午後の日記帳 2026

2026年5月23日(土)


 よく晴れた、土曜日の午後。美容師のお兄さんは、ヘアドネーションのために、わたしの髪を三つに分けて結ってくれていました。

 廊下を小走りする奇行を、今朝は何度したかしら。そんなことを考えている間に不恰好なおさげは完成し、お兄さんはにっこりと笑いました。

 彼はおそらく、四十代かと思われます。本来なら「おじさん」なのでしょうけれど、わたしがお兄さんに初めてカットをしてもらったのは、コロナ禍だったのです。マスクで口元を隠すと、お兄さんは二十くらい若く見えました。

「じゃあ、さっそく」

 お家では猫ちゃん二匹をだっこしているという手の中で、銀のはさみはずいぶん華奢に見えました。わたしには、自分は毛量が多いほうだという自負があります。このはさみで、一束一度に切れるのかしら。

 ——カシャン。

 そんな心配をよそに、わたしの四年間はあまりにあっさりと、軽やかな音を立てて。

 思えば、この四年はわたしの中で、いくらもつらいものでした。お腹の痛い授業の日も、なんにもできなかった空白の日も、あの髪はぜんぶ知っていたのです。……お別れなんだから、もうちょっと、感慨深くてもよかったかも。

 そんなことを考えていると、切り残されていた一筋でさえ、はらりと舞い落ちていました。
 
 

「あら、かわいい」

 迎えに来てくれた母は、わたしを見てにっこりと笑います。

「短くなったね」

 母はわたしをしばらく眺めて、それから写真を撮ってくれました。ひとしきり褒めてくれ、そうして会計台に置いてた長財布を手に取ります。ポイントカードを探している途中だったようです。

「月曜日学校へ行くの、どきどきだね」

 お兄さんは母の会計を待つわたしの隣で、そう言いました。彼の肩越しには、カットの順番を待っている女の子が見えます。同年代くらいだから、きっと女子高生です。——わたしと同じ。

「どきどきです、みんな褒めてくれるでしょうか」

「似合ってるよ、大丈夫」

 若く見える目が、きゅっと細められます。

「風邪をひかないようにね、首が寒いだろうから」

 お兄さんは「じゃあ、またね」と手を振って、散髪台の方へ歩いて行きました。

 文学的。わたしはまた、そう思いました。
 
 
 お風呂のあたたかい気配を背に、わたしは「頭蓋骨が全部隠れるくらい」とこっくりをしました。数時間前とは、まるで別人のように思えます。

 ——そういえば、切りっぱなしのボブをお願いしたはずだった気がしますが、なんだかくるりと内巻きになっています。けれどもともと、「わたしにいちばん似合うボブをお願いします」と言おうとして母に止められたくらいですから、よしとすることにしました。

 思えば、以前に姫カットをお願いしたときも内巻きでした。わたしに似合うように、お兄さんが選んでくれたのでしょうか。それとも、彼の得意分野なのでしょうか。

 首にさわる毛先がくすぐったくて、今までとちがうわたしがこそばゆくて、ちょっぴり笑いました。わたしの周りには、お兄さんがつけてくれたヘアバームの匂いがふんわりと漂っていました。

 お風呂からあがったら、応援してくれた子たちにお礼を言おう。わたしは今度はゆっくりと、お風呂の扉を開きました。

 ただひとつ、まちがっていたことがあるとするならば——髪が短いほうが、洗うのは簡単だったみたいです。