朝食と洗濯を終え、廃校に出かける準備をしていると、航大が二階から下りてきた。
白い半袖シャツに、きちんと締められたネクタイ。
黒い制服のズボン。
昨日の詰襟姿とは違う、夏服の制服姿だ。
清潔にアイロンのかかったシャツが、広い肩と胸元でわずかに張っている。
きっちり締めたネクタイも、黒い制服のズボンも、こいつが着ると妙に様になる。
すらりと伸びた背筋と、無駄のない立ち姿。
それだけで、古い屋敷の廊下の空気が、少し引き締まったように感じられた。
「何だ」
じっと見ていたことに気づいたのか、航大が眉をひそめる。
「いや……。ちゃんと制服に着替えてきたんだな……と思って」
「制服で撮影すると、昨日、言っていなかったか?」
航大の声に、玄関の呼び鈴が鳴った。
「宅配便でーす」
聞き慣れない明るい声が、玄関の扉越しに聞こえてくる。
扉を開き、配達員から通販サイトのロゴの入った大きな段ボール箱を受け取る。
宛名は俺だった。
「早っ! 姉ちゃん、相変わらず仕事早いな……」
こんなド田舎にも翌朝に届くなんて、ちょっと意外だ。
「何だ、それ」
航大が怪訝そうに段ボール箱を一瞥する。
「姉ちゃんからの差し入れ。多分中身は——」
ガムテープを剥がして箱を開ける。
すると、可愛らしい柄のパンツが最上部に鎮座していた。
水玉、レモン、シマエナガ、ソーダフロート、そして、チェリー。
パンツに可愛らしさは求めていないと告げたのに。
カラフルで愛らしい柄のものばかりだ。
「み、見るなっ……!」
自分の趣味だと思われたら、ものすごく恥ずかしい。
「ね、姉ちゃんが勝手に……! 普段からこんな派手なの、履いてるわけじゃないからなっ」
必死になって隠そうとしたけれど、航大は真面目腐った顔で、箱の中を凝視している。
ただでさえ、昨夜からずっとノーパンであることを知られているのだ。これ以上変な誤解をされたらたまらない。
「お前の姉貴は、お前に似合うものを、よく理解しているな」
「はぁっ!?」
冗談で言っているのか本気なのか。航大の視線の圧に怯みながら、俺は慌ててそれをまとめて引っ掴み、他の荷物の下に隠そうとする。
すると、パンツの下から、しろくまのイラストが描かれた箱が出てきた。
「なんで、かき氷機……?」
不思議に思いながら、スマホを取り出して姉ちゃんにLINEを送る。
『荷物届いた。ありがと。てか、なんでかき氷機?』
すぐに既読がついた。
『航大くん、かき氷好きでしょ。おばあちゃんのやつ、何年か前に壊れちゃったみたいだし。作ってあげたら?』
美味しいかき氷の作り方、というタイトルのURLまで送られてきた。
「——仲がいいんだな」
航大の位置からはスマホの画面は見えないだろうが、姉とやりとりしていると勘づいたのだろう。
しみじみした口調で、航大が言った。
「よくない!」
食い気味に否定した後、航大にはもう、こうやってバカみたいに言い争えるきょうだいがいないのだということに、今更のように気づいた。
「お前には……俺がいるだろ。優馬にいちゃんって呼んでもいいぞ」
いつものように、「兄は俺だ!」と張り合ってくるかと思ったのに。
「——サンキュ」
予想外の返答が来て、思わず変な声が出そうになった。
「行こう。ここらの日差しは洒落にならん。早く出たほうがいい」
航大は革靴を履いて、玄関の外に出た。
「日差しが強いのくらい、ちゃんと覚えてる。——ほら、秘密兵器!」
バックパックから日傘を出すと、怪訝な顔をされた。
「……東京では、本当に男も日傘をさすのか?」
「日傘に男も女もなくね? ほら、めっちゃ涼しくなるぞ!」
ぱっと広げて差し出してやると、航大は感心したように傘を見上げた。
「確かに……涼しいな」
「だろ?」
自信たっぷりに、胸をそらす。
航大は少し考えるような表情をした後、噛み締めるような声で言った。
「田舎の爺さん婆さんのことを、『古臭い』と思いながらも——俺自身、古い考え方に囚われてしまっているのかもしれない」
「なんだよ、いきなり」
「いや、なんでもない。戸締り、しっかりしろよ」
「俺、そんなに信頼ないのか?」
「釣りの時、川に鍵落として、ばあさんにものすごく怒られてただろ」
「いつの話だよ!」
「七年前の夏だな。確か」
「忘れろよ、そんな昔のこと!」
ちゃんと鍵がかかっていることを、何度も確かめる。
ふと振り返ると、射抜くような眼差しの航大と目が合った。
「……嫌だ」
じっと俺を見つめたまま、航大は押し殺したような低い声で答える。
いつになく強い眼差しに、ぎゅっと心臓を握り潰されたみたいな錯覚に陥る。
「ほら」
航大は、俺の手に日傘を握らせると、すっと俺に背を向け、大股で歩き始めた。
「待てよ。お前も入れって!」
追いかけようとしたその時。
ぽちゃん。
かすかな水音がした。
思わず動きを止めて、俺は屋敷を振り返る。
「……優馬?」
航大が、俺を呼ぶ。
航大には、聞こえていないのだろうか。
耳を澄ます。
もう何も聞こえない。
朝の日差しが、重厚な屋敷と、生い茂る木々を明るく照らしている。
水なんて、どこにもない。
ないはずなのに……。
耳に残る湿った水音のリアルさが、少しも消えてくれない。
胸の奥が、すうっと冷えた。
「何でもない」
そう答えた声は、自分でもわかるくらい、情けなく掠れていた。
「……行くぞ」
「ああ」
俺は、日傘の柄を握りしめ、屋敷に背を向ける。
ぽちゃん。
もう一度聞こえた気がして、振り返る。
何の異変もない。
何かの気配もない。
——出るにしたって、こんな朝っぱらから出るわけがない。
俺は自分にそう言い聞かせ、航大の後を追いかけた。
白い半袖シャツに、きちんと締められたネクタイ。
黒い制服のズボン。
昨日の詰襟姿とは違う、夏服の制服姿だ。
清潔にアイロンのかかったシャツが、広い肩と胸元でわずかに張っている。
きっちり締めたネクタイも、黒い制服のズボンも、こいつが着ると妙に様になる。
すらりと伸びた背筋と、無駄のない立ち姿。
それだけで、古い屋敷の廊下の空気が、少し引き締まったように感じられた。
「何だ」
じっと見ていたことに気づいたのか、航大が眉をひそめる。
「いや……。ちゃんと制服に着替えてきたんだな……と思って」
「制服で撮影すると、昨日、言っていなかったか?」
航大の声に、玄関の呼び鈴が鳴った。
「宅配便でーす」
聞き慣れない明るい声が、玄関の扉越しに聞こえてくる。
扉を開き、配達員から通販サイトのロゴの入った大きな段ボール箱を受け取る。
宛名は俺だった。
「早っ! 姉ちゃん、相変わらず仕事早いな……」
こんなド田舎にも翌朝に届くなんて、ちょっと意外だ。
「何だ、それ」
航大が怪訝そうに段ボール箱を一瞥する。
「姉ちゃんからの差し入れ。多分中身は——」
ガムテープを剥がして箱を開ける。
すると、可愛らしい柄のパンツが最上部に鎮座していた。
水玉、レモン、シマエナガ、ソーダフロート、そして、チェリー。
パンツに可愛らしさは求めていないと告げたのに。
カラフルで愛らしい柄のものばかりだ。
「み、見るなっ……!」
自分の趣味だと思われたら、ものすごく恥ずかしい。
「ね、姉ちゃんが勝手に……! 普段からこんな派手なの、履いてるわけじゃないからなっ」
必死になって隠そうとしたけれど、航大は真面目腐った顔で、箱の中を凝視している。
ただでさえ、昨夜からずっとノーパンであることを知られているのだ。これ以上変な誤解をされたらたまらない。
「お前の姉貴は、お前に似合うものを、よく理解しているな」
「はぁっ!?」
冗談で言っているのか本気なのか。航大の視線の圧に怯みながら、俺は慌ててそれをまとめて引っ掴み、他の荷物の下に隠そうとする。
すると、パンツの下から、しろくまのイラストが描かれた箱が出てきた。
「なんで、かき氷機……?」
不思議に思いながら、スマホを取り出して姉ちゃんにLINEを送る。
『荷物届いた。ありがと。てか、なんでかき氷機?』
すぐに既読がついた。
『航大くん、かき氷好きでしょ。おばあちゃんのやつ、何年か前に壊れちゃったみたいだし。作ってあげたら?』
美味しいかき氷の作り方、というタイトルのURLまで送られてきた。
「——仲がいいんだな」
航大の位置からはスマホの画面は見えないだろうが、姉とやりとりしていると勘づいたのだろう。
しみじみした口調で、航大が言った。
「よくない!」
食い気味に否定した後、航大にはもう、こうやってバカみたいに言い争えるきょうだいがいないのだということに、今更のように気づいた。
「お前には……俺がいるだろ。優馬にいちゃんって呼んでもいいぞ」
いつものように、「兄は俺だ!」と張り合ってくるかと思ったのに。
「——サンキュ」
予想外の返答が来て、思わず変な声が出そうになった。
「行こう。ここらの日差しは洒落にならん。早く出たほうがいい」
航大は革靴を履いて、玄関の外に出た。
「日差しが強いのくらい、ちゃんと覚えてる。——ほら、秘密兵器!」
バックパックから日傘を出すと、怪訝な顔をされた。
「……東京では、本当に男も日傘をさすのか?」
「日傘に男も女もなくね? ほら、めっちゃ涼しくなるぞ!」
ぱっと広げて差し出してやると、航大は感心したように傘を見上げた。
「確かに……涼しいな」
「だろ?」
自信たっぷりに、胸をそらす。
航大は少し考えるような表情をした後、噛み締めるような声で言った。
「田舎の爺さん婆さんのことを、『古臭い』と思いながらも——俺自身、古い考え方に囚われてしまっているのかもしれない」
「なんだよ、いきなり」
「いや、なんでもない。戸締り、しっかりしろよ」
「俺、そんなに信頼ないのか?」
「釣りの時、川に鍵落として、ばあさんにものすごく怒られてただろ」
「いつの話だよ!」
「七年前の夏だな。確か」
「忘れろよ、そんな昔のこと!」
ちゃんと鍵がかかっていることを、何度も確かめる。
ふと振り返ると、射抜くような眼差しの航大と目が合った。
「……嫌だ」
じっと俺を見つめたまま、航大は押し殺したような低い声で答える。
いつになく強い眼差しに、ぎゅっと心臓を握り潰されたみたいな錯覚に陥る。
「ほら」
航大は、俺の手に日傘を握らせると、すっと俺に背を向け、大股で歩き始めた。
「待てよ。お前も入れって!」
追いかけようとしたその時。
ぽちゃん。
かすかな水音がした。
思わず動きを止めて、俺は屋敷を振り返る。
「……優馬?」
航大が、俺を呼ぶ。
航大には、聞こえていないのだろうか。
耳を澄ます。
もう何も聞こえない。
朝の日差しが、重厚な屋敷と、生い茂る木々を明るく照らしている。
水なんて、どこにもない。
ないはずなのに……。
耳に残る湿った水音のリアルさが、少しも消えてくれない。
胸の奥が、すうっと冷えた。
「何でもない」
そう答えた声は、自分でもわかるくらい、情けなく掠れていた。
「……行くぞ」
「ああ」
俺は、日傘の柄を握りしめ、屋敷に背を向ける。
ぽちゃん。
もう一度聞こえた気がして、振り返る。
何の異変もない。
何かの気配もない。
——出るにしたって、こんな朝っぱらから出るわけがない。
俺は自分にそう言い聞かせ、航大の後を追いかけた。
