相模和都のカイキなる日々





 ──ああ、迂闊(うかつ)だったなぁ。
 打ち付けた背中も痛いが、腕の痛みがズキズキと疼いて酷い。
「菅原、菅原!」
 叫ぶような呼び声に、(すんで)の所で抱きかかえて庇った和都が無傷らしいと分かり、菅原は少し安堵した。
「んー、へーき。相模は、無事か?」
「……うん」

 こうなったキッカケは、少し前に遡る。

 太陽が傾き始め、少し白っぽくなり始めた青空の下。川野の件で呼び出された春日と小坂を待つために、和都と二人、放課後の人気のない屋上にやってきた。
 菅原としては、戻ってきた二人と鬼に関する話もするなら、ハクが出てきても問題のない、人のいない場所がいいだろうと思ってのこと。
 しかし、これが裏目に出た。
 どのくらいで戻るだろうか、という話を二人でしていたら、巨大化したハクが姿を現したのだ。
〔あれぇ? ユースケとコサカはまだお話中?〕
「うん、川野先生のことで……」
〔そっかぁ〕
 和都の返答に、ハクがうーんとお尻を上げるような体勢で伸びをする。
 その姿を見ていた菅原が気付いた。
「あれ? ハクお前、尻尾が」
〔ん? あ、本当だ!〕
 二股に分かれた、大きくて立派な尻尾がふさふさと揺れる。
「じゃあもしかして、ハクはそれで実体化完了?」
〔そうなるね!〕
「そっか!」
 和都が嬉しそうにハクに近寄ろうとすると、横に立っていた菅原が肩を掴んで止めた。
「ん、なに?」
〔どーしたの? スガワラ〕
 一人は不思議そうに、もう一匹はどこか楽しげに聞く。
「……実体化が完了したら、お前は相模をどうするつもりだ?」
〔どうって、自由にしてあげるんだよ?〕
 ハクが何を分かりきったことを、と言わんばかりに困った顔をした。
「そ、そうだよ菅原。ハクが実体化できたら、おれを狙ってる『鬼』を食べてもらえるんだよ」
 和都が菅原の手を振り払い、ハクを背に庇うようにして言う。
「『狛犬の目』のチカラはだいぶ制御されてきたし、鬼を食べてもらった後も、ハクはこれからもずっとおれを守ってくれて、大丈夫にしてくれるって。だから……」
「どうやって?」
「それは……」
 珍しく眉を(ひそ)め、怪訝な顔の菅原に訊かれ、和都は困惑した顔で何も言えなくなった。
〔そりゃあもちろん、ボクと一緒になって、だよ!〕
「……え?」
 ハッと気付いて振り返った時には、ハクの大きな前足がこちらに向かって勢いよく伸びてくるところ。
「相模!」
 菅原が叫んで、和都を抱きかかえながら後ろに飛んだ。
 空振ったハクの前足は、勢いのまま屋上の金網にぶつかり、轟音を立てる。大きな爪に突き破られた金網の一画は、ひしゃげた金属の塊となり、大きな音を立てて地上へ落下していった。
 なんとか庇った和都は無傷のようで、菅原の名前を何度も呼びかける。
 前足の爪が掠ったらしい腕に、真っ赤な血が滲んで痛い。
「菅原、相模! 大丈夫か?!」
 大声と共に屋上の西階段側のドアが開き、小坂が飛び込んできた。
 上がってくる途中で大きな音を聞いたらしく、勢いそのままに駆け上がってきたようだ。
 金網の一部は壊れ、和都と菅原は座り込んでいる。二人の視線の先には、屋上の半分を占めるほどに巨大なサイズの、真っ白いオオカミがいた。
 首に赤白の捻り紐を結び、尖った耳と大きな口と鼻。前足、胴体、後ろ足、そして、お尻の先には大きく二股に分かれた尻尾を生やした、完全体になったハクだ。
「ハク、どうして?!」
 菅原が傷を負ったものの無事と見て、和都はハクのほうを向いて叫ぶ。
〔言ったでしょ? 自由にしてあげるって!〕
「……え?」
〔ボクがカズトを食べちゃえばさ、カズトはニンゲンを辞められるんだよ〕
「なに、を……」
〔そうしたら、ボクとバクと三人で、ずーっと一緒にいられるでしょ!〕
 ただただ無邪気に、楽しそうにハクが言った。
「お前、お友達を食べちゃダメッて、おかーさんに教わらなかったのか?」
 身体を起こした菅原が、赤い血の流れる腕を反対の手で押さえながら、いつものような調子で困った顔をする。
〔えー、なにそれ。ボクは神様だから、頑張ってくれたカズトのお願いを叶えてあげるだけだよ。邪魔しないでよ、スガワラ〕
 ハクが再び前足を振り上げた。
 まるで子猫が、小さなおもちゃをなぶって遊ぶかのようだ。
「……こんの!」
 ハクの巨大さに圧倒されていた小坂が我に返り、普段から持っているバスケットボールを、ハクの鼻めがけて思い切り投げつける。
 ボールは見事大きな鼻先に当たり、きゃあ、とハクが小さく悲鳴を上げた。
「ハク、何してんだ!」
 前足で鼻を押さえながら、ハクはふわりと空中に浮かんでしまう。
〔いったぁい! ひどいよコサカァ〕
「ひでーことしてんのはどっちだ!」
 跳ねたボールを捕まえ、小坂は座り込んだままの菅原と和都の元に駆け寄った。
 宙に浮かんだ白いオオカミは、こちらを見下ろしながら、はぁ、と困ったようにため息をつく。
〔まぁまぁいいよ。ボクは神様だからね。カズトの別のお願いを先に叶えてくるよ〕
「別の、お願い……?」
〔そ。ほら『鬼』を食べることだよ! 一匹はもう片付けてあるから、もう一匹のほうも食べておくね!〕
 和都を狙っていた鬼は二人。そのうちの一人は行方不明だ。
「お前、まさか……」
 ハクの言う『もう片付けた』という言葉の意味に、和都はゾッとする。
 行方の知れない川野は、どうやらすでにハクに喰われてしまった後らしい。
 こちらの反応などよそに、ハクは空中をくるくると旋回しながら、無邪気に話し続けていた。
〔あぁでもそうだよねぇ、そうだよねぇ。ボクらと一緒なっちゃったら、カズトはスガワラ達とお話できるのも、最後になっちゃうもんねぇ〕
 神様と一緒になる。
 それがどういうことを意味するのか、和都はようやく理解した。
 そしてどうやら、ハクたちとその価値観は、まるで違うらしい。
〔ボクは優しいからね。ちゃんとお別れとかする時間をあげるよ。んで大丈夫になったら、そうだなー、あの神社の跡地に来てもらおうかな!〕
 そう言いながら、ハクの前足が屋上からも見える狛山の方を示す。
〔あんまり遅いと寂しいから、できたら早めに来て欲しいかも! じゃあ、待ってるからね!〕
 ハクは楽しそうにそんな言葉を残し、そのままスゥッと空に溶けるように姿を消してしまった。
「待ってるって、そんな……」
 空中を見つめたまま、和都は青い顔で呟く。
 そのタイミングで、東階段側の屋上扉が勢いよく開いた。
「大丈夫か!」
 春日と仁科が、放心状態で座り込んでいる和都と菅原の元へ駆け寄る。
「ケガは?」
「おれは平気。菅原が、腕を……」
 青い顔のまま和都がなんとか答えると、春日が菅原に肩を貸す。
「とりあえず、保健室に」
 仁科に促され、全員で屋上を後にした。