「早くしろよ。背中のチャック、上げてやろうか」
薄いパーテーションの向こう側から、無神経な声が飛んでくる。
「開けんな、殺すぞ。……ってかこれ、胸元がスカスカなんだけど」
「タオルでも詰めとけ。寄せて上げるんだよ」
「寄せる肉がねえんだよ。俺は男だぞ」
息の詰まるような化学繊維の匂いと、慣れないフリルの重み。苛立ちと羞恥で体温が上がり、首筋にじんわりと汗をかく。長い黒髪のウィッグを乱暴に被り、深く息を吐き出してから、俺はパーテーションの端を乱暴に押し退けた。
ギー、と古い金具が軋む音が部室に響き――そして、すべての喧騒が唐突に途絶えた。
開け放たれた窓から、傾きかけた強烈な西日が差し込んでいる。オレンジ色の光の帯が、空気中を漂う無数の埃を金色の砂のように浮かび上がらせ、俺の纏う純白のドレスを劇的に染め上げていた。
それはまるで、静まり返った劇場に降り注ぐ、圧倒的なスポットライトのように。
大河は、パイプ椅子に半分腰掛けた体勢のまま、完全に硬直していた。
彼の視線が、不自然なほどゆっくりと動く。不格好なつま先から、ごまかしのきかない胸元、そして、ウィッグに覆われた俺の顔面へと。下から舐めるように這い上がるその眼差しは、いつものガサツな幼馴染のものではなく、見知らぬ異性の造作を確かめるような、生々しい熱を孕んでいた。
ドクン、と。肋骨の裏側で、重く不快な音が鳴る。
大河が、無言のまま一歩、近づいてくる。
西日を背負った彼の影が俺の足元を覆い隠し、シトラスの柔軟剤の匂いが鼻先を掠めた。息の仕方を忘れ、後ずさりしそうになる足の指先に力を込める。
至近距離で立ち止まった大河は、俺の顔をじっと覗き込み、やがて、微かに唇を震わせた。
「……お前、すっげぇ可愛いな」
吐息に混じった、ひどく低い声だった。
視界の端で、西日の光がチカチカと明滅する。彼の瞳の奥の、一番深い場所に、俺がいる。ただの男友達ではなく、彼が熱を注ぐ、完璧な『女の子』として。
酸素が薄くなったような錯覚の中で、俺の輪郭がドロドロと溶け、圧倒的な光の中心に引きずり込まれていく――。
「よっしゃあああ! これなら絶対、審査員を誤魔化せるぞ!」
パーン、と。
背中に、遠慮のない暴力的な衝撃が走った。
「痛っ……」
肺から空気が押し出され、前のめりによろける。大河の分厚い手のひらが、俺の肩甲骨の間を力任せに叩き抜いたのだ。
顔を上げると、そこには見慣れた、無邪気で無神経な同級生の笑顔があった。
彼の放った言葉は、熱情でもなんでもない。ただの、舞台装置が完璧に組み上がったことに対する、演出家としての狂気的な歓喜に過ぎなかった。
「痛えよ、バカ。骨が折れるだろ」
「わりぃわりぃ。いや、マジですげえわ。俺の目に狂いはなかった」
怒鳴り返した自分の声が、どこか遠くのほうで聞こえる。
ヒリヒリと熱を持つ背中の痛みが、急速に俺の体温を奪っていく。
指先でドレスの裾を強く握りしめ、歪な弧を描くように口角を引き上げた。
あの強烈な西日の中で、息が止まるほど見つめられた数秒間。彼が俺だけを見ていた、あの瞬間の網膜の熱だけを、誰にも気づかれないように胸の奥底へと飲み込む。
窓の外から聞こえる野球部の金属音が、ひどく冷たく響いていた。
薄いパーテーションの向こう側から、無神経な声が飛んでくる。
「開けんな、殺すぞ。……ってかこれ、胸元がスカスカなんだけど」
「タオルでも詰めとけ。寄せて上げるんだよ」
「寄せる肉がねえんだよ。俺は男だぞ」
息の詰まるような化学繊維の匂いと、慣れないフリルの重み。苛立ちと羞恥で体温が上がり、首筋にじんわりと汗をかく。長い黒髪のウィッグを乱暴に被り、深く息を吐き出してから、俺はパーテーションの端を乱暴に押し退けた。
ギー、と古い金具が軋む音が部室に響き――そして、すべての喧騒が唐突に途絶えた。
開け放たれた窓から、傾きかけた強烈な西日が差し込んでいる。オレンジ色の光の帯が、空気中を漂う無数の埃を金色の砂のように浮かび上がらせ、俺の纏う純白のドレスを劇的に染め上げていた。
それはまるで、静まり返った劇場に降り注ぐ、圧倒的なスポットライトのように。
大河は、パイプ椅子に半分腰掛けた体勢のまま、完全に硬直していた。
彼の視線が、不自然なほどゆっくりと動く。不格好なつま先から、ごまかしのきかない胸元、そして、ウィッグに覆われた俺の顔面へと。下から舐めるように這い上がるその眼差しは、いつものガサツな幼馴染のものではなく、見知らぬ異性の造作を確かめるような、生々しい熱を孕んでいた。
ドクン、と。肋骨の裏側で、重く不快な音が鳴る。
大河が、無言のまま一歩、近づいてくる。
西日を背負った彼の影が俺の足元を覆い隠し、シトラスの柔軟剤の匂いが鼻先を掠めた。息の仕方を忘れ、後ずさりしそうになる足の指先に力を込める。
至近距離で立ち止まった大河は、俺の顔をじっと覗き込み、やがて、微かに唇を震わせた。
「……お前、すっげぇ可愛いな」
吐息に混じった、ひどく低い声だった。
視界の端で、西日の光がチカチカと明滅する。彼の瞳の奥の、一番深い場所に、俺がいる。ただの男友達ではなく、彼が熱を注ぐ、完璧な『女の子』として。
酸素が薄くなったような錯覚の中で、俺の輪郭がドロドロと溶け、圧倒的な光の中心に引きずり込まれていく――。
「よっしゃあああ! これなら絶対、審査員を誤魔化せるぞ!」
パーン、と。
背中に、遠慮のない暴力的な衝撃が走った。
「痛っ……」
肺から空気が押し出され、前のめりによろける。大河の分厚い手のひらが、俺の肩甲骨の間を力任せに叩き抜いたのだ。
顔を上げると、そこには見慣れた、無邪気で無神経な同級生の笑顔があった。
彼の放った言葉は、熱情でもなんでもない。ただの、舞台装置が完璧に組み上がったことに対する、演出家としての狂気的な歓喜に過ぎなかった。
「痛えよ、バカ。骨が折れるだろ」
「わりぃわりぃ。いや、マジですげえわ。俺の目に狂いはなかった」
怒鳴り返した自分の声が、どこか遠くのほうで聞こえる。
ヒリヒリと熱を持つ背中の痛みが、急速に俺の体温を奪っていく。
指先でドレスの裾を強く握りしめ、歪な弧を描くように口角を引き上げた。
あの強烈な西日の中で、息が止まるほど見つめられた数秒間。彼が俺だけを見ていた、あの瞬間の網膜の熱だけを、誰にも気づかれないように胸の奥底へと飲み込む。
窓の外から聞こえる野球部の金属音が、ひどく冷たく響いていた。


