相模和都のカイキなる日々



〈もうすぐ、後夜祭が始まります。参加される生徒、職員は、第一体育館に集合してください〉

「うわ、やっべ! いかねーと!」
「じゃーねー先生!」
 放送を聞いた小坂と菅原が慌てて椅子から立ち上がり、保健室を飛び出していった。バスケ部として何かしらすることがあるのだろう。
「あ、春日クンも後夜祭に参加するの?」
 二人を追いかけるように、保健室を出ていこうとしている春日に、仁科は声をかけた。
「はい。参加というか、警備のほうなんですが。和都は……」
 そう言って、和都の座っていた椅子を見ると、座ったまま器用に寝落ちている。
「あれ、いつの間に」
「気ぃ張ってて疲れたんでしょ。元々体力ないんで、コイツ」
 そう言えば、体育祭の時は昼休憩の時にベッドで休んでいたが、今回の文化祭では休憩という名の昼寝をしてなかったな、と仁科は思い出した。
「今日はずっと、動き回ってたもんねぇ」
 午前中こそ暇ではあったが、昼前からは迷子を運び、午後からは見回りと、騒ぎの中でたくさんのケガ人の手当てをしている。
 慌ただしい一日が終わり、気が抜けたようだ。
 仁科は椅子で眠り続ける和都を、ベッドに移すために抱え上げる。
「少し寝かせて、起きたら参加するか聞いてみるよ」
「多分、参加するとは言わないんで、あとはお願いします」
「えっ」
 まさかの丸投げに驚いていると、春日がじっと仁科を見つめてから言った。
「……学校内で襲うは、やめてくださいね」
「だから、襲わないっての!」
「それじゃ」
 眉を(ひそ)めて仁科が返すと、春日が小さく笑って保健室を出ていく。
 残された仁科はやれやれ、と息をついて和都をベッドへ運んだ。





「……あれっ?!」
 ハッと気付いたら、見慣れているが久々に見る天井が視界に入る。
 そのまま勢いよく身体を起こすと、椅子に座っていたはずがベッドの上だった。
「お、やーっと起きたか」
 声のしたほうを見ると、談話テーブルで仁科が何か作業をしている。
 今日保健室を訪れた人の、利用者名簿の整理のようだった。
「え、あれ、みんなは?」
「みんな後夜祭に行ったよ」
 仁科に言われて窓の外へ視線を向けると、すでに日は暮れて暗くなり始めている。とっくに後夜祭は始まっており、そろそろ最後のキャンプファイヤーが始まろうかというような時間だ。
「なんかもう終わりそうだけど、お前はどうする?」
「……疲れたからもういいよ」
 和都は仁科の質問に、うんざりしたような、本当に疲れた顔で答える。
 今日は本当に、いろいろなことがあり過ぎて、心身共に疲れてしまった。
「そう。じゃあ、これ片付けちゃうから待ってて。送ってくから」
「……うん」
 和都はベッドから降りると、グラウンドの見える窓へ近寄り、普段は下がっているブラインドを上げる。
 落葉し始めた桜の木々の間から、グラウンドの中央付近に薪が組んであるのが見えた。後夜祭は第一体育館で盛大に騒いだ後、最後はグラウンドでキャンプファイヤーを囲み、火が燃え尽きたら終わりである。
 組まれた薪の前で、誰かが話をしていた。グラウンドには、それを遠巻きに囲むように、生徒たちが集まっている。窓を閉めた状態なので、流石に声までは聞こえない。
 と、いきなりボォッとオレンジ色の炎が、薪の中央から立ち上った。薪の前では、どうやら着火開始のカウントダウンをしていたらしい。
「先生、キャンプファイヤー始まったよ!」
 和都がはしゃいで窓の外を指差す。
「お、始まったか」
 ちょうど作業が終わったらしく、仁科も楽しげにグラウンドを見つめる和都の隣に行き、木々の隙間から見えるオレンジ色に立ち上る炎を眺めた。
 ふと思い立ち、仁科は入り口のほうへ行くと、保健室内の明かりを消す。
 オレンジ色の光がより明るく見えた。
「あ、いいね」
 薄暗い室内で、和都が嬉しそうに笑う顔が光に照らされて浮き上がる。
 仁科はその隣に戻ると、そっと和都の肩を抱き寄せた。驚いた顔で見上げていたが、何も言わずにそのまま凭れかかってきたので、その頭を優しく撫でる。
 長い、長い、一日の終わり。
 紺色に染まり始めた空に向かって、煌々とした炎がゆらめきながら立ち上る。
 グラウンドにいる生徒たちも、炎を囲んでそれぞれ自由に眺めているようだった。
 ただ、ちらほらとその輪から離れていく人影も見える。あまり遅くなると、少し面倒なことになりそうだ。
「……さ、帰ろっか」
「うん」
 上げていたブラインドを下げると、炎の明かりが遮られて、室内は一気に暗くなる。
 と、仁科が和都の頭に触れ、そのまま少し屈んで、小さい額に唇で触れた。
「今日の分ね」
「はぁい……」
 そういえばしてもらっていなかったな、と囁く声に返し、そのままジィッと見上げていると、またすぐに顔が近づく。
 そして今度は唇に唇が触れて、すぐに離れていった。
「……学校で、するなってば」
「えー? して欲しそうな顔してたよ?」
「……う」
 和都はムッと膨らませた頬を、笑う仁科につままれながら、春日に昼間言われたことを思い出す。今は多分、顔が赤くなっているはずだ。
「すこし、思っただけだし」
 こんなに薄暗くて、表情も分かりにくい状態なのに分かってしまうなんて、自分はそんなに顔に出てしまうのだろうか。そう思うと、少し恥ずかしい。
 そろそろ行こう、とほんの少しの明かりを頼りに帰り支度をし、保健室内の戸締りを確認しながら、和都は、ああそうだ、と思い出した。
「今度、先生の家に行っていい?」
「……いいけど。文化祭終わったから、すぐ実力テストじゃないの」
「テスト終わった後! 先生の実家にあった本の解読、まだ終わってないんでしょ?」
 和都に言われ、仁科は疲れたように眉を下げる。
「あー、うん。文化祭準備とかもあって、マジで進んでないんだよね」
 本当なら何よりも最優先したい作業なのだが、本来の仕事も疎かに出来ないので、なかなか難しい。
「でしょー? 手伝いにいく。それにきっと、おれが知らないといけないことだと思うから」
「……そうだね」
 仁科はそう答えて、和都の頭を撫でた。
 それは、彼が知らない、彼のための調べ物。
 今を最後にしないために。
「さ、帰ろうか」
「うん」
 そう言って、二人で一緒に保健室を後にした。