高校1年生。初恋グミは優しい味でした。

帰りのホームルームが終わった。話しかけなきゃ、と隣の飛田くんを伺う。ばち、と目が合って逸らしてしまった。火花でも飛んだみたいに、チカチカした。

「……俺たちは美術室だって。ついてこい」

飛田くんは早口に言うと、そのまま早足で歩き出して、教室を出て行ってしまう。慌ててその大きな背中を追いかける。立つと本当に背が高い。180cmくらいあると思う。

その長い脚を活かして、ズンズンズン、と廊下を進んでいくから、どんどん距離は離れていく。仕方なく小走りになる。急に止まるから、ドン、と飛田くんにぶつかってしまった。

「ご! ごめん! 」

「いや、」

飛田くんは短くそれだけ言った。その無表情で見下ろされると、怖い。

「ごめんね! ほんとに! 」

怒っているような気がして、重ねて謝った。

「別にいいって。早く掃除して帰るぞ」

ギロ、と睨まれた気がした。やっぱり怒ってる? と心配になるけれど、これ以上はしつこい。

「うん! 頑張る! 」

さっさと美術室に入った飛田くんの後について、元気な返事をした。隣の席だし、嫌われたままなのはしんどい。明日は挨拶くらい僕からできるようになりたい。あわよくば、返してもらいたい。

さっそくホウキを持つ。すると、飛田くんは手で制してきた。大きい手だ。

「まず俺が高いところの埃を落とすから。日下は待っててくれ。終わったら下をホウキで掃いてくれ」

威圧感というか、貫禄みたいなものがあって、どうも同じ年とは思えない。でも、もしかしたら親切で丁寧な人なのかも。わざわざちゃんと順序を説明してくれた。勝手にやらずに、放置もせずに、僕も仲間に入れてくれている。嫌われているかも、と思ってしまったことは反省だ。見た目が怖くて言動がちょっとぶっきらぼうだからって、決めつけて苦手意識を持ったのは失礼だった。

仲良くなりたい。ちゃんとそう思った。

「わかった。僕も埃はらうよ」

「モップが1つしかないからいい。背の高い俺がやった方が効率的だ」

言うなり、飛田くんはローファーを脱いだ。背もたれのない、ダンボールに小さな四足を付けたみたいな木製の椅子に足をかけると、モップを走らせ始めた。真剣な顔だ。

「わ、わかった。ごめん、よろしく」

僕も椅子に乗れば届くと思うけど、とは言える雰囲気じゃない。ご主人に待てを命じられた飼い犬のような気分で、飛田くんの作業を見守る。天然パーマ頭の石膏の、クルクルにまできっちりとモップをあてて、埃を取り除いていた。手は高速で動いているのに、丁寧で無駄がない。真顔のままだ。僕にも、怒っていたんじゃないのかも。だから勇気を出して話しかけてみる。

「掃除好きなの? 」

「好きだ」

目線をくれはしないけれど、答えてくれた。よかった、とこっそり胸を撫で下ろす。

「だから美化委員なの? 」

「まぁな」

「どの掃除道具が1番好き? 」

「歯ブラシ」

理由を話してくれない。それに、この会話で距離が縮まるとは思えない。もう少し盛り上がりそうな質問、と脳みそを雑巾のように捻って考える。モップって音がなくて困る。

「……歯ブラシってどのくらいの頻度で変える? 」

70点くらいの質問ができたかな、と自分に及第点を出す。次はブラシの開き具合の詳細を聞き出せばいいかな。

「日下、できたから掃いてくれ。歯ブラシは1ヶ月で変える」

言いながら、優征くんはもう雑巾を絞っていた。急いでホウキをかけていく。タンタンタン、ととにかく手を動かしつつ、予定通りの質問をした。

「そうなんだ。僕はたぶん2ヶ月くらいで変えてると思う。ブラシがどのくらい開いたら変えてる?」

「日下、ホウキの穂先に力がいってないから掃き残しが出てる。少し斜めに傾けて押せ。それから無理に喋らなくていいから、早くしろ」

掃き終わった場所から雑巾をかけていた飛田くんは、完全に床に目を落としながら言った。

「……ごめんなさい」

怒られた。強引に話題を作ったことまで見破られている。肝心の掃除を疎かにしてしまった、と反省。沈黙が重たいけれど、なによりも掃除を早く終わらせた方がいいだろう。話しかけるの迷惑だったんだ、とヘコむ。

言われた通りに穂先を斜めにしたら、掃き残していた黒筋が少なくなった。さすが掃除好き、と心の中だけで讃えた。

ホウキが終わったのでロッカーに戻そうとすると、壁に貼られている絵の右上が浮いていることに気づいた。画鋲が絵に刺さったままプラプラと浮いていて危ない。椅子に乗ったら、僕でもギリギリ届きそうな高さだ。飛田くんは対角線上の一番端で、床とにらめっこしていた。僕は椅子を持ってきて、ローファーを脱いで椅子に乗った。それだけでは届かなくて、くっと背伸びをして画鋲を押し込もうとした。届け! と勢いをつけて手を伸ばす。できた! そう思った瞬間、足元の椅子を蹴ってしまい、ぐらつく。え、と思う間に、カコーンと椅子は倒れて、階段を踏み外したような恐怖に竦んだ。右足首は着地に失敗して、グキっと音を立てる。

「いたっ! 」

思わず床に座り込んで膝を抱え込む。

「大丈夫か?! 」

バッと顔を上げた飛田くんは、僕を見ると血相を変えて向かってきた。

「どこか怪我したか? 」

「大丈夫。ちょっと落ちただけで」

「落ちた? なにしたんだ? 」

眉間にぐっと皺が酔った。マズイ、怒ってる。

「大したことないよ……」

誤魔化すための笑みが引き攣ったのは、自分でもわかった。

「なにした? 」

さらに怖い顔になった。ダメだ、誤魔化しきれない。どうした? じゃなくて、なにした? だし。

「あの絵の画鋲が浮いてて危ないなって思って。椅子に乗って留めたんだけど椅子から落ちました。……足がグキって」

客観的に説明するとダサいな、僕。

「ちょっと目を離した隙に……。痛いか? 」

右足首に優しく触れられて、ん゛っ! と声が漏れてしまった。チッと舌打ちされて、ヒッ! と喉から絶叫が飛び出た。

「ごめん! ごめん、気にしないで」

地元にいる時、いくつか年上のお兄ちゃんに、「お前はトロイな」と笑われたことを思い出した。きっちりしているのだろう飛田くんから見たら、ムカつくのかもしれない。

飛田くんは、バツの悪そうな顔になった。

「湿布もらってくるからそこで待ってろ。いいな」

返事をする前に、一緒に廊下を歩いていた時よりも早い速度で、美術室を出て行ってしまった。

あれ? 意外と優しい? と光が射す。

飛田くんは5分もせずに帰ってきて、掃除の時と同じ手つきで湿布を貼ってくれる。あのな、とため息をつかれた。

「上の方は無理しないで言えよ。余計なことばかりペラペラしないで、大事なことは言え」

また叱られてしまった。地元では年上も年下もみんな友達だったから、“先輩”というのがいないみたいなものだったのでよく分からないけれど、先輩に叱られたらこんな感じかなと思った。 怖いけれど、心配してくれているのがわかって、申し訳ない気持ちになった。

「ごめんなさい……」

「歩けるか? 」

片手を差し出してくれた。ありがたく捕まらせてもらって立ち上がると、少しだけ痛む。わずかに唇が引き攣った。飛田くんの支える力が強くなった気がした。

「歩けるよ! 」

「日下、家どこ? 」

初めて質問してくれた、と嬉しくなった。

「ここから歩きで20分くらいらしい。朝は40分かかっちゃったけど」

方面を軽く説明した。

「わかった。もう掃除も終わったし帰るぞ」

「あ、うん……」

解散か、と少し寂しく思った時、腕にグイッと肩が入り込んできて、支えてくれた。

「ありがとう」

「いいから右足首に負担をかけるな。俺に体重を預けろ」

そんなに心配しなくても大丈夫だよ、と思ったけれど、優しさが嬉しくて言わなかった。