「#3」

真夜の大切な友達の話…


真夜の世界が変わった日の話…


あれは………


そう、そうであった。


朧げながらに思い出す…


子猫がいた…


小さな小さな…


くりくりとした青い瞳の黒猫だった…


当時8歳だった真夜は隣の田中さんの家で飼っている黒猫のクロが大好きだった。


クロのお母さんはチョコだった。


ミルクチョコレートみたいな毛色の猫だった。


クロが産まれる前はチョコが真夜の親友。



チョコはクロを産んだ…


チョコは次の日のまぁるい月がきれいな夜にお星さまになってしまった。


お母さんと一緒に夜空に手を合わせた。


チョコが天国でも幸せでありますようにと…



クロはチョコと同じようにいつも一軒家の玄関の前や塀の上で気持ち良さそうに日向ぼっこをしていた。


からだのどこかに居心地の良いところを探すセンサーでも持っているみたいで不思議に思えた。


クロも真夜が喉を優しく撫で上げてやるとゴロゴロという鳴き声と伸びをしながら返事をしてくれた。



いつの頃からか、スーパーマーケットでのレジ打ちのパートの時間が終わってお母さんが帰ってくるまでの遊び相手になってくれていた。


学校から帰ると親切に田中さんのおじいちゃんがクロと一緒に待っていてくれた。



おじいちゃんは、いつもこんなことを言っていた。


「大家と店子は家族も同じだからな」


私は意味がわからなかったが、きっと家族みたいに仲良くするものなんだろうなって…

うん、そうなんだ。

きっと…そうなんだ。

確かに田中さんのおじいちゃんは私を本当の孫みたいに…そういう風に接してくれていた。


温かいほうじ茶とおまんじゅうか大福、それからいろんな味のお煎餅をいつも用意してくれていた。


たまに…とっても美味しいうさぎやの苺大福を用意してくれていたときは真夜はぴょんぴょんうさぎみたいに楽しそうに飛び回ってニコニコと嬉しそうにしていた。

真夜には白い子犬が苺をパクりとくわえているような大福が可愛くみえるのだという。


それらをおちょぼ口で美味しそうに頬張る真夜の膝の上で、くるんと丸くなって甘えたようにミィミィと鳴くクロの背中を優しくさすってやると、いつしか寝息をすうすうとたててクロは気持ちよさそうに眠るのだった。



ごくたまに寝ぼけているのか、前足の左右をうまく使って真夜の小指を肉球で挟み込むと口元に手繰り寄せて、チュパチュパと乳飲み子ようだった。


クロのそういった可愛らしい姿に幼いながらも母性をくすぐられる真夜だった。


お母さんは迎えにくると、いつも決まって申し訳なさそうに田中さんに挨拶していたが、おじいちゃんは決まってこう言う。


「ハハハ…大家と店子は家族も同じだ、気になさらずにだ…まぁ困った時は助け合うもんさね、それに真夜ちゃんはとびっきりめんこいからなぁ…ウワハハハハ…」

北海道の出身のおじいちゃんはたまに方言を無意識につかう。

めんこいは凄く可愛らしいとか、そんな意味合いらしいのだが本州の可愛いのニュアンスとは若干違うみたいなのだそうである。



お母さんは感謝しながらひたすらに頭を下げていた。

真夜はなんだかお母さんに悪い気もしたが…そんな風にクロと楽しく過ごす毎日。



そんないつもと変わらない毎日のとある日のことであった。


「ただいま~ク~ロ~遊ぼ~う」

少しずつ肌寒くなってきた秋の風のなかを真夜はいつもみたいに駆け足でニコニコとクロの前にあらわれた。


「そろそろこたつに入りたいよね、クロ」


今日も挨拶がわりにと優しく背中をさすってやる…


すると…



真夜は雷にうたれたみたいな衝撃に全身を弓なりにガクンと揺らす。


目眩を覚えつつおぼろ気な瞳でクロを見つめた。


もちろんクロを心配してのことだった。


「く…クロ…ねぇ!!どうしたの!?」


目の前にいるクロは白かった。

数秒間、目を離しただけだ…


白いとは…気分を表した比喩とか、そんな意味ではない。

真っ白なのだ…


どういう風に真っ白なのかというと…


ペンキなど塗料をかけられたのとは訳が違うんだ…

このまま消えてしまいそうな違和感…

しかも、ただ白いのではない。


体毛はもちろんのこと、青い瞳も真っ白…あのぷにぷにの肉球も真っ白なのだ。

弱々しく…あくびをした口の中も真っ白…


まるで色という色をどこかに失ってしまったような…


幼い真夜にとってそれはその視界におさめられた光景は強烈な畏怖と衝撃的なイメージを脳裡に焼き付けるには十分過ぎるほどである。

驚くほど自然に…ぷつぷつと全身が総毛立つ…


目の前にいるクロは…まるで絵本の中の化け猫みたいではないか。


「おお、真夜ちゃんか…おかえり、さぁさぁ寒いだろう…中に入りなさい…」

おじいちゃんが玄関のドアを開けて真夜に声をかけた。



真夜はガクガクと足がすくんで動けなくなる。


「どうした…真夜ちゃん…具合でも悪いのかい!?」


真夜は青ざめた顔で紫色の唇がガタガタと震えている。


「おい…真夜ちゃん!?からだこわいのか、ゆるぐねぇのか!!」

おじいちゃんは気が動転してしまうのである。



「おい、春子!!真夜ちゃんが、真夜ちゃんが!!」

おじいちゃんは一人娘の春子を大声で呼び出した。

春子は昨年、離婚して実家に戻ってきたばかりだった。



「なによ、お父さん…えぇ真夜ちゃんッ!!」

面倒くさそうに台所仕事を止めてタオルで手をふきながらパタパタと駆け寄った春子は父親が指差した先に明らかに様子のおかしい真夜を見つけて驚いた。

……!!



真夜は泡をふいて、つんのめるように倒れた。

まるで異世界に誘われたみたいに意識が飛んだのであった。


「おじいちゃん…クロがシロくなったの…あたし、あたしね……」


救急車で搬送される道すがら、微かな意識のなかで真夜はうなされたみたいに…そう小さく小さく消え入りそうな声で呟いた。


…………




幸いなことに真夜は何の異常もなく無事であった。


診察した救急病院の医師もかなり深刻な症例の少ない病気に該当しないか懸命な診療をしてくれたのだそう。


外的な要因による精神的なものまで疑われてしまい児童相談所の人も話を聞かせて欲しいと真夜の身辺を調査したくらいだった。


そして経過観察の為の数日間の入院が終わり、ようやく退院となった真夜。


「もしも…またこのような発作的な病状があらわれましたら、私の信頼する先生を紹介しますから詳しい専門的な診察をおすすめします…」


お母さんの手をとって医師は紳士的で卑猥な瞳で見つめていた。



「ごめんなさい…」


家路への帰り道、真夜は悪いことをした気がして仕方なかった。


「あら…どうして謝るの真夜は何か悪いことをしたのかしら?」


お母さんは真夜をいきなり抱きしめた…



「いいの、大丈夫ね…ありがとう…生きていてくれてありがとう…お母さんね、真夜がいなくなっちゃうんじゃないかってすごくすごく心配したのよ…」

真夜は目頭があつくなった…


涙が後から後から込み上げてきた。



「おかあさん、おかあさん、おかあさん、おかあさん…」


真夜もギュッとしがみつくように腕をまわして涙が止まらない。


わんわん泣く…


お母さんもつられるようにして泣いた…


こんなに夕焼けがきれいなのに、お月さまも泣いているみたいに輝いていた。



クロは…真夜が倒れた日から、ちょうど一週間後にチョコと同じようにお星さまになった。


心臓に先天的な障害をもっていたようで急に寒くなってきたことに対応できなかったらしい…


クロは2歳を迎えることなく旅立っていった。


真夜の唯一の友達はいなくなってしまった…


どうして白くなったのか、どうして死んでしまったのか、答えはまだ出なかった。


真夜はひとりぼっちでポカンと夜空を見つめて祈るばかりだった。


涙が流れ星みたいに頬を滑り落ちた…