待ちに待った4月。
「行ってきます」と玄関を出ると、「気をつけてね〜」とばあちゃんの声が後ろから聞こえてきた。
家である駄菓子屋から徒歩5分。
風に乗って運ばれる桜の花びらを目で追いながら、見慣れた道を歩く。
4月だからか、その見慣れた道ですら新しいように思えた。
荻野高校。
俺と──あのイケメンが、今日から通う学校だ。
学校に着くと、すでにたくさんの人で溢れかえっていた。
入学式の看板で写真を撮る人、それの順番を待つ人、友達と話している人。
そんな人たちの間を縫うように通り抜け、クラス分けが掲示されている場所まで向かう。
1年1組から順に見ていこうと目を向けるが、人が多くてなかなか見れない。
見た人は速やかに退場してくれ。
軽く呆れながら、じりじりと掲示板に近づいて目を凝らす。
幸い、割と早く自分の名前が見つかった。
なんとなくもう一度確認してから教室に向かった。
1年1組。4階の一番端の教室だ。
それにしても階段キツいな。
これから一年間これを上らないといけないのか。
絶望を感じながら階段を上り、山を登頂した気分になりながら無事教室に辿り着いた。
黒板に掲示されている座席表を確認する。
「倉橋尚哉」の名前を見つけ、席につく。
窓側から2列目の前から4番目。
ちょうどいい席な気がする。
あとは周りがどんな人かだけが心配だ。
もうちょっと同じクラスに誰がいるか見ればよかったな。
自分の名前だけ確認してしまったので、友達が同じクラスにいるかどうかもわからない。
あ、座席表見ればいいじゃん。
そうひらめいて立ちあがろうとした俺に、影がかかる。
顔を上げると、前の席の人がこちらを見下ろしていた。
「はよ、倉橋。同じクラスなれたね」
「あっ!!」
腰を浮かせた変な体勢のまま思わず声を上げる。
俺を見下ろしていたのは、あのイケメンだった。
「この前の……」
「うん。久しぶり」
イケメンは嬉しそうに笑みを浮かべた。
それだけでパッと周りが明るくなる気がする。
イケメンってすごい。
浅はかな感想を抱きながら俺は椅子に座り直す。
イケメンは自分の机にカバンを置いて椅子に座ると、こちらを向いて頬を緩めた。
「また会えて嬉しい」
「あぁ、うん。俺も……」
そんなにイケメンパワー全開で来ないで欲しい。
こちとらイケメン耐性はゼロ……いや、マイナスに近いのだ。
「あ、そういえば名前。聞いてなかった」
切り替えるように質問する。
前会った時聞くのを忘れていて、ずっと気になっていた。
「北沢慧。改めてよろしく、倉橋」
「よろしく。北沢」
やっと名前を知れて、謎の達成感に浸る。
そんな俺の背中に、衝撃が走った。
「倉橋ぃ〜おれ2組なんだけどぉ〜!」
「森下……」
俺と肩を組んできたのは小学校から腐れ縁の森下透だ。
どうやら今年は別のクラスらしい。
「なんでそんなにテンション低いんだよ……って、めっちゃイケメン!」
森下は北沢を見ると驚いたように叫んだ。
思い浮かんだことをすぐに口に出すのはやめた方がいいと思う。
北沢困ってるじゃん。
「おれ森下透!そっちは?」
「……北沢慧」
「へー!よろしくな!」
北沢の困惑も気にせず、森下はペカペカの笑顔を浮かべる。
そんな森下に、北沢はどこか緊張したように口を開く。
「森下……は、倉橋とどういう関係?」
「親友!小学校から一緒なんだよね〜」
「え、俺ら親友だったの」
「まじか〜おれの一方通行だった〜」
森下が来ただけでこんなにうるさくなるなんて。
もはや一種の能力だと思う。
森下がひとしきり喋り倒して隣の2組の教室に戻って行った隙に、北沢が机越しにぐっと身を乗り出してきた。
「……親友って、あんな感じなん?」
「あー……まあ、腐れ縁っていうか。あいつ、誰にでもあんな感じだから気にしないで」
「……そう。ならいいけど」
何がいいのか分からないが、北沢は少しだけ満足そうに笑った。
ーーーー
「はいみんな〜席について〜」
少し経つと教室に担任が入ってきた。
若い女の先生だ。雰囲気がふわふわしている。
前田先生というらしい。
先生が自己紹介が終わったところでパンと手を叩いた。
「入学式がそろそろ始まるので、体育館に移動してね〜」
じゃあよろしく〜、と先生は教室を後にした。
そんな適当なんだ。
と、中学との違いを感じながら席を立つ。
「倉橋、一緒に行こ」
「あ、うん」
前の席の北沢が声をかけてきた。
改めて隣に立つと背が高い。
俺も172cmと特別低くはないはずなのに、北沢が高いせいで自分が低く感じる。
教室から出ると、廊下は体育館に向かう人で溢れかえっていた。
「おっす〜!倉橋、また会った〜」
「わっ」
後ろから勢いよく森下に飛びつかれたせいでバランスを崩す。
なんで入学初日から転ばないといけないんだよ。
覚悟して目を瞑ると腕をガシッと掴まれた。
「大丈夫?」
「あ、う、うん。ありがと」
「お〜北沢ナイス〜」
北沢が腕を掴んでくれたおかげで転ばずに済んだ。
森下は北沢を褒める前に俺に謝るべきだと思う。
「早く行こ」
北沢は俺の腕を掴んで歩き出す。
引かれながら俺は北沢の後に続く。
「あ、あの北沢?もう離してくれても大丈夫だよ?」
「ん?なに?」
涼しい顔をして前を向いたまま、北沢の手にはさらに力がこもる。
制服のブレザー越しなのに、掴まれた腕がやけに熱い。
抵抗しようと思えばできるはずなのに、なぜか振り払うタイミングを逃してしまった。
黙って北沢についていく俺を見て、森下が声を上げる。
「なんか仲良くね!?おれの知らない間に親友なったの!?」
「ん〜そうかも」
北沢、適当に返さないで欲しい。
かと言って否定されるとそれはそれで違う気もするけど。
またもや始まった森下のマシンガントークを聞き流している間に体育館についた。
入り口で出席番号順に並ぶようだ。
出席番号順が俺と北沢は前後なので、自動的に並び順も前後になる。
「倉橋〜おれ遠いんだけど〜」
「早く行けって」
森下が駄々をこねていたが、雑にあしらうと唇を尖らせて自分のクラスのところに戻って行った。
その後ろ姿を見て、北沢が苦笑する。
「仲良いんだな」
「うん……まあ、長い付き合いだし」
「好きなの?」
「えっ?そりゃ、友達としては好きだけど……なんで?」
「いや……なんでもない」
北沢はそれだけ言うと、前を向いてしまった。
なんだろう、今の間。
気になったけど、体育館の中から入場曲が聞こえてきたので口をつぐんだ。
ーーーー
入学式が終わり、教室に戻る。
担任の前田先生が帰ってくるまで休み時間らしい。
席についた途端、北沢は大量の女子に囲まれた。
「北沢くん、だよね!」
「かっこいいね、彼女いるの!?」
「ねぇこの後一緒にどこか行かない?」
やっぱりイケメンってすごいな。
名前も知らない女子からこんなに言い寄られるなんて。
でも、これはこれで大変そうだ。
心配しながらその状況を眺めていると、ふいに北沢と目が合う。
「ごめん、この後は倉橋と遊ぶって約束したから。ね?」
「え?あ、あぁ……うん」
「そんなぁ〜!」
北沢からの圧に屈して頷くと、女子たちの落胆の声が上がる。
「じゃあ……」
「みんなお待たせ〜」
前田先生の声が女子たちの言葉を遮った。
女子たちは残念そうに自分の席に戻っていく。
「ありがと、倉橋」
「ううん。北沢も大変なんだね」
俺が苦笑いして答えると、北沢は椅子を少しだけ俺の方へ引いて、声を潜めた。
「前田先生、話長そうかな」
「どうだろ。適当そうだし、すぐ終わるんじゃない?」
「……だといいんだけど」
北沢は前を向いたふりをして、自分の机に肘をつき、わずかに後ろを振り返る。
「さっき『遊ぶ』って言ったの、嘘じゃないから」
「えっ?」
「また駄菓子屋、行ってもいい?」
「いいけど……なんで?」
俺が首を傾げると、北沢は机に肘をついたまま、少しだけ身を乗り出してきた。
なんか近くね?
「……まだ、当たってないから」
「え? 四等当たったじゃん。チョコバーもあげたし」
「そうじゃなくて。俺、くじ引きで当てたいものがあるって言っただろ」
真っ直ぐに見つめられて、心臓が跳ねる。
思わず目を逸らしながら聞く。
「なにが欲しいの?」
「んー……内緒」
いたずらっぽく笑うその表情に、返事に詰まってしまう。
ちょうどその時、教壇で前田先生がパンと手を叩いた。
「はーい、じゃあ今日はこれで解散〜!気をつけて帰ってね〜」
相変わらずのゆるさでホームルームが終了した。
椅子を引く音が教室中に響き、一気に騒がしくなる。
「倉橋〜駅前のゲーセン寄ってからラーメン行かね?」
隣の2組もちょうど終わったらしい。
森下が勢いよく扉を開け、こちらに向かってくる。
「あー……俺は」
「ごめん。倉橋は俺と約束あるから」
俺が断る前に北沢がそう言って、俺と森下の間に立った。
どうやら俺に決定権はないらしい。
別にいいけど。
「行こ、倉橋」
「う、うん」
北沢は俺の返事も聞かないで、俺のカバンを手に取って歩き出す。
「え!?ちょ、北沢!カバン返して」
「やだ」
やだ、ってなんだよ。
慌てて北沢を追っていると、後ろから「じゃあまた明日ー!」と森下の元気な声が聞こえてくる。
森下は特に気にしてないらしい。
まあ、俺と森下はいつもそんな感じなので俺も気にしてない。
廊下ですれ違う生徒たちが、北沢に目を奪われているのがわかる。
当の本人はどこ吹く風だけど。
校門を抜けると、春の柔らかな日差しが視界いっぱいに広がった。
風が吹くたび、足元を桜の花びらが追い越していく。
「倉橋」
「なに?」
「なんでもない」
北沢は俺の名前を呼ぶと、嬉しそうに笑う。
その目的も理由も、今はまだわからない。
俺の高校生活は、こうして始まったのだった。



