スポットライトみたいな恋だった

 乾いたベニヤ板の断面と、スプレーのり特有の甘ったるい化学薬品の匂い。
 放課後の演劇部室は、コンクールを目前に控えた部員たちの熱気と、大道具を作るための乱暴な作業音で満たされていた。

「真くん、今日も大河の付き合い? なんか疲れてるね」
 背景パネルに色を塗っていた裏方の女子部員が、刷毛を止めずに振り返る。
「……ん。まあ、ちょっと寝不足で」
 部屋の隅、塗装の剥げたパイプ椅子に座ったまま、俺は顔の筋肉だけで曖昧な形を作った。

 ガン、ガン、と。少し離れた場所で、大河がタッカー(大きなホッチキスのような工具)を板に打ち込んでいる。彼は部長として、部員たちの間を忙しなく動き回り、的確に指示を飛ばしていた。
 その輪の中に、ただの帰宅部である俺の居場所はない。
 鼻の奥に、あの昼休みに嗅いだあの人工的な花の香水がフラッシュバックする。
『大河くんの連絡先、教えてくれないかな』
 俺の頭の中は、そのひどく現実的なノイズでぐちゃぐちゃに泡立っていた。

「よし、今日の全体作業はここまで!」
 パン、と。大河が両手を大きく叩き、部室の空気を震わせた。
「あとは俺が残って、外部から来る『助っ人の女子』のダミー配置とか確認しておくから。みんな上がっていいぞ」

 息を吐くように自然な嘘だった。
 部員たちは「お疲れー」「部長がんばってねー」と無邪気に笑い合いながら、次々とカバンを持って部屋を出ていく。
 彼らは誰も知らない。その『助っ人の女子』という虚像の正体が、部屋の隅でパイプ椅子に座っている、ただの男友達であるということを。

 ――バタン、と。
 重い鉄の扉が閉まり、すべてのノイズが遮断された。
 オレンジ色の西日が、埃の舞う密室を劇的に染め上げる。誰もいなくなった空間で、大河はゆっくりと振り返り、いつもの無邪気な犬のような笑顔を浮かべた。

「よし、じゃあ衣装合わせて、通しでやるぞ」

 彼の手には、波打つフリルの束と、分厚い台本が握られている。
 パイプ椅子の冷たい鉄の感触。俺は立ち上がらず、ただじっと、その無神経に差し出された純白のドレスを見つめた。

「……悪いけど」
 喉の奥から、ひび割れた声が這い出した。
「俺は、お前の着せ替え人形じゃない」
「は?」
「昼間は、お前を狙う女子のための都合のいいキューピッド役。放課後は、見知らぬ審査員を騙すための都合のいいヒロイン役。……ふざけるなよ」

 ドレスを持った大河の手が、空中でピタリと止まる。
「もうやめたい。コンクールも、この劇も」
 言い捨てて、俺はパイプ椅子を蹴るように立ち上がった。
 呼吸が浅い。見開かれた大河の黒い瞳を真っ直ぐに見ることができず、俺はカバンを乱暴に掴み、出口の扉へと背を向けた。
 冷たいドアノブに指がかかる。あと数ミリ回せば、この息の詰まる魔法から抜け出せる。元の、ただの幼馴染という安全な暗闇に――。

 ドン、と。
 背後の扉に、大きな質量が叩きつけられた。

「――やめるな」

 耳元で、ひどく低く、切羽詰まった声がした。
 ドアノブを握る俺の右手首を、大河の分厚い手のひらが、骨が軋むほどの力で握りしめている。
 シトラスの柔軟剤と、インクの匂い。
 強引に肩を掴まれ、振り返らされた俺の視界に、今まで見たこともないほど余裕をなくし、焦燥に駆られた大河の顔があった。

「お前じゃなきゃ……ダメなんだ」

 息がかかるほどの至近距離。
 その瞳の奥にあるのは、恋情などという生易しいものではない。俺の持っている『形』と『熱』に対する、純粋なクリエイターとしての異常な執着だ。
「他の奴じゃ、この役はできない。俺の頭の中にある最高の舞台を完成させられるのは、お前だけなんだよ。だから……頼む」

 痛いほどに食い込む、指の感触。
 逃げられないように俺を閉じ込める、広い肩幅。
 ああ、なんて残酷な男だろう。
 それが百パーセント、俺という『素材』への執着だと分かっているのに。俺という人間に向けられた愛ではないと、嫌というほど理解しているのに。
 この『お前じゃなきゃダメだ』という言葉と熱が、どうしようもなく致死量の猛毒となって、俺の血管の隅々にまで回っていく。

 ぽたり、と。
 どうすることもできない一滴の熱が、俺の睫毛からこぼれ落ち、埃っぽい床に黒い染みを作った。

 ずるい。
 そんな顔で、そんな声で引き止められたら、俺が断れるわけがないじゃないか。
 俺は、手首を掴む大河の腕を振り払うことを諦め、ひどく不格好に唇を歪めた。

「……今回、だけだからな」

 小さく呟いたその言葉を、大河は安堵の吐息とともに飲み込んだ。
 西日の強烈な逆光が、埃の舞う密室に二つの影を長く、黒く引き伸ばし――やがて、ひとつの歪な塊として、どうしようもなく融け合わせていった。