スポットライトみたいな恋だった

 乾いた黒板消しの音と、購買のパンの甘ったるい匂い。
 ざわめく昼休みの教室の片隅で、ふわりと、花のようなどこか人工的な香水が鼻先を掠めた。

「真くんってさ、大河くんと一番仲いいよね?」

 クラスの中心にいるような、明るく色素の薄い髪をした女子生徒。彼女は上目遣いにこちらを覗き込み、プリントの端を指先で弄りながら、ひどく小さな声で続けた。
「実は私……大河くんのことが気になってて。探り、入れてくれないかな。あわよくば、LINEとか」

 肺の奥の空気が、急に重さを増した。
 蛍光灯の白い光が、やけに眩しく網膜を刺す。喉の奥にこびりついたひどい渇きを強引に唾液で飲み込み、俺は顔の筋肉を器用に動かして、見慣れた『良い男友達』の形を作った。
「おう、任せとけ。あいつ鈍感だからな」
 自分の口から出た声は、ひどく滑らかで、おぞましいほど嘘にまみれていた。

 放課後。埃っぽい渡り廊下を、部室へと向かって歩く。
 隣を歩く大河は、丸めた台本で自分の肩をリズミカルに叩きながら、うわ言のように台詞を呟いていた。
「そういや」
 窓枠に切り取られた四角い青空を見つめたまま、俺はできるだけ平熱のトーンを作って口を開いた。
「クラスの〇〇、お前のこと気になってるらしいぞ。……お前、あいつのことどう思ってんの」

 大河は足を止めることもなく、面倒くさそうに息を吐いた。
「あー? 悪いけど今、俺の頭の中には『うちのヒロイン』のことしかないから。現実の女とか、どうでもいいわ」

 ドクン、と。
 耳の奥で、心臓がバカみたいな音を立てた。
「お、お前、そういうとこだぞ……!」
 顔に集まる熱を誤魔化すように声を荒らげると、大河は「なんだよそれ」と無邪気に笑う。彼にとってその言葉は、純粋な作品至上主義の現れでしかない。それが、俺の血管にどれほどの猛毒を流し込んでいるかなど、彼は一ミリも想像していないのだ。

「昨日の液状化現象は、キャンバスの水分量によるイレギュラーでした」
 部室のパイプ椅子に縛り付けられた俺の顔面を、冷たいスポンジが容赦なく叩く。
「今日はウォータープルーフの最強装甲で固めます。どれだけ涙腺を崩壊させても、造作は一ミリも揺るぎませんよ」
「誰が泣くかよ」

 薬品の匂いに顔を顰めながら、俺は鏡を見た。
 沈みゆく夕陽に照らされた鏡の中では、平凡な男子高校生が、血の気のない肌と長い睫毛を持つ、見知らぬ美少女へと徐々に侵食されていく。
 昼間は、彼を別の女の子に繋ぐための、ただの男友達。
 けれど、放課後のこの薄暗い密室でだけは、俺は彼に世界で一番愛される存在になれる。
 その残酷なコントラストが、俺の首を真綿のようにギリギリと締め上げていた。

「――やっと、会えた……!」

 リノリウムの床が軋む音とともに、視界が強烈に反転した。
 俺の身体は、大河の分厚い腕によって、乱暴なまでに強く掻き抱かれていた。
 鎖骨に当たる、彼の硬い顎の骨。首筋から立ち上る、シトラスの制汗剤と微かな汗の匂い。耳元で震える切羽詰まった吐息の熱が、俺の全身の細胞を焼き尽くしていく。

「君を……誰にも渡したくない」

 熱に浮かされたような、ひどく甘い声。
 台本通りの、完璧な愛の言葉。
 視界が滲む。ウォータープルーフの分厚い装甲の下で、どうしようもない熱が網膜を焼く。
 数時間前、他の女の名前を出して彼を唆した俺を。彼は今、骨が軋むほどの力で抱きしめている。
 これがすべて嘘だと言うのなら。
 いっそこのまま、この腕の中で息の根を止めてほしい。

 俺はゆっくりと腕を上げ、大河の広い背中に回した。
 台本のト書きにはない。俺自身の、行き場のないすべての熱を指先に込め、彼のシャツの生地を白くなるまで強く、強く握りしめた。

「……はい、カット。二人とも、今の間合い完璧です」

 部屋の隅から響いた裏方の平坦な声で、魔法は強制的に断ち切られた。
「っしゃ! 今の感情の入り方、すっげぇ良かったな真!」
 パッと身体を離した大河が、無邪気な子供のように目を輝かせて笑う。
 腕の中に残った、火傷しそうなほどの熱が、急速に冷たい空気へと溶けていく。
 空っぽになった両手を不自然に下ろし、俺は肺に残ったわずかな酸素を絞り出した。

「……ああ、そうだな」

 埃の舞う西日の中で、俺は世界で一番綺麗な形に、唇の端を引き上げてみせた。