そのとき、さぁっと風が吹いた。
木立が揺れ、ぬるく濁った、あの腐った水のような匂いが鼻をつく。
肌に纏わりついていた真夏の熱気は消え失せ、骨の髄まで凍りつくような冷気に全身が粟立った。
『みなそこさま』
『みなそこさま』
『だあれが泣くの——もういいよ』
歌が、聞こえる。
翔太の声だ。
今までは聞こえなかった、歌の続きが聞こえる。
『泣く子はおいで』
『もういいよ』
『池に抱かれて 眠りましょ』
『やさしいそこで』
『眠りましょ』
歌詞が脳内に流れ込んできた瞬間、ぶわっと全身の毛が逆立った。
池に誘導するかのようなこの歌は——。
「余り子捨ての、歌……?」
かすれた声で呟くと、くすくすと翔太の笑い声が重なった。
「やっぱり、ゆうにぃにはわかるよね?」
「だって、ゆうにぃも、こっち側の人だ」
ざぁっと、今度は強く、風が吹いた。
生臭い匂いが、さらに濃くなる。
黒く静かな池に、ぼぅっと、緑色の灯籠が浮かび上がった。
じいちゃんが、神社の人工池に浮かべたはずの灯籠。
空中に浮かぶそれが、なにかをぼんやりと浮かび上がらせる。
「翔太……!?」
それは、青白い顔をした、翔太だった。
幼い頃のまま、時を止めてしまった、少年の姿。
「僕は、諦めたよ」
「だって……なにをしても、にいちゃんには勝てないんだ」
「勉強も、運動も、全部」
「それに——大好きなゆうにぃも、いつも、にいちゃんのことばっか見てる」
青白い顔が、悲痛そうに歪む。
幼い頃の航大によく似た、けれど、彼のような毅然とした強さのない、優しい顔立ち。
「だいすき、だったのに。にいちゃんのことも、ゆうにぃのことも。それなのに——二人とも、僕のことなんて、ちっとも見てなかった……!」
翔太が、勢いよく拳を振り下ろす。
その動きに呼応するように、水面が爆ぜる。
ばしゃりと池の水を被り、俺は思わず目を閉じた。
「でもね、ゆうにぃも僕と一緒だよ。——そこにいたら、きっと苦しくなる」
耳元で、翔太の声がした。
ぎゅっと閉じていた目を、おそるおそる開く。
すると、池の真ん中には、すでに翔太の姿はなかった。
頬に、冷たい何かが触れる。
翔太の小さな手のひらだ、と気づき、ぞわっと怖気が走った。
「つらいね。かなしいね。——にいちゃんは、ゆうにぃとは、一緒にいないよ」
翔太の声が、鼓膜を通り越して、直接脳に響く。
心に染み込むみたいに、その言葉が俺を縛りつけてゆく。
「女の人と結婚して、家族を作るんだよ。——ゆうにぃは、ひとりぼっちになるんだ」
脳裏に、生々しく浮かぶ。
航大の、未来。
そこには——当然のように、自分の姿はない。
「つらいね。かなしいね。——そこにいたら、傷つくよ」
翔太の声に、歌声が重なる。
『みなそこさま』
『みなそこさま』
『だあれが泣くの——もういいよ』
『泣く子はおいで』
『もういいよ』
『池に抱かれて 眠りましょ』
『やさしいそこで』
『眠りましょ』
あぁ、そうか。
わかったよ、翔太。
これは——諦めの歌なんだ。
池に沈められる、余り子たち。
泣きじゃくる彼らに、人生を諦めさせる歌。
全部諦めて、みなそこで暮らそう。
泣くのをやめて、眠ってしまおう。
だから——俺が呼ばれたんだ。
全てを、諦めたいと望んだから。
逃げ出してしまいたい、と、望んだから。
『みなそこさま』
『みなそこさま』
『だあれが泣くの——もういいよ』
甘美な、誘いだ。
ここで手放してしまえば、楽になれる。
『泣く子はおいで』
『もういいよ』
『池に抱かれて 眠りましょ』
『やさしいそこで』
『眠りましょ』
歌声が、大きくなった。
翔太ひとりの、声じゃない。
この池に沈んだ、たくさんの余り子たち。
彼らみんなが、俺を呼んでいる。
とろりと耳朶に流れ込んでくるような、やわらかな歌声。
響き、重なり、うねるような塊になったその声が、俺の全身を包み込んでゆく。
「ゆうにぃも、歌って。——そうしたら、楽になるよ」
翔太の冷たい手のひらが、俺の、手のひらをきゅっと掴む。
さっきまで、航大が握っていた手のひら。
大きくて熱い、大好きなあの手のひらとは対照的で、薄くて小さな、冷たい手のひら。
その冷たさが染み入るように、俺の心がシンと冷えてゆく。
あの、大きな手のひらが、華奢な女性の腰に添えられるところを想像した。
航大そっくりな、小さな赤子の頬を、優しく撫でるところを想像した。
嫌だ。
そんな未来は、見たくない。
『みなそこさま』
『みなそこさま』
『だあれが泣くの——もういいよ』
翔太の手のひらが、俺の手のひらから離れる。
冷たい指先が、俺の首に、そっと絡みついてきた。
『泣く子はおいで』
『もういいよ』
喉を、優しく撫でる、小さくてか細い指。
「ゆうにぃ……歌って」
喉仏を押さえ込まれながら、耳元で囁かれると、自然と唇が開いた。
『池に抱かれて 眠りましょ』
『やさしいそこで』
『眠りましょ』
「もう、疲れたよね? 辛いよね? ——だいじょうぶ。向こうに行けば、ぜんぶ、なくなるよ」
口の中に指を突っ込まれて、掻き出されるみたいに、声が、自然と溢れそうになる。
『みなそこさま』
「み——」
喉の奥から、声が漏れた瞬間、なにかに口を塞がれた。
「ん——っ」
それは、とてつもなく熱い何かだった。
熱くて、濡れていて、蕩けそうに、柔らかい。
ぐっと腰を抱かれた。
きつく、きつく抱きしめられる。
大きな、手のひら。
ミントの爽やかな香りと、微かな、汗の匂い。
(航大——!?)
どうして、ここに。
いるはずないのに。
ここには、俺と、翔太しかいないはずなのに。
くちゅ、と水音が響いた。
それは、雫が落ちる音とか、そんなのじゃなくて。
あぁ、これは——。
なにかを言いかけ、その言葉ごと、熱い舌にからめとられた。
「んっ……ぅ」
おそるおそる目を開くと、ありえないくらい近い場所に、航大の瞳があった。
頬を、乱暴に鷲掴みにする、大きな手のひら。
ぴったりと、押し当てられた熱く、逞しい体。
航大にキスされているのだ、と理解したとき、ボンッと頭が爆発したみたいに、目の前が真っ白になった。
「ん——っ」
離せ、と叫んだつもりが、うまく、声にならなかった。
いや、ずっと、夢見てきた。
何度だって、夢に見た。
だけど——こんな。
いきなり、なんのロマンもへったくれもない、獣みたいなキスをされても——。
「そこらへんにしておけ」
呆れたような、誰かの声が聞こえた。
透おじさんの声だと、理解したとき、ようやく、俺の唇は解放された。
「ぷはぁっ……ぅ、な、なにしてんだ、航大!?」
いや、嬉しいよ。
嬉しい、けど。
初めてのキスが、こんな、むちゃくちゃなの、最悪すぎるだろ。
しかも、人前で、こんな——。
「仕方ない、だろ。——お前、どう見ても、歌う寸前だった。あの歌を、歌おうとしてただろ!?」
頬を思い切り張られるような、大きな声だった。
がつんとぶつけられたその声に、ようやく、我にかえる。
その時だった。
どこかで、懐かしいメロディが鳴った。
か細くて、頼りなくて。
けれど、あの恐ろしい歌とはまるで違う、切なくて美しい、夏の終わりの旋律。
「……これ」
震える手でポケットを探る。
ずぶ濡れになった甚平のポケットの中で、スマホが震えていた。
画面は真っ暗だった。
通知も、着信もない。
それなのに、流れていた。
「この曲は……」
「航大にも……聞こえてる……?」
掠れた声で訊くと、航大は、俺を抱きしめたまま小さく頷いた。
「ああ。聞こえる」
その一言で、胸の奥が崩れた。
六年前、翔太の言葉を信じられなかった俺たちは。
今度は同じ歌を、二人で聞いていた。
——『夏の終わりに唄う歌』。
小学生の頃、俺がずっと着信音にしていた曲。
翔太が好きになって、何度も口ずさんでいた曲。
航大が、廃校の音楽室で弾いてくれた曲。
俺の喉から溢れそうになった、あの哀しい歌の残響をかき消すように。
そのメロディだけが、暗い池のほとりに響いていた。
「おーい、大丈夫か!?」
しばらくすると、大きく叫びながら、たくさんの人たちが駆け寄ってきた。
懐中電灯の灯り、人々のざわめき。
「優馬! 航大!」
大人たちの先頭に立ち、誰よりも早く駆けつけてきたのは、ひどく息を切らしたじいちゃんだった。
心配そうに覗き込む郁人さんと、少し安堵したみたいな、透おじさんの姿。
そして、俺を抱きしめたまま、離そうとしない航大の、きつい抱擁。
ああ、俺は、助かったんだ。
翔太に、連れて行かれなかったんだ。
ぼーっとする頭で、ようやく、理解した。
「ごめん、航大。俺——やっぱり、諦めるなんて、できない。俺は——航大を忘れるなんて、無理だよ」
かすれた声で、呟いた瞬間、ぽたりと、何かが降ってきた。
熱くて、しょっぱい、航大の涙。
とめどなく溢れ続ける、その雨に刺激されるみたいに、俺の目からも、涙が溢れ出す。
ぎゅうっと、再び、抱きしめられる。
大好きな航大の香りに包まれながら、俺は、意識を手放した。
木立が揺れ、ぬるく濁った、あの腐った水のような匂いが鼻をつく。
肌に纏わりついていた真夏の熱気は消え失せ、骨の髄まで凍りつくような冷気に全身が粟立った。
『みなそこさま』
『みなそこさま』
『だあれが泣くの——もういいよ』
歌が、聞こえる。
翔太の声だ。
今までは聞こえなかった、歌の続きが聞こえる。
『泣く子はおいで』
『もういいよ』
『池に抱かれて 眠りましょ』
『やさしいそこで』
『眠りましょ』
歌詞が脳内に流れ込んできた瞬間、ぶわっと全身の毛が逆立った。
池に誘導するかのようなこの歌は——。
「余り子捨ての、歌……?」
かすれた声で呟くと、くすくすと翔太の笑い声が重なった。
「やっぱり、ゆうにぃにはわかるよね?」
「だって、ゆうにぃも、こっち側の人だ」
ざぁっと、今度は強く、風が吹いた。
生臭い匂いが、さらに濃くなる。
黒く静かな池に、ぼぅっと、緑色の灯籠が浮かび上がった。
じいちゃんが、神社の人工池に浮かべたはずの灯籠。
空中に浮かぶそれが、なにかをぼんやりと浮かび上がらせる。
「翔太……!?」
それは、青白い顔をした、翔太だった。
幼い頃のまま、時を止めてしまった、少年の姿。
「僕は、諦めたよ」
「だって……なにをしても、にいちゃんには勝てないんだ」
「勉強も、運動も、全部」
「それに——大好きなゆうにぃも、いつも、にいちゃんのことばっか見てる」
青白い顔が、悲痛そうに歪む。
幼い頃の航大によく似た、けれど、彼のような毅然とした強さのない、優しい顔立ち。
「だいすき、だったのに。にいちゃんのことも、ゆうにぃのことも。それなのに——二人とも、僕のことなんて、ちっとも見てなかった……!」
翔太が、勢いよく拳を振り下ろす。
その動きに呼応するように、水面が爆ぜる。
ばしゃりと池の水を被り、俺は思わず目を閉じた。
「でもね、ゆうにぃも僕と一緒だよ。——そこにいたら、きっと苦しくなる」
耳元で、翔太の声がした。
ぎゅっと閉じていた目を、おそるおそる開く。
すると、池の真ん中には、すでに翔太の姿はなかった。
頬に、冷たい何かが触れる。
翔太の小さな手のひらだ、と気づき、ぞわっと怖気が走った。
「つらいね。かなしいね。——にいちゃんは、ゆうにぃとは、一緒にいないよ」
翔太の声が、鼓膜を通り越して、直接脳に響く。
心に染み込むみたいに、その言葉が俺を縛りつけてゆく。
「女の人と結婚して、家族を作るんだよ。——ゆうにぃは、ひとりぼっちになるんだ」
脳裏に、生々しく浮かぶ。
航大の、未来。
そこには——当然のように、自分の姿はない。
「つらいね。かなしいね。——そこにいたら、傷つくよ」
翔太の声に、歌声が重なる。
『みなそこさま』
『みなそこさま』
『だあれが泣くの——もういいよ』
『泣く子はおいで』
『もういいよ』
『池に抱かれて 眠りましょ』
『やさしいそこで』
『眠りましょ』
あぁ、そうか。
わかったよ、翔太。
これは——諦めの歌なんだ。
池に沈められる、余り子たち。
泣きじゃくる彼らに、人生を諦めさせる歌。
全部諦めて、みなそこで暮らそう。
泣くのをやめて、眠ってしまおう。
だから——俺が呼ばれたんだ。
全てを、諦めたいと望んだから。
逃げ出してしまいたい、と、望んだから。
『みなそこさま』
『みなそこさま』
『だあれが泣くの——もういいよ』
甘美な、誘いだ。
ここで手放してしまえば、楽になれる。
『泣く子はおいで』
『もういいよ』
『池に抱かれて 眠りましょ』
『やさしいそこで』
『眠りましょ』
歌声が、大きくなった。
翔太ひとりの、声じゃない。
この池に沈んだ、たくさんの余り子たち。
彼らみんなが、俺を呼んでいる。
とろりと耳朶に流れ込んでくるような、やわらかな歌声。
響き、重なり、うねるような塊になったその声が、俺の全身を包み込んでゆく。
「ゆうにぃも、歌って。——そうしたら、楽になるよ」
翔太の冷たい手のひらが、俺の、手のひらをきゅっと掴む。
さっきまで、航大が握っていた手のひら。
大きくて熱い、大好きなあの手のひらとは対照的で、薄くて小さな、冷たい手のひら。
その冷たさが染み入るように、俺の心がシンと冷えてゆく。
あの、大きな手のひらが、華奢な女性の腰に添えられるところを想像した。
航大そっくりな、小さな赤子の頬を、優しく撫でるところを想像した。
嫌だ。
そんな未来は、見たくない。
『みなそこさま』
『みなそこさま』
『だあれが泣くの——もういいよ』
翔太の手のひらが、俺の手のひらから離れる。
冷たい指先が、俺の首に、そっと絡みついてきた。
『泣く子はおいで』
『もういいよ』
喉を、優しく撫でる、小さくてか細い指。
「ゆうにぃ……歌って」
喉仏を押さえ込まれながら、耳元で囁かれると、自然と唇が開いた。
『池に抱かれて 眠りましょ』
『やさしいそこで』
『眠りましょ』
「もう、疲れたよね? 辛いよね? ——だいじょうぶ。向こうに行けば、ぜんぶ、なくなるよ」
口の中に指を突っ込まれて、掻き出されるみたいに、声が、自然と溢れそうになる。
『みなそこさま』
「み——」
喉の奥から、声が漏れた瞬間、なにかに口を塞がれた。
「ん——っ」
それは、とてつもなく熱い何かだった。
熱くて、濡れていて、蕩けそうに、柔らかい。
ぐっと腰を抱かれた。
きつく、きつく抱きしめられる。
大きな、手のひら。
ミントの爽やかな香りと、微かな、汗の匂い。
(航大——!?)
どうして、ここに。
いるはずないのに。
ここには、俺と、翔太しかいないはずなのに。
くちゅ、と水音が響いた。
それは、雫が落ちる音とか、そんなのじゃなくて。
あぁ、これは——。
なにかを言いかけ、その言葉ごと、熱い舌にからめとられた。
「んっ……ぅ」
おそるおそる目を開くと、ありえないくらい近い場所に、航大の瞳があった。
頬を、乱暴に鷲掴みにする、大きな手のひら。
ぴったりと、押し当てられた熱く、逞しい体。
航大にキスされているのだ、と理解したとき、ボンッと頭が爆発したみたいに、目の前が真っ白になった。
「ん——っ」
離せ、と叫んだつもりが、うまく、声にならなかった。
いや、ずっと、夢見てきた。
何度だって、夢に見た。
だけど——こんな。
いきなり、なんのロマンもへったくれもない、獣みたいなキスをされても——。
「そこらへんにしておけ」
呆れたような、誰かの声が聞こえた。
透おじさんの声だと、理解したとき、ようやく、俺の唇は解放された。
「ぷはぁっ……ぅ、な、なにしてんだ、航大!?」
いや、嬉しいよ。
嬉しい、けど。
初めてのキスが、こんな、むちゃくちゃなの、最悪すぎるだろ。
しかも、人前で、こんな——。
「仕方ない、だろ。——お前、どう見ても、歌う寸前だった。あの歌を、歌おうとしてただろ!?」
頬を思い切り張られるような、大きな声だった。
がつんとぶつけられたその声に、ようやく、我にかえる。
その時だった。
どこかで、懐かしいメロディが鳴った。
か細くて、頼りなくて。
けれど、あの恐ろしい歌とはまるで違う、切なくて美しい、夏の終わりの旋律。
「……これ」
震える手でポケットを探る。
ずぶ濡れになった甚平のポケットの中で、スマホが震えていた。
画面は真っ暗だった。
通知も、着信もない。
それなのに、流れていた。
「この曲は……」
「航大にも……聞こえてる……?」
掠れた声で訊くと、航大は、俺を抱きしめたまま小さく頷いた。
「ああ。聞こえる」
その一言で、胸の奥が崩れた。
六年前、翔太の言葉を信じられなかった俺たちは。
今度は同じ歌を、二人で聞いていた。
——『夏の終わりに唄う歌』。
小学生の頃、俺がずっと着信音にしていた曲。
翔太が好きになって、何度も口ずさんでいた曲。
航大が、廃校の音楽室で弾いてくれた曲。
俺の喉から溢れそうになった、あの哀しい歌の残響をかき消すように。
そのメロディだけが、暗い池のほとりに響いていた。
「おーい、大丈夫か!?」
しばらくすると、大きく叫びながら、たくさんの人たちが駆け寄ってきた。
懐中電灯の灯り、人々のざわめき。
「優馬! 航大!」
大人たちの先頭に立ち、誰よりも早く駆けつけてきたのは、ひどく息を切らしたじいちゃんだった。
心配そうに覗き込む郁人さんと、少し安堵したみたいな、透おじさんの姿。
そして、俺を抱きしめたまま、離そうとしない航大の、きつい抱擁。
ああ、俺は、助かったんだ。
翔太に、連れて行かれなかったんだ。
ぼーっとする頭で、ようやく、理解した。
「ごめん、航大。俺——やっぱり、諦めるなんて、できない。俺は——航大を忘れるなんて、無理だよ」
かすれた声で、呟いた瞬間、ぽたりと、何かが降ってきた。
熱くて、しょっぱい、航大の涙。
とめどなく溢れ続ける、その雨に刺激されるみたいに、俺の目からも、涙が溢れ出す。
ぎゅうっと、再び、抱きしめられる。
大好きな航大の香りに包まれながら、俺は、意識を手放した。
