3時間目の美術は移動教室だ。掃除以来の美術室へ移動すると、ドアに手をかけて優征くんは言った。
「この間は言わなかったけど、美術室のドアは重いから指を挟まないように気をつけろよ」
「あ、うん。平気だよ」
全てのドアの隙間は指を挟まないように気をつける、なんてことは僕にもわかっている。僕は紬ちゃんと同じ年くらいに見えているのかな。ヒヤリハットが過ぎるような。
「僕のこと……子どもだと思ってない? 」
言ってしまうと、優征くんは微かに眉根を寄せていて、失敗したと悟った。
「思ってないけど。……迷惑か? 」
「あ、ううん。そうだよね! ごめん。迷惑じゃないよ! 子どもだと思われてないならいいの。転校してきて毎日怪我してたら気になるよね」
しかも迷惑をかけまくっている。というか、こんなにドジを踏んでばかりいたら、子どもだと思われてもしょうがないような……。聞いてしまったことを後悔する。恥ずかしい。
赤い顔を隠すために下を向いて歩いていると、パシッと右膝を優征くんの手に抑えられた。ん? と思って足の先を見ると、サポーター付きの足首は美術室の椅子に当たりそうになっていた。ヒヤッとする。
「ご、ごめん。本当、ごめん」
いたたまれない。穴があったら入りたい。非難したそばから怪我しそうになるなんて。
「葵がどんなにドジを踏んでも、子どもだと思うことはない。でも俺のことがその、ウザかったら言ってくれ……言えなくても」
優征くんはこちらを見なかった。
どうしよう。世話焼きを拒否したように聞こえた? 根底の性格を否定されるのは誰だって傷つく。説明しなきゃ、と思う。友達だから。友達を傷つけるくらいなら、僕が恥をかく。
「ウザくない。ウザくないよ! いつもありがとう! 僕、子どもっぽいって言われたと思いこんで、それだけだから! 」
優征くんは目を見張ってこちらを見ていた。勢いよすぎた? と顔がほてる。ふ、と優征くんのこめかみはほどけた。
「……ありがとう。葵はまったく子どもっぽくないから安心して」
「そう? よかった」
仲直りできてよかった。
「はい。じゃあ今日からの授業は人物デッサンです。2人1組になってお互いの顔をデッサンしましょう」
授業が始まると、美術の本田先生は言った。本田先生は20代の若い女性の先生だ。
お互いを振り向き、言葉を交わさずに、優征くんと向き合った。配られた画用紙とカルトンをイーゼルにセットして、位置を調整する。
「優征くんがいてくれてよかった。僕、誰とも組めないところだった」
教えられた通りに、カッターで鉛筆を研ぎながら感謝した。転校してきて三日目。優征くん以外とは、ほとんど話せていない。話しかけなくちゃ、とは思うものの、人がたくさんいるから誰から話しかけていいのかわからない。それに、もうこのクラスになってからは半年が過ぎていて、すでにグループは出来上がっていた。休み時間に盛り上がっているその輪の中に入るのは、すごくハードルが高い。迷惑かも、と考えてしまう。
「カッター気をつけろよ。……俺も。特に仲いいヤツとかいないから」
優征くんも鉛筆を研いでいた。無心のようだ。初めて鉛筆をカッターで削ったから、どのくらい芯を出せばいいのかわからない。
「そうなの? 色んな人と挨拶してたじゃん。すごいよ! 」
「まあ挨拶くらいはするけど……」
気負いせずに挨拶できるなら友達じゃないの、と思うけれど、きっと優征くんは違うのだ。
「そっか」
僕は挨拶すらまともにできていない。田舎は入学前から子どもはみんな友達なので、友達を作ると意気込んだはいいものの、友達の作り方を知らない。
鉛筆の芯はひとつまみ分くらい出して、先端をギンギンにはしなかった。折れそうで怖くて。対して、優征くんは均等に、ギンギンに尖らせていた。
優征くんのことをじっと見つめて、どんな風に描くか考える。意思の強そうな黒目に、高い鼻。大人っぽくて頼りがいのある雰囲気だ。人柄って顔に出るなと思った。
優征くんの目線は、僕と画用紙を忙しなく行ったり来たりしていた。尖った鉛筆を握った右手をまっすぐと前に出す。鉛筆で距離を測って、芯の細さを活かして紙に転写しているようだ。今習ったばかりの描き方だ。まるで製図のように精密に測っている。
「……ずっと固まってどうした? 」
しばらく見つめて考えていると、声をかけられた。集中した声。
「どんな優征くんを描こうかなって思って」
「どんなって? 目の前にいる俺を描くんじゃないの? 」
「……友達の優征くんを描こうと思って」
そうだ。いちばんステキだと思っている優征くんを描きたい。紬ちゃんに王子様と呼ばれた時の従者みたいな顔か、くしゃっとした笑顔か。
――笑顔かな。なら笑ってもらわなくちゃ。
「どう言うこと? 」
優征くんは一度手を止めると、眉間に皺を寄せた。
「ふとんがふっとんだ」
堂々とオヤジギャグをかますと、ヒューと、夏なのに冷気が漂った。スベった。盛大にスべった。
「……どういうこと? 」
優征くんはニコリともせずに、困惑顔を広げている。
「あ、いや、その。笑ってもらおうと思って」
自分のギャグを弁明するのは死に値するのだと知る。
「……もうちょっと言ってくれたら笑うかも」
本当? と口をすぼめる。けれど、笑ってもらえないとデッサンができない。ちょっと考えてから言った。
「行ってきマッスル」
両腕を曲げて、力こぶを見せつけるポーズをとった。対して筋肉が盛り上がらないのが悲しい。
ハハッと優征くんは声を上げた。やった! 笑った。鮮明に焼き付ける。僕の絵を描く手が、一瞬で描き終えられればよかったのに。
「筋肉隆々じゃないんだから、ギャグとして不成立だろ」
笑いながら、優征くんはなんとも残酷なことを言った。男子としてのプライドが……。
「鍛えよっかな」
力こぶを作って、揉んでみた。ふにふにしている……。
「がんばれば? 」
優征くんは隆々と力こぶを作って見せつけると、ふっと鼻で笑った。完全に負けている。
「いいなぁ。筋肉あって」
「触ってみるか? 」
優征くんは椅子ごと、ズイっと近寄ってきた。目の前に献上されて、トントン、と軽く手のひらで触れてみる。
「かたっ! 」
どのくらい筋トレしたら出来上がるんだろう、と考えながら触っていると、のぞき込まれて目が合った。じっと見つめられて、ジリッと後ずさった。
「ごめん」
触りすぎたかな。
「気に入った? 」
口の端に笑みを浮かべながら、優征くんは聞く。
「え、うん」
羨ましい筋肉だったので、思うがままに頷いた。
気を取り直して、デッサンに戻った。画用紙のどこに何を描くかイメージする。優征くんの鉛筆に比べると面の広い自分の鉛筆を寝かせて、柔らかい線で輪郭を取っていく。全体の形を大体で取り、影になっているところは、形に沿って影を描き込む。優しい顔、優しい顔、と心の中で唱えながら、デッサンを進めた。
「この間は言わなかったけど、美術室のドアは重いから指を挟まないように気をつけろよ」
「あ、うん。平気だよ」
全てのドアの隙間は指を挟まないように気をつける、なんてことは僕にもわかっている。僕は紬ちゃんと同じ年くらいに見えているのかな。ヒヤリハットが過ぎるような。
「僕のこと……子どもだと思ってない? 」
言ってしまうと、優征くんは微かに眉根を寄せていて、失敗したと悟った。
「思ってないけど。……迷惑か? 」
「あ、ううん。そうだよね! ごめん。迷惑じゃないよ! 子どもだと思われてないならいいの。転校してきて毎日怪我してたら気になるよね」
しかも迷惑をかけまくっている。というか、こんなにドジを踏んでばかりいたら、子どもだと思われてもしょうがないような……。聞いてしまったことを後悔する。恥ずかしい。
赤い顔を隠すために下を向いて歩いていると、パシッと右膝を優征くんの手に抑えられた。ん? と思って足の先を見ると、サポーター付きの足首は美術室の椅子に当たりそうになっていた。ヒヤッとする。
「ご、ごめん。本当、ごめん」
いたたまれない。穴があったら入りたい。非難したそばから怪我しそうになるなんて。
「葵がどんなにドジを踏んでも、子どもだと思うことはない。でも俺のことがその、ウザかったら言ってくれ……言えなくても」
優征くんはこちらを見なかった。
どうしよう。世話焼きを拒否したように聞こえた? 根底の性格を否定されるのは誰だって傷つく。説明しなきゃ、と思う。友達だから。友達を傷つけるくらいなら、僕が恥をかく。
「ウザくない。ウザくないよ! いつもありがとう! 僕、子どもっぽいって言われたと思いこんで、それだけだから! 」
優征くんは目を見張ってこちらを見ていた。勢いよすぎた? と顔がほてる。ふ、と優征くんのこめかみはほどけた。
「……ありがとう。葵はまったく子どもっぽくないから安心して」
「そう? よかった」
仲直りできてよかった。
「はい。じゃあ今日からの授業は人物デッサンです。2人1組になってお互いの顔をデッサンしましょう」
授業が始まると、美術の本田先生は言った。本田先生は20代の若い女性の先生だ。
お互いを振り向き、言葉を交わさずに、優征くんと向き合った。配られた画用紙とカルトンをイーゼルにセットして、位置を調整する。
「優征くんがいてくれてよかった。僕、誰とも組めないところだった」
教えられた通りに、カッターで鉛筆を研ぎながら感謝した。転校してきて三日目。優征くん以外とは、ほとんど話せていない。話しかけなくちゃ、とは思うものの、人がたくさんいるから誰から話しかけていいのかわからない。それに、もうこのクラスになってからは半年が過ぎていて、すでにグループは出来上がっていた。休み時間に盛り上がっているその輪の中に入るのは、すごくハードルが高い。迷惑かも、と考えてしまう。
「カッター気をつけろよ。……俺も。特に仲いいヤツとかいないから」
優征くんも鉛筆を研いでいた。無心のようだ。初めて鉛筆をカッターで削ったから、どのくらい芯を出せばいいのかわからない。
「そうなの? 色んな人と挨拶してたじゃん。すごいよ! 」
「まあ挨拶くらいはするけど……」
気負いせずに挨拶できるなら友達じゃないの、と思うけれど、きっと優征くんは違うのだ。
「そっか」
僕は挨拶すらまともにできていない。田舎は入学前から子どもはみんな友達なので、友達を作ると意気込んだはいいものの、友達の作り方を知らない。
鉛筆の芯はひとつまみ分くらい出して、先端をギンギンにはしなかった。折れそうで怖くて。対して、優征くんは均等に、ギンギンに尖らせていた。
優征くんのことをじっと見つめて、どんな風に描くか考える。意思の強そうな黒目に、高い鼻。大人っぽくて頼りがいのある雰囲気だ。人柄って顔に出るなと思った。
優征くんの目線は、僕と画用紙を忙しなく行ったり来たりしていた。尖った鉛筆を握った右手をまっすぐと前に出す。鉛筆で距離を測って、芯の細さを活かして紙に転写しているようだ。今習ったばかりの描き方だ。まるで製図のように精密に測っている。
「……ずっと固まってどうした? 」
しばらく見つめて考えていると、声をかけられた。集中した声。
「どんな優征くんを描こうかなって思って」
「どんなって? 目の前にいる俺を描くんじゃないの? 」
「……友達の優征くんを描こうと思って」
そうだ。いちばんステキだと思っている優征くんを描きたい。紬ちゃんに王子様と呼ばれた時の従者みたいな顔か、くしゃっとした笑顔か。
――笑顔かな。なら笑ってもらわなくちゃ。
「どう言うこと? 」
優征くんは一度手を止めると、眉間に皺を寄せた。
「ふとんがふっとんだ」
堂々とオヤジギャグをかますと、ヒューと、夏なのに冷気が漂った。スベった。盛大にスべった。
「……どういうこと? 」
優征くんはニコリともせずに、困惑顔を広げている。
「あ、いや、その。笑ってもらおうと思って」
自分のギャグを弁明するのは死に値するのだと知る。
「……もうちょっと言ってくれたら笑うかも」
本当? と口をすぼめる。けれど、笑ってもらえないとデッサンができない。ちょっと考えてから言った。
「行ってきマッスル」
両腕を曲げて、力こぶを見せつけるポーズをとった。対して筋肉が盛り上がらないのが悲しい。
ハハッと優征くんは声を上げた。やった! 笑った。鮮明に焼き付ける。僕の絵を描く手が、一瞬で描き終えられればよかったのに。
「筋肉隆々じゃないんだから、ギャグとして不成立だろ」
笑いながら、優征くんはなんとも残酷なことを言った。男子としてのプライドが……。
「鍛えよっかな」
力こぶを作って、揉んでみた。ふにふにしている……。
「がんばれば? 」
優征くんは隆々と力こぶを作って見せつけると、ふっと鼻で笑った。完全に負けている。
「いいなぁ。筋肉あって」
「触ってみるか? 」
優征くんは椅子ごと、ズイっと近寄ってきた。目の前に献上されて、トントン、と軽く手のひらで触れてみる。
「かたっ! 」
どのくらい筋トレしたら出来上がるんだろう、と考えながら触っていると、のぞき込まれて目が合った。じっと見つめられて、ジリッと後ずさった。
「ごめん」
触りすぎたかな。
「気に入った? 」
口の端に笑みを浮かべながら、優征くんは聞く。
「え、うん」
羨ましい筋肉だったので、思うがままに頷いた。
気を取り直して、デッサンに戻った。画用紙のどこに何を描くかイメージする。優征くんの鉛筆に比べると面の広い自分の鉛筆を寝かせて、柔らかい線で輪郭を取っていく。全体の形を大体で取り、影になっているところは、形に沿って影を描き込む。優しい顔、優しい顔、と心の中で唱えながら、デッサンを進めた。
