③文化祭〜執事&メイドのグミパーティーへようこそ! 〜
優征くんと登校すると、転校してから初めてのテストの結果が廊下に貼り出されていた。1クラス36人が6クラス、1年生は216人。貼り出されるのは50位まで。僕の名前がないことはわかっていた。個人で配られる成績表で、110位だったから。真ん中くらいを取れたことに少しホッとしていた。転校試験は本当にギリギリで、ビリでもおかしくないと思っていたから。思いの外いい点を取れたのは、優征くんが勉強を見てくれたおかげだと思う。
「さすがだね、優征くん」
1位の名前を確認して、隣の優征くんに僕は言った。
「卒業まで1位を譲らないことが俺の目標なんだ」
不敵な顔で優征くんは言う。
順位表の前から、誰かの声が聞こえた。クラスの子では無い。
「1位のヤツ、入学式からずっと一緒じゃん」
他の子は答えた。
「そりゃそうだよ。俺中学一緒だけど、ずっと学年1位だったから。なんでこの学校来たんだって感じで。もっといいところ行けたのにって先生たちが残念がってたって」
「公立落ちたとか? あー、なんかスカした感じのヤツだろ? 怖いっていうか」
「そうそう、ちょっととっつきにくい感じの。さあ? 同じクラスになったことねぇからよく知らないけど。落ちたなんて話も聞いたことないから、たぶん単願じゃない? 」
噂の主たちは本人がいることに気づいていないらしく、好き勝手言ってくれている。僕に聞こえていると言うことは、隣の優征くんにも当然聞こえているはずで。
「は、早く行こ」
僕は優征くんの大きな背中をグイグイと押した。優征くんの顔色は変わらなかった。
願いは虚しく、噂は続いてしまった。
「単願? なおさら学年1位のヤツの選択肢に入る私立じゃなくね? ココ。ってかそんなヤツに勝てるわけねぇじゃん。学校推薦狙いでわざわざ低い学校来たんじゃねーの? なんかカンジ悪いなあ」
例えその作戦通りだったとしてもカンジ悪いってなに?! 僕はさらに強い力で背中を押す。優征くんの歩行スピードは変わらない。
「お前、学校推薦狙ってるからってそう腐るなよ。飛田がどうかは知らないけどさ」
違う声が嗜めてくれて、僕は少しほっとした。そんなんじゃないよ! と強気に飛び出していきたいところだが、情けないことに怖い。それに、優征くんは訂正して欲しいか分からない。紬ちゃん用の自転車の椅子を気にしていた優征くんを考えると、人の家庭の事情をペラペラと話していいとは思えない。僕の口はへの字に屈折していく。
「葵、気にしなくていいから」
優征くんは教室のドアを開けて僕を通してくれた。その呑気に聞こえる声はきっと、気にした僕のためなのだろう。ほら、こんなに優しい人なのに。
「僕は優征くんが優しいって知ってるよ」
「うん。だからいいよ」
いつも通りに机についた優征くん。隣の席に僕も座った。でも僕は気づいてしまった。陰口を叩かれることに慣れているのだろうと。僕の方が落ち込みそうになるけれど、悟られないように背筋をピンと張った。そんなことを友達に気づかれても嬉しくないだろうと思って。
「……葵」
優征くんはタブレットで読んでいた電子新聞から顔を上げて僕を見た。
「うん?! 」
声が裏返ってしまった。慌てて、読んでいるふりをしていた漫画本で顔を隠す。
「漫画、逆さまだぞ」
「えっ! うそ!! 」
本当に逆さまだった。あたふたする僕を見て、優征くんはふっと笑う。さっきの人たちに見せられたら、とっつきにくくなどないと、わかってもらえる気がするのに。
「本当にいいんだ。俺は、わかって欲しい人だけに俺のことをわかってもらえたらそれでいいんだ。誰にでもわかってもらえるなんて思っていないから。仕方ないことだろう? 」
また、大人みたいな顔。
『それに、この高校のことも結構気にいってるんだ。そうは見えないかもしれないけど。……クラスのヤツとももっと喋れたらって思うんだけど。何を話したらいいのかわからなくて』
餃子を振る舞ってもらった時に言っていたことを思い出して、今のは本音かな? と胸が痛くなった。本当に思っていたら、仕方ない、なんて言わない気がする。
僕がなにも返せないでいるうちに、朝のホームルーム開始のチャイムが鳴ってしまう。
前の扉から、佐合先生が入ってくる。日直の前野くんが号令をかけた。
「はい、みんな〜。れーい」
のんびりした号令に、ゆらゆらとクラスメイトたちの頭は下がった。
「おい、凛輝。もうちょっとしゃっきりしてくれよ。寝ちまうだろ」
佐合先生は眠そうにあくびをした。
「起立! 気をつけ! れぇーいっっ!!! 」
今度はアップテンポな大声で号令がかかって、みんな慌ててロボットダンスのをした。
「若者の元気でおじさんを刺さないでおくれ」
わざとらしくうるさそうな先生に、みんなの爆笑が重なった。
「はい、じゃあ元気な若者たちに2大イベントのお知らせです」
「えー? なあにー? 」
佐合先生の宣告に、前野くんがガヤを入れた。
「よくそんな古い番組知ってるな、お前。俺たちが学生の頃の番組だぞ、それ」
佐合先生が驚いた顔をした。
「Tik Talkで回ってきて。先生の世代のじゃんって思って見た。俺も屋上から叫びたいよ! なんで普段閉まってるんだよ! 」
前野くんはピースした。
「あ、そう。凛輝みたいなやつが出て落下したら危ないからに決まってるだろ。それでイベントだけど、まずはテストが終わったので席替えをします。今からクジを引いて、1時間目が始まる前までに席移動しておいてくれ。で、もうひとつは、今日の午後のロングホームルームから、文化祭についての話し合いを始めるから、各自なにをしたいか考えておいてくれ。はい、以上」
席替え、と言われて、僕は思わず隣の席を見た。優征くんも見ていたので、ばっちり目があった。
「変わっちゃうんだね」
転校してきてから約2ヶ月。ずっと優征くんの隣で安心していた。変わらないと思っていたからショックだ。
「残念だよなぁ」
優征くんは小声で囁いた。
「うん。……でも次の隣の人とも友達になれるように頑張るよ」
後ろ向きばかりではいけないと、僕はファイトポーズをした。
列ごとに呼ばれて、教卓の前のクジを引く。
「不正すんな、交換すんなよー! つまんねえだろ」
クジ箱を守っている佐合先生が声を張り上げた。
「えー! 俺、先生の目の前になっちゃったよ。最悪じゃん」
前野くんはクジをヒラヒラ見せつけていた。教卓の目の前、真ん中の1番前の席だ。言葉の割に嬉しそうだけれど。
「あ? 光栄だろ? たまにはしっかり勉強しろ、お前は」
佐合先生は呆れたような声を出す。
「現社はちゃんとしただろ! 」
得意げな前野くん。
「ほかの教科もな。やればできるんだから。俺は担任だから全教科の成績知ってるんだ」
「ちぇー」
前野くんは唇を尖らせて仰いだ。
「リッキー、成績は後ろから数えた方が早いもんな」
前扉のすぐ横にいた、風見くんが言う。前野くんと風見くんは仲が良く、あとは片付けが苦手な住田くんも含めて、仲良し3人グループのようだ。
「俺、野球推薦だもん! みんなが頭いいのが悪いんだよー!! 」
わざとらしく両手をバタバタさせた前野くんに、みんな笑っていた。
「全員引いたなー。はい、じゃ、移動! クジの紙に名前書いて箱に戻せよー。座席表作るから」
パンッと両手を叩かれて、僕たちはガタガタと移動を開始した。僕も机に椅子を乗っけて、移動する。途中、何度も人にぶつかりそうになって謝りっぱなしだった。
「日下か! よろしく!! 」
苦労してようやく辿り着いた新しい席は、教卓の真ん前の横、前野くんの隣だった。1番後ろから1番前へ大移動だ。
「うん、よろしくね」
クラスで優征くんの次に話したことがあるのは前野くんなのに、少しだけ緊張してしまう。
「俺もよろしく」
前野くんとは反対側の隣の、風見くんも声をかけてくれた。僕を真ん中に挟んで、両隣に前野くんと風見くんだ。
「よろしく」
風見くんにも返した。風見くんは本当に少しだけ話したことがある。たぶん、風見くんは覚えていないだろう程度の。
「俺、日下とちゃんと話してみたかったらラッキーだ。話したことあるの覚えてる? 」
「え! うん! もちろん! 」
風見くんにニコッとされて、僕は勢いよく頷いた。物腰柔らかで、話しやすい人だなと前から思っていた。
ぽすっと背中になにかが当たって振り向いた。後ろの住田くんだ。
「あ、ごめん」
どうやら漫画本が当たったらしい。
「大丈夫。あ、その漫画」
続きを話すのに覚悟が必要だった。拳をぎゅっと握る。
「僕も読んでるよ。おもしろいよね」
初めて喋るのに踏み込みすぎたかな、と目線が泳いだ。
「マジ?! 日下って漫画読むんだ」
住田くんはガバッと目を開いた。日ごろ寝癖をつけていることが多いけれど、よく見るとイケメンだ。気を損ねたわけじゃなさそうで、よかった。
「うん。好き」
「あー! ちょっと、ふたりだけの世界に入るなよ! 」
前野くんがズイっと割り込んできた。
僕はクラスでも目立つ3人組に囲まれる配置になって、ぎこちなくも、巻き込まれていった。一方で、優征くんの新しい席は窓の隣の1番後ろ。漫画とかでよくある、いわゆる主人公席だ。けれど優征くんは窓の外を見て浸ることはなく、熱心にタブレットを見ていた。たぶん、電子新聞の続きを読んでいるのだろう。優征くんが、電子新聞を毎日くまなく読むことを僕はもう知っている。その静かな横顔を、じっと眺めた。新しい席になっても、優征くんが他の人と話す様子はない。
風見くんがトントン、と僕の肩を叩いた。
「クジに名前書いた? もう行かないと1時間目遅れるよ」
1時間目は美術で、移動教室だ。慌ててクジに名前を書くと、自然な動作で風見くんは回収して、教卓のクジボックスへ入れてくれた。僕の分だけじゃなくて、前野くんと住田くんの分もまとめてくれていた。なんてスマートなのだろう。さすが学級委員長。
「ありがとう」
美術の準備をしながらお礼を言う。
「どういたしまして」
にこやかに返ってくる。
「日下、美術室一緒に行こ」
前野くんは明るく誘ってくれた。風見くんと住田くんも、頷いてくれている。
「あっ、あのさ……」
一緒に、と思いながら窓際を振り返ると、いつの間にか優征くんはいなかった。あれ? いつも移動教室は一緒だったのに。
「もういないね」
住田くんがのんびりと言う。
「えっめずらし。飛田っていつも日下に構ってるのに」
前野くんは訝しげだ。
「あ、うん」
なんだかショックで、僕はそれしか言えなかった。なんか、すごいことを言われたような気もするけれど。
「ってか時間ヤバいぞ」
風見くんは手元のスマートウォッチをかざす。
「走れー!! 」
前野くんのかけ声で、僕たちはいっせいに走り出した。最後尾にいると、佐合先生が2年生の教室に入っていくところだった。げ、という顔を隠さない。
「お前ら何やってるんだ、次美術だろ。早く走れー! 」
普通は先生は歩けと注意するところなのでは? ツッコむ余裕もないけれど。
すかさず前野くんが叫んだ。
「もう走ってるだろ! てか、教師が走らせるなよ! 」
「朝席替えしたとか言ったら俺のせいになるかもだろ? だから早くしろ! 」
美術の本田先生はおっとりとした感じの先生だ。そんなこと言うかな? と内心で首を傾げる。
「じゃあ遅刻してそう言ってやる! 」
前野くんはそう叫んだくせに、先頭でさらにスピードをあげた。野球部の彼について行ける訳もなく、僕は足がもつれてすっ転びそうになった。両手が画材で塞がっていて。
「おっと 」
先頭で前野くんと走っていたはずの風見くんが、コケる直前で僕を支えてくれた。
「……ありがとう」
転ばなかったことに驚いた。すごい反射神経だ。
その時、無慈悲にも授業開始のチャイムは鳴った。遅刻確定だ。前野くんと住田くんは先に行ったようだ。間に合っているといい。
「ごめんね、僕のせいで遅刻になっちゃったね」
風見くんに頭を下げる。
「ケガしなくてよかった。気にしなくていいよ。移動教室前に席替えした佐合が悪いし。もうゆっくり行こう」
風見くんはニコニコしている。
「本当にごめん。先に行ってくれてよかったのに」
風見くんに遅刻させるくらいなら、僕が転んだ方がマシだったような。
「見えちゃって体が勝手に動いたんだよ」
風見くんが肩を竦めた。
「すごいね。さすがバスケ部」
「あれ、よく知ってるね」
「うん、知ってるよ! 」
風見くんの目は少し見開かれた。優征くんと同じくらい背が高い。さっきまでスタスタ歩いていたのに、隣を歩いてくれている。合わせてくれているのだろう。なんだかちょっと、優征くんと似ているかも。
「日下は来た時、ケガばっかりしてたよね。体育で怪我して飛田におんぶされてたでしょ」
からかうように笑われる。恥ずかしすぎる。
「見てた? ……忘れて。僕ドジなんだよね」
「バレーで飛田にボールをトスしてたの俺だし。えー、忘れられないでしょ」
「えっ! 」
焦って見上げると、ばちりと目が合った。
「もう今、俺の前で転びかけたし、前のこと忘れる意味無くない? 」
なんてことを言うの、とわなないた。カッと赤くなった僕の表情を見てか、風見くんは思い切り笑った。
「日下ってかわいーね」
「や、やめてよもう」
両手が画材で塞がっている僕は、俯くしかなった。美術室までの道のりをゆっくりと歩いた。
「すみません、遅刻しました」
風見くんから美術室に入ると、本田先生は穏やかに振り向いた。
「あら、ふたりとも珍しい。どうしたの? 」
やはり怒るでもなく、本田先生は聞いてくれる。
「それは――」
風見くんが答えようとすると、前野くんはこちらを見て顔を真横にぶんぶんと振っていた。席替えのことは言わないで、ということかな? でもさっきは暴露してやるって宣言していたような……。
「僕が、」
転んじゃって。そう言おうとして。
「俺が画材を忘れて取りに戻ったら遅くなりました。日下は付き合ってくれただけです」
「え! 」
風見くんの言い訳に、僕は目をぱちくりした。なにもあっていないよ?!
「どうしたの? 日下くん」
本田先生は聞いた。
風見くんは僕に視線を合わせて、シッーと人さし指を立てた。そして小声で言う。
「転びそうになったの知られたくないでしょ? うまい言い訳できるの? 」
できない。それを自分でもわかっている僕は押し黙るしか無かった。
「な、なんでもないです……」
本田先生に首を振るのが精一杯。
「そう? ふたりとも気をつけてね」
すみません、と風見くんと頭を下げ、僕たちはそれぞれ席に着いた。優征くんは厳しい顔つきで僕を見ていた。心配している時の顔だと僕は知っていた。
「なにかあったか? 」
僕が着席するなり優征くんは言う。
「遅れると思って急いで廊下走ってたら僕がコケそうになって」
鉛筆を研ぎながら答えた。
「え」
優征くんは食い気味に、僕の全身をくまなく見渡した。怪我した場所を探しているのだろう。
「でも風見くんが助けてくれて転ばずに済んだよ」
「そうか。よかった」
優征くんはホッとした顔を隠さなかった。僕は鉛筆を研ぐ手を止めて言った。
「なんで先に行っちゃったの? 」
約束をしていた訳じゃないから、聞くのが怖い。でもそんな心配そうな顔をするなら、一緒にいてくれたらいいのに。
「アイツらと行くかと思って。楽しそうにしてたし、友達を増やすチャンスだろ? 」
楽しそうに見えていた自分にほっとする。もちろん、体感としても楽しかった。けれど慣れていない人と接するのは、ドキドキすることでもある。自分の顔は自分では見られなくて不便だ。
「優征くんも一緒に行こうよ」
僕は最大出力で明るく言った。それこそ一緒に友達になれるチャンスでしょう。
「俺はいいよ」
涼しい風で優征くんは言う。
「えっなんで? 」
まともに見上げてしまった。
「俺がいたら怖がらせるから」
どこ吹く風、みたいな声に僕は瞬きを3回してから、怖々と見上げた。
「そんなことないと思うけど」
なんでそんなことを言うのだろう? と不安に思った。たとえ見た目で怖がられても、中身を知れば怖くないと誰でもわかるはずだ。
「いいんだよ。俺の言い方はキツイからな。あの3人で俺を怖がらないのは風見くらいだ」
優征くんは真面目な顔で、相変わらず僕を几帳面に転写していた。寂しい? そう思えるのに、優征くんの顔には書いていない。邪推なのかな。返す言葉が見つからなくて、僕は優征くんと、自分の描いたデッサンを見比べた。デッサンは、僕から見た優征くんを雄弁に語っていた。
「……僕は優しいって知ってるよ」
迷って迷って、ありきたりなことしか言えなかった。
「うん。その絵を見たらわかる」
優征くんは、僕のデッサンをそっと指さした。デッサンとそっくりなくしゃりとした笑顔で。冬休み前にはこの単元は終わるから、あと1ヶ月半くらいで完成だ。だから、仕上げにかかっている。
「うん」
僕が頷くと、優征くんは転写に戻っていった。
どうしたら優征くんの優しさがみんなに伝わるのかな、と悩みながらデッサンを進めようとする。
「なんか迷ってる? 」
本田先生が話しかけてきた。なんて鋭い。目を見開くと、本田先生はふふふ、と笑った。
「絵にはね、その人が考えていることがよく出るのよ。日下くんは、飛田くんをとてもやわらかく捉えているのね」
本田先生は僕の絵の横にしゃがみこんで、僕を見上げた。
「とても優しい人なんです。でもなんか今のままだと……どうしたらそれが伝わりますか? 」
先週の授業までは、このまま優しい印象だけでいいと思ってきた。けれど、少し離れてみると全体がぼやっとして見える気がする。優しさを引き立てるにはどうしたらいい?
「そうねぇ……」
本田先生は考える人になって、デッサンと優征くんを見比べた。
「強いところを探して引いてごらん。エッジの効いた線が入ると、メリハリが出て強さも優しさも引き立つわよ」
「強い線を入れたら、優しい印象は崩れてしまいませんか? 」
僕の不安に、本田先生はふふふ、と教師の顔で笑った。
「日下くんはさ、飛田くんの優しさを目立たせたいんだよね? じゃあさ、“優しい”ってどういうことだと思う? 」
「え……」
日頃から、優征くんのことを優しい、優しい、と思っているのに、そう聞かれると言葉にできなかった。
「優しいは……えーと、優しいとしか、」
言葉って不自由だな。
「うん。難しいよね。でも大丈夫。日下くんはきっと答えを知っているわよ。今もこんなにステキに飛田くんを描けるんだもの」
本田先生はニコッと笑って続けた。
「飛田くんをよく見てごらん。焦らなくていいわよ」
「はい……」
頷いたものの、難問を前に鉛筆は止まった。
美術が終わると教室まで優征くんが一緒に帰ってくれて、僕は心底ホッとした。
優征くんと登校すると、転校してから初めてのテストの結果が廊下に貼り出されていた。1クラス36人が6クラス、1年生は216人。貼り出されるのは50位まで。僕の名前がないことはわかっていた。個人で配られる成績表で、110位だったから。真ん中くらいを取れたことに少しホッとしていた。転校試験は本当にギリギリで、ビリでもおかしくないと思っていたから。思いの外いい点を取れたのは、優征くんが勉強を見てくれたおかげだと思う。
「さすがだね、優征くん」
1位の名前を確認して、隣の優征くんに僕は言った。
「卒業まで1位を譲らないことが俺の目標なんだ」
不敵な顔で優征くんは言う。
順位表の前から、誰かの声が聞こえた。クラスの子では無い。
「1位のヤツ、入学式からずっと一緒じゃん」
他の子は答えた。
「そりゃそうだよ。俺中学一緒だけど、ずっと学年1位だったから。なんでこの学校来たんだって感じで。もっといいところ行けたのにって先生たちが残念がってたって」
「公立落ちたとか? あー、なんかスカした感じのヤツだろ? 怖いっていうか」
「そうそう、ちょっととっつきにくい感じの。さあ? 同じクラスになったことねぇからよく知らないけど。落ちたなんて話も聞いたことないから、たぶん単願じゃない? 」
噂の主たちは本人がいることに気づいていないらしく、好き勝手言ってくれている。僕に聞こえていると言うことは、隣の優征くんにも当然聞こえているはずで。
「は、早く行こ」
僕は優征くんの大きな背中をグイグイと押した。優征くんの顔色は変わらなかった。
願いは虚しく、噂は続いてしまった。
「単願? なおさら学年1位のヤツの選択肢に入る私立じゃなくね? ココ。ってかそんなヤツに勝てるわけねぇじゃん。学校推薦狙いでわざわざ低い学校来たんじゃねーの? なんかカンジ悪いなあ」
例えその作戦通りだったとしてもカンジ悪いってなに?! 僕はさらに強い力で背中を押す。優征くんの歩行スピードは変わらない。
「お前、学校推薦狙ってるからってそう腐るなよ。飛田がどうかは知らないけどさ」
違う声が嗜めてくれて、僕は少しほっとした。そんなんじゃないよ! と強気に飛び出していきたいところだが、情けないことに怖い。それに、優征くんは訂正して欲しいか分からない。紬ちゃん用の自転車の椅子を気にしていた優征くんを考えると、人の家庭の事情をペラペラと話していいとは思えない。僕の口はへの字に屈折していく。
「葵、気にしなくていいから」
優征くんは教室のドアを開けて僕を通してくれた。その呑気に聞こえる声はきっと、気にした僕のためなのだろう。ほら、こんなに優しい人なのに。
「僕は優征くんが優しいって知ってるよ」
「うん。だからいいよ」
いつも通りに机についた優征くん。隣の席に僕も座った。でも僕は気づいてしまった。陰口を叩かれることに慣れているのだろうと。僕の方が落ち込みそうになるけれど、悟られないように背筋をピンと張った。そんなことを友達に気づかれても嬉しくないだろうと思って。
「……葵」
優征くんはタブレットで読んでいた電子新聞から顔を上げて僕を見た。
「うん?! 」
声が裏返ってしまった。慌てて、読んでいるふりをしていた漫画本で顔を隠す。
「漫画、逆さまだぞ」
「えっ! うそ!! 」
本当に逆さまだった。あたふたする僕を見て、優征くんはふっと笑う。さっきの人たちに見せられたら、とっつきにくくなどないと、わかってもらえる気がするのに。
「本当にいいんだ。俺は、わかって欲しい人だけに俺のことをわかってもらえたらそれでいいんだ。誰にでもわかってもらえるなんて思っていないから。仕方ないことだろう? 」
また、大人みたいな顔。
『それに、この高校のことも結構気にいってるんだ。そうは見えないかもしれないけど。……クラスのヤツとももっと喋れたらって思うんだけど。何を話したらいいのかわからなくて』
餃子を振る舞ってもらった時に言っていたことを思い出して、今のは本音かな? と胸が痛くなった。本当に思っていたら、仕方ない、なんて言わない気がする。
僕がなにも返せないでいるうちに、朝のホームルーム開始のチャイムが鳴ってしまう。
前の扉から、佐合先生が入ってくる。日直の前野くんが号令をかけた。
「はい、みんな〜。れーい」
のんびりした号令に、ゆらゆらとクラスメイトたちの頭は下がった。
「おい、凛輝。もうちょっとしゃっきりしてくれよ。寝ちまうだろ」
佐合先生は眠そうにあくびをした。
「起立! 気をつけ! れぇーいっっ!!! 」
今度はアップテンポな大声で号令がかかって、みんな慌ててロボットダンスのをした。
「若者の元気でおじさんを刺さないでおくれ」
わざとらしくうるさそうな先生に、みんなの爆笑が重なった。
「はい、じゃあ元気な若者たちに2大イベントのお知らせです」
「えー? なあにー? 」
佐合先生の宣告に、前野くんがガヤを入れた。
「よくそんな古い番組知ってるな、お前。俺たちが学生の頃の番組だぞ、それ」
佐合先生が驚いた顔をした。
「Tik Talkで回ってきて。先生の世代のじゃんって思って見た。俺も屋上から叫びたいよ! なんで普段閉まってるんだよ! 」
前野くんはピースした。
「あ、そう。凛輝みたいなやつが出て落下したら危ないからに決まってるだろ。それでイベントだけど、まずはテストが終わったので席替えをします。今からクジを引いて、1時間目が始まる前までに席移動しておいてくれ。で、もうひとつは、今日の午後のロングホームルームから、文化祭についての話し合いを始めるから、各自なにをしたいか考えておいてくれ。はい、以上」
席替え、と言われて、僕は思わず隣の席を見た。優征くんも見ていたので、ばっちり目があった。
「変わっちゃうんだね」
転校してきてから約2ヶ月。ずっと優征くんの隣で安心していた。変わらないと思っていたからショックだ。
「残念だよなぁ」
優征くんは小声で囁いた。
「うん。……でも次の隣の人とも友達になれるように頑張るよ」
後ろ向きばかりではいけないと、僕はファイトポーズをした。
列ごとに呼ばれて、教卓の前のクジを引く。
「不正すんな、交換すんなよー! つまんねえだろ」
クジ箱を守っている佐合先生が声を張り上げた。
「えー! 俺、先生の目の前になっちゃったよ。最悪じゃん」
前野くんはクジをヒラヒラ見せつけていた。教卓の目の前、真ん中の1番前の席だ。言葉の割に嬉しそうだけれど。
「あ? 光栄だろ? たまにはしっかり勉強しろ、お前は」
佐合先生は呆れたような声を出す。
「現社はちゃんとしただろ! 」
得意げな前野くん。
「ほかの教科もな。やればできるんだから。俺は担任だから全教科の成績知ってるんだ」
「ちぇー」
前野くんは唇を尖らせて仰いだ。
「リッキー、成績は後ろから数えた方が早いもんな」
前扉のすぐ横にいた、風見くんが言う。前野くんと風見くんは仲が良く、あとは片付けが苦手な住田くんも含めて、仲良し3人グループのようだ。
「俺、野球推薦だもん! みんなが頭いいのが悪いんだよー!! 」
わざとらしく両手をバタバタさせた前野くんに、みんな笑っていた。
「全員引いたなー。はい、じゃ、移動! クジの紙に名前書いて箱に戻せよー。座席表作るから」
パンッと両手を叩かれて、僕たちはガタガタと移動を開始した。僕も机に椅子を乗っけて、移動する。途中、何度も人にぶつかりそうになって謝りっぱなしだった。
「日下か! よろしく!! 」
苦労してようやく辿り着いた新しい席は、教卓の真ん前の横、前野くんの隣だった。1番後ろから1番前へ大移動だ。
「うん、よろしくね」
クラスで優征くんの次に話したことがあるのは前野くんなのに、少しだけ緊張してしまう。
「俺もよろしく」
前野くんとは反対側の隣の、風見くんも声をかけてくれた。僕を真ん中に挟んで、両隣に前野くんと風見くんだ。
「よろしく」
風見くんにも返した。風見くんは本当に少しだけ話したことがある。たぶん、風見くんは覚えていないだろう程度の。
「俺、日下とちゃんと話してみたかったらラッキーだ。話したことあるの覚えてる? 」
「え! うん! もちろん! 」
風見くんにニコッとされて、僕は勢いよく頷いた。物腰柔らかで、話しやすい人だなと前から思っていた。
ぽすっと背中になにかが当たって振り向いた。後ろの住田くんだ。
「あ、ごめん」
どうやら漫画本が当たったらしい。
「大丈夫。あ、その漫画」
続きを話すのに覚悟が必要だった。拳をぎゅっと握る。
「僕も読んでるよ。おもしろいよね」
初めて喋るのに踏み込みすぎたかな、と目線が泳いだ。
「マジ?! 日下って漫画読むんだ」
住田くんはガバッと目を開いた。日ごろ寝癖をつけていることが多いけれど、よく見るとイケメンだ。気を損ねたわけじゃなさそうで、よかった。
「うん。好き」
「あー! ちょっと、ふたりだけの世界に入るなよ! 」
前野くんがズイっと割り込んできた。
僕はクラスでも目立つ3人組に囲まれる配置になって、ぎこちなくも、巻き込まれていった。一方で、優征くんの新しい席は窓の隣の1番後ろ。漫画とかでよくある、いわゆる主人公席だ。けれど優征くんは窓の外を見て浸ることはなく、熱心にタブレットを見ていた。たぶん、電子新聞の続きを読んでいるのだろう。優征くんが、電子新聞を毎日くまなく読むことを僕はもう知っている。その静かな横顔を、じっと眺めた。新しい席になっても、優征くんが他の人と話す様子はない。
風見くんがトントン、と僕の肩を叩いた。
「クジに名前書いた? もう行かないと1時間目遅れるよ」
1時間目は美術で、移動教室だ。慌ててクジに名前を書くと、自然な動作で風見くんは回収して、教卓のクジボックスへ入れてくれた。僕の分だけじゃなくて、前野くんと住田くんの分もまとめてくれていた。なんてスマートなのだろう。さすが学級委員長。
「ありがとう」
美術の準備をしながらお礼を言う。
「どういたしまして」
にこやかに返ってくる。
「日下、美術室一緒に行こ」
前野くんは明るく誘ってくれた。風見くんと住田くんも、頷いてくれている。
「あっ、あのさ……」
一緒に、と思いながら窓際を振り返ると、いつの間にか優征くんはいなかった。あれ? いつも移動教室は一緒だったのに。
「もういないね」
住田くんがのんびりと言う。
「えっめずらし。飛田っていつも日下に構ってるのに」
前野くんは訝しげだ。
「あ、うん」
なんだかショックで、僕はそれしか言えなかった。なんか、すごいことを言われたような気もするけれど。
「ってか時間ヤバいぞ」
風見くんは手元のスマートウォッチをかざす。
「走れー!! 」
前野くんのかけ声で、僕たちはいっせいに走り出した。最後尾にいると、佐合先生が2年生の教室に入っていくところだった。げ、という顔を隠さない。
「お前ら何やってるんだ、次美術だろ。早く走れー! 」
普通は先生は歩けと注意するところなのでは? ツッコむ余裕もないけれど。
すかさず前野くんが叫んだ。
「もう走ってるだろ! てか、教師が走らせるなよ! 」
「朝席替えしたとか言ったら俺のせいになるかもだろ? だから早くしろ! 」
美術の本田先生はおっとりとした感じの先生だ。そんなこと言うかな? と内心で首を傾げる。
「じゃあ遅刻してそう言ってやる! 」
前野くんはそう叫んだくせに、先頭でさらにスピードをあげた。野球部の彼について行ける訳もなく、僕は足がもつれてすっ転びそうになった。両手が画材で塞がっていて。
「おっと 」
先頭で前野くんと走っていたはずの風見くんが、コケる直前で僕を支えてくれた。
「……ありがとう」
転ばなかったことに驚いた。すごい反射神経だ。
その時、無慈悲にも授業開始のチャイムは鳴った。遅刻確定だ。前野くんと住田くんは先に行ったようだ。間に合っているといい。
「ごめんね、僕のせいで遅刻になっちゃったね」
風見くんに頭を下げる。
「ケガしなくてよかった。気にしなくていいよ。移動教室前に席替えした佐合が悪いし。もうゆっくり行こう」
風見くんはニコニコしている。
「本当にごめん。先に行ってくれてよかったのに」
風見くんに遅刻させるくらいなら、僕が転んだ方がマシだったような。
「見えちゃって体が勝手に動いたんだよ」
風見くんが肩を竦めた。
「すごいね。さすがバスケ部」
「あれ、よく知ってるね」
「うん、知ってるよ! 」
風見くんの目は少し見開かれた。優征くんと同じくらい背が高い。さっきまでスタスタ歩いていたのに、隣を歩いてくれている。合わせてくれているのだろう。なんだかちょっと、優征くんと似ているかも。
「日下は来た時、ケガばっかりしてたよね。体育で怪我して飛田におんぶされてたでしょ」
からかうように笑われる。恥ずかしすぎる。
「見てた? ……忘れて。僕ドジなんだよね」
「バレーで飛田にボールをトスしてたの俺だし。えー、忘れられないでしょ」
「えっ! 」
焦って見上げると、ばちりと目が合った。
「もう今、俺の前で転びかけたし、前のこと忘れる意味無くない? 」
なんてことを言うの、とわなないた。カッと赤くなった僕の表情を見てか、風見くんは思い切り笑った。
「日下ってかわいーね」
「や、やめてよもう」
両手が画材で塞がっている僕は、俯くしかなった。美術室までの道のりをゆっくりと歩いた。
「すみません、遅刻しました」
風見くんから美術室に入ると、本田先生は穏やかに振り向いた。
「あら、ふたりとも珍しい。どうしたの? 」
やはり怒るでもなく、本田先生は聞いてくれる。
「それは――」
風見くんが答えようとすると、前野くんはこちらを見て顔を真横にぶんぶんと振っていた。席替えのことは言わないで、ということかな? でもさっきは暴露してやるって宣言していたような……。
「僕が、」
転んじゃって。そう言おうとして。
「俺が画材を忘れて取りに戻ったら遅くなりました。日下は付き合ってくれただけです」
「え! 」
風見くんの言い訳に、僕は目をぱちくりした。なにもあっていないよ?!
「どうしたの? 日下くん」
本田先生は聞いた。
風見くんは僕に視線を合わせて、シッーと人さし指を立てた。そして小声で言う。
「転びそうになったの知られたくないでしょ? うまい言い訳できるの? 」
できない。それを自分でもわかっている僕は押し黙るしか無かった。
「な、なんでもないです……」
本田先生に首を振るのが精一杯。
「そう? ふたりとも気をつけてね」
すみません、と風見くんと頭を下げ、僕たちはそれぞれ席に着いた。優征くんは厳しい顔つきで僕を見ていた。心配している時の顔だと僕は知っていた。
「なにかあったか? 」
僕が着席するなり優征くんは言う。
「遅れると思って急いで廊下走ってたら僕がコケそうになって」
鉛筆を研ぎながら答えた。
「え」
優征くんは食い気味に、僕の全身をくまなく見渡した。怪我した場所を探しているのだろう。
「でも風見くんが助けてくれて転ばずに済んだよ」
「そうか。よかった」
優征くんはホッとした顔を隠さなかった。僕は鉛筆を研ぐ手を止めて言った。
「なんで先に行っちゃったの? 」
約束をしていた訳じゃないから、聞くのが怖い。でもそんな心配そうな顔をするなら、一緒にいてくれたらいいのに。
「アイツらと行くかと思って。楽しそうにしてたし、友達を増やすチャンスだろ? 」
楽しそうに見えていた自分にほっとする。もちろん、体感としても楽しかった。けれど慣れていない人と接するのは、ドキドキすることでもある。自分の顔は自分では見られなくて不便だ。
「優征くんも一緒に行こうよ」
僕は最大出力で明るく言った。それこそ一緒に友達になれるチャンスでしょう。
「俺はいいよ」
涼しい風で優征くんは言う。
「えっなんで? 」
まともに見上げてしまった。
「俺がいたら怖がらせるから」
どこ吹く風、みたいな声に僕は瞬きを3回してから、怖々と見上げた。
「そんなことないと思うけど」
なんでそんなことを言うのだろう? と不安に思った。たとえ見た目で怖がられても、中身を知れば怖くないと誰でもわかるはずだ。
「いいんだよ。俺の言い方はキツイからな。あの3人で俺を怖がらないのは風見くらいだ」
優征くんは真面目な顔で、相変わらず僕を几帳面に転写していた。寂しい? そう思えるのに、優征くんの顔には書いていない。邪推なのかな。返す言葉が見つからなくて、僕は優征くんと、自分の描いたデッサンを見比べた。デッサンは、僕から見た優征くんを雄弁に語っていた。
「……僕は優しいって知ってるよ」
迷って迷って、ありきたりなことしか言えなかった。
「うん。その絵を見たらわかる」
優征くんは、僕のデッサンをそっと指さした。デッサンとそっくりなくしゃりとした笑顔で。冬休み前にはこの単元は終わるから、あと1ヶ月半くらいで完成だ。だから、仕上げにかかっている。
「うん」
僕が頷くと、優征くんは転写に戻っていった。
どうしたら優征くんの優しさがみんなに伝わるのかな、と悩みながらデッサンを進めようとする。
「なんか迷ってる? 」
本田先生が話しかけてきた。なんて鋭い。目を見開くと、本田先生はふふふ、と笑った。
「絵にはね、その人が考えていることがよく出るのよ。日下くんは、飛田くんをとてもやわらかく捉えているのね」
本田先生は僕の絵の横にしゃがみこんで、僕を見上げた。
「とても優しい人なんです。でもなんか今のままだと……どうしたらそれが伝わりますか? 」
先週の授業までは、このまま優しい印象だけでいいと思ってきた。けれど、少し離れてみると全体がぼやっとして見える気がする。優しさを引き立てるにはどうしたらいい?
「そうねぇ……」
本田先生は考える人になって、デッサンと優征くんを見比べた。
「強いところを探して引いてごらん。エッジの効いた線が入ると、メリハリが出て強さも優しさも引き立つわよ」
「強い線を入れたら、優しい印象は崩れてしまいませんか? 」
僕の不安に、本田先生はふふふ、と教師の顔で笑った。
「日下くんはさ、飛田くんの優しさを目立たせたいんだよね? じゃあさ、“優しい”ってどういうことだと思う? 」
「え……」
日頃から、優征くんのことを優しい、優しい、と思っているのに、そう聞かれると言葉にできなかった。
「優しいは……えーと、優しいとしか、」
言葉って不自由だな。
「うん。難しいよね。でも大丈夫。日下くんはきっと答えを知っているわよ。今もこんなにステキに飛田くんを描けるんだもの」
本田先生はニコッと笑って続けた。
「飛田くんをよく見てごらん。焦らなくていいわよ」
「はい……」
頷いたものの、難問を前に鉛筆は止まった。
美術が終わると教室まで優征くんが一緒に帰ってくれて、僕は心底ホッとした。
