高校1年生。初恋グミは優しい味でした。

ようやく1日目の文化祭が終わって、僕はヘトヘトになってメイド服のまま床に突っ伏していた。一応足を広げないように気をつける。疲れた、以外の言葉が出てこない。

「日下、お疲れ様」

目の前にオレンジの缶ジュースを差し出されて見上げると、前野くんだった。

「あ、ありがとう」

受け取って、プルタブを開けてごくごくと飲んだ。疲れに染み渡る。

「日下は今日のMVPだったな。しかも文化祭に来てたどの女の子たちよりも可愛かったし」

文化祭が終わってもまだ女の子を求められるのか、と少しゲンナリしていると、佐藤くんも話しかけてきた。

「そうだよな。俺、日下とだったら付き合えるかも。女の子っぽくしてくれるんだったら」

「うぉー! 佐藤が告白したぞー!! 」

田中くんが盛り上げに来る。

「バッカ! マジに取るなって! でもさ、マジでかわいーよな、日下。スカートも全然違和感ねぇ」

佐藤くんはジロジロとメイド服を目で追っている。もう女の子って言うのは勘弁して。転校してきてから約3ヶ月間。僕は学校で男として過ごしてきたのに。女装をしたらみんなはそっちに夢中になってしまった。

前野くんは僕の肩をバシバシ叩きながら言った。

「これはやはり告白だな! 日下、返事は? 」

ヒュー! とみんなの冷やかしが聞こえてくる。返事? 冗談の告白だ。空気を壊さないように、上手い返しをしなくては。疲れているせいかまったく頭が回らない。

「おい」

そこへ圧倒的な声がみんなを制圧した。少し離れたロッカーに腰掛けていた優征くんだ。怒鳴るというよりは、静かな威圧だった。

「葵の表情見てみろよ。お前らが寄ってたかって女の子女の子言うから、困ってるじゃねぇか。お前ら、自分がそれ言われたら嬉しいと思って言っているのか? 」

優征くんが言い終わると、クラス中が静まり返った。みんなの息遣いさえ目立つような、緊張感のある沈黙だった。

沈黙を破ったのは、前野くんだった。

「ごめん。俺たち、お前があんまりかわいいから興奮しちゃって。でも困らせるために言ったわけじゃなくて」

前野くんは優征くんの顔を見ると悔しそうに目を釣り上げたが、僕を見ると表情を和らげて謝ってくれた。そして釣られるようにして、ごめん、とみんなも謝ってくれる。

僕の返事待ちで、クラスの空気が張り詰めているのを感じた。元気元気! と自分にエールを送る。

「大丈夫! 明日も売上アップのために張り切って女の子になっちゃうよ! 」

僕はおどけて見せた。

「さすが日下! 」

佐藤くんにビシッと背中を叩かれて、僕は一生懸命に笑った。うまくやらなくちゃ。

クラスの空気が少しほどけてほっとしたのも束の間、優征くんは教室を出て行ってしまった。僕しか気づかないくらいに、静かに。

優征くん、と呟いて追いかけようとすると、手首を掴まれた。前野くんだ。真剣な顔をしていた。

「あのさ、飛田のことはそっとしておいた方がいいかもよ」

「え、でも……」

きっと空気を壊したことを気にしている。

前野くんは手のひらをぎゅっと握り込むと、吐き出した。

「言い方キツイし、あいついつもノリ悪いんだよ。そりゃ俺たちもはしゃぎすぎたかもしれないけど、盛り上げもしない飛田にあそこまで言われる筋合いない気がするけど」

優征くんは文化祭に貢献していない、そう言われているような気がした。なぜか僕が落ち込む気分だった。

「でも……優征くんは、喫茶の仕事すごくちゃんとやってくれてたよ」

弱々しくそう言ってみた。空気を壊さないように、そーっと。

「そうだな。でもそれって当たり前だろ? みんなやってたし」

そうだろうか。前野くんや他の人が会計ミスしたのを、優征くんはすぐに気づいて謝っていた。ちゃんとする、それは僕にはとても難しいことに思える。これを言ったら目の前の前野くんはどう思うだろう? 傷つく? 拗ねる? ――もう話しかけてもらえなくなる? でも。

僕はぎゅっと拳を握った。

「……当たり前じゃないよ。会計ミスに気づいてくれてお客さんを怒らせずに済んだのも、お客さんのオーダーをいちばん取っていたのも、小さい子がいたら気づいてクッションを入れてあげていたのも、優征くんだよ。それはすごいことだと、僕は思う」

前野くんは驚いた顔をした。僕が言い返したからだろうか。心臓がドキンドキン、と早打ちした。

「そうだっけ? 」

「うん。そうだよ」

頑張って頷くと、前野くんは思案顔になった。考えくれるの、と期待に胸が踊る。

「でも、俺いつも怒られるよ? 睨んでも変わらずに怒ってくるんだよ? 」

前野くんは苦い顔だ。頑張れ、と僕は息を深く吸い込んだ。優征くんのことをわかってもらいたいから。ここで言えなかったら、友達じゃない。

「それは……。それ以上状況が悪くならないようにだよ。面倒見が良くて放っておけないから怒ってるんだよ。嫌がらせで怒るような人じゃない。誰かのために、いつも怒っているんだよ」

言い切ると、呼吸が荒くなった。胃の奥がキリキリする。優征くんと前野くんの仲をさらに悪化させてしまったらどうしよう。

前野くんは、うーん、うーん、と何度も考えて、やがて言った。

「……そうかも。俺が悪いってこと、本当はわかってたかも。飛田ってすごいかも! 日下って人のことよく見てるんだな」

優征くんのことをわかってくれた、そう胸がいっぱいになった時だった。ガラガラと扉を開けて入ってきたのは、片手にお茶を持った優征くんだった。

「飛田! ごめん! 」

前野くんに先を越された。走り込みでは勝てない。

「え? なにがだ? 」

優征くんは体を少し仰け反った。

「俺、お前のことキツくてノリ悪いやつだとしか思ってなかったけど、お前ってすごいんだな! 役に立たないとか言ってごめん。それから、これまでも強い態度取ってごめん」

がばり、と頭を下げた前野くんを、優征くんは要領を得ない顔で見ていた。

「……今ディスられて謝られたんだけど。何がすごいか全然わかんないんだけど。うん。いいよ」

さっきまでの出来事を優征くんは見ていないのだから、分からないに決まっている。

「ありがとう! 日下が飛田のことすごいって言ったから、俺も納得したんだ」

「葵が? 」

じっと見られて、うん、と小さく頷く。自分で言うより、人から伝わる方が恥ずかしいのはなんで?

満足そうにしている優征くんに、僕は言った。

「優征くん、僕の代わりに言ってくれてありがとう。悪者にしてごめんね」

「いいよ。俺が勝手になっただけだし」

優征くんの口の端は、よく見るとニコッとしていた。

「あと前野くんも。黙ってたらわからないのに謝るなんてステキだね」

褒めると、前野くんはニカッと発光した。

「俺、そういうのは大っ嫌いだから! やったことは謝らないと! なぁ、俺も葵って呼んでいい? 」

「ダメ」

いいよ、と言おうとして息を吸い込んだ隙に、なぜか優征くんが返事をしていた。

「なんで飛田が答えるんだよ! 」

「俺がいちばんに葵って呼ぶ権利を得たから」

「はぁ?! 」

僕をそっちのけで、優征くんと前野くんで追いかけっこが始まってしまった。仲直りしたと思ったらまた喧嘩?! と少し焦る。けれど教室を2周すると気が済んだのか、2人は笑っていた。いつの間にかクラス中に見られていた。

「飛田って思ってたヤツと違うな。俺らとタメなんだな」

前野くんはケラケラと言う。

「そりゃそーだろ? 」

はぁ? と忖度無しの顔で優征くんはお茶を飲む。あまり僕には見せない顔だ。

「いつも大人みたいな顔してスカしてるから、俺たちのことガキってバカにしてると思ってたわ。お前もガキじゃん」

「お前ほどガキじゃねーよ! 」

鼻で笑う優征くん。

「一緒だろ! 」

負けじと言い返す前野くん。

優征くんは、前野くんと同じ顔で楽しそうに笑っている。よかった。クラスのヤツと何を話したらいいかよく分からない、と寂しそうにしていた優征くんを知っているから。

「葵」

優征くんに呼ばれる。

「今なら言えるんじゃねーの? 葵の本当の気持ち」

優征くんの目線は、僕が着ているメイド服を捉えていた。

僕は目を閉じた。

このメイド服には、クラスメイトたちが考えてくれた、デコデコなアクセサリーがたくさんついてる。みんなが僕を必要としてくれて嬉しかった。期待に応えなくちゃと思っていた。僕が我慢して、場が収まるならそれでいいと思ってきた。でも。

優征くんを見ると、まっすぐに目が合った。伝わるよ、と言うように強く頷いてくれる。

そうだ、自分が先に信じて話さなくちゃ、誰にも伝わらないんだ。

気がつけば、みんなの視線が集まっていた。

怖い。みんなの期待に応えられない自分がいることを打ち明けるのが、すごく怖い。

「あのね……本当は僕ね、メイド服じゃなくて執事服が着たいんだ。みんな、たくさんデコしてくれたのに、ごめんなさい」

ペコリ、と頭を下げる。

静寂が満ちた。果てしなく感じるほどの。

「そうだったの?! ごめん、メイド服着させたりして」

前野くんが謝ってくれた。

「似合ってるからそれが着たいんだろうなって思ってた。決めつけてごめん」

佐藤くんも謝ってくれる。他の子も、「押し付けてごめん」と口々に謝ってくれた。糾弾されなかったことに、ホッと息をつく。

「明日、僕も執事服着てみてもいいかな? 」

売上のためにメイド服のままでいてくれ、と頼まれたら着る気だった。

「執事服、俺と着よう」

目の前にいる優征くんが、強く頷いた。

「いいに決まってるじゃん! 」

前野くんがグッと親指を立ててくれる。

「え。じゃあ俺、ちょっとそのメイド服着てみてもいいー? 俺は本当はメイド服着てみたくて」

僕と同じくらいの体格の、澤くんが言う。

「いいよ! 脱ぐね! 」

優征くんに脱がせてもらうと、メイド服を澤くんに渡した。

「ありがとう」

照れくさそうな澤くんを見て、希望の服を着られなかったのは僕だけじゃなかったんだなと気づいた。勇気をだして言ってよかった。

他の子たちもパターン違いの執事服を試着しあったりして、各々の“好き”を見せあっていた。

「よかったな」

まるで紬ちゃんに見せるみたいなトーンで、優征くんは言った。僕にだけじゃなくて、クラスのみんなにも言っているように聞こえた。

「うん! ありがとう。 優征くんのおかげ」

「俺は背中を押しただけで、頑張ったのは葵だから」

それに、と優征くんは続けた。

「俺こそありがとう。俺のこと庇ってくれたから、みんなと少し仲良くなれた」

「本当のことを言っただけだよ」

優征くんのことをみんながわかってくれて、僕はすごくすごく、嬉しかった。