夏の終わりに唄う歌

 はぁっと手のひらに息を吐きかけると、鼻をつまみたくなるような、ニンニクの匂いが漂う。
 うぅ……この匂いを、一瞬で消し去ってしまえたらいいのに。
 唯一の救いは、航大も同じものを食べていることか。
 いや、そんなの一ミリも救いにはなっていない。

 郁人さんがくれたお守りのおかげか、今のところ何の異変もない。
 だが、最も警戒すべきは、風呂だ。

 昨晩の出来事を思い出し、背筋が寒くなる。

「入浴のことだが……」

 最後の皿を洗い終えると、まじめ腐った顔で、航大が切り出した。

「——やはり、じいさんの言うとおり、一緒に入るべきだと思うんだ」
「はぁ!?」
 
 声が、思い切り裏返った。
 皿を洗ってる最中じゃなくてよかった。
 絶対割る自信がある。

「いや……まあ、お前が嫌がる理由もわかる。従兄弟の裸なんか、見たくないよな。——対処策として、水着を買ってきた。お前の分もある」
 航大は真剣な表情で、俺にスポーツ用品店の袋を差し出した。
 中には、サーフパンツ型の水着が入っている。

「心配なんだ。お前に何かあったら、と思うと、気が気じゃない」
 
 航大にしては、よい選択だ。競泳パンツと違って、サーフパンツなら、万が一、大きくなってしまっても、なんとか誤魔化せそうな気がする。
 履いたまま、手を突っ込んで体を洗うことも可能だろう。

「わかった……。一緒に入ろう」

 航大の顔が、ぼんっと真っ赤に染まる。
 おい、また熱中症か。お前、暑さに弱すぎるだろ。
 心配になりつつ、俺は航大から自分の分の水着を受け取った。

 航大の作戦は、大成功だった。
 二人で一緒に入るようになってから、風呂場に怪異が出ることは、全くなくなった。

 すぐそばに、上半身裸の航大がいる。
 そのことにさえ慣れれば——いや、正直、まったく慣れはしないのだけれど。
 それはとても心強い入浴方法だった。

 あんなにも、航大の裸を見てみたいと思っていたのに。
 実際に目の前にあると、照れ臭くて、直視することができない。
 
 ぎこちなくそっぽを向いて、ろくに会話も交わさない。
 航大も照れくさいのか、俺のほうを一切見ない。

 見ないようにすればするほど、すぐそばでシャワーの湯が肌を打つ音や、スポンジで肌を洗う音、ふと漏れる息遣いまでが、やけに生々しく耳に届いてしまう。
 それでも、そばにいてくれるだけで、不安にならずに済むから不思議だ。

 大好きな航大とスーパーで買い物して、一緒に飯を食べて、風呂に入って、同じベッドで身を寄せながら眠る。
 こんなにも幸せな日々が、続いていいのだろうか。

 何の異変も起こらないまま、あっという間に盆の時期がやってきた。
 明日の宵祭りには間に合わないようだが、明後日の午後、俺の両親や美咲も水守に戻ってくるようだ。

「航大、明日の夜、用事ある?」
「いや、特に何もないが」
「じゃあ、祭り行こうぜ。明日から夜店あるだろ?」

 航大が、少し渋い顔をした。
「水神様に関係のある場所には、近づかない方がいいんじゃないのか」

「池と水守神社はかなり離れてるし、関係なくないか? それに……郁人さんも言ってただろ。消えるのは、いつも祭りの前。祭り以降に消えた子は、今まで一人もいないって」

 航大はまだ納得していない顔だった。

 母との約束では、俺がじいちゃんのそばにいるのは、お盆休みまで。
 それが終われば、東京に帰ることになる。
 
 何事もなく、無事に帰れるのはありがたいけれど。
 廃校での撮影も、あれ以来、行けていないし、毎日が図書館と神崎の屋敷の往復だ。
 最後くらい、夏休みらしい思い出を作りたかった。

「わかった。行こう。その代わり——絶対に、あのお守りを手放すなよ。俺からも、一秒たりとも離れるな」
 あの日以降、航大は、眠る時でさえも、俺の腕を掴んだままでいる。
 怪異は止んでいるのだから、心配ないと思うのだけれど。
 今も不安でたまらないようなのだ。

「ああ。ちゃんとお守り持ってくし、お前からも離れない。それならいいだろ?」
 小指を差し出し、「指切り、しとく?」と問いかけると、航大の顔が、ぼんっと真っ赤に染まった。

 どこまで暑さに弱いんだ、と心配になりつつ、おずおずと指を絡めてきた航大と、指切りをかわす。

 ふざけ半分で指切りの歌まで歌ってやったのに、航大は笑わなかった。

 歌い終わって、指を解こうと軽く引いてみても、航大の小指は離れない。
 やけに熱い体温を押し付けるようにして、なぜかしばらくの間、俺の指を捕まえたままだった。