夏の終わりに唄う歌

「いいけど――。詰襟はさすがにしんどい。夏服でもいいか」

「いいんじゃない? 航大くん、肩幅あるし、夏服も似合いそう!」

 美咲が、はしゃいだ声を上げる。

 航大は少しだけ困ったように目を伏せた。
 人前で褒められるのも、写真を撮られるのも、昔から苦手な男だ。

 それでも、断らなかった。

 ほっとした。
 そう感じてしまった自分に、軽く眩暈がした。

 不意に、航大が立ち上がった。
 そして、無愛想な視線を俺に向ける。

「来い。どうせ着替えなんか持って来とらんだろ。透おじさんのでよけりゃ、上にある」

 航大の唐突な言葉に、俺は固まった。

「何も航大くんがそんなことせんでも。女衆にやらせりゃいいわ」

 親戚の誰かが、そう言った。

 だけど、航大は聞こえていないかのように、俺を視線で促す。

「透おじさんの服とか、防虫剤の匂いしそう。しばらく帰って来てないだろ」

 思わずこぼした俺の言葉に、親戚の一人が鼻を鳴らした。

「透はほんっとにロクでもねぇわ。母親の葬式にも顔出さんなんて」

「アメリカの病院で働いてるんですよね? 向こうって日本以上に過酷らしいですよ。休みも全然取れないって聞いたことがあります」

 美咲が、笑顔のまま割って入った。

 いいから、さっさと行きなさい。
 その目が、そんなふうに言っている気がした。

 座布団から尻を上げると、長いこと正座していたせいで、足が痺れていた。

「相変わらずだな、お前は」

 ぶっきらぼうに言いながら、少しよろめいた俺の腕を、航大が掴む。

 ――半袖で来たことを、心から後悔した。

 大きくて、熱い手のひら。
 ただ、それだけのことなのに。
 心臓を握り潰されたみたいに、情緒をめちゃくちゃにかき混ぜられてしまう。

「行くぞ」

 航大の手のひらが離れてゆく。
 向けられた、広い背中。
 俺は、痺れた足で、よろよろと後を追った。


 透おじさんというのは、航大の父親や俺の母親の弟にあたる、神崎本家の次男だ。
 アメリカで医師をしていて、今回の葬儀にも帰ってこられなかったようだ。

 立て付けの悪い引き戸を開き、航大は透おじさんの部屋の電気をつける。
 雨戸を開けると、蝉の鳴き声と共に、もわっと生ぬるい夏の風が吹き込んできた。

「おじさんの服って、派手なのばっかじゃない……?」

 透おじさんは、夏場になるといつも、目が覚めるような柄のアロハシャツを着ていた。

「どちらかというと、お前はあっちの系統だ。似合うんじゃないのか」

「雑にまとめんな。俺と透おじさんは全然違う」

 そんなふうに答えてみたものの、子どもの頃には気づけなかったけれど、透おじさんの服は、今になって見ると、とても良質なものばかりだった。

「すっげ、これ……。めちゃくちゃ生地も縫製もいい。ええ、このアロハって、あのブランドのやつだったの!?」

 とろんとしたヴィンテージアロハの生地が、指先に馴染む。

「やっぱり同系統じゃないか」

「うるさい。あぁ、でもさすがにこれは派手すぎるな……。てか、こんなの借りちゃっていいのかな。これ、すっごく高いぞ、きっと」

「いいんじゃないか。どうせ、あの人はここには滅多に帰ってこない。触られたくなければ、向こうに持って行ってるだろ」

「そうだけどさぁ……」

 まさかの宝の山に、さっきまでの鬱屈した気持ちが、一気に晴れてゆく。

 ダメだ。
 ばあちゃんの葬儀なんだ。
 悲しい顔で、いなくちゃいけないのに。

 航大と、二人でいられる。
 それだけで、こんなにも――。

 山のようなアロハの中から、一番地味そうなものを手に、航大を振り返る。
 すると航大は、歯を食いしばるようにして、開け放した箪笥の前に立ち尽くしていた。

 ギュッと瞼を閉じたその目尻が、かすかに濡れている。

「航大……」

「向こう、向いてろ」

 短く発された声が、少し震えている。

 あぁ、バカだ、俺は。

 都内で暮らす俺は、ばあちゃんに年に数回しか会えていなかった。
 けれど同じ県内にいる航大にとっては、もっと日常に近い人だったのだろう。

 ましてや航大は、六年前、弟の翔太を失い、その後、母親まで、遺書を残して姿を消している。
 誰も口にはしないけれど、戻ってくるとは思っていない。

 厳格な父親と二人きりの彼にとって、ばあちゃんは、数少ない安らげる相手だったのかもしれない。

 ギュッと握りしめた航大の拳が、小さく震え始める。
 たまらなくなって、俺は咄嗟に、その拳を握りしめた。

 言葉は、うまく見つけられなかった。

 どんな言葉をかけたら、航大の痛みが癒えるのか、俺にはわからない。
 きっと姉ちゃんなら、何か気の利いた言葉をかけられるだろうに。
 俺には、何の言葉も見つけられない。

 痛みを我慢するために、何かに縋りつきたいのだと思う。
 爪が食い込むほど強く、航大は俺の手を握りしめてきた。

「……ばあちゃん孝行、する前に、逝っちまった」

 えぐっとしゃくりあげるその姿は、あまりにも、そう、あまりにも、心優しい『本家の坊ちゃん』だった。

 火葬場で、ばあちゃんの骨を前にしてさえ、この男に見惚れていた俺とは、まるで違う。

 大きな手のひらで顔を覆い隠すようにして、声を押し殺して啜り泣く航大を前に、俺も、自分の心の醜さに絶望して、少しだけ泣けてきそうになった。