駄菓子屋によく来るイケメンは、くじ引きで当てたいものがあるらしい。



夏休みが明けて少し経った。
日中の暑さは相変わらずだが、朝と夜は少し肌寒く感じることが多くなった気がする。


「北沢、今日も来る?」
「あ、うん。でも、委員会があるから先帰ってて」
「わかった」


お祭りの日のことは、お互いなんとなく触れてない。
北沢はなんで俺を抱きしめたのかとか、なんで俺はそれに安心したのかとか。
わからないことは多いけど、それを明らかにできるほど俺の神経は図太くない。
だからなんとなく、触れないようにしてズルズルと日を重ねているわけだ。

放課後、北沢が委員会に行くのを見送って教室を出る。
ぼうっとしながら歩いていると、背中に衝撃を感じた。


「よう、倉橋!元気にやってる?」
「森下……びっくりした」


突然飛びついてくるのは辞めてほしい。
森下はいつも通りのペカペカの笑顔で「ごめんごめん」とまるで反省してない様子を見せた。


「今日ゲーセン行かね?」
「あ〜……ごめん、この後北沢と予定あるから無理」
「えぇ〜まじかよ〜」


予定、といっても北沢が駄菓子屋に来るだけだけど。
俺が断ると、森下はなぜか肩で攻撃してきた。


「最近の倉橋、北沢ばっかだよな〜」
「え?」
「誘っても北沢、口を開いても北沢。すっかり親友になっちゃって、おれ悲しい!」


森下は嘘泣きをし始める。
そんな森下を放置して、俺は森下の言葉を反芻する。

親友、か……

俺と北沢は、親友なのだろうか。
親友だったら、手を繋いだり、抱きしめられたりするのだろうか。

一人考え込んでいる俺の目の前で森下が手を振る。


「おーい、倉橋?聞いてる?」
「森下は、親友とハグしたりする?」
「はっ?」


俺の突然の問いかけに、森下が目を丸くする。


「急に何言ってんの?」


森下は一瞬だけきょとんとした後、ニヤリと笑ってこちらに腕を広げてきた。


「ハグ?おれと?なんだよ急に倉橋ぃ~!そんなにおれが恋しかったのかよ〜!」
「うわ、ちょ!やめろ、暑い!」
「なんだよ、自分から聞いといて〜」


腕を広げて近づいてくる森下から慌てて逃げると、森下は「倉橋クンひどい!」と少し腹が立つ顔で口を尖らせた。
俺が息を吐いていると、「で、」と森下が切り替える。


「で、実際どうしたの?ハグでもした?」
「っ、なわけ……!なんでそうなるんだよ」


森下は心臓が跳ねたのを悟られないように逸らした俺の顔をジッと覗き込んでくる。
さっきまでのふざけた雰囲気はどこへやら、こういう時のこいつは、妙に鋭い。


「いや、倉橋がそんなこと聞くなんて珍しいなーと思って」
「別に、たまたま気になっただけ……」
「へぇ〜?そうなんだ〜?」


森下は意味深な様子で俺の顔を窺ってくる。
なんなんだ、やりずらいな。

渋い顔をしていると、森下は俺の背中をバシンと叩いた。


「ま、なんかあればおれに言えよ!親友だしな!」
「え、あ、うん……」
「じゃあまた!北沢と仲良くな〜!」


森下は手をヒラヒラ振ると、廊下を駆けて行った。
一人残された廊下で、俺は熱を持った頬を冷ますように窓の外を眺める。

森下みたいな奴がやるハグと、あの夜、北沢がしたハグ。
思い出すだけで、指先まで熱が戻ってくる。

北沢は何も言わなかった。
森下みたいにおちゃらけるでもなく、真剣すぎるほどの熱を持って俺を抱きしめた。
あの静かなベランダで、花火の光に照らされた北沢の腕の中は、森下にのしかかられた時のような「暑苦しさ」なんて一欠片もなくて。
むしろ、とてつもなく安心したのだ。


「……意味、わかんない」


答えの出ない問いを抱えたまま、俺は校門へと向かう。
お祭りの日は「忘れろ」と言われた。俺も「わかった」と答えた。
なのに、いつまで経っても忘れることができない。
それどころか、その記憶はハッキリと色濃く俺の中に残ってしまっている。


「どうすればいいんだろ……」


その疑問ばかり浮かんで、足取りは自然と重くなる。
ポケットの中でスマホが震えた。


『委員会もうすぐ終わりそう』


北沢からの、いつも通りの短いメッセージ。
それを見ただけで、さっき森下と話していた時とは違う、もっと深いところの熱がじんわりと広がっていく。
お祭りの夜、あんなことがあったのに、北沢は今日だって普通に店に来る。
俺だけがずっと、あの腕の感触を引きずっているみたいで、なんだか無性に情けなくなった。


「……早く戻って、準備しなきゃ」


自分の顔を両手で軽く叩いて気合を入れ、俺は家路を急いだ。



ーーーー



いつものように自分の家の看板が見えてくる。
けれど、何かがおかしかった。


「……あれ?」


いつもなら、ばあちゃんが掃除をしている時間だ。
なのに、店の引き戸は閉まったままで、軒先に吊るされた暖簾も少し曲がっている。

胸の奥に、ざらりとした嫌な予感が走った。

俺は駆け足で店の前に立ち、勢いよく引き戸を開ける。


「ばあちゃん? ただいま」


返事はない。
奥の居住スペースから、テレビの音だけが虚しく響いている。
俺は靴を脱ぎ捨て、居間へと飛び込んだ。


「ばあちゃん!」


台所の入り口で、ばあちゃんが倒れていた。
傍らには、割れた湯呑みが転がっていて、冷たくなったお茶が床に広がっている。


「ばあちゃん! ねえ、しっかりして!」


肩を揺さぶっても反応はない。
途端に頭が真っ白になった。
手が震えて、スマホのロックを解除するのにも時間がかかる。
救急車。119。
焦れば焦るほど、指が思うように動かない。


「……落ち着け、俺。大丈夫、大丈夫だから」


自分に言い聞かせる声もガタガタに震えている。
ようやく繋がった電話口で、必死に状況を伝えた。

ほどなくして遠くからサイレンの音が聞こえ、赤い光が店を照らす。
駆けつけた隊員の人たちが手際よくばあちゃんをストレッチャーに乗せ、処置を始める。


「付き添いの方、乗ってください!」


促されるまま、俺はばあちゃんの手を握って救急車に乗り込んだ。
バタン、と重いドアが閉まる。
サイレンが鳴り響き、視界の端で慣れ親しんだ駄菓子屋の景色が猛スピードで遠ざかっていく。


「持病はありますか?お薬なに飲まれていたかわかりますか?」
「あ、えっと……」


震える声で必死に答える。
頭が真っ白で自分が何を言っているかもわからなかった。

病院についてからも、嵐のような時間が続いた。
ばあちゃんは処置室へと運ばれ、俺は無機質な廊下のベンチで一人取り残された。

医師から告げられたのは、「まだ意識は戻っていない」という言葉だった。
今は予断を許さない状況だということ。
両親が早くに亡くなってから、俺の家族はばあちゃんだけだ。親戚だって、誰もいない。

俺がしっかりしなきゃいけない。
俺が泣いたら、ばあちゃんはどうなるんだ。

事務的な手続きを済ませ、一時帰宅を許された俺は、重い足取りで家に向かった。



ーーーー



家の前に着くと、暗がりに人影がある。


「……北、沢」


街灯の下、北沢が店の入り口に背を預けて立っていた。
俺の姿を見つけるなり、弾かれたように駆け寄ってくる。


「なにがあったの?電話も繋がらないし……」


そこで俺は、ようやくポケットの中のスマホを取り出した。
画面を点灯させた瞬間、心臓が跳ねる。
そこには、北沢からの無数の着信履歴とメッセージが並んでいた。


「あ、ごめん……ばあちゃんが、倒れて。そのまま救急車に乗ったから、気づかなかった」
「……おばあさんは?」
「……意識が、戻ってないんだって」


淡々と、自分でも驚くほど冷めた声で報告する。
泣いてる暇なんてない。
俺がしっかりしてなきゃ、店が、ばあちゃんの居場所がなくなってしまう。
そう思って、必死に背筋を伸ばして、張り詰めた糸が切れないように全身に力を込めた。


「……倉橋?」


北沢が一歩歩み寄り、俺の顔を覗き込む。

……ダメだ。

その瞬間、一気に視界が滲む。
喉の奥が熱くなって、呼吸の仕方を忘れたみたいに胸が苦しい。


「……きたざわ」


震える声で、名前を呼ぶ。
情けないとか、男同士だとか、そんな理屈はどうでもよかった。

今の俺には、あの安心感が必要だった。


「……ごめん、北沢。抱きしめて、くれない?」


掠れた声でそう乞うと、あのお祭りの夜と同じ体温が俺を包んだ。

誰にも頼れない。
俺が一人でなんとかしなきゃいけない。

そうやって無理やり張り詰めていた心の糸が、この腕の中でぷつりと切れた。


「ど…うしよ、きたざわ……っ。ばあちゃん、しんじゃったら……おれ……ひとり、にっ…なる」


両親も、親戚もいない。
ばあちゃんが死んでしまったら、俺はひとりぼっちだ。

頭の中がぐちゃぐちゃになって涙が止まらない。
そんな俺の背中を、北沢がゆっくり撫でる。


「大丈夫。倉橋は一人じゃない。俺が、一人にしないから」


なんで北沢はこれほどにも、俺がほしい言葉をくれるんだ。

北沢が俺を撫でる一定のリズムと、大きな手の温もりが、冷え切っていた体の中にじんわりと溶け込んでいく。
街灯のぼんやりとした明かりに照らされた、夜の住宅街。
静まり返った空気の中で、俺の情けない泣き声だけが響いていた。

どのくらいそうしていただろう。
ひとしきり泣きじゃくった後、ようやく呼吸が整ってきた俺は、北沢の肩からゆっくりと顔を離した。
北沢の清潔なシャツが、俺の涙と鼻水でぐっしょりと汚れている。


「……ごめん。汚した」
「いいよ。このくらい」


北沢は俺を抱きしめたまま、頭を撫でる。
それが妙に心地よくて、安心して、ずっとこうしてほしいな、なんて思う。


「落ち着いた?」
「……うん。ありがと」


俺は袖で顔をごしごしと拭う。
腫れぼったい瞼が熱い。
北沢はゆっくりと腕を解くと俺の顔を覗き込む。


「目、腫れてる。冷やした方がいいね」


北沢は俺の手を引いて駄菓子屋に入っていく。
「保冷剤ってここ?」とか言いながら冷蔵庫を漁る北沢に、口を開く。


「もう大丈夫だから。時間も遅いし、北沢も早く帰って」


そう言った俺に北沢は眉を顰める。


「倉橋は、俺が帰ってもいいの?」
「えっ……?」
「俺は、そんな顔してる倉橋を一人にしたくないよ」
「……だけど、北沢の家遠いじゃん。親だって心配するし……」


俺の小さな抵抗を遮るように、北沢は冷蔵庫から取り出した保冷剤を薄いタオルに包み、俺の目にそっと当てた。
ひんやりとした感覚が、熱を持った皮膚にじわじわと染み込んでいく。


「俺のことはいいから。倉橋はどうしたい?」
「お、俺は……」


俺が、どうしたいか。
そんなこと、決まりきってるけど。
言っていいの?
わがままじゃない?

おそるおそる北沢をうかがうと、柔らかい笑みを浮かべた。
そんな目で見られたら、言ってもいい気がしてきてしまう。


「俺は……北沢と一緒にいたい」
「わかった。じゃあ、今日はここにいさせて」


俺がお願いしたことなのに、なぜか北沢が許可を求めてくる。
ぎこちなく頷いた俺の頭を、北沢が優しく撫でた。


「疲れただろ。風呂入れる?」
「……うん」


促されるままに脱衣所に入り、鏡を見ると、そこにはひどい顔をした自分がいた。
目は真っ赤に腫れ、髪はボサボサ。自分でも情けなくなる。
熱いシャワーを浴びている間、お祭りの夜のことや、今日起きた悪夢のような出来事が頭の中で混ざり合った。
温かいお湯が肌を叩くたび、張り詰めていた筋肉が少しずつ緩んで、それと同時に凄まじい疲労感が波のように押し寄せてくる。

風呂から上がると、居間には香ばしいお茶の匂いが漂っていた。


「ごめん、勝手にキッチン使った。お茶飲める?」
「あ、うん。ありがとう……」


北沢は俺が座布団に座ったのを確認すると、立ち上がる。


「風呂、借りていい?」
「あ、着替え……」
「倉橋が風呂入ってる間に、下着とかは買ってきたけど……」
「俺のTシャツで良ければ……そこにあるよ」
「わかった。ありがと」


北沢が脱衣所へと消え、入れ替わりに湯気の上がる茶碗が俺の前に置かれた。
一人になった居間で、湯呑みから伝わる熱を手のひらで転がす。
ほうじ茶の落ち着いた香りが、さっきまで死ぬほど冷え切っていた胃の奥をじんわりと溶かしていくようだった。

しばらくして、脱衣所の扉が開く音がする。
戻ってきた北沢は俺のTシャツを着ていた。


「ごめん、小さかった?」
「ううん。平気」


北沢はそう言いながら俺の隣に腰を下ろす。
俺の顔を覗き込むと、俺の目元を優しく指でなぞった。


「まだ、目腫れてるね。大丈夫?」
「あ……うん。大丈夫」


北沢は「そっか」と頷くと、俺の頭を撫でる。
あまりにも優しくて、また泣きそうになった。


「なんか食べる?」
「あ、いや……えっと」


俺が口籠もると、北沢は「ふふ」と笑う。


「無理して食べなくていいよ。じゃあ、倉橋の部屋行こ」


北沢は俺の手を取って立ち上がる。
なんとなくそのまま手を繋いで、2階にある俺の部屋に向かった。



ーーーー



北沢は迷うことなく俺をベッドの方へ促し、自分もその端に腰を下ろす。


「倉橋」
「……ん?」
「さっき、ひとりになるのが怖いって言ってただろ」


北沢が俺の顔を窺うように見つめてきた。
俺は視線を落とし、ポツリポツリと話し出す。


「……俺さ。3歳の時に、両親を亡くしたんだ。事故で」


北沢の体が、わずかに強張るのがわかった。
でも何も言わず、ただ黙って続きを待ってくれる。


「……車が突っ込んできて。でも、俺だけ無傷だったんだって。二人が、俺を庇ってくれたから。それからずっと、ばあちゃんが一人で俺を育ててくれた」


記憶と言えるほどはっきりしたものは残っていない。
ただ、最後に感じたのは、押しつぶされそうなほどの強い抱擁と、自分を必死に守ろうとした誰かの体温だった。


「……自分だけ生き残ったのが、ときどき、すごく申し訳なくなる。間違いだったんじゃないかって。だから、せめてばあちゃんだけは……俺がずっと、守らなきゃいけないって思ってたのに」


吐き出すほどに、自分がどれほど「ひとりぼっち」になることを恐れているかが浮き彫りになっていく。


「……ごめん。急にこんな話されても困るよな」
「困らない」


自嘲気味に呟いた俺の言葉に被せるように、北沢の低い声が静かな部屋に響く。


「命懸けで守られたんだから、倉橋が今こうしてここにいるのは、間違いじゃないよ」


北沢はやけに真剣なトーンで、一言一言を噛み締めるように言った。
そんなこと言われたら、すでにガバガバになっている涙腺がさらに緩くなってしまう。


「俺は、倉橋がいてくれて、一緒にいれて嬉しいから」


北沢のその言葉が、俺の中にずっとあった「後ろめたさ」を少しずつ溶かしていくみたいだった。
誰かに、ここにいていいんだって、そう言ってほしかったのかもしれない。
「ありがと」と言うと、北沢は優しく笑いながら頷いた。


「もう寝る?」
「……ううん、いい。まだ、寝れない」


目は重いのに、意識の奥の方がずっと尖っている。
まぶたを閉じると、台所で倒れていたばあちゃんの姿や、遠ざかる救急車のサイレンが鮮明に蘇ってきて、心臓が嫌な跳ね方をする。

今寝てしまったら、次に起きたとき、なにかが変わっているんじゃないか。

そんな根拠のない恐怖が、俺の体を硬直させる。
俺の膝が微かに震えているのに気づいたのか、北沢は俺の顔を覗き込む。


「……一人で寝るの、怖い?」


直球すぎる問いに、俺は否定できなかった。
小さく頷くと、北沢は少しだけ迷うような仕草をした後、掛布団をめくって俺を中に入れた。
そして、自分もその隣に入り込み、俺に腕を回す。


「じゃあ、こうして寝る?」


俺は吸い寄せられるように、北沢の腕の中に身体を預けた。
耳を澄ますと、北沢の心臓の音が響いてくる。


「……北沢、心臓、動いてる」
「動いてるよ。生きてるから」


当たり前の言葉が、今の俺にはどんな薬よりも効いた。
北沢の体温がTシャツ越しに伝わってきて、さっきまで尖っていた意識が、ミルクに溶けるみたいに白く濁っていく。


「俺がここにいるから。何かあったらすぐに起こすし。だから、今は休みなよ」


北沢の声は低くて、心地よくて。
背中をゆっくり撫でる大きな手の動きが、だんだんと意識を深いところへ連れて行く。
いつの間にか、俺は自分を抱きしめる北沢の胸に顔を埋めていた。


「……北沢」
「ん?」
「……いかないでね」
「行かないよ。ずっと、隣にいる」


その約束を聞き届けた瞬間、重力に逆らえなくなった俺の意識は、ぷつりと途切れた。

静まり返った駄菓子屋の2階。
自分を守ってくれた両親の腕も、きっとこんなに温かかったのかもしれない。
そんなことを朧げに思いながら、深くて穏やかな眠りに落ちていった。