「#2」

……………


「わけわかんない…」



「しゅういちのばぁーか」



「むぅ~…どういう意味で『みえてる』って言ったんだろ秀一のやつ」


変態な意味なのかとも思ってはみたが鼻の下が伸びてなかったし…。



いちご色のシーツにくるまれた高反発のイタリア製のベッドマットレスに吸い込まれるように前のめりに倒れ込むと、寝返りをうって天井を視界にうつして独り言を呟く。


声にするつもりなどない言葉が漏れ溢れたように零れ落ちた。



真夜の自室は年頃の女性の等身大を分かりやすく説明しているような雰囲気だった。


大人へと背伸びしたい反面、子供っぽさを隠しきれないというか、そんな感じの部屋だった。


「あいつ…私のことも知っているのかな…」

寧ろ『みえてる』のは私のハズだったから…



ダメダメ…


闇を切り裂いて死神があらわれてしまいそうだ…



「やめよう、ようやく慣れてきたのに、迷惑なだけ…みたくなんかないのに…知りたくなんかないのに…」


油断したら、また引きずりこまれてしまう。



ちゃんと普通の女子高生をやろう…って決めたんだ。

わからないなりに普通の女の子でいようって…決めたんだから。


もう悩まないって決めたのに…



ダメダメ…ダメダメ…


そうしないと自分の呪いが大切な人達を全部、全部、ぜんぶ、ゼンブ、不幸に…ふこうに、フコウにしてしまう。


また…


殺してしまう。


また…


殺されてしまう…



………



わからない…


分からない…


解らない…


判らない…


ワカラナイ…


…わからないよ。


わかりたくなんかないよ!!


ワカリタクナンカナイヨ!!



…………………………



………………………



…………………



………………




…あれは、いつの頃のことだっただろう。

まだ実の両親のもとで貧しいながらも慎ましやかに幸せに暮らしていた頃のことだった。



「真夜、今日はすき焼きにしようかね」


特別な時には、いつも母親が特別な笑顔で、そう言って抱きしめてくれた。


温かくて嬉しくて涙が出そうな笑顔だった。


安い脂身だらけな豚肉のすき焼きだったけど、今でも真夜の心に刻まれている大切な御馳走の記憶だった。

『すき焼き』は家族の愛を鍋につめたものだと真夜は思っていた。



キャベツの芯の油炒めや、もやしを試供品の焼き肉のタレで炒めたもの、おからのハンバーグ、少しばかりの具材の味噌汁、近所の山や土手で採ってきた山菜のおひたしみたいなものばかりの食卓であったから、それが食べ盛りの幼い真夜にとって、どれくらいの大御馳走かは言葉で表せるものではない。



母は出来る限りの工夫と手間をかけて貧しさを感じさせないように振る舞っていた…精一杯、一生懸命に。


あぁ、そうだ…




「お母さんのパン耳のかりんとう…食べたいな」


記憶の片隅にあった『パン耳のかりんとう』が脳裏を過る、雷みたいに…


油で揚げたパンの耳に砂糖をまぶしただけの素朴なおやつ。

近所のパン屋さんがサンドイッチ用に加工した食パンから出た廃棄になる耳の部分をよくお裾分けしてくれていた。


困っているお母さんを誰しもが皆、放っておけないみたいだった。


何せ、お母さんは凄く美人だった。



たまには美人って得することもあるのね…なんて笑っていたりした。


きっと真夜もお母さんみたいに素敵な美人になるから気をつけないといけないね。


お父さんも笑っていた。


三人で車座になって囲む小さなちゃぶ台。


美味しいかい…美味しいよ、美味しいね。



素直に甘くて…ただただひたすらに優しくてカリカリで香ばしくて『おやつ』の言葉が嬉しくて…


一緒に飲んだホットミルクの温もりに包まれて嬉しかった。




なのに……ねぇ…




「どうして私は死ななかったの…」




ねぇ…



「どうして一緒に連れていってくれなかったの…」




ねぇ…




「お母さん…お父さん…」


ねぇ…



「あいたいよ…あいたいよ…私は…」



ねぇ…



「私だけ変わらなかった…私だけ…」




ねぇ…こんな…


せきを切ったように涙が止まらない…


頬をつたう感情がどういったものか自分自身でもよくわからない。





ただ…止めどなく溢れてくるのだから…


どうしたらいいのかわからなくて…






「あれの意味を理解していたら…」





そんなの…



「死ななかったかもしれない、生きることができたかもしれない…助けてあげられたかもしれない……」



そんなの無理だよ、できっこないよ…


私…10歳だったんだよ…




止めどない自分への怒りと悲しみと後悔と贖罪の念である。


ぐるぐると胸の奥深くで渦巻くものは何なのだろう…





こたえなんてあるのだろうか…


この感情の行き場所なんて…




どこへいきたいのだろう…








…6年前。







「あなたが真夜ちゃんだね」



あんなにも大好きだったお母さんとお父さんは事故で亡くなった。


人って、本当に簡単に死んでしまうんだ。



無謀な酔っぱらい運転のトラックに追突されて無惨な姿で死んでいった。


その交通事故で生き残ったのはトラックの運転手と真夜だけだった。




人であったかどうかさえわからない血塗れな肉片と化していた両親の死体は通夜などをすることも無く、すぐに火葬された。




事故で記憶が曖昧になっていた真夜の目の前に、今、知らない大人達が『かわいそうに』という言葉を次々にかけてくる。




火葬場で取り囲まれる私…



私は『かわいそう』ではない…



私はかすり傷程度のケガしかしていないのに…



その言葉は『かわいそう』なのは…


あんな死に方をしたお母さんとお父さんだ…


もっと生きたかっただろうに…


本当に…そうなんだ…



どうして笑顔でお話しをしているの、あの人達は…


口々にいう『かわいそうに』も…


きっとすぐに忘れてしまう…


お母さんとお父さんのことも…


その方がもっと『かわいそう』なのに…



ねぇ…もう一度、すき焼きを食べたいよ…


ねぇ…ギュッてして欲しいよ…


両親の火葬が終わり、骨となったものが自分の大切な母と父だということを…


まだ10歳になったばかりの小学4年生の真夜には理解出来る由も無かった。



そもそも幼い子供に死の概念を説き諭すなど、なんと難しいことなのであろうか。


どこかしらから笑顔でひょっこりあらわれてきそうな風に思えて仕方ない。


目が覚めたら悪い夢だったんだよって抱きしめてくれるように思えてしょうがない。




その最中で真夜に優しく声をかけたものは中年の夫婦だった…


2人ともにほんの少しばかり白髪が所々に混じった頭をしてはいたが身なりはとても素敵で見た目だけで凄く裕福そうに見えた。




「この人がね…真夜ちゃんの新しいお母さんとお父さんになるんだよ…」



先程、火葬場で初めて会ったばかりの父の弟であるという叔父さんが冗談くらいに嘘みたいなことをサラリと言ってのけた。




認めたくないという気持ちからか真夜は絶叫していた。


「あの小さな箱に入っているのが…私のお母さんとお父さんです!!」


真夜は必死だった。




叔父さんは慌てる…


「真夜ちゃんがひとりぼっちじゃ…これから先…困るだろう、とても良いお話しなんだ…素直にしなさい!」




「私のお母さんとお父さんは死にました!!あの小さな箱に入っているのがお母さんとお父さんです!!!!」



彼女の抵抗は…


それは両親への愛だったのだろうか…



ただ…今は…


ひたすらだった…





真夜は、それから先はあまりよく覚えてはいない。



火葬場中に響きわたるくらいに一生懸命に叫び続けるうちに過呼吸を起こして倒れてしまった。




声が聞こえる、私を呼んでいる…




意識は…唐突に現実に引き戻された。



「真夜様…夕食のお時間です…」


自室のドアを優雅にノックして夕食を知らせてくれたのはハウスメイドのメアリーさんだった。


メアリーさんは日系ブラジル人の三世であった。


明るくて気遣いの行き届いた世話焼きなお姉さんって感じだなと真夜は思っている。




メアリーさんは、あまり自分の過去を話してはくれない。


けれども、たまに私がつらそうにしていると…


抱きしめてくれる…お母さんみたいに…




「ありがとう、今いきます~」


気持ちを切り替えて明るく返事をした。



「すでに御父様と御母様もお待ちになられております……………あの真夜様…悩み事なら…いつでも話してくださいね…」


パタパタと階段を下りていくメアリーは真夜を気遣う言葉を残して、他の仕事に移っていった。



「すごいなぁ~わかっちゃうんだメアリーさんには…ホントお母さんみたいだ…ハハハ…」


不器用に笑ってみてもむなしいだけだった。


食卓に並んでいたものは『すき焼き』だった。


どこぞの著名な陶芸家の大皿にはサシの入った黒毛和牛のいろいろな部位。


有機無農薬の野菜達…


契約している養鶏場からの特別な卵…



あの人達がいう『すき焼き』は私が食べたい『すき焼き』ではなかった。


冗談でも笑えない類いのヤツだ。


優しさの欠片が微塵も感じられない。


グルメの名の元にエゴを喰わされているみたいだった。


美味い不味いの問題ではない…




まさか『すき焼き』だなんて…


こんなモヤモヤした気持ちのまんまで…



よりによって…私が一番食べたくない『すき焼き』だなんて…


神様は意地悪だ…


端から見れば成金家庭の養女として引き取られ、何も不自由なく暮らしているみたいに見えるのだろうから…



それでも、やっぱり腹はへるものだ…


腹がへっては戦は出来ぬ…

…だなんて、笑える、私は何と戦っているのだろう。





純一さんと温子さんという新しい両親と共に食べるのは慣れてはきたが、それだけだった。


何の感情も感心も無いが育てていただいているという恩は多少なり感じていた。



「部活動も良いが帰りが遅くなるのはいけないな」


新しい父親の純一は食器を動かす小さな音と僅かに咀嚼する音しかしない沈黙する食卓に耐え兼ねて真夜に声をかけた。



「ごめんなさい純一さん、気をつけます…」


真夜は毎月30万円ものお小遣いを渡されてはいたが、それには一切、手をつけずあの喫茶店でのアルバイトで小遣いを稼いでいた。



30万円の理由が笑えた、毎日1万円は最低限必要だろうからだってさ…


16歳の娘に月30万って…


それって給料みたいじゃん…


これよりも少ない賃金で働く正社員の方が今や多いくらいなのにね…



「真夜ちゃんは真面目なんだから、あまり責められては可哀想でしょ、あなた」

新しい母の温子は真夜を気遣うように声をかけた。


この両親なら…ちょっとしたティーブレイクで消えていく金なんだろうか…




「温子さん、ありがとうございます、あまり遅くならないように帰ります」



家族ごっこのような食卓。



気持ち悪い。



へどが出る…




もちろん顔には出さない…

嘘だけ上手くなる、あの人達が望むものを演じられているのだろうか。


「真夜様、お豆腐いかがでしょうか…」


くつくつ煮える鍋から焼き豆腐を笑顔でよそってくれた。


「ありがと、ちょうどお豆腐が食べたかったの…」


メアリーは真夜を凄く理解してくれているのだと感じていた。


食べたかった『すき焼き』ではなかったがメアリーが愛情を込めて作ってくれた料理は何でも美味しかった。


この黒瀬の家庭で一人娘を演じられているのもメアリーが居たからだったのかもしれない。




そうなんだ…今の私の名前は『黒瀬真夜』


なれない名前…


本当の名前…


私は…なにものなんだろう。





思えば…あの近所の黒猫が白猫になった、あの頃から運命は私を翻弄するばかりだ。