高校1年生。初恋グミは優しい味でした。

文化祭までついに1週間を切った。『メイド&執事喫茶〜グミパーティーへようこそ! 〜』は見事に申請が通り、僕たちは絶賛準備期間だった。みんな体操服に着替えている。

「日下! そっちの絵の具取って! 」

佐藤くんに声をかけられた。今まであまり喋ったことはなかった人とも、準備しながらだと話すことができた。日下くん、転校生くん、なんて呼んできた人たちも、準備を通して「日下! 」と呼んでくれるようになった。

「あ、うん」

少し言葉が詰まるのを笑顔で誤魔化して、絵の具を渡す。たくさんの人と話せるのは嬉しいけれど、とても緊張する。

「サンキュ! お前、そっちのピンク塗ってくれる? 俺こっちで紫作って塗るわ」

「うん、わかった」

まだ優征くん以外と、プライベートに踏み込むようなおしゃべりはできない。作業内容を確認したり、一緒に準備したりするだけ。それでも、少しづつ距離が縮まる感覚に、僕の胸はワクワクしていた。いつか、クラスのみんなと友達になりたい。

前野くんが手招きしていた。

「日下! メイド服届いたんだけど。ちょっとこっちで着てみてよ。調整するから」

僕は思わず少し先にいた優征くんを振り向いてしまった。

「一緒に行こうか? 」

ゴミをまとめていた優征くんはツカツカと近づいてきてくれる。

「あ、ううん! ごめん、いいよ! 自分のことしてて」

癖のように頼ってしまったが迂闊だった。女装姿なんて見られたくないのに。たとえ文化祭で見られるとしても、少しでも見られたくない。……優征くんには特に。なのになのに、そばにいて欲しい。

「そうか? 背中のファスナー、俺が閉めてやる」

僕が着る予定のメイド服は、女性のドレスのように背中にファスナーがあった。誰かに閉めてもらわないと着られないらしい。

「いや、いいよ! 大丈夫! 」

僕は顔の前で手をブンブンと横に振った。来ないで、と、来て欲しい、が心の中でぐるぐるしてうずくまってしまいそうだった。

「いや、でも俺が……」

優征くんはそばに居てくれようとした。こう言ってくれるって、たぶん僕はわかっていた。

「本当に大丈夫! 平気だから! 」

なのに僕はずるくて、ぶんぶんと頭まで振った。……泣いてしまいそうだったから俯いた。

「……葵? 」

距離を詰めてきた優征くんに見られそうになって、僕は慌てて、隣に立っていた風見くんの体操服のズボンの裾を掴んだ。

「ごめん風見くん、僕のファスナーあげてくれない? 」

優征くん以外だったら、誰でもよかった。

風見くんは目を見開きつつも僕と1秒間だけ見つめ合うと、小さく頷いてくれた。

「いいよ」

それだけ短く返してくれた。なんで? とか、飛田にあげてもらえば? なんて言われなくて助かった。

「葵」

頑なな声に恐る恐る顔を上げると、優征くんは眉間に皺を寄せて腕組みしていた。高校1年生の迫力ではない。どうしよう、なんて説明しよう。

「飛田」

僕の背中にそっと手を添えて、遮ってくれたのは風見くんだった。

「俺が頼まれたから、俺が日下のファスナー上げるから。飛田は日下の代わりにピンクの絵の具でも塗っておいてあげて」

風見くんの声は極めて冷静だった。きっとこの場で冷静なのは、風見くんだけだ。

優征くんはさらに怖い顔をした。――追い込まれた大人のような顔をして、ようやく頷いた。

「わかった。風見、頼むな。塗っておくから。どこ塗ればいい? 」

「え?! あ、いや、飛田くんにやってもらわなくても。俺やるし」

優征くんが声をかけた佐藤くんは、明らかに怖がっている。

「いや、葵のところやらせてもらうよ」

優征くんの声は遠ざかって、聞こえなくなるような錯覚がした。どうしよう、見放されたら。すべてを諦めたような柔らかい声だった。断ったから怒った? 先に手を離したのは自分なのに、どうしようも無い不安が立ち上ってくる。やっぱり優征くんに上げてもらおうか? ……でも。

「行こう、日下」

風見くんのエスコートに引かれて、僕は試着スペースになっていた教室の角に来た。

「はい、これ衣装」

前野くんは渡してくれると、背中を向けてクラスメイトたちの喧騒に飛び込んで行った。いつも明るい彼にまで気を遣わせていて、申し訳ない気持ちになる。風見くんだけがそばに残った。

「ごめんね、ありがとう」

胸を塗りつぶされそうな不安を隠すために、表情筋へ必死に指揮命令を飛ばした。

「俺、うしろ向いてるから手伝いが必要になったら言って」

風見くんはくるりと背中を向けてくれた。同性だし、体育の時でもそうじゃなくても、教室では誰でも遠慮なく着替えている。そもそも、体操服の上から着るから、裸でもないのに。僕の過剰な反応を見て、風見くんは何かあると思ってくれたのだろう。そんな所も優征くんと似ていると思うのに、風見くんに女装の姿を見せるのは、優征くんに見せるのよりは怖くなかった。どうしてかは、わからない。

「ごめんね、風見くん」

サテン風のピンクのキラキラなメイド服を見て、僕は心の中でだけため息を吐きながら言った。着るって決めたのは僕なのに、中途半端な態度を取ったから、みんなに気を遣わせた。……優征くんを傷つけた。

「俺は平気だけど。メイド服着る人、変えようか? 同じような体格の人なら入ると思うよ」

僕のサイズで発注してしまったから、小柄な人じゃないと入らない。

「平気だよ。ごめんね。変なところ見せて」

ここで風見くんに言って変えてしまったら、また優征くんを傷つける気がした。風見くんには本音を言えて、優征くんには言えないと証明してみせるなんて。

「そう? 大丈夫だよ」

チラリと後ろを振り返ると、風見くんが立っているのは、僕と優征くんの視線の間だった。見えないようにしてくれているのだとわかる。

「風見くんって優しいね」

僕は意を決して、ピンクのメイド服に袖を通していく。大丈夫、誰にも何もされないよ、と自分に言い聞かせる。優征くんが何かをしてくるなんてまったく思っていないのに、誰よりもそばにいて欲しくない。いちばん安心できる人なのに。……女の子みたいだな、なんて優征くんに言われたら立ち直れない。

メイド服を着てみて、ためしに自分でファスナーを上げようと背中に腕を回して引っ張ってみた。けれどもつっかえてあげられない。諦めて、風見くんを呼ぶ。

「ごめん、ファスナーお願いしていい? 」

「うん。見るね」

風見くんはゆっくりと振り向くと、慣れた手つきでファスナーを上げてくれた。

「ホックも閉めとくね」

「そんなのあるの?! 」

着る時に、全く気が付かなかった。

「うん。こういう服はだいたい1番上に小さいホックが付いてるんだよね。だからそれも閉める。これ、脱ぐ時も手伝ってもらわないと無理だよ」

「あ、ありがとう」

手馴れていたので、僕はあまりかしこまらずに済んだ。風見くんに頼んで本当によかった。

みんなに見せなくちゃ、と覚悟を決めた時、教室のドアはゆるゆると開いた。

「ごめん、遅くなったー。俺もクラス手伝う」

姿を見せたのは住田くんだった。漫研の準備をしていたのだろう。文化部は準備を並行しているからさらに大変そうだ。

「あれ、日下、服届いたんだ。 似合うね〜」

さっきの教室での一連の騒動を知らない住田くんは、ひょっこりと僕の前に現れると、パチパチと拍手をした。

「あ、アタル。ちょっと……」

風見くんが止めようとしてくれるが、みんなは目ざとかった。おずおずとみんなが寄ってくる。みんな楽しみにしていてくれたんだな、と複雑な気持ちになる。僕の様子を見て遠慮してくれていたけれど、住田くんの一言で触れていいと思ったのかもしれない。

「ほんとだ! 日下、かわいい! 」

前野くんは我先に、と僕を褒めてくれた。

「まじだ! 本物の女の子みたい! 」

佐藤くんも僕を見て、目を輝かせてくれる。他の人たちもみんな寄ってきて、「かわいい、かわいいよ」とすごく褒めてくれる。ありがと、と小さく返すのが僕の精一杯だった。

見当たらない優征くんを探すと、もう絵の具を塗り終わっているはずのセットに、ぺたぺたと筆を押し付けていた。……やっぱり怒っている? それとも僕の女装に興味はない? あんなに見られたくなかったのに、知らんぷりをされると寂しくなる。僕って勝手だな。

目の前にいる前野くんの目が、いつの間にか輝いていた。

「ねぇ、なんかポーズ決めてみて! 」

うっ、断れない。ポーズと言われても思いつかなかった僕は、仕方なくピースをした。

「ぎこちなくてカワイー!! 」

前野くんは言ってくれる。隣で神妙な顔をしていた風見くんだったけれど、ピースをすると俯いて肩を震わせてしまった。

佐藤くんはズイっと僕の目の前にやってきた。

「日下、ポーズって言われてピースはないだろ。『おかえりなさい、ご主人様』って言いながらこうしてみてよ」

佐藤くんは両手をグーにして顎に添え、くねっと内股になって見せた。

「佐藤キモっ! 」

佐藤くんの隣にいた田中くんが爆笑する。

「こ、こう? おかえりなさい、ご主人様? 」

僕は見よう見まねでやってみた。

「カワイー! すげぇ! 佐藤と全然ちげぇ」

田中くんは一瞬真顔になってから、弾けるように笑ってくれた。みんなも、「かわいい」「ヤバい」と口々に褒めてくれる。

「破壊力ヤバ。これで文化祭の売上トップも狙えるな! 」

前野くんにグッと親指を立てられて、僕はそんな……、とスカートの裾を握りしめた。

「それわざと? 恥ずかしがるとかわいいのが引き立つね」

ほわほわとした口調で、住田くんはとんでもないことを言った。みんなも乗っかるように「ヤバ」「もう女子」なんて言ってくる。

そんなつもりじゃ、とうつむきかけた時、相変わらずセットの前にしゃがんでいた優征くんと目が合った。あ、見られた。恥ずかしさで顔を背けそうになった僕よりも瞬時に、優征くんは弾かれたようにぐりんッと顔を背けた。あれ、今見てたよね? 怒ってたんじゃないの?

意識を引き戻すかのように、僕の肩にはトンっと手が置かれた。前野くんだ。

「日下の可愛さをアピールできるようにそのメイド服デコるから。今度は俺が脱がすよ」

いつもの明るく元気な前野くんと違って、澄ました様子だった。カンタンに言うと、カッコつけている。既に僕の背中のチャックに手をかけていた。

「ズルいぞ! 俺だって脱がしたい! 」

佐藤くんの手も僕のメイド服の背中の布を引っ張った。

「俺もやりたい! 予行練習だろ、これ! 」

田中くんまでも入ってきて、僕の背中は3人の男の子たちの手に押さえつけられてしまった。なんでこんなことに? 困って、僕は遠くにいる優征くんを見た。今にも立ち上がりそうにガン見されていたので、目が合う。僕の瞳は逃げなかった。優征くんは風を切るように立ち上がった。ツカツカと聞きなれたリズムで、輪の中にいる僕に向かってくる。

「俺がやる」

3人の手を容赦なく跳ね除け、優征くんが僕の背中を庇った。背中から抱きしめられるような体勢に、僕の心臓はドキドキと跳ねる。

風見くんは心配するように一度僕を見たが、すぐに目を逸らして何も言わなかった。佐藤くんと田中くんは諦めたように無言で手を離す。

「俺がいちばん最初に……」

前野くんは抵抗して見せた。

「俺がやるって言ってるだろ」

すごく落ち着いた声だった。なのに凄みがある。僕はゴクリと唾を飲み込んだ。

「……わかったよ」

前野くんも迫力に呑まれたのか、不貞腐れたように手を離した。

誰もが横目で僕たちを見ていて、いたたまれなくなった時、ガラリと教室のドアが開いて、佐合先生が入ってきた。

「なにしてんの? お前ら。準備しろよー」

みんながバタバタと散っていったので、助かった、と息を吐いた。ずっと張り詰めていたのだと今気づく。

「先生! あのさ、コレ見てよ! 」

前野くんはタタタッと佐合先生に駆け寄って行った。

「俺も戻るわ」

風見くんも行ってしまうと、優征くんとふたりきりになったような気分だった。ここは教室。すぐ側にみんながいるはずなのに、ふたりだけで切り取られたかのような静寂があった。

「後ろ向いて」

沈黙を破ったのはぶっきらぼうな優征くんだった。やっぱり怒っている?

「うん。ごめんね」

くるりと後ろを向いた。

「謝らなくていい」

優しくホックを外された。知っているんだ、ホックがあること。

「すごい小さいホックあるって知ってたの? 」

「紬のドレスにもあるからな。毎日のように上げてやってるから」

ジーッと音を立ててファスナーは下げられていく。もう男に戻っていいのだと、許されていく。

「そっか、紬ちゃんか」

僕はホッとした。女の子の服に慣れていないとこんなこと知らないと思うから。彼女はいないと聞いているのに。

背中から袖に手を入れられて、肩に触れられた。僕は首筋から跳ねてしまった。

「全部下ろしたから肩抜いてドレス脱げ」

「あ、うん」

自分でできるのに、と思いながらも脱ぐのを手伝ってもらってしまった。……そばにいて欲しくて。

「あとはスカート跨げ」

肩を抜き終わったドレスを、しゃがんで持っていてくれている。

「うん」

僕は消え入りそうな返事をしながら、ローファーで飛び越えてスカートを外した。ピンクのヒラヒラが体から離れると、ふぅ、と力が抜けていく。

「これ前野に渡しておくな」

慣れた手つきでメイド服を軽くたたむと、優征くんは行ってしまいそうになった。なんでジャージの裾を掴んだのかは僕にもわからないけれど、優征くんの方が驚いた顔をして振り向いた。

「あのさ……」

僕はチラチラとピンクのヒラヒラを見た。

「どうした? 」

「僕、可愛かった? それとも、変だった? 」

振り払われなかったから聞けた。あんなに見られたくなかったのに、いざ見られたら女装姿の感想が欲しいだなんて、どうかしていると自分でも思う。

優征くんの目はさらに開かれた。こんなにびっくりしている優征くんなんて見たことがない。

「可愛いに決まってるだろ! ……でも言われたくないのかと思って」

即答されて、僕の心は満たされた。女の子の姿でかわいいと言われて嬉しい訳じゃない。なのに、嬉しい。すごく。

「そうなんだけど、でも。……やっぱり見てたんだ? 」

言われたくないことまでわかってくれていた。裾をさらに強く掴む。

「そりゃ見るだろ。みんなが見ててどうして俺だけ見られないんだ」

優征くんはそっぽを向いた。

「優征くんにだけは見られたくなかった」

そう言うと、優征くんの背中は硬くなった。

「……なんでだ? 」

失礼なことを言っても、怒らないで聞いてくれる。

「僕、女の子じゃないから。それを優征くんにはわかって欲しくて」

ぽそぽそと呟いた。もうすぐきっと、掃除当番がこの言葉は捨てておいてくれるだろう。

「葵」

れっきとした口調に釣られて、優征くんと目が合う。

「俺は葵のことを女の子だと思ったことは一度もない。このメイド服を着てた時も思ってない。女の子みたいだから可愛いんじゃなくて、男の子として可愛いから」

真剣さに圧倒されて、しばらく瞬きを忘れた。

「……男の子として、かわいい? 」

たぶん他のみんなは、僕を女の子みたいだからかわいいと言っているのだろう。男子校で女の子がいないから。

「そうだ。お姫様はたとえボロ布を着ていてもお姫様なように、葵は何を着ても葵で、可愛いよ」

優征くんの瞳をグッと覗き込んでみた。黒黒とした目は澄んでいて、僕を励ますための演技ではなさそうだった。本気で言ってくれているみたいだ。何を着ていても僕で、僕だから可愛い。そう言ってもらえると、“可愛い”の言葉がピカピカした。

「ありがとう。優征くんも何着てもカッコイイよ。ブルーシート巻き付けるだけでもカッコイイ」

僕の頭の中では、たくさんの衣装がぐるぐるしていた。

優征くんの真剣な顔はフッと緩んだ。

「それは服じゃないだろう。しかもどういう状況なんだそれは」

変なこと言ったかな? と首を傾げる。

「衣装渡してくるな」

いつも通りの口調に、僕も素直に頷けた。掴んでいた裾を離しても、もう平気だった。僕がどんなフリフリな服を着ても、学校の中で優征くんだけは僕を男の子として見てくれる。それはとても心強いことだった。