スポットライトみたいな恋だった

 カビと古い布の匂いが、呼吸をするたびに鼻腔にこびりつく。
 分厚い暗幕が引かれた放課後の部室は、昼間だというのに深夜のような暗闇に沈んでいた。

「どうだ。俺のオーラで、光が霞んでないか」

 真っ暗な空間を不規則に泳いでいた鋭い光の束が、部屋の中央でピタリと止まる。
 古い機材の唸るようなモーター音の中、円形に切り取られた純白のピンスポットライト。その中心で、大河が顎を引き、無駄にスタイリッシュなポーズを決めていた。
「霞んでるのはお前の脳みそだろ」
 部屋の隅、暗がりに置かれたパイプ椅子から冷たく吐き捨てると、光の中の大河が不満げに唇を尖らせる。
「キャンバス、指定の座標へ。光の入射角による骨格のシャドウを検証します」
 背後から伸びてきた冷たい手が、俺の背中を無慈悲に押し出した。

 よろめくようにして、俺は埃の舞う光の輪の中へと足を踏み入れた。
 ジリジリと肌を焼くような、ハロゲン球の暴力的な熱。
 眩しさに思わず目を細めた、その瞬間だった。

 光の輪の縁。暗闇との境界線に立つ大河の顔つきが、スッと抜け落ちた。
 ガサツで無邪気な幼馴染の顔が消え、代わりに現れたのは、ひどく熱を帯びた、恋に焦がれる青年の瞳だった。
 彼が、光の中にいる俺の顔を見つめている。
 長い睫毛と、赤い唇を与えられた、世界で一番大切な『女の子』を見る目で。
 ドクン、と。肋骨の奥で、ひどく重たい音が鳴った。
 この圧倒的な光の中にいる間だけ、俺は彼に愛されることを許される。その甘美な錯覚が、脳を麻痺させていく。

 ――大河が、ゆっくりと息を吸い込み、甘い愛の言葉を紡ごうと唇を開いた。
 ふと、俺の中で、どうしようもなく自虐的で、残酷な衝動が鎌首をもたげた。

 俺は、大河の言葉を遮るように、意図的に光の輪から一歩だけ、後ろへ足を踏み出した。

 半身が暗闇に沈む。
 その瞬間。大河の瞳から、スッとあの熱が引いた。
「おいおい真、立ち位置ずれてるぞ。そこじゃ顔が見えねえよ」
 呆れたように笑う大河の顔は、いつもの、見慣れた『男友達』のものだった。彼は暗闇に沈んだ俺の腕を無造作に掴むと、乱暴な力でぐいと引っ張り、再び光の中へと引き戻した。
 骨が軋むような、遠慮のない男の力。

 しかし、俺が再び純白の光の輪の中に収まった瞬間。
 大河はまた、愛おしい壊れ物を扱うような、あのひどく甘い青年の顔に戻っていた。

 息の仕方を、忘れた。
 背後でスポットライトを操作する裏方の手によって、光の輪が俺の足元を正確に切り取っている。
 彼が愛しているのは、この光に照らされた『ヒロイン』だけなのだ。
 光を一歩でも外へ出れば、俺はただの、都合のいい幼馴染に戻る。この半径わずか一メートルの、熱を持った光の輪の中だけが。俺が彼に愛されることを許された、この世界で唯一の座標だった。
 ……なんて、狭い世界だろう。
 狂おしいほどの幸福と、足元が崩れ落ちるような絶望が混ざり合い、俺はただ、光の中で不格好に立ち尽くすしかなかった。

 ――ガコン、と。
 夕暮れの帰り道。駅前の自動販売機が、鈍い音を立てた。

「ほらよ、今日のギャラ」

 放物線を描いて飛んできたアルミ缶を、慌てて両手で受け止める。
 メイクを落とし、ただの冴えない男子高校生に戻った俺は、制服のポケットに両手を突っ込んで笑う大河を見つめた。
「お前、最近マジで演技良くなってるよな。助かってるわ、ほんとに」

 西日に照らされた彼の横顔には、裏表のない、百パーセントの純度を持った親友への感謝と労いが浮かんでいた。
 微塵の悪気もない、真っ直ぐな男の友情。

 手のひらの上のアルミ缶が、異常なほど冷たかった。
 光の外で向けられる、大河からの純粋な優しさは。ヒロインに向けられる嘘の愛の言葉よりも、ずっと深く、残酷に俺の胸の奥を抉り取っていく。

「……おう。サンキュ」

 俺は、結露で濡れた冷たい缶を、熱を持った自分の額に押し当てた。
 ありがとう、大河。
 でも俺は。お前のその真っ直ぐな『助かる』って言葉より。
 光の中で囁かれる『愛してる』っていう嘘の方が、百万倍、嬉しいんだよ。

 夕暮れのアスファルトに、二つの影が長く伸びている。
 交わることのないその平行線をぼんやりと見つめながら、俺は泣き出しそうになるのを必死に堪え、ひどく甘い缶ジュースのプルタブを力任せに開けた。