いつの間にか時は過ぎて、夏休みになった。
と、言っても俺は普段と変わりなく自分の店で店番をしている。
「ナオ〜!くじ引きにきた〜!!」
「おー、いらっしゃい」
常連の小学生が勢いよく扉を開ける。
その姿は、いつもと少し違っていた。
「浴衣?」
「うん!今日お祭りあるから!」
「いいね」
そういえばそうだったな。
他人事のように考えながら、くじの箱を差し出す。
今日はこの地域のお祭りなのだ。
規模もそこそこで花火も上がるため、毎年多くの人で賑わっている。
「ナオは行かないの?」
「んー、まあ別に良いかなぁ」
1人で行っても虚しくなるだけだし、真っ先に浮かんだ北沢も家からここまでは2時間程かかるらしいので、わざわざ呼びつけるのも気が引ける。
そんなことを考えていると、俺が持っているくじの箱がゴソゴソとかき回され、その中から一枚のくじが引かれた。
「あ〜ハズレだぁ……」
「残念。はい、参加賞」
軽く笑いながら小さい手に飴を握らせると、不貞腐れたような目がこちらを睨む。
「これほんとに一等入ってるの!?」
「はいってます〜。二つぐらい入ってます〜」
「うそだ!」
断じて嘘では無い。
ただ、そもそもこのくじを引くのが北沢とこの子しかいないので確率は低くなる。
そんなことは全く知らない小学生は「嘘ついたらドロボウの始まりだよ!」なんて捨て台詞を吐いて帰って行った。
引きが悪いだけでいつかドロボウ扱いされるのか。
一等には早急に出てきてもらいたいものだ。
そんなことを考えながら耳を澄ますと、遠くで微かにお祭りの音が聞こえてくる。
息を大きく吐いて、手持ち無沙汰になった俺はなんとなくくじの箱をかき回してみたり、振ってみたりした。
「……今日は来ないかな」
夏休みに入ってから、北沢は家から遠いにも関わらず週に何度か顔を出すようになった。
勉強を教わることもあれば、ただアイスを食べて帰ることもある。
今日はお祭りだし、もしかしたらきてくれるかも、なんて考えて頭を振った。
あんなイケメンなら友達や女の子に誘われているだろう。
そもそも北沢がお祭りが好きかもわからない。
「ナオちゃん、そんな顔してどうしたの〜?」
奥から冷えた麦茶を持ってきたばあちゃんが、ニコニコと俺を見る。
「別に、どんな顔もしてないよ」
「お祭り行かないの〜?行きたいなら、北沢くん誘って行ってきたら?」
「いいよ、暑いし……」
そう口では言いつつ、スマホをチラリと見る。
北沢から連絡は……ない。
と、その時。
ガラガラ、と店の引き戸が開いた。
「いらっしゃ……って、北沢!?」
「倉橋、来たよ」
聞き慣れた低い声と一緒に、外の熱気が流れ込んでくる。
顔を上げると、そこには白のTシャツに黒のパンツという、相変わらずシンプルで無駄に洗練された私服姿の北沢が立っていた。
「今日、この辺りでお祭りあるんだよね」
北沢は首元をパタパタと仰ぎながら、外の喧騒を振り返る。
「え、知ってたの?」
「……まあ。学校でも、女子が騒いでたから。何人かに誘われたし」
「……へぇ、そうなんだ」
さらっと言ったその言葉に、胸の奥が少しだけざわつく。
そりゃあそうだ。北沢ほどのイケメンを、女子が放っておくはずがない。
そう納得しかけて頭を振る。
危ない、危うく流すところだった。
誘われたのに女子と一緒にいないってことは……
「え、まさか断ったの?」
「うん。そんな気分じゃなかったし」
北沢は短く答えると、いつものようにカウンターへ小銭を置いた。
「そんな気分じゃない」ってことは、北沢はお祭りとか好きじゃないのかな。
「とりあえず、一回」
「あ、うん。どうぞ」
「お祭りに一緒に行きたい」という淡い希望が壊された俺を置き去りに、北沢は無造作に箱の中に手を入れ、一枚の紙を引き抜く。
手慣れた様子で、端からゆっくりとくじを捲った。
「……あ」
中身を確認した北沢が、少しだけ眉を動かした。
「ハズレ?」
「いや」
北沢はくじの紙を俺の方へ向けた。
そこにははっきりと『二等』の文字が印字されている。
「え、すごっ! 二等じゃん! 本当に出るんだ……」
「倉橋が疑ってどうするんだよ」
北沢はふっと呆れたように笑いながらも、どこか満足げだ。
俺は景品が入れてあるカゴから、二等の景品を探す。
「えーっと、二等は……」
「ねぇ倉橋。景品、それじゃなくても良い?」
俺がカゴを漁っていると、北沢がカウンターに肘をつき、覗き込むようにして俺を見た。
「代わりに、今日の夏祭り……倉橋と行きたい」
「……は?」
予想外の言葉に、俺の手が止まる。
北沢は逸らすことなく、真っ直ぐに俺を見て続けた。
「夏祭り、倉橋と行きたいって思ってたから。ダメ?」
首を少し傾けて、そんなことを言う。
「気分じゃない」とか言ってたのに、俺とは一緒に行ってくれるのか。
そんなの、断れるはずがない。
「ダメじゃないけど……俺なんかでいいの?」
「一番に浮かんだのが、倉橋だったから」
北沢はふっと口角を上げると、少しだけ悪戯っぽく笑う。
海で俺が言った言葉を北沢が言うだけでこんなにも胸が弾むのは、なぜだろうか。
北沢がイケメンだからか、それともまた別の理由なのか。
「……ん。じゃあ、一緒に行こ」
俺は照れ隠しに、北沢から受け取った当たりのくじを握りつぶすようにしてポケットに突っ込んだ。
ーーーー
祭囃子が流れ、赤い提灯が足元を照らす。
俺と北沢は2人で、祭りの会場である神社の境内を歩く。
北沢と歩いているだけで、視線が集まってくるので少し居心地が悪くなる。
主に視線を集めてるのは北沢だが、当の本人は全く気にして無いようだ。
「……わっ!」
肩をすぼめながら歩いていると、トンっと人とぶつかった。
人が多いおかげで気を抜いたらすぐにぶつかりそうになる。
「倉橋、手」
「えっ?」
「はぐれないように、繋いでてよ」
北沢はそう言ったかと思うと、俺の手を取って繋ぎ出した。
なんか、いつもと違う気がする。
今日はやけに積極的だ。
そのせいか、手汗かいてないかな、とか、どれくらい力入れたら良いんだろう、とか、変な心配ばかりが頭を支配する。
「倉橋、なんか食べる?」
「えっ!?あぁ、うん、確かに、お腹空いたかも……」
「じゃあなんか屋台で買おう」
挙動不審すぎるだろ、俺。
心の中で自分にツッコミを入れるが、繋がれた手のひらから伝わる体温のせいで、思考がまるでまとまらない。
北沢の手は俺より少し指が長くて、骨張ってて、なぜか余計に意識してしまう。
「倉橋、あそこ並ぼう」
北沢に引かれるまま向かったのは、香ばしいソースの匂いが漂う焼きそばの屋台だった。
「二つ買う?」
「いや……一つを分けて食べない?」
それはいいのか……?
まあ、友達同士でもそれぐらいはするか。
そうだよな。
と、謎の自問自答を繰り広げる。
「あ、うん。そうだね。そうしよ」
結局、焼きそばを一つ買った。
ちなみに「お兄さん、イケメンだから多めに入れたげる!」と北沢の顔面のおかげで量を増やしてもらえたというのはここだけの秘密だ。
どこか座って食べられる場所を探していると、ある屋台が目に入る。
「ねぇ、北沢。あれ買ってもいい?」
「え?あぁ、うん。いいよ」
北沢に許可をとると、俺はその屋台に走った。
「ラムネ二つ!」
「はいよ」
注文すると、氷の入ったボックスから瓶のラムネが取り出される。
お金を渡して受け取り、北沢にそれを掲げた。
「ラムネ、北沢の分も買ったから一緒に飲も!」
「ほんと好きだね、それ」
見るからにテンションが上がった俺に、北沢は笑みを浮かべる。
不覚にもドキッとして目を逸らした。
俺は慣れた手つきでプラスチックの蓋を押し込み、カランと小気味よい音を響かせる。
炭酸が落ち着くのを待ってから、もう一本も同じように開けて北沢に手渡した。
「ほら」
「ありがと。なんか、倉橋と行った海を思い出すね」
北沢は受け取った瓶を口に運び、喉を鳴らす。
赤い提灯に照らされた横顔は、いつものクールな印象にどこか幼さが混じって見えて、俺は慌てて自分のラムネに集中した。
「……焼きそば、どこで食べる?」
「あそこの階段、少し空いてるから座ろう」
北沢の提案で、俺たちは人が少ない階段の端の方に腰を下ろした。
北沢は膝の上に焼きそばのパックを置き、割り箸を割る。
「はい、倉橋」
「えっ?」
差し出されたのは、麺を適量絡めた割り箸だった。
俺が受け取ろうと手を出すと、北沢はそれをスッと引く。
「俺が持ってるから」
「いや……北沢が食べなよ」
「いいから。ほら」
北沢は至って真面目な顔で、俺の口元に箸を運んでくる。
周りにはお祭りに浮かれた中高生や家族連れがたくさんいて、誰かに見られていないか気が気じゃない。
だけど、北沢の真っ直ぐな視線に根負けして、俺はおそるおそる口を開いた。
「……んぐっ」
濃いソースの味が口いっぱいに広がる。
おまけしてもらった分、一口の量も多めで、咀嚼するのに必死だ。
「おいしい?」
「……ひ、ひじょーに、おいしいです」
なんとか飲み込んでそう答えると、北沢は「よかった」と満足そうに目を細めた。
そして、今度は自分がそのまま同じ箸で、残りの麺を口に運ぶ。
「あ……」
あ、と同じ箸を使っていることに気づいて、心臓が跳ねた。
北沢は平然とした様子で、まるでそれが当然のことのように咀嚼している。
もしかして、こういうの全く気にしないタイプなんだろうか。
俺一人が勝手にドキドキしているのが、なんだか急に恥ずかしくなってきて、俺はラムネを流し込んで熱くなった喉を冷やした。
本当にどうしたんだ、今日の自分。
北沢振り回されて一喜一憂している自分が一番格好悪い気がして、俺は膝を抱えて小さく息を吐いた。
ーーーー
焼きそばも食べ終わりしばらくした頃。
周りの雰囲気と時間から、俺はそろそろだな、と察する。
「ねぇ、北沢。そろそろ花火始まるけど、ここからだとあんまり見えないよ」
神社の境内は木々が多く、打ち上げ場所からは少し離れている。
人混みもさらに増してきて、北沢が少しだけ眉をひそめているのに気づいた。
「どうする? 打ち上げ場所まで行く?」
「……いや。この人混みの中を移動するのは、ちょっと遠慮したい」
花火が上がるからか、先ほどよりも人が多くなっている。
夏の暑さの中、こんなところを移動するのは俺もごめんだ。
「じゃあ」と北沢を見る。
「……じゃあ、うち来る?」
「え?」
「俺の部屋のベランダ、結構特等席なんだよ」
北沢は少し意外そうな顔をしたあと、「いいの?」と聞き返してきた。
俺は頷いて立ち上がる。
「一番、綺麗に見えるから」
「……そうなんだ」
北沢はそう言って立ち上がり、階段を降りた。
フイとこちらを振り向くと、手を差し伸べてくる。
「手、繋いどく?」
「えっ?あ、いや、えっと……」
「離れたら、嫌だから」
北沢は真顔でそう付け加えると、俺の返事を待たずにまた指を絡めてきた。
さっきよりも少しだけ、力がこもっている気がする。
俺はもう、何も言い返せなかった。
繋がれた手から伝わる熱のせいで、心臓の音が耳元まで届きそうだったから。
ーーーー
人混みを縫うようにして神社を抜け、家に向かう。
背後でドーン、と一発目の花火が上がった。
「急げ! 始まっちゃう!」
家に着くと、俺たちはそのまま二階の俺の部屋へ駆け上がった。
狭いベランダに二人で並んで、手すりに身を乗り出す。
目の前の夜空がパッと明るくなり、大輪の火花が散った。
「……すご。本当に特等席だな」
「でしょ? 毎年ここで一人で見てたんだけど……」
言いかけて、俺は少しだけ言葉を止めた。
隣にいる北沢は、夜空を見上げたまま、花火の光に照らされて彫刻みたいに綺麗な横顔をしている。
「……でも、今年は一人じゃなくて良かった」
「え?」
北沢がこちらを向く。
俺は手すりを握りしめて、本音をこぼした。
「ほんとは、お祭り北沢と一緒に行きたいと思ってたから。誘ってくれて嬉しかった」
自分でも驚くほど、素直な言葉が出た。
お祭りの魔法か、それともこの静かな空間のせいか。
俺は少し照れくさくなって、「あ、ごめん、今の忘れて!」と笑って誤魔化そうとした。
その瞬間だった。
「……っ」
視界が不意に暗くなり、強い力で肩を引き寄せられる。
気づいた時には、俺は北沢の腕の中に閉じ込められていた。
「……きた、ざわ?」
困惑して声を上げるが、北沢は何も言わず、ただぎゅっと力を込めて俺を抱きしめる。
耳元で、北沢の少し荒くなった呼吸と、ドクドクと速い鼓動が伝わってくる。
……なんで。
なんでこんなことするんだ。
男同士で、友達で。
そんな理屈が頭をかすめるのに、俺の体は不思議なくらいに拒絶を示さなかった。
むしろ、北沢の体温に、俺の指先からスッと力が抜けていく。
なんだ、これ。
驚いているはずなのに、北沢の腕の中が、驚くほどしっくりくる。
ずっと探していた居場所を見つけたような、得体の知れない安心感に包まれていた。
「……倉橋」
北沢の低い声が耳元を掠める。
それだけで背筋にゾクりと熱が走って、俺は弾かれたように北沢の胸を押し、一歩後退った。
「……っ」
至近距離で目が合う。
北沢は、自分で自分に驚いたような、少しだけ目を見開いた顔をしていた。
でも、俺が固まっているのを見て、すぐにハッとしたように腕を離す。
「……あ、ごめん……なんか、今の倉橋が、その……」
「え、あ、……大丈夫。びっくりした、だけ」
俺は引き攣った笑みを浮かべ、必死に声を絞り出した。
北沢はバツが悪そうに俯く。
「……ごめん。今の、忘れて」
「あ、ああ……わかった」
忘れるなんて無理に決まってるだろ、と心の中で叫ぶ。
でも、そう言ってもらった方が助かるのも事実だった。
「……そろそろ、帰るわ」
「じ、じゃあ玄関まで送る」
さっきまでの心臓のバクバクを抱えたまま、俺たちは部屋を降りた。
玄関先で、北沢はいつもの無表情に少しだけ戻る。
「……今日はありがと」
「……ううん。またね」
「……うん。また」
北沢は軽く手を挙げると、夜道に消えていった。
その後ろ姿が見えなくなるまで見送ってから、俺は大きく息を吐いてその場にしゃがみ込む。
「……なんだよ、今の」
空を見上げると、フィナーレを飾る特大の花火が次々に打ち上がり、夜空を真っ白に染め上げている。
なんで北沢は、あんなことしたんだ。
なんで俺、あのまま、受け入れようとしたんだ。
あんなに優しくて、安心する体温だったのは、きっとお祭りの雰囲気に酔ったせいだ。
そう自分に言い聞かせるけれど、胸の奥で炭酸が弾けるようなちりちりとした疼きは、花火が終わった後の静寂の中で、いつまでも消えてはくれなかった。



