高校1年生。初恋グミは優しい味でした。

グミ指輪をはめあってから1週間。2週間後には、あの学校に来てから初めての定期テストがある。だから放課後、僕たちは優征くんの家のリビングで勉強をしていた。紬ちゃんはお母さんと用事らしくて、家にはふたりきりだった。相変わらず、ブルーグラスにオレンジジュースと、グミを出してくれている。グミはハード食感の小粒なやつで、つまみながら勉強を進める。

僕と優征くんはテーブルを挟んで向かい側。紬ちゃんがいる時と全く同じ配置で座っている。

「あの高校のテストってどんな感じなの? 」

テストは、学校や先生ごとに特色がある。前の学校はとにかく距離で選んだから、そんなに偏差値が高いわけではなかった。だから、どのくらい違うのか見ておきたかった。

「前回のテストあるけど見るか? 」

「見せてもらえるとありがたい」

親切な言葉に頷くと、優征くんはリビングを出て行った。前回のテストを取りに行ってくれたのだろう。

担任の佐合先生の担当である現代社会のノートを見ていると、優征くんは戻ってきて席についた。

「はい」

「ありがとう」

渡してもらったテストの束。1番上にあった現代社会の問題を見ていく。

「あ〜。ばっちり応用多いね」

『民事裁判にあたる事件例を書きなさい』なんて問題まである。前の学校では、裁判の種類を穴埋めさせられるだけだったのに。偏差値がだいぶ違うから当たり前か。

「佐合は普段はちゃらんぽらんぶるけど、テストはかなり堅実につくってくる」

優征くんは嫌な顔をした。

「ちゃらんぽらんかな? 」

なんだかんだ言ってちゃんとクラスをまとめてくれている気がするけれど。

「俺たちと同じノリでふざけるくせに締めるところ締めてくるだろ? 大人って感じでタチが悪い」

「大人だからじゃない? 」

「……まあな」

苦い顔をしたままの優征くん。大人とか子どもとか考えたこともなかったけれど、優征くんは考えているらしい。

「そういえばあのクラスには成績が1番の人がいるって佐合先生が。誰だか知ってる? 」

転校初日に社会科準備室で、面白おかしく話してくれた中に出てきた話題を思い出した。

「それは俺」

優征くんは、なんてことのない顔で頷いた。

「なるほど、すごいね! 」

すごく腑に落ちた。優征くんはスキマ時間にもこまめに勉強している。紬ちゃんのお世話や家事もある中で、時間を見つけて努力しているのを知っていた。

「まあな。なるべく学力は保っておきたいんだ。葵こそ転校でここに入れるくらいなんだから、頭いいんだろう? 」

「いやあ、すごく頑張ったし、ギリギリだったよ」

今の高校の偏差値は60くらい。僕からすれば高望みだった。

「そんな頑張ってまでどうしてここへ? 他にたくさん高校あるだろ」

東京は高校も選び放題だと僕も思った。

「お父さんの出身校なんだ。それでオススメされて」

「へえ、えらいな」

サンセットを飲みながら、優征くんはやわらかい顔をした。紬ちゃんを褒める時と同じ顔。

「僕のお父さんってね、僕が言うのも変だけど、甘いっていうか、あれしなさいこれしなさいって言う人じゃないんだ。全部、いいよいいよって。でもね、挑戦してみなさいって。いい学校だからって。だから頑張ったよ」

東京に来てからは、誰も僕の両親を高齢だなんて言わない。前野くんが美術で話しかけてくれてから、少しずつ他の人とも言葉を交わす機会は増えた。それでも、両親の歳を尋ねられることもない。だから自慢に思っていることを素直に言えた。

「優しいお父さんなんだな」

「うん。僕は遅くできたひとりっ子だから甘いみたい」

家では紬ちゃんみたいな扱いを受けているなんて、羞恥心が邪魔してさすがに言えないけれど。

「葵だからだろ? 俺がそっちの家でもそうはきっとならない」

フッと鼻で笑われた。なんだか時々、やっぱり子ども扱いされているような。

「そんなことないよ。というか、優征くんはどうしてあの高校へ? 」

自分から家族の話を出しておいて、気恥ずかしくなった。

「家から1番近かったから」

優征くんは顔色を変えなかったけれど、なんてバカなことを聞いてしまったのだろうと後悔した。お迎えも家事もあるのだから、通学時間を優先したに決まっているのに。運動もできて、文武両道な優征くん。1番になれるくらい頭がいいのだから、もっといいところにいくらでも行けるだろうに、僕みたいに何か思い入れがあってあの高校を選んだと思って聞いた。自分の短絡さに嫌気がさす。

「そ、そうなんだ」

気の利いた返しもできないのに。

でも優征くんは、強気な笑みをした。自虐ではない、と確信できるような笑みだった。

「俺は進学するつもりだから。高校は通過点で、なんなら大学だってそうだろうけど、多少偏差値が違うくらいで、俺は人生を左右されるつもりはない。どこにいたって、俺は俺の今やるべきことを、できることを精一杯やるだけだ。それはずっと変わらない」

なんて大人なんだろう、と思った。この決意を固めるまで、優征くんはどれだけ考えたのだろう。自分はもっと上にいけるはずだ、こんなものじゃない、と考えている同年代がたくさんいることは、のんびりしている僕にもわかっている。元いた高校の子たちはよく、「高校が選べたらもっといいところに行けたのに」と嘆いていた。特に仲良くなかった僕の元にその声が届いてくるくらいなのだから、多くの子が思っていたことだったのだろう。僕だって、共感しなかったとは言えない。みんなから“いい〝と言われている場所をむやみに信じているくらいには、僕は幼い。だって、そのうち大人になるなんてイマイチ信じられない。何が必要かなんてわからないから、安全な道を歩きたい。

「優征くんはすごいね。だからなんでもちゃんと努力するんだね。僕は苦手なことは後回しにしがちだから頑張らなくちゃ」

心の底から出てきた言葉をそのまま並べると、優征くんは目を見開いた。

「ありがとう。葵だって頑張っているだろう。それに、この高校のことも結構気にいってるんだ。そうは見えないかもしれないけど。……クラスのヤツとももっと喋れたらって思うんだけど。何を話したらいいのかわからなくて」

呼吸の音が響くようだった。優征くんはよく、自分から挨拶をしている。交わした後は、「……」「……」となるのが恒例だ。

「うん。僕もそう思うから、一緒に頑張ろう! 」

よし! とファイトポーズをする。

「文化祭もあるしな。なあ、家で夕飯食べて行かないか? 」

気がつけば、日が暮れていた。

「いいの? 」

夕飯に誘ってもらえたのは初めてだった。

「うん。今日は俺ひとりだから。餃子でもいいか? 材料があって」

冷蔵庫を覗き込みながら優征くんは言う。

「うん! 手伝うよ! 」

ヤッタ! とガッツポーズをしながら、お母さんにLIMEをした。友達の家で食べて行くので夕飯はいりません、と。

「料理経験は? 」

優征くんは材料を並べると、テキパキとキャベツを刻み始めた。

「調理実習くらいです」

日頃からやっているだろう優征くんに、そう言うのは恥ずかしかった。

「なら一緒に包んでくれ」

「うん! 」

拒否されなかったことが嬉しくて意気込む。リズムの良い手元を覗き込んだ。

「嫌いなものは? 」

ニンニクのチューブを振りながら聞かれる。

「ないよ! 」

「えらい! 」

感心する勢いで褒めてくれた。えへへ、と笑う。おばあちゃんにもよく褒められた。

「優征くんは? 」

「……ない」

歯切れが悪い。

「本当? 」

「ピーマンは、あんまり得意じゃない。食べれるけどな。あんなの人間の食べ物じゃないだろう。苦すぎる」

眉間に皺を寄せて、タネを捏ねていた。大人みたいな顔をする優征くんは、ピーマンが嫌い。そのギャップに思わず笑ってしまう。かわいくて。

「なんだよ。食えるんだからいいだろう。俺が食わないと、紬も食わないんだよ。だから……。いいから俺のことも褒めろよ!」

乱雑に捏ね始めて、不貞腐れていた。僕は一生懸命笑いを堪えた。

「えらい! えらいよ! 」

「……クソっ」

耳まで赤くして吐き捨てるから、耐えている僕は変顔をすることになった。

タネができたので、一緒に包んでいく。スプーンでボールからタネを拾って、皮に乗せて包む。優征くんはキレイに作っているが、僕はうまくいかない。タネがはみ出したり、皮が破れたり、タネが少なすぎてヒダだらけになったり。だから焼き上げてもらっても、当然不恰好だ。どの餃子をどっちが作ったのか一目瞭然だった。優征くんは僕のお皿には優征くん作のキレイなものを、僕の作った不恰好餃子を自分の皿によそってしまう。

「僕がそっち食べるよ」

焼き目はキレイなのに、形がヘンテコで、本当に餃子ですか? と正体を聞きたい形をしている。

「ダメ。これは俺の」

ヒョイっとお皿を高く上げられてしまう。

「だめだよ! へ、変だから。僕は僕の失敗作を食べるよ」

必死に手を伸ばしても届かない。いいな、背が高くて。

「材料は一緒だし、失敗とかない。これは俺のだ」

やたらと言い切られて、伸ばした手は止まった。たしかに、味は一緒かもしれない。

「わかったよ。じゃあ僕はこっちのおいしそうな方をもらおう」

「絶対こっちのがうまいからな」

やたらと楽しそうな優征くん。

合間に作ってもらったキノコの味噌汁と、ツヤツヤの山盛りご飯と一緒に餃子をテーブルまで運ぶ。

「「いただきます! 」」

声を合わせて合掌した。

メインの餃子を一口噛むと、ジュワッと肉汁が溢れて、ガッツリとしたニンニクも食欲を掻き立てた。最後にはさっぱりとした大葉の味が締めてくれる。白米に合い、食べやすくてガツガツと進む。

「おいしい! 」

優征くんの目を見つめて、満面の笑みをした。

「な、うまいな」

優征くんも軽やかに箸を進めている。

味噌汁にも箸を伸ばすと、シャキシャキとしたエリンギの歯応えは楽しく、あっさりとしたカツオ出汁にホッとする。

「味噌汁もおいしいよ」

「そりゃよかった」

食事を褒めた時のお母さんと、同じ顔を優征くんはしてくれた。食事を作れる人はすごい。未来の体を作っているのだから。

「優征くんとお付き合いできる人は幸せだね。優しいし、こんなおいしいご飯を作ってもらえるかもしれないんだから」

だって友達の僕でも幸せだから。恋人だったら、どこまで優征くんを見せてもらえるのだろう。

「大事にするよ。俺のできる限りで」

優征くんは、見たことのないくらい嬉しそうな顔をした。きっと、餃子を食べた時の僕と同じくらい。

「いいなあ。彼女」

どんな人かな、と考える。会わせてもらったことはないから。

「恋人いないけどな」

怪訝な顔で優征くんは言った。

「え、うそ?! そんなにカッコイイのに?! 」

僕が驚く番だった。信じられなかった。

「ありがとう。でもいつそんな影があったんだよ、俺に」

仕方ないな、という声音に変わる。

「よ、夜とか? 僕といない時間にいくらでも……」

考えてみると、学校でも一緒にいて、放課後も毎日のように優征くんと一緒にいる。一緒にいないのは、夕飯から朝迎えに来てもらう時間だけだ。寝る前とかもLIMEしたり、通話することもあるし。あれ? 四六時中、一緒にいるような。

「俺はそんな夜に大事な人を連れ回すような男じゃない。親が心配しない時間にせっせと送り届けてやる。一応聞いておくけど、葵は? 恋人いるのか? 」

たしかに。夜中に恋人を振り回す役よりも、遅くなっても帰ってこない恋人を心配して、玄関で鬼の形相をしている役の方が似合って、笑ってしまった。

「いないに決まってるじゃん。いたら紹介してるよ」

人生で1度はやってみたい。友達に恋人を紹介すること。

「ふうん。好きな人は? 」

優征くんのこめかみはピクっと動いた。

「いないよ。優征くんは? 」

僕は恥ずかしいことに初恋もまだで。好きとか、恋とか、よくわかっていない。みんなよくわかるよな、と思う。

「好きな人は、いる」

深く頷く。ブラックコーヒーでも飲んでいるみたいに大人の香りがした。

「へえ! どんな人? 」

前のめりになる。

「知りたい? 」

「うん! すごく! 」

大速報だ。何をしていたとしても、気になって手を止めてしまうだろう。

「可愛くて、優しくて、強い人。すごく癒されるし」

真正面で教えてくれたのだけれど、まるで耳打ちされているようで、ドキドキした。

「カンペキじゃん! 」

ぐるぐると理想的なその人物を脳内で作り上げてみる。漫画みたいな人かな? と思った。

「そう。すごく好きなんだ」

まっすぐに言われて、自分に言われている気がして目をそらしてしまった。違うとわかっているのに、見せられた大きな愛情を直視できなかった。

「告白して、その、お付き合いしたりしないの? 優征くんだったら誰とでも付き合えそう」

その愛情にハマらない人はきっといない。

「そんなことないけど。まだな。そのうち、恋人になれるように俺は頑張るから」

優征くんが頑張ったら、どんなことでもきっとできる。

「うん! 応援するよ! 僕にできることがあったら言って! 恋を知らない微力な応援団だけど」

強く頷いた。話を聞く、くらいならできるかもしれない。……聞いてほしいタイプでもないかな? とひとりで首を傾げた。

「へえ。じゃあ、俺と握手して。葵のパワーをくれよ」

「いいよ! 」

差し出されていた片手に、僕も合わせた。優征くんの手は大きくて、僕がパワーをあげると言うよりも、守ってもらっているようだった。優征くんの優しさと手は似ていた。誰と握手しているのか、目をつむっていてもわかりそうだ。

「恋人になったら僕に紹介してくれる? 」

紹介してみたいけれど、紹介されてもみたい。友達の幸せなノロケを目の当たりにしたい。

「わかった」

優征くんはなぜだか、おかしそうに笑う。

「ありがとう。元気出た」

たぶん5分くらいは握ってから、優征くんはゆっくりと手を離した。