相模和都のカイキなる日々





 妙に眩しくて目が覚めた。
 室内はまだ薄暗い。頭上へ視線を向けると、ちょうどそこだけ障子もカーテンも、そしてガラス戸も開いていて、そこから皓々と月明かりが差し込んでいた。
 腕の中に視線を向けると、一緒に眠ったはずの和都がいない。
 仁科は慌てて身体を起こし、枕元に置かれた眼鏡を掛けて、ガラス戸の方へ向かった。
 まだ月の明るい、夜明け前。
 中庭に和都が一人、ぼんやりと暗い空を見上げて立っている。
 仁科がガラス戸に近づくと、気配に気付いたのか、和都がこちらを向いた。
 見た目は和都のままだが、額から途中で折れた金色の角が生えている。瞳全体が金色に光り、細長い瞳孔が六つ、花びらのように広がっていて、雪の結晶を思わせた。
「……現れたな、バク」
 仁科がそう言うと、バクと呼ばれた和都が目を見開き口角を上げ、口を開く。
「あれ、気付いてたの?」
 声は和都のものと変わらない。
 意識のみ、完全にバクが支配しているようだ。
「そりゃあね。時々、目がそんな風に光ってることがあって、気にしちゃいたんだよ」
 仁科はガラス戸をもう少しだけ開けると、そのまま縁側に腰を下ろす。
 月明かりの下で裸足のまま、バクの金色の瞳がキラリと光った。
「この子がかわいいかい?」
「ああ、もちろん」
「……ボクはお前が嫌いだ」
「その姿カタチで言われると、ちょっとイヤだわ」
「そう? ならもっと言ってあげる」
「傷付くからやめてよ。俺が嫌いなの? ……いや『仁科家』が嫌い、なのかな?」
 仁科の言葉にバクの口角が下がり、金色の瞳がつまらなそうに細められる。
「なーんだ、バレちゃったのか」
「春日クンが頑張ってくれたのと、お前が俺を嫌ってるってので、確信したよ」
 ずっと感じていた違和感から生まれた、一つの可能性。
「お前は『生まれ変わり』とかそういうんじゃない。『仁科家』にとり憑く『祟り』そのもの、だ」
 鼻を鳴らし、バクが苦々しい顔で笑った。
「ご明察。はは、相変わらず邪魔なヤツだなぁ、ユースケは」
「理由は何だ。目的は? 蔵の中を探したけど、安曇真之介が神社で自殺したのを理由に廃社したって記録しかなかったよ」
 風がザアッと吹き抜けていく。
 バクの金色の瞳が、まっすぐ仁科を見ていた。
「……安曇真之介は、仁科孝四郎に殺されている」
「やっぱり、自殺じゃないんだな」
「ああ。人間の都合で消された歴史だ。安曇にその記録は残ってないだろう。全部燃やされたからな。だからといって、人死の出た神社などに人が来るはずもない。すぐに神社は取り潰しとなり、シロ様はここに移動された。ボクらを置き去りにしてね」
 置き去りにされた神の使いは、悲しみと怒りのにじむ、低い淡々とした声で話す。
「一緒にくることは出来なかったのか?」
「ボクらはあの地で、勤めを果たすための神獣として生まれた存在だ。契約し、使役してくれる人間が居なきゃ、決められた場所からは動けない」
「誰もそれを言わなかったのか?」
「そもそも、真之介と孝四郎くらいしかボクらは視えていなかったし、宮司以外にボクらのことは殆ど伏せられていたからね。孝四郎は真之介が死んだ次の日から、神社には現れていない。殺人を犯した罪人として投獄されてたんだろう」
「そうか……」
 ハクとバクはやはり『鬼の湧く穴』を見張る存在として生まれた神獣のようだ。そしてあの神社の宮司が代々契約し、使役することで、ただの置物以上の狛犬として力を発揮していたのかもしれない。
「悲しくて、寂しくて、気付いたら祟り神になってた」
 ポツリと呟くようにバクが言った。
 風に流された雲が月を隠し、辺りがふっと暗くなる。
「だから、孝四郎を探し出して、祟ることにしたんだ。末裔末子が死に逝く様を見届け、苦しめってね」
 声が震えていた。
 両の手をぎゅっときつく握りしめている。
「そしたらどうだ! アイツ……自害しやがった。ボクから大事なものを奪っておいて、一人で逃げやがったんだ!」
 薄影の中から、金色の瞳がギロリとこちらを睨み、吠えた。
「……人間は身勝手だ。だから、嫌いだ」
 こちらを蔑むように目を細めて、バクが言う。
 言葉もない。
 これが、祟りの始まり。
 蔵のあの様子は、体裁を守るためだけでなく、蔑ろにした神獣の怒りを恐れてのことだったのだろうか。
「それは俺も思うよ。だから人道で修行してんだろ」
 今も昔も、人間はいつだって愚かだ。
 これは(あがな)うべき罪なのかもしれない。けれど。
「でも頼む。俺たちに八つ当たりするのはもう、やめてくれないか」
 きっとこれも、傲慢な人間側の願いだ。
 死にたくなるような経験をした弟は、ごめんなさいと謝りながら先に逝った。
 ようやく大事にしたいと思えるようになった人を、また見送ることは、したくない。
 風が吹いて、薄闇が晴れていく。
「……お前は孝四郎によく似てるなぁ」
 月下の獅子は、懐かしいものを見るように笑う。
「まぁでも、安心していいよ。この子で終いだから」
「……は?」
「この子を最後に、祟るのは辞めてやるって言ってるんだよ。嬉しいだろう?」
「なに、を」
 意味が上手く飲み込めず、言葉に詰まる。
「この子は歴代で一番の器なんだ。ハクを実体化できるだけの霊力(チカラ)の許容値がある。ハクが顕現したら、この子ごとボクを取り込んで、お終いさ」
「取り込む?」
「ああ。……言葉の通りに」
 そう言うと、バクは空を見上げるようにして口を大きく開け、ゆっくり閉じて見せた。
 金色の瞳は楽しそうに細められ、こちらを向いている。
「あれ、嬉しくないの? 喜べよ。お前の大事な末弟を奪った祟り神が、居なくなるんだぞ?」
 意味は、理解していた。
 だが一つ、大事なことが欠けていないか。
 心臓がドクドクと早鐘を打つ。
「まて、相模は……和都は、どうなる」
 仁科の言葉に、バクはきょとんとした顔で言った。
「カズトはハクと、ボクらと一緒になるよ。当たり前だろ?」
 人が神の側へ行く。
 それは、最悪のシナリオだ。
 仁科は拳を握り、唇を噛み締めて考える。
「……ハクの実体化を辞めさせれば、それは実現出来ないな?」
「まぁ、そうだけど。阻止するつもりなら辞めときな」
 額に汗を浮かべ、眉を(ひそ)めて見つめる仁科に、バクはひどく醒めた顔で言った。
「お前ら人間に、あの鬼どもを祓うことなんて出来ないからね。リンコと言ったか、あの小娘。アレがもう二人は必要なレベルだろうな。実体化したハクが食う以外に、倒す方法はないよ」
 そう言いながら、バクがゆっくり仁科のほうへ歩いてくる。
「じゃあ『鬼』たちが追って来られないくらい、遠くに逃げれば……」
「鬼どもは今、ボクに惹き寄せられているから大人しいが、本来は人喰いだよ。気になるものが居なくなったら、どうなるだろうね?」
 きっとそれこそが、バクの持つ『狛犬の目』の本来の使い方。湧き出た鬼が村の人間を襲わないよう、惹き付けておく(おとり)なのだろう。
「もし仮に、鬼をなんとか出来る方法があって、ハクの実体化を阻止したとしても、結局ボクの祟り(チカラ)がこの子を殺して、次へ行くだけなんだけどね」
「次……」
「お前のもう一人の弟には、子どもが二人いたな。二番目の子どもの名前は、何と言うのかな?」
 手を伸ばせば触れられる距離まで来たバクは、楽しそうに笑っていた。
「ふふ。前門の鬼、後門の大神と言ったところかな」
 方法が何も思い浮かばない。
 もう、縋るような言葉しか出てこなかった。
「……俺が、代わってやることは、出来ないのか?」
「無理だね。子どもの魂にしか入れない」
 バクがもう一歩だけ近づいて、仁科の顔をじぃっと見つめる。
 金色の、空に浮かぶ月と同じように輝く瞳に、自分の顔はどのように見えているか、考えたくもない。
「……うん、いい顔だ。ボクが観たかった表情(かお)だよ、センセイ」
 蕩けるような恍惚の表情で笑うと、バクは両手を伸ばして仁科の両頬を掴み、何の躊躇いもなく、そのまま唇を重ねてきた。
 乾いた唇は、何の味もしない。
「……最悪の気分だよ。性格悪いな、お前」
「あはは。お前らのせいさ、人間」
 和都の顔で、目の前の神は無邪気に笑った。
 それから、頬を掴んでいた両手がするりと抱きつくように、首の後ろへ回る。
「まぁ、見たかったものを見せて貰ったし、一つ頼み事をしてやろう」
「頼み事?」
「ああ。記憶を取り戻して、疑問に思っていることがあるんだ」
 鼻先の触れそうな距離にある顔は、先ほどとは打って変わった真剣な表情で、仁科を見つめていた。
「孝四郎が真之介を殺した理由だ。二人は、とても仲がよかった。神社の仕事を二人で担っていて、孝四郎の修行が明ければ、ボクとハクのどちらかが孝四郎と契約する予定だったんだ。一人で二匹の神獣を使役するのは、かなり負担だからね」
 孝四郎が真之介を殺す理由や動機が全く思いつかないのだ、とバクは言う。
 それくらい、その頃は穏やかで幸せな時間だったらしい。
「孝四郎は自死の間際、いくら聞いてもそれだけは言わずに逝った」
「殺された真相、か」
 確かに、和都がこれまで見た記憶の夢からも、それに関しては理由らしいものが見当たらない。バクが分からないというのであれば、きっとまた違うところに答えが存在しているように思える。
「もしそれが分かれば、この子を解放する手立てを考えてやってもいい」
 すっと身体を寄せて、抱きついてきた顔が耳元で囁いた。
 それはまるで、暗い空から垂らされた、細く光る蜘蛛の糸。
 きっと掴む以外に方法は、ない。
「……わかった」
「ふふ、期待しないで待ってるよ」
 金色の光が溶けるように消えて、和都の身体がそのまま仁科の身体に寄りかかる。
 力が抜けて崩れ落ちそうな身体を抱き止め、その顔を覗き込むと、和都はやはり眠っているまま。
「……本当、最悪だわ」
 何も知らずに寝息を立てる和都を、仁科はぎゅっと抱きしめた。


 ──えー、教えちゃったの?
 ──うん、教えちゃった。
 ──大丈夫かな?
 ──大丈夫だよ。

 どうせ、見つかりっこないんだから。