきたのは隣の席からの嫌味だった。

「やっぱり、野上って真面目だよね。もっと遊べばいいのに」

 久坂碧は俺の隣の席だ。
 どういうわけか、俺に対しての嫌味がすごい。

 碧は俺に一言嫌味を言うと、カバンを持って立ち上がって教室を出た。

「学、やっぱり碧になんかしたんじゃねーの?」
「碧が冷たいの学にだけだもんな」

 そう。碧が嫌味を言うのは、俺にだけだ。
 他の人たちには優しいし、雰囲気も全然違う。

 俺にだけツンケンしていて、口を開けば嫌味が飛んでくる。

「確か、小学校から一緒だろう?」
「うん。まぁ」
「ずっと、あんな感じ?」
「そんなことないよ」

 これは本当。
 子供の頃はもっと丸い、飴玉みたいな言葉だった。

「それなら、やっぱり、学がなんかやったんじゃね?」

 友達はそう笑った。

 確かにそう。碧を変えたのは俺だ。

「……」

 俺は机の上にポツリと転がっているカクカクしているカラフルなお菓子を指先で突いた。



 人が来ない放課後の図書室。
 そんな図書室の受付カウンターに律儀に座っている図書委員が一人。

「今日のおすすめの本は?」
「もっと遊んだらいいって、言ったのに」

 そう言いながらも碧は一冊の本を差し出した。
 俺は本を開いて、優しい言葉たちをたくさん吸収した。

 小学校に上がってから、たくさんのトゲトゲしていたり、ギザギザしていたり、ネバネバしている言葉から俺を守ってくれたのは、碧が選んでくれる本の言葉だった。
 おばあちゃんは家にいるけれど、学校にまでついては来れないから、俺は当時も図書係だった碧が選んでくれた本の言葉で自分を守っていたのだ。

「碧は俺にだけ優しくないよな」

 図書室が閉まる時間まで本を読んで、図書室が閉まる時間になり、図書委員の碧と一緒に部屋を出る。

「緊張するんだから仕方ないだろ!」

 つっけんどんな言葉はカクカク角張っているけれど、その色はカラフルだ。

「どうして?」

 図書室の鍵を閉めようとしていた碧を後ろから抱きしめる。

「っ!?」

 緊張から碧の動きが止まった。
 碧はこういう可愛い反応をするからたまらない。

「ちょっと! ここ、廊下!」

 碧が声を潜めて言った。

「廊下じゃなかったらいいの?」

 俺も声を潜めて、碧の耳に囁く。
 耳に当たった息がくすぐったかったのか、碧は身を縮めた。

 碧は赤くなった耳を隠すように手で覆い、俺を見上げた。

「い、いい加減にしろ、ばか……」

 涙目で強がる碧が可愛い。
 そして、強がりな言葉も可愛くて、碧の口から溢れたカラフルなお菓子を俺は手のひらで受け止めた。

 碧が図書室の鍵を閉めている間に、俺はカラフルなそれを口に含んだ。

「やっぱり、美味しい」

 おばぁちゃんの甘い飴玉よりも少し酸っぱいけれど、酸味と甘味のバランスが最高に美味しい。
 この味は、俺だけが知っている。



「碧くん、昨日は任せちゃってごめんね」

 図書室。
 碧と同じ図書委員の女子生徒が言った。

 彼女の口からは愛らしいピンク色のお菓子がポロポロと落ちる。

「部活だったんでしょ? 仕方ないよ」
「碧くんはいつも優しいよね。ありがとう」

 女子生徒はそう少し頬を染めてお礼を言うけれど、碧が優しいのはみんなにだ。
 ツンケンして見せるのは俺にだけ。
 そんなことも知らずに、親切にされたと照れている女子生徒を俺は哀れだと思う。

 どんなに碧に好意を向けても無駄だ。
 それは受け取られるどころか、気づかれることもないだろう。
 その証拠として、碧の口からはいつも白くてふわふわした綿飴みたいな親切な言葉が発せられるだけ。
 碧は大多数に他意なく親切だからいつもこんな感じ。
 純粋に白くてふわふわ柔らかい綿飴。
 だからみんな勘違いする。
 自分は碧に好意を向けられているのだと。
 それはある意味間違いではないけれど、けれど、真実でもない。

「――だよね?」
「そうかな? そんなことないと思うけど」

 俺がぼんやりと碧を見ていると、いつの間にか碧と女子生徒の会話は進んでいたようだ。
 女子生徒の言葉に碧は笑って、その口からカラフルなお菓子がひと粒溢れた。
 そのことに驚いて俺は思わず立ち上がった。

「碧!」

 俺は受付けに近づいて、碧の手を取った。
 碧は驚いて俺を見上げる。

「ちょっと来て!」
「え? 何?」

 俺は本棚の奥、図書室の端っこへと碧の手を引いて連れて行った。

「急になんだよ?」

 碧は眉間に皺を寄せて俺を見てくる。
 不満げな表情に俺は碧の口元をじっと見つめる。

「あの子と、何話してたの?」
「え……何でそんなこと気にするんだよ?」

 碧の頬が少し赤くなる。

「俺に言えないようなこと、話していたの?」
「言えないっていうか……野上には関係ないだろ?」

 碧の目が、口が、俺から逸らされた。

「関係は……あるだろ?」

 俺は碧の顎を捉えて、こちらへと向かせた。
 そして、俺の口で塞いで、碧の言葉を余すことなく飲み込もうと思った。

 碧がこぼす、カクカクしてるのにカラフルで甘くてほのかな酸味のあるお菓子は、全て、俺のものだから。
 一粒たりとも、他の人間に渡すつもりなどない。

 間近にある碧の目は、大きく見開かれていた。
 碧の間抜け面にある程度満足した俺は碧を解放して受付の方へと戻る。

「二人ともどうしたの?」
「急に碧を借りてごめん。ちょっと秘密の話があって」

「そうなんだ」と女子生徒は笑った。

「やっぱり、二人は仲良いよね」
「そ、そんなことないって!」
「碧くんは否定するけど、絶対仲がいいよね」

 もしかして、さっきの女子生徒との会話で碧の口から出たお菓子って……
 俺のことが話題だったから?

「……碧って可愛いよな」
「野上は可愛くない!」



 初めてキスをした。
 嫉妬というやつに駆られて、碧とキスをした。

 あれは嫉妬だったのだと、一人暮らしのアパートに帰ってから気づいた。
 どうやら俺は、自分が思っている以上に碧のことが好きらしい。

「そうか、俺、碧のこと結構好きだったんだな」

 なんとなく、そんな独り言を言ったりして、部屋着に着替え、夕食を作って食べ、後片付けをした後はシャワーを浴びて、布団に入り……

「……え? 俺、碧のこと好きだったの?」

 好きは好きでも、友達以上の感情を抱いていることに気づいたりした。

 俺は言葉がお菓子に見える。
 どんなにツンケンしていても、言葉がカクカクしていても、碧がカラフルで甘いお菓子を口からこぼしていることを知っていたから、碧が俺のことを好きなんだと思っていた。

 でも、俺が碧のことを好きなんだと気づいてから、碧が俺と同じ意味で、俺と同じくらい俺のことを好きなのかどうか……不安を覚えた。

 自分の言葉もお菓子に見えたなら、その大きさや色や形で、俺と碧の気持ちが同じなのかどうか、比較することができただろうか?

 碧を好きなのだと自覚して色々と考えてしまってなかなか寝付けなかった翌朝、寝坊してしまって遅刻した。
 一限目は間に合わず、二限目が始まる前に教室に入ることができた。

「寝坊? 期末テスト前に緩んでるんじゃない?」

 隣の席の碧から嫌味が飛んできて、俺は安心した。
 昨日、あんなことをしてしまったから、避けられる可能性も考えていたのだ。
 碧の口からカクカクしたカラフルなお菓子が飛び出して、俺は思わずそれを取りそうになった。
 でも、俺が人の言葉がお菓子に見えるのは俺と幼馴染の碧しか知らないことだ。

「碧は素直じゃないな。ずっと、学のこと心配してたのに」

 他のクラスメイトがそう言って、碧の頭をくしゃくしゃと撫でた。

「べ、別に心配なんてしてないよ!」

 またカクカク角張ったカラフルなお菓子が飛び出す。
 素直じゃない碧は可愛いけれど、そんなに他の人間にまでその可愛さを露呈しないでほしい。

 碧の口から溢れるお菓子は俺への好意を確かに表しているのに、その好意が自分と同じ思いから生まれているものなのかどうかはわからなくてもどかしい……いや、これはもどかしいというより、不安かもしれない。
 俺が思うよりも、碧が俺を思っていないのならば、俺たちはこの先の未来、一緒にはいられないということだろう。

 先生が教室に入ってきて、プリントを配り始めた。

「進路希望調査票だ。親御さんと相談して書いてきてほしい」

 俺に進路を選ぶ選択肢なんてない。
 祖母は亡くなって、俺に遺産を残してくれたから、今はそれで親元を離れて一人暮らしができているけれど、大学に行くような余裕はない。

 碧に視線を向けると、碧はすでに第一希望から第三希望まで大学名で埋めている。
 碧の家の親御さんはしっかりしているから、おそらく、普段から進路の話をしているのだろう。

 碧が大学に行って、俺が就職したら、もうなかなか会えない……いや、そもそも、碧は俺にすごく親切なだけで、大学に行ったら他の友達ができて、課題とかサークル活動に忙しくて、俺のことなんて忘れてしまうかもしれない。

 そんなことを考えていると、俺の進路希望調査票が机と俺の手の間から抜き取られて、碧が記入した紙が渡された。

「どうせ、進路のことなんて考えてなかったんでしょ? それ、公立で、比較的費用がかからない大学。野上の学力なら奨学金取れるでしょ?」
「いや、俺は就職するつもりで……」
「大卒と高卒じゃ全然給料違ってくるよ? 平均寿命80年なんだから、ちゃんと貯金のことも考えないと」
「でも、奨学金って借金だろ?」
「だから、返さなくてもいい奨学金を取れるように頑張りなよ」
「……この前は、もっと遊べとか言ってたのに……」
「息抜きも大事でしょ?」
「それじゃ、碧が勉強にも息抜きにも付き合ってよ」

 そうじっと碧を見ると、碧も俺をじっと見て、それからその目は半顔になった。

「何、それ? 嫌味?」
「嫌味なんかじゃないけど?」
「僕より成績いい野上の勉強に僕が付き合う必要なんてないでしょ?」

 不貞腐れたようにそんなことを言っている碧の口からポロポロと角張ったお菓子が溢れ落ちる。
 でも、その色はピンクや黄色、オレンジ色と明るい色で彩られている。

「俺の勉強に付き合ってくれたら、碧のわからないところ教えてあげられるよ?」

 その頬を少し染めて、ぐぬぬっとなっている碧が可愛い。

 こんな碧の姿を少しでも長く見るために、やっぱり俺も進学するべきだろう。

「碧も同じ大学に行こうな」

 俺は、ここから一番近い大学を指差した。

「え!? そこ、僕はC判定なんだけど!?」

 自分には難しい大学なのに、俺のためにわざわざ調べてくれていたということだろうか?

「碧……」

 俺はにこりと微笑んだ。

「な、なに?」

 碧は緊張する。
 きっとお礼を言っても碧を困らせるだけだと思うから、俺は違う言葉を選んだ。

「スパルタでいくから」
「え!? 嫌なんだけど!?」

 そう大きな声を出した碧は、先生から注意され、そんな碧に俺は休み時間にまた嫌味を言われるのだった。
 その嫌味はやっぱり甘くて、少し酸っぱくて、最高に美味しいのだ。