保育園についたので、飛田くんについて自転車を降りた。少しの移動なのに、無言で肩を貸してくれた。
保育園の中に入ると、小さな愛らしい女の子が先生に連れられてやってきた。僕の腰くらいまでしか背丈がなく、腰まである長い髪をサラサラと揺らしている。水色の園服にフリフリの白い靴下を履いて、まるで小さなプリンセスだ。飛田くんとはあまり似ていない。
「にぃに、遅いよ! 」
プリプリと可愛らしく怒ってくる。
「ごめんな」
飛田くんは軽くしゃがんで謝った。右手で妹さんと手を繋ぐと、左肩で僕を支えてから頭を下げた。
「遅くなってすみません。今日もお世話になりました」
保育園の先生に対して、僕には出せない声を飛田くんは出す。
自転車へ向かって行く。妹さんにグイグイと手を引っ張られている飛田くんから、僕はそっと離れた。両手がふさがっているのは大変だと思って。
「大人しくしとけよ」
けれど有無を言えない表情で、肩をグッと入れられたから、僕はされるがままにした。
自転車に着くと、飛田くんは妹さんにヘルメットを被せてからヒョイっとお姫様抱っこをして、前の椅子に座らせた。ミルキーピンクの椅子は、妹さんに似合っていた。
「王子様、馬車を出してちょうだい」
妹さんが演技たっぷりに言う。ふふふ、と小さく笑ってしまう。かわいい。
「はいはい、大人しくしていてくださいね、お姫様」
従者みたいに飛田くんは言うと、自転車を漕ぎ出した。
「もっと王子様っぽく言ってちょうだい。それじゃ、つむの王子様には選べないわよ。なぎくんに王子様になってもらおうかしら」
「クラスの男の子に王子様はまだ早いんじゃないか。……凪くんのこと好きなのか? 」
ピクッと飛田くんの首筋が動いたのを、僕は見逃さなかった。
「好きよ。あたり前じゃない」
飛田くんの背中があるから妹さんの顔はよく見えないけれど、満面の笑みの声だった。ピクピク、と首筋は忙しくなった。
「……俺とどっちが? 」
微笑ましくて笑いそうになるのを必死にこらえた。
妹さんは、うーん、とわざわざ口に出して考え出した。頭が左右にゆらゆら揺れている。真剣に考えているみたいだ。心なしか、飛田くんの背中が緊張しているような。
「にぃに! ママの次に、にぃにが好きだから! 3番がなぎくんで、4番はパパ! 」
ほっとしたのか、盛大に背中がほどけた。よかったね、と心の底から思う。小さなお姫様に手を焼く飛田くんもかわいい。飛田くんのパパ頑張って。
「じゃあ俺が王子様だ」
誇らしげな飛田くん。
「にぃにはしかたないわね」
もう耐えられず、吹き出してしまった。すると妹さんは僕にようやく気づいて、飛田くんの陰にすっかり隠れた。プリンセスっぷりをひそめて、4歳らしい怖がりを見せてくれる。
「……お、お兄ちゃん? だれ? 」
「こんにちは。僕は……飛田くんの」
クラスメイト。そう言おうとした声は遮られた。
「友達」
誇らしげな顔のままで言われて、驚いた。
「……ともだち」
「違うのか? 」
信号待ちで止まったからか、振り返られた。片眉を寄せられると、打って変わって大人みたいな表情になる。やっぱり同学年には見えない。妹さんの送り迎えなんて、責任のあることを日々こなしているからだろうか。妹さんのことをとても大事にしているのだと、もうわかった。
「う、ううん! 友達! 僕は飛田くんの友達! 」
誇らしくて声が大きくなった。
「優征。俺の下の名前」
「カッコイイ名前だね」
深く頷けば、飛田くんは吹き出した。さっきまで大人みたいな難しい顔をしていたのに、笑うと優しい性格がにじみ出てきて親しみやすい。釣り目がちの目尻はくしゃっと垂れて、楽しい、と耳元で語られたみたいだった。ちゃんと笑った顔を見れた。同じ年かも、と思えた。褒めたら喜んでくれたみたいで心が踊る。
「ありがとう。呼んでみろよ、優征って」
笑顔を引きずって、飛田くんは言う。今日初めて会った人の下の名前を呼ぶなんて緊張してしまう。
「……優征くん」
呼ぶと、とろけるかのように優征くんの目元はくしゃりとなった。信号は青になって、ふたたび進み出す。ペダルは、歌うようにご機嫌だった。
「葵」
呼ばれた――。もったいなくて大事にしまい込んだままにしてしまう、お気に入りのハンカチみたい。
「優征くん」
「葵」
ふわふわと、覚えたての漢字を綴るみたいに呼び合う。
「つむはね、紬! 」
ソワソワとした小さな手がはいっ! と挙手した。入りたかったのだろう。
「紬ちゃん? かわいいね。僕は日下葵です。よろしくね」
「あら、あおいくんも、かわいいわよ! 」
小さな首をコテンッと傾げて、紬ちゃんはプリンセスに戻った。挨拶で緊張はいなくなったようだ。
「そうだな。葵はかわいいな」
紬はプリンセスにハマってんの、と優征くんは付け足した。
「優征くんまで。男に可愛いはないでしょ」
紬ちゃんに言われるのは納得できるけれど、同じ年の男子である優征くんに言われるのは、なんだか納得できない。
「男にだってかわいいはあるだろ。褒めたんだ」
春の風のような声だった。
「そう? じゃあありがとう」
かわいいは優征くんなりの褒め言葉なんだ。そう受け取ってニコリと笑った。
「うん」
優征くんの方が褒められたみたいな顔をするから、僕の心はドギマギした。
3人でふわふわと談笑していると、僕のマンションの下についた。
「送ってくれてありがとう」
ちょうど自転車を降りた時、僕のお腹は、ぐーっと鳴った。は、恥ずかしい……。
「ごめん! 」
かぁっと顔が赤くなる。まだ出会って一日の友達に、腹の音を聞かれるのは恥ずかしかった。
「俺も腹減った。そうだ、カバンにグミが……」
優征くんはスクバをガサゴソすると、開封済みのグミを出してきた。朝のコンビニで売っていた気がする。星座のような幻想的なパッケージがステキだ。
「あ! 星のグミだ! ちょうだい! 」
紬ちゃんはすかさず小さな手を出した。
「手ぇキレイにしてからな」
優征くんはウェットティッシュで自分の手を拭い、紬ちゃんの手も拭った。そして僕の手まで拭ってくれた。大きくて、あたたかい手だ。
「あ、ありがと」
少し戸惑ってしまう。
「ごめん。つい、」
手を拭いている時は父親のような顔だったのに、少年の顔に戻っていた。
紬ちゃんにグミを渡して、次に僕にもグミをくれた。そして優征くんも食べた。噛むとジュレが出てきて、甘酸っぱい。星座って食べたらこんなふうに銀河が口いっぱいに弾けるのかな。
「これで来年のおりひめとひこぼしも会えるわね」
紬ちゃんが得意げに言う。
「七夕? 」
終わったばかりだけど、と思いながら聞く。
「そうよ。ふたりは星がたくさんあって会いに行けないから、つむが食べてあげるの」
織姫と彦星の間に流れているのは天の川で、ふたり自体が星座だ。なにかの話と混ざっているのかも。でも、織姫と彦星を応援している紬ちゃんに事実を教えたら泣いてしまうかもしれない。
「そっか。紬ちゃんは優しいね」
紬ちゃんの口の中で織姫と彦星は逢瀬を重ねているかもしれないし、と少し思う。
「うん! やさしくしたら、つむにもひこぼしが来てくれるかもしれないわ」
徹底したプリンセスっぷりに頬がほころぶ。
「葵は子どもの扱い上手いな。兄弟いるの? 」
やりとりを黙って見ていた優征くんに聞かれた。
「一人っ子だよ。でも年の違う子と接することも多かったから。田舎は子どもが少ないんだよ」
ふぅん、と相槌を打った優征くんは星グミの袋を振ると言った。
「あ、最後の1個だ」
取り出したラストのグミを僕の掌に乗せてくれる。
「ありがとう。いいの? 」
「うん。食べてくれ」
優征くんは口の端に笑みを浮かべていた。
「えー? つむの分は? 」
紬ちゃんに譲ろうとすると、優征くんが制してきた。
「つむにはプリンセスグミをあげるよ」
座っている椅子と同じピンク色のパッケージから、ティアラ型のグミを出して、紬ちゃんの手に乗せた。
「やったぁー!!! 」
ご機嫌に歌い出した紬ちゃんに、顔を見合せて笑った。
「あのさ、今日は本当にごめんな」
「なにが? 」
真面目な顔で謝られるような覚えは無い。
「もう忘れたのか? 怪我させてごめん。感じも悪くてごめん」
やっぱり自分が怪我させたと思っているらしい。僕の不注意なのに。
「優征くんのせいじゃないって。僕の不注意。感じも悪くなかったよ! 紬ちゃんのお迎えがあったんだし! 」
責任を感じて欲しくなくて必死に言うと、優征くんはまっすぐに覗き込んできた。意志の強そうな瞳。そんなに見られると、逃げられない。……なにから逃げると言うのだろう。
「足、まだ痛むだろ? 明日の朝も迎えに来るから。だから、LIME、教えてくれ」
勢いに押されて、うん、と僕は頷いてしまった。もう大丈夫だよ、と言うのが正解だとちゃんとわかっていたのに。
友達ができて嬉しかった。
