「#7」
〜〜〜20年前〜〜〜
「いやぁ、兄さんと一緒に飲めるなんてボクは嬉しいなぁ♪」
留年を繰り返す大学生の弟に半ば強制的に連れられてビカビカとやかましいくらいに輝く下品なネオンが眩しい見知らぬ歓楽街を歩く誠一郎。
勝手気まま自由にやりたい放題で生きている怠惰な誠次を誠一郎は苦手としていた。
否、肉親であるという感覚さえ持てないくらいである。
アリとキリギリスなら誠一郎は前者、誠次は後者である。
彼の見た目は生真面目そのもの…
しっかりした国産の紺色なスーツを生真面目に着せたかのようであった。
黒ぶちの眼鏡、銀色のネクタイ、水色のワイシャツ、紺色のスーツ、黒い革靴…
見事なくらいの生真面目ルックだ。
対する弟の誠次は…
細身なサングラス、金のネックレス、ヴィンテージのアロハシャツ、ラブ&ピースと書かれたダボダボなTシャツ、腰履きされたヴィンテージのダメージジーンズ、エアマックス…
不真面目とはなんなのかを体現する…
不真面目ルックそのものだった。
これらのアイテムひとつひとつが不真面目というわけではないのは言うまでも無いことなのだが…
そうしてしきりにカリスマ美容師にセットさせた髪型を常に気にしていじくりまわす様子はナルシストさをも醸し出していた。
人垣を窮屈そうにして、かきわけるように歩く。
「いやぁ面白いなぁ♪兄さん…居酒屋、初めてみたいでしたね、アハハ♪」
誠次は笑う…
「な…笑うなよ、酒は苦手なんだ…まぁお父さんに誘われた大切な席ではたしなむくらいには飲めるさ…」
誠一郎は苦笑いするのが精一杯だった。
「バブルかぶれな父さん御自慢のクルージングパーティーかな…あはは♪大変だね、兄さんみたいな人気者は!!そうそう、そんなことより二次会で知り合いのバーも良かったんだけど…どうせなら…ねぇ…どうせなら…あはは♪あっちの初めても経験してみましょ〜うか、兄さんッ♪」
誠次は怪しい笑い声をあげた。
「ん!?あっち…って何のことなんだ、誠次…」
不安気な表情でほろ酔いな誠次の顔をのぞきこむ誠一郎。
「ホントこのままじゃ魔法使いになりますから…まぁまぁ…お楽しみに♪ってね…アハハ♪」
今にも逃げ出しそうな兄へ強引に肩を組んで意気揚々と豪快に練り歩く誠次。
繁華街の喧騒から逃げるみたいに…いくつもいくつも裏道や細い路地を迷路みたいにくねくねと歩き続けてたどり着いた場所には…
星空が映り込むミラーガラスに覆われたスタイリッシュなデザインの高級マンションのような見た目のビルがポツリと建っている。
一見すると広い敷地と整えられたガーデニングの様々な植物が、い並ぶ様は公園のようにも思えた。
「ここなのかい?」
誠一郎は怪訝な表情でため息をついた。
「そうそう…きっと楽しいよ、遊園地みたいなもんさ…アハハ♪」
誠次は下品に笑う。
「遊園地…まさか?ここがかい?」
誠一郎の怪訝な表情がさらに増した。
「いやいや…ど〜も〜こんばんは、ようこそ…おいでくださいました!」
ビルの入り口から蝶ネクタイと燕尾服を纏った営業スマイル甚だしい男が現れた。
「あらら〜なるほど…なるほど…やっぱり誠次様でしたね、今日こそは禁止事項は守って下さいね…あ〜はいはいイチゴちゃんなら…すぐ御用意致しますので…そのそちらは?」
誠次に男はうんざりしながらも…いやらしい声をかけた。
「あはは♪手厳しいな支配人は…あ、ボクの兄さんだよ…愛澤の次期後継者だから…すご〜〜く丁重にもてなしてね♪」
支配人と呼ばれた男はビックリした面持ちで誠一郎を見つめると一際いやらしい営業スマイルを振りかざした。
「なるほど…失礼致しました、それはそれは愛澤の御曹司でいらっしゃられるとは…ハイ…そうです♪とっておきの美人がおりましてですね…それも本日より入店したばかりのピッチピチッな新人がですね…その子などいかがでしょうか!?」
揉み手をしながら誠一郎を見つめる支配人。
「へぇ〜良かったじゃん兄さん…」
「どういう意味だ…誠次」
説明を求める猶予もなく…誠次に背中を押されて、受付待合室らしき場所へ強引に連れてこられた。
ロココ調のデザインでまとめられた空間。
「んん!?酷いな…成金趣味にしちゃセンスが感じられない…」
誠一郎はあまりにもゴテゴテした内装と家具や雑貨類に辟易とばかりにため息をついた。
ため息の向かう方へ視線を投げる。
そこには、すでに胸元がハートの形にくり貫かれた真っ赤なシースルーのネグリジェのようなドレスの女性と胸元が星形にくり貫かれた純白なネグリジェのようなドレスの女性ふたりが誠次と誠一郎を妖艶で淫靡な空気を纏って待っていた。
支配人は赤い衣装の女性と純白な衣装の女性を紹介し始めた。
「こっちの大きなお胸がチャーミングな赤いドレスの子がイチゴちゃんで…涙ボクロがセクシーな白いドレスの子がミルクちゃん…ミルクちゃんは今夜が、この店で初めてなので御曹司に粗相のないようにね…」
支配人はミルクちゃんにいやらしく釘を挿した。
「御曹司…次は私とストロベリベリタイムしちゃいましょうね!」
誠一郎の手をとってウインクしてみせた。
その手を誠次が奪ってしまう。
「ダメダメ…今夜はボクとストロベリベリしちゃいましょうね♪」
イチゴちゃんを強引に抱き寄せて貪るみたいに…唾液を掻き出すような荒々しい舌使いをする。
濃密で熱烈な卑猥極まりないキスするを誠次。
あまりのことに呆気にをとられる誠一郎。
「それでは…お部屋までご案内致します…」
次に誠一郎の手をとって見つめていたのはミルクと呼ばれた女性であった。
すべすべと滑らかな柔らかい肌、細くスラリと長い指先…
誠一郎は少しばかり垂れ目がちな大きな瞳に心を奪われた。
「なんてきれいなひとなんだろう…」
無意識で言葉が漏れ出てしまうくらうに惚けてしまっていた。
「うふふ♪まぁ…嬉しいですわ…ありがとうございます…」
その言葉が早いか腕を絡ませてきたのが早いかという具合に誠一郎へ密着してきたミルクである。
誠一郎より頭ひとつは小柄なミルクの大きな胸が二の腕に押し付けられるのをスーツの上からでも、まざまざと感じられた。
その突き立ての餅のような柔らかさをも…
視線をミルクに落とすと胸の谷間がはっきりとわかる。
女性に免疫の無い誠一郎は火傷しそうなくらいに顔を赤らめた。
「緊張していらっしゃっいます…うふふ、可愛い…」
いつの間にか部屋の前まで歩いていた。
静かにドアを開けて中に案内される誠一郎。
真っ白な部屋の奥にはカーテンで仕切られたバスタブが見えた。
室内灯は桜色をして室内の調度品が春のように感じられた。
まるで白昼夢か何かだろうか…
ミルクは白い革張りのひとり掛けのソファーをポンポンと叩いて合図を送り…誠一郎をゆっくりと腰掛けさせると囁くように声をかけた。
「改めましてミルクと申し上げます、これからたくさん楽しんでくださいませ…御曹司様…今日はお仕事帰りでしたか…」
耳の奥が甘く痺れる…
そう言って誠一郎の上着をするすると脱がせると器用にネクタイまでほどくのだった。
ハンガーに上着をかけて、ネクタイも同じハンガーの間に通して…
何かしら質問され何かしらの返事をしたとは思うのだが誠一郎はそれどころではないといった様子でそわそわと落ち着かない。
しずしずと誠一郎の座るソファーの前に立つと…
誠一郎の瞳を艶っぽく見つめながら両足の真ん中に挟まるようにして、ちょこんと座り込んだ。
誠一郎を舐めるように見上げながら見つめて話しかけるミルク。
「あの…キスしても…良いですか?」
ミルクの顔がゆっくり近づいてくる。
ハチミツみたいな熱い吐息が頬を撫でる…
あのきれいな指先でシャツのボタンが外されていくのも同時に感じられた。
「いや…ちょっと待ってください!」
ミルクの肩に震える手を置いて静止させる誠一郎。
まさか拒否されるとは思っていないミルクは驚いた顔をしていた。
「あ…あなたのことを好きになりました…嘘や冗談みたいに聞こえるかも知れないけど…きっと一目惚れでしょう、ホント…自分でもおかしいのはわかります」
誠一郎はミルクを真剣に見つめて続けて話す。
「ここが…どんな場所でどんなことをするのか…まったくもって恥ずかしながら疎い私でも…その大体わかります、ただ私はあなたをちゃんと愛したいと思いました…命懸けで愛すべきひとだと感じられたからです…こんなところでこんなことをしていてはいけないひとだと…」
誠一郎の冗談にしては笑えない誠意にキスを迫っていたミルクは元の位置に戻ると小さく笑う。
「ふふふ…お世辞でも嬉しいです…ふふふ、それにしてもおかしなひとですね、ホント…まだ出会って数分しか経ってないのに…」
「私は本気です!…」
誠一郎は力強く誠意を伝えた。
「申し訳ありません、無礼を承知の上で言わせていただきます…そのように坊やみたいなことを…あはは…たかだかお金の為にカラダを売るような女をそんな女をですよ…ちゃんと愛したいのですか…それがどんなに馬鹿げたことかもご存知ですか…御曹司様…」
ミルクは呆れ返るように返事をした…
「約束します、私はあなたを本気で…ちゃんと愛します!この言葉に嘘はありません…」
ミルクは目を伏せる。
「約束しますだなんて…御曹司様がどれくらい愛せるのか教えて欲しいのです…私は明日の夜には違う殿方に抱かれていますよ…そんな如何わしくて穢らわしいゲスな女をちゃんと愛したいでしょうか?」
「わかりました…では…これから先のあなたの予約を全て私がとります…私以外の者に決してあなたを穢らわせられないように…触れさせないようにです…これが私のできる精一杯の想いと覚悟です…」
誠一郎は本気だ…
「御曹司!?どうして、どうして…そこまで…あなたバカなのキチガイか何かなの…そう、そうね、プリティーウーマンか何かの影響かしら…お金で…魂まで買えるとお思いかしら」
ミルクは呆れ返るどころか怒りにも似た感情を口にしていた。
「そんな風に思ってはいません…これから毎晩、ここに来ます…ここに来ますから…私のことを少しずつで構いませんから話しましょう、たくさん…たくさん他愛もない話です」
そう言って誠一郎は上着とネクタイをたくしあげると部屋を出ていった。
「それでは…おやすみなさい、愛していますミルクさん」
誠一郎の口にしたミルクという源氏名が凄く滑稽に思えて彼女は目頭を熱くするばかりだった。
「こんな場所で本気で愛しているだなんて…私は…」
彼の言葉に嘘は無いことは瞳の純粋過ぎる輝きを見ればわかる、まるで神仏の御使いみたいな無垢なオーラを感じられたからだ。
誠一郎は…自分が運命などと口にするようなロマンチストではなかったが星空へミルクとの出逢いを感謝せずにはいられなかった。
父に及ばずとも組織の中核をなす一経営者としてのリアリストと理想論者の狭間で、よりベターな妥協を提案するような…仕事が恋人みたいな人間の自分がバカみたいに魅せられていたことに酷く戸惑っていた。
「愛してるなんて初めて口にしたかもな…フフ、私も父の操り人形ではなく一人の男だったというわけなのだな…」
のぼせていたのは酒のせいではなく、あの人の瞳の奥の悲哀にも似た何かに酔ってしまったのであろうなと夜風に吹かれ、ネオンから遠ざかっていくように歩いていた。
悪酔いで無ければ良いさ…
なんとも月の綺麗な夜のこと、金色に輝き放つ真円を描く鏡とその光を背中に受けて闇の中にとけていく誠一郎だった。
こうして、後に真夜を授かることになる…ふたりは、あの日、あの場所で出逢った…
出逢ってしまったのだ。


