駄菓子屋によく来るイケメンは、くじ引きで当てたいものがあるらしい。



無事に終わった他己紹介。
結局、北沢の連絡先を通知の最上部にピン留めしたまま、俺たちの日常は特に変わることなく過ぎていった。


「倉橋、雨降りそう」


下校中。
俺は、性懲りも無くうちの店でくじを引きに行くという北沢と一緒に帰っていた。
学校を出て少し歩いたところで、隣を歩く北沢が空を見上げる。
湿った風が吹き抜け、瞬く間に大粒の雨がアスファルトを叩き始めた。


「うわっ!やば」
「どうする?学校戻る?」


北沢の提案に首を横に振る。
この距離なら多分……


「俺の家の方が近いから、走ろ!」
「えっ?ちょっ、倉橋!」


俺は北沢の腕を掴んで走り出す。
北沢は困惑しているようだったが無視だ。


「早く!北沢!」
「……うん」


俺が急かすと、北沢は微かな笑みを浮かべて頷いた。
視線を前に戻してスピードを上げると、北沢も俺のスピードに合わせる。


「倉橋、そこ水たまりあるから気をつけて」
「えっ?……うわっ!」


北沢に言われたとほとんど同時に、思いっきり水たまりの中に入った。


「もうちょっと早く言ってよ……」
「ははっ」


跳ね返った水で濡れてため息をついた俺に、北沢は声をあげて笑った。
北沢が声出して笑うの、初めて見たかもしれない。


「北沢も入る?」
「やだよ」


そんな会話をすると、北沢はまた笑う。
雨に降られたのは最悪だけど、今日はなんだかんだ楽しいかもしれない。


「北沢といたら、雨も楽しいね」


北沢は一瞬でも目を見開いた後、顔をふいと逸らした。


「……俺も、楽しい。倉橋といたら」


北沢も俺と同じこと思ってくれてるんだ、なんて少し嬉しくなって。
俺は北沢の腕を掴みなおし、駄菓子屋に走ったのだった。



ーーーー



「ただいま!」
「あらナオちゃん、ケイちゃん。おかえり〜」


勢いよく扉を開けると、いつも通りのほほんとしたばあちゃんが俺たちを出迎えた。


「雨濡れたの〜?タオル持ってくるから待っててね〜」


ばあちゃんがカウンターの奥に行ったのを見送りながら、俺はワイシャツのボタンに手をかける。
上から三つほどボタンを外したところで、パッと手首を掴まれた。


「ちょっ……!なにしてんの?」
「え?シャツが張り付いて気持ち悪いから脱ごうかと……」
「だ、だめだろ」


北沢はこれまでにないほどあたふたしている。
なんか全然目合わないんだけど。


「いいじゃん。北沢しかいないし」
「余計ダメ……いや、なんでもない」


北沢は何かをボソッと呟いたかと思うと、頭を振って誤魔化した。
「とにかく」と北沢は話を切り替える。


「とにかく、他のお客さんも来るかもしれないだろ」
「まあ、それはそうかもだけど……」
「だから、ちょっとだけ我慢しなよ」


必死の形相で言われたので頷くしかなかった。
口を尖らせていると、ばあちゃんがタオルを持って帰ってきた。


「はい、これどうぞ〜」
「ありがと、ばあちゃん」
「ありがとうございます」


ばあちゃんから2枚のタオルを受け取り、1枚を北沢の頭に、もう1枚を自分の首にかけた。
北沢の頭をタオルでわしゃわしゃと拭いてやる。


「うわっ、ちょ、倉橋」


あたふたする北沢に笑いながら、北沢の頭を拭いていると。


「もういいって」


北沢が俺の手首を掴む。
タオルを被った北沢の顔が心なしか赤くて、なぜか心臓が跳ねた。


「俺のことはいいから、先に自分のこと拭きなよ。風邪ひくから」


北沢はそう言ったかと思うと、ふいと顔を逸らした。
特に気にも止めず自分の頭を拭く。


「ナオちゃん、ケイちゃん。着替えてきたら〜?」
「そうする。ばあちゃん、ありがとう」


俺は北沢を促して、店の奥にある居住スペースへと向かった。

自分の部屋に入ると、タンスの中から適当なTシャツとハーフパンツを二組引っ張り出す。


「はい、これ。北沢からしたらちょっと小さいかもだけど」
「……ありがと」


北沢が受け取ったのを確認して、俺は特に気にせずその場でガバッとワイシャツを脱ぎ捨てた。
肌の不快感がなくなって一息ついていると、ふと視線を感じて横を見る。


「……北沢?」


北沢は受け取った着替えを抱えたまま、なぜか顔を真っ赤にして、あさっての方向を向いて固まっていた。


「北沢、着替えないの? 濡れたままだと風邪引くよ」
「……いや、今着替えるから。倉橋こそ、早くその……Tシャツ、着なよ」


何をそんなに焦っているのか。
俺がさっさと乾いたTシャツに袖を通すと、北沢はようやく落ち着いたのか、自分も着替え始めた。

すらりとした見た目に反して、露わになった北沢の肩周りや背中の筋肉は想像以上にがっしりとしていて、男の俺でも思わず見惚れてしまう。


「……やっぱり、ちょっときついかな」


着替え終えた北沢は、俺のTシャツの胸元を窮屈そうに引っ張っていた。
少し小さめの生地が身体のラインをくっきりと拾っていて、なんだか見てはいけないものを見ている気分になる。


「ごめん、それ一番大きいやつなんだけど……」


身長と体格の差に苦笑していると、足元の脱ぎ捨てた制服が目に入った。


「制服、ちゃんと広げて干しておかないと」


そう言って、足元のシャツを拾おうと手を伸ばした瞬間。

床に残っていた雨水のせいで、思い切り足が滑った。


「うわっ……!」


ぐらり、と身体が傾く。
目の前には北沢もいるのに、勢いは止まらない。

そのまま北沢を押し込むような形で、俺たちは床の上に倒れ込んだ。


「……あ、ごめん! 大丈夫?」


慌てて顔を上げると、俺は北沢を組み敷くような格好で、胸元に乗り上げていた。


「……倉橋」
「ごめん、痛かった?すぐどくから……」


どこうとして腕を突いたけれど、重なっている部分から伝わってくる北沢の鼓動が、驚くほど速い。
それに、貸したTシャツ越しに伝わる北沢の肌の熱さが、さっきまでの雨の冷たさを完全に忘れさせるほど熱かった。


「……無理」
「え?」


北沢が掠れた声で呟くと、俺の腰を掴んでいた手にぐっと力がこもった。


「……本当に自覚なさすぎ。わざとなの?」
「えっ、何が……?」


至近距離で見つめ合う。
北沢の瞳は、さっきまで雨の中を笑いながら走っていた時とは別人のように、何かに耐えるような切実な色を帯びていた。


「俺、今日はもう、くじ引き引くのやめる」
「なんで? 当てたいって言ってたじゃん」
「……これ以上いいことがあったら、俺、本当に帰れなくなるから」


北沢はそう独り言のように呟くと、顔を覆うようにして大きく息を吐いた。
俺が慌てて彼の身体から退くと、北沢は真っ赤になった耳を隠すようにして、ゆっくりと立ち上がった。



ーーーー



2人とも着替えを終え、俺は北沢を連れて再び店の方へと戻った。
雨脚はさらに強まっていて、トタン屋根を叩く激しい音が店内に響いている。
ばあちゃんは「少し横になるね」と言って奥へ引っ込んだので、今、店には俺と北沢の二人きりだ。
俺はカウンターの横にある小さな丸椅子を北沢に勧め、自分はいつもの定位置であるカウンターの椅子に深く腰を下ろした。
急に全身の力が抜けていくような感覚に襲われる。
雨の中を全力で走った疲れか、あるいは着替えてホッとしたせいか、急激に体が重くなってきた。


「疲れた?」


北沢が心配そうに覗き込んでくる。
俺は「ちょっとね」と生返事をしながら、スマホを手に取った。
ちょうどその時、画面が明るく光る。


「あ、通知……」


森下からのメッセージだった。
多分くだらないことだろうな。
何気なくロックを解除して画面を開くと、すぐ隣にいた北沢の視線がスマホに落ちるのがわかった。


「……これ」


北沢の声が、耳元で低く響く。
北沢の目が止まったのはトーク一覧の最上部だった。
小さなピンのマークとともに「北沢慧」の名前が鎮座している。


「これ、ピン留め……してくれてるの?」
「あ、いや……」


しまった、と思ったがもう遅い。
一番上にしとけとは言われたが、まさか固定までしているとは思わなかっただろう。
勝手にやったことがバレて、急に顔が熱くなる。


「……別に、深い意味はないよ。北沢が一番スタンプ送ってきたから、そのままにしただけで……」
「でも、これ設定しないとこうならないよね」


北沢は余裕たっぷりな顔をしてこちらを覗き込んできている。そんな顔も文句なしのイケメンだな。


「嬉しい。ありがと、倉橋」


本当にそう思っているかのように声を弾ませて言われると、言い返す気力も湧かなくなってしまうのだ。


「……あ、森下に返信しなきゃ」


俺は気恥ずかしさを誤魔化すように、森下のどうでもいいメッセージに返信する。
多分今までの人生でしてきた返信の中で、一番真面目だったと思う。

雨だからかお客さんも来ないので、北沢と何気ない話をしばらく続けた。
外を包む雨音と、隣にいる北沢の落ち着いた声。
それに、雨で冷えた身体に、北沢の体温がじわじわと染み込んできて、どうしようもなく眠気を誘われる。
まぶたが重くて、もう目を開けているのもしんどい。
ぼんやりした意識の中で、隣に座る北沢の肩が、ちょうどいい高さにあることに気づいた。


「北沢……ちょっと、肩貸して……」
「え? あ、うん。いいけど……」


許可を得るのと同時に、俺は北沢の肩に頭を預ける。
北沢から伝わってくる熱がなぜかたまらなく心地よくて、俺は無意識にその肩に頬を寄せた。


「……倉橋?」


北沢が困惑したように俺の名前を呼んでいる。
でも、もう返事をする余裕はない。
目を閉じてしばらく微睡んでいると、髪になにかが触れる感触がする。

久しぶりに撫でられた気がする。
こんなに気持ちよかったっけ。

眠気で大したことも考えられないまま、どんどんと意識が遠のいていく。
こめかみのあたりに、北沢の熱い吐息が触れる。
今の俺には、それがどんな距離なのかを理解する力は残っていなかった。


「……ねぇ、北沢」


自分でも驚くほど、気の抜けた声が出た。
重いまぶたを数ミリだけ持ち上げると、すぐ近くで、驚いたように目を見開いている北沢の瞳とぶつかる。
ピントも合わない霞んだ視界の中で、俺はぽやぽやとした口調で続けた。


「……俺、北沢のにおい好きかも」
「……倉橋、起きてる?」


眠気に支配された脳から出た言葉は、止まることを知らない。
北沢の身体が石のように固まったのを肌越しに感じた。
北沢が何かを言いかけた気がしたけれど、俺の意識はそこで完全に途切れてしまった。

トタン屋根を叩く雨音は、いつまでも止む気配がない。
俺を包む春の嵐は、優しい体温を伴って、どこまでも深く、俺の意識を沈めていった。