その日はあまり眠ることができなかった。
まずは猪鼻という強力な協力者を増やせたことによる高揚感から来るもので、眠気が吹き飛んでしまうほどの衝撃があったからだ。
まさか同じ地域、同じ学校、ましてや同学年に同じような体質の人間が自分含めて三人もいるなんて想像もしていなかった。もしかしたら耳塚が気づいていないだけで、自分の周りには同じような境遇の人間がいるのではないかと思ってしまうほどだ。
しかし突然自分の周りの人間に「俺と同じ体質なのか?」なんて聞くことはできない。それこそ高校一年のときに突如して周りから距離を置き始めた耳塚にとって、上辺だけの人付き合いは割と得意な方であると自負しているものの、自分の命に関わってくるような事柄。それこそ背中を預けるような関係値になるにはかなりの勇気が必要だろう。
だからこそ耳塚にとって目黒との出会いは運命的なものであったし、猪鼻と協力関係になれるなんて思っても見なかった。
これを運が良いと言わず、なんと表現すればいいのか。
そんな幸運を噛み締めていたがために眠気を遠ざけてしまっていた。
もう一つの理由は、目黒のことについて気づいてしまったことがあるということだ。
耳塚は目黒からキスをすることであの”この世のものではないモノ”を祓うことができると教えてもらい、現に何度も目黒と口付けを交わすことで祓うことに成功している。
しかし思い返してみると”不協和音を発生させる怪物”に襲われるのはいつも耳塚であり、それを助けるように、そして助けを求めるように連絡をする相手が目黒である。つまり目黒から耳塚に祓うことを目的とした連絡を受けたことは今まで一度も無いのだ。
ここで耳塚はある仮説にたどり着いた。
それは目黒は耳塚以外にも協力者がいるのではないかということだ。
そもそも”キス”をすることであの”バケモノ”が祓えるということを知っていたということは今までもそんな場面に出くわしたことがあるからに他ならないだろう。そしてその時接吻を交わした相手とは今も交流があり、目黒が危機的状況に陥った際に連絡をする相手が、その接吻の相手であるとそう考えたのだ。
ただそれだけであれば、睡眠の妨げになるようなことにはならないだろう。問題はそれが誰なのかということ。そしてなぜ耳塚を頼ってくれないのかということだ。
正直な話これはある種の嫉妬であると耳塚自身も気づいている。
なぜ目黒は自分を頼ってはくれないのか。今も目黒のことを支えてくれている人物と自分は何が違うのか。そんな自問自答と葛藤のせいで眠りにつくことができなかったのだ。
そんな眠い目を擦りながら今日も私立七ヶ瀬高等学校へ向かう。
昨日あんなにも怖い思いをしているのだが、学生が本業である耳塚に学校を欠席するという考えはない。そもそも両親に迷惑をかけたくないという思いが強いため、病気など以外は基本的に学校へは行くようにしている。
本当は部屋で引きこもって”奴ら”から逃げていたいと思うところではあるが、家にいることで両親を危険に晒す可能性が少しでも高まるのであればという思いから引きこもることもせずに学校へ通っている。また私立七ヶ瀬高等学校は割と学力重視の学校である。そんな学校で学力を落とすわけにもいかないため、どんなに嫌でも学校へ通っているのだ。
「ケンジ、おはよう!」
猪鼻は昨日の出来事がまるでなかったかのように挨拶をしてきた。
耳塚個人としては、小っ恥ずかしい心理状態にあるものの、自分だけ意識していると思われては癪に障るため平然を装うことにする。
「お、おはよう……昨日はありがとう。あの後はダイジョブだった?」
ところどころ声が裏返ってしまったが、問題なく平然を装えたと思うことする。そうでもしないとあまりの恥ずかしさに顔から火を吹いてしまいそうだからだ。
「ん、大丈夫。ケンジこそ大丈夫か?」
なぜだろう。猪鼻楽という人物が異様に落ち着いている気がする。”バケモノ”に襲われた昨日の今日でこんなにも落ちつているものなのだろうか。
耳塚自身は初めて自身が”奴ら”の声を聞くことができるとバレてしまったとき、あまりの恐怖に過呼吸を起こしてしまいそのまま倒れてしまったほどだ。
それがこの猪鼻という人物はどうなのだろうか。耳塚が心配するのはまだわかるが、猪鼻から経験者の耳塚の心配をするとはどういうことなのだろうか?「昨日はありがとう」ならわかるのだが、それを言ったのは耳塚であり、猪鼻はまるで気にしていない様子だ。
そんな猪鼻に若干の違和感を覚えつつも、耳塚としてはまだ気が動転しているのかもしれないと思うようにして、猪鼻からの問いかけに「大丈夫だよ」と簡素に返事をする。
これは返事に困ったから簡素な返事だけになったというわけではなく、どこか心のなかで先ほど抱えた疑問が払拭しきれていないからである。そんな別のことを考えていたため簡素な返事になったのだ。
二人は会話をそこそこに学校へ着くと、クラスの違う二人は学校の階段を二階へ上がったところで左右に分かれる。その時猪鼻から「またあとで」と声をかけられ、それに耳塚は咄嗟に「また」と返事をするのであった。
「だいぶ距離が近くなったね」
突如耳塚の背後から聞こえてきたその声に耳塚は思わず振り返る。
「め、目黒……お前かよ……驚かすなよ」
調光レンズによりサングラスのように薄黒くなったレンズが徐々に透明に戻りつつある黒縁メガネを掛けた目黒がそこにはいた。
「そんな声に反応してたらまた襲われるよ」
「……今のはお前だってわかったから振り向いたんだ」
「嘘だね。わかってたならそんなに驚く必要ないんじゃない?」
「…………まぁいい。というかどういう風の吹き回しだ? お前から学校で話しかけてくるなんて」
「声くらい掛けるよ。普段はそんなに用がないだけ。それで? だいぶ猪鼻くんとの距離が近くなったように見えたけど何かあったの?」
耳塚としては目黒は他人の行動に一切興味がないのだと思っていたため、今この瞬間のように耳塚の交友関係の質問がきていることに、突如背後から声を掛けられた以上に驚いている。
しかし驚いている場合では無いことを耳塚が一番理解している。
それは目黒に猪鼻も協力者になったことを伝えなければならないからだ。
昨日は目黒に了承を得ることなく、猪鼻に目黒と協力関係であることを話してしまっているためまずはその謝罪と、今後は猪鼻も協力をしてくれるようになったこと。そして可能なら目黒の協力者についても教えてほしいとそう問いかけようとしたときだった。
『キーンコーンカーンコーン』と無慈悲にも学校のチャイムが鳴り響く。それはホームルームの開始の合図であり、それが鳴り終わる前に教室に入室していなければ遅刻扱いされてしまうものであった。
その音を聞いた耳塚と目黒は仕方なく話を中断して、チャイムが鳴り終わる前に教室に駆け込むことにした。
ギリギリ間に合った二人であったが、肝心の担任がまだ到着しておらず、そんなことなら焦らずにゆっくりと教室に入ってくればよかったと若干の後悔を滲ませる。それは目黒も同じだったようで、教室に入るなり大きなため息をこぼしていた。
耳塚はそのため息が自分と同じもう少しゆっくり入ってくればよかったことに対する後悔かと思ったが、それは違っていたのだと耳塚はその日の放課後に知ることとなる。
授業が一段落し、昼休みの時間となった。
耳塚はいつもの場所で猪鼻が場所を昼食を食べる場所を取ってくれていると思い、中庭へと向かう。雪こそ降っていないものの季節は冬。外で食事を取る生徒はここ数日自分たち以外に見たことはなかった。
ならば他の生徒は何処で昼食を摂っているのかというと基本的には自身のクラスで食事を取っている。それ以外にも匂いの少ないものなら図書室で食事をすることも許されているし、売店付近では食事をすることの出来るスペースがあるため、そういった場所で昼食を取る生徒がほとんどだ。
暖房とは偉大な発明であり、人を幸せにするものなのだとつくづく感じる今日日であるが、そんなしみじみと考えにふけりながら目的の中庭に向かっていると、人がいないはずの中庭から何やら喧騒が聞こえてくる。
そして耳塚はその声の主に覚えがあった。
「なにが目的だ!」
「目的? 友達と一緒にいることに目的もなにもないだろ?」
「……友達だと?」
「もしかして君はケンジに友達とすら思われていないの? 今後はオレがケンジを守るから、もうお前はいらないよ」
「守る? いらない? それはお前が決めることじゃないよ。あぁ、そんなこともわからないほど馬鹿なのか?」
「あ? 友達認定すらされていないコトに対する嫉妬か? 嫉妬は見苦しいぞ」
「お前は一年のときから付き合いがあっただけだろ? 目をつけたのは僕が先だ。それを横取りするなんて、横取りするほうが見苦しいんじゃないのか?」
「お前は自分が言ったことをもう忘れたのか? 決めるのはオレ達じゃないんだろ? ケンジに決めてもらおうか。なぁケンジ?」
そう耳塚に問いかけるような口調があったかと思えば、口喧嘩をしていた二人はその言葉を皮切りに耳塚の方を見た。喧騒の正体は目黒徹と猪鼻楽によるものであり、その口ぶり方からして二人の喧嘩の原因は耳塚にあるようであった。
「…………ど、どういうこと?」
耳塚は自分が今、見聞きしているこの状況を理解することができないでいた。
それもそうだろう。耳塚の認識ではこの二人に接点はないはずだ。そもそも目黒はクラスから根暗の印象を持たれており、誰かと話すところを見たことがない。また目黒は元々この地域の出身ではなく、別のところから高校入学のタイミングで引っ越してきたと聞いた。高校一年のときに耳塚は猪鼻とは同じクラスであったものの、目黒とは別のクラスであり、以前から接点があったとは考えにくい。猪鼻もそうだ。猪鼻が目黒と話しているところなんて初めて見る。猪鼻はそれなりに友達の多いタイプで、クラスでは誰とでも分け隔たりなく話すことのできる人間であると耳塚は認識している。だがそれは同じクラスメイトに限った話で、別のクラスの人間とわざわざ話に行っている姿は耳塚自身を除いて他にはない。
そのためなぜこの二人がわざわざ言い争いをするようなことをしているのかがわからないでいた。
「ふ、二人は知り合いなのか?」
「いいや。言葉をかわすのは今日が初めてだよ」
「そうだ……それで? ケンジは何処から聞いていたのかな?」
「えっと……」
「まぁそれはいいや。それでケンジはどうする? ケンジはどっちを選ぶ?」
「え、選ぶって……」
「聞いていたんだろ? 僕とこの男。耳塚くんはどっちを選ぶんだ?」
「な、なんで選ばないと……いけないの? 俺はさ、三人で協力できればって……思って」
耳塚は瞳孔のみを痙攣させながら、それを聞いた二人がどんな表情をしているのかを恐る恐る確認する。若干の期待をしていた耳塚であったが、耳塚の瞳に映る二人の表情はそんな期待を裏切るものであった。
目黒は伸びた前髪の隙間から見せる睨みつけるようなその目つきに、左の口角だけをピクピクと震わせ、それだけで機嫌が良くないことが伺える。猪鼻に関してはあの黒いマスクをしているのにもかかわらずその怪訝な表情をしていることは手に取るようにわかった。
息が詰まる。
どうして二人は協力しようとしないのだろう。その疑問が頭をよぎって離れない。
「え、えっと……待ってよ……なんで協力したらいけないの? 目黒にも俺以外の協力者がいるんだろ? 協力者が多ければ多いほどいいんじゃないのか?」
「協力者? 耳塚くん以外の?」
目黒の目は更に鋭くなるものの、日中に外に出ているからか徐々に掛けている眼鏡の調光レンズが変色をはじめ、耳塚の位置からはどんな目つきに変わったのかわからなくなった。
「耳塚くんはなにか勘違いをしているよ」
目黒は説明するように、そして自分自身を落ち着かせるようにゆっくりと口を開く。
「僕はそもそも耳塚くん以外とキスなんてしていない。それに僕は耳塚くんのことを協力者だなんて思ったことはないよ。」
「はぁあ? 何言ってんだよお前……。お前がキスをしようって提案してきたんだろ! 協力者以外の何者でもないだろ! それに俺以外とキスをしたことがないだ? キスすることで祓うことができるのを知っているのなら、以前にも誰かとしたことがあるってことだろ! それになんでお前は俺に連絡してこねーんだよ! どうしてお前は俺に助けを求めないんだよ!」
目黒が優しく語りかけるように言葉を紡ぐもんだから、赤子でもあやしているかのような錯覚に陥り、それが徐々に耳塚の中で不快感に変わると一晩悩んだことやほとんど眠ることができなかったストレスが一気に暴発する。
本当はもっと時間を掛けて目黒に聞いていく予定であったことを息継ぎもなしに一度に言葉というナイフに形に変えて目黒に振りかざす。
そんな目黒は耳塚に圧倒されてしまったのか、文字通り言葉を失っていた。
「おい! そこで何をやっている!」
耳塚が言葉のナイフを振りかざし、沈黙が流れたこの中庭で、そんな沈黙を破るように声を発したのは耳塚と目黒のクラスである。二年三組の担任であった。
「……いえ、特には。どこで昼食を食べようと話し合っていただけです」
「……本当か? 私には言い争いをしていたようにしか見えなかったが?」
「本当です。きっと先生の聞き間違いですよ」
「…………そういうことにしておこう。そして目黒、少し時間いいか?」
怒りで我を忘れ感情のコントロールができない耳塚と言葉が出ない目黒を庇うかのように、猪鼻が何事もなかったかのように先生と会話をする。
先生はどこから聞いていたのかはわからないが、ある程度話は聞いていたのだろう。それでいてなお、学生にはよくあることだろうと深くは追求することはなく、もともと用事があったであろう目黒に声を掛ける。
「またですか?」
「仕方がないだろ……。目黒がご両親に説明してくれれば何度も目黒の手を煩わせることは無いんだが……」
「僕から伝えるだけじゃだめなんですか?」
「そういうわけにもいかないだろ……。とにかく来てくれ」
そう言って目黒は先生に連れて行かれてしまった。
目黒が担任に何度も呼び出されていることを知っているため、別に見慣れた光景だなと耳塚は感じながらも、ふと思い返してみると目黒がどうして毎回呼び出されているかを耳塚は知らない。割と高頻度で呼び出されることが多く少し疑問に感じたことがあったものの、それを聞けるほどの関係値ではなかったからだ。
しかし目黒の発言を正とするのであれば、目黒は耳塚のことを協力者とも思っていないようで、ずっと協力者だと思っていた耳塚にとってそれは裏切られたような感覚でもあった。そのため今、耳塚自身が目黒と一体どういう関係値なのかがわからないでいた。
「なんなんだよ……」
そう呟き、耳塚は何もない地面をただただ軽く蹴り上げるようにキックを繰り出す。冬の冷たいアスファルトが土埃を巻き上げることもなく、ただただ『タァッ』という硬い地面を蹴る音だけが校舎に反響し、何度も自分にだけ聞こえてくる。それはまるで目黒からの言葉が脳内で勝手にリピートされるような感覚と似ていた。
中庭に残された耳塚と猪鼻は無言のままベンチに座り、耳塚は昨日は”バケモノ”のせいで値引きされた商品を手に入れることができなかったため今朝コンビニで購入した塩むすび一つと緑茶を。猪鼻は売店で購入したであろういつもの惣菜パンを雑に広げ食べ始める。
食べ始めて、そして食べ終えるまで二人の間に会話は存在しなかった。
⫘⫘⫘⫘⫘⫘⫘⫘⫘⫘
放課後となり、耳塚はどうしようかと考えていた。
普段であれば目黒と一緒に帰るのだが、目黒とは今ほんの少し喧嘩のようなことをしてしまい正直一緒に帰るのが若干億劫になっている。また目黒からはっきりと協力者では無いと告げられてしまった以上、目黒との関係性をどうするべきかを考えていた。
しかし今の耳塚には猪鼻という協力者がいる。
そのため一人で帰るという恐怖を感じることはないのかもしれないが、目黒のことが気になって仕方がない。だからこそ今日は猪鼻とではなく、目黒と一緒に帰るかどうするかという葛藤が耳塚の中で行われていた。
(……いや待てよ? なんで二人で帰らなきゃいけないんだ? 三人で帰ればいいだろ!)
そう考えた耳塚は目黒にメッセージアプリからではなく、直接声を掛ける。
「なぁ、今日三人で帰らね?」
「……どうして三人なの? 二人じゃだめなの?」
そんな喧嘩腰の目黒に耳塚は若干の苛つきを覚える。
「なんで目黒は猪鼻のこと敵視してんだよ。この際目黒が俺のことをどう思っていようがどうでもいいよ。でもみんな”アイツ”に悩まされてんだったら、三人でいたほうがメリットが大きいだろ!」
「僕はあの猪鼻っていう人のことはよく知らないから……」
「人間誰しも最初はそうだろ! 俺はみんなで安全に過ごしたいんだよ!」
「僕には……僕には耳塚くんしかいないんだ!」
それはまるで教室で大砲でも打ったのかと錯覚するほどの怒号であった。
今教室に耳塚と目黒以外に誰もいないが、誰もいなくて本当に良かったと耳塚は心の底からそう思った。普段クラスの印象が根暗で通っている目黒が急にこんなにも大きな声を上げたらヒステリックでも起こしたのかと思われても仕方がないだろう。そうなることの事実ではない噂がクラス中に広がり、目黒が学校に来なくなるかもしれない。そうなれば耳塚にとっての協力者が減ることになる。それだけは避けたい。
「おい、落ち着けって!」
そう言って目黒を宥めようとする耳塚であったが、その瞬間教室の扉が思いっきり開く。二人の視線をその方向へと一気に注がれた。
「よかった。まだ帰ってなかった……。ホームルームが長引いてさ……って何?」
「何って何? もしかして耳塚くんは僕とじゃなくてまたこの猪鼻とかいう人と帰るの? どうして? 猪鼻は僕から耳塚くんを取らないでよ! 耳塚くんも僕のもとから居なくならないでよ!」
こんなにも情緒が不安定な目黒を見るのは初めてだ。
普段”人ならざるもの”に襲われている最中も若干の動揺や焦りは垣間見えるものの、耳塚からしてみれば冷静沈着であると感じている。
そんな目黒がここまで取り乱すなんてただ事ではないとそう思うしかできなかった。
「目黒落ち着けって! 俺は別に目黒の前からいなくなったりしねーよ! それにラクもそんなつもりじゃないって! なぁラク?」
「…………」
「な、なぁラク? どうした?」
「……………………ケンジはどうしたいの?」
「え?」
助け舟を求めるかのように猪鼻にバトンを渡したのだが、そんな猪鼻の口からこぼれた言葉に助け舟の要素はどこにもなかった。
「ど、どうしたいってどういうことだよ……」
「ケンジはこれから先ずっとオレかそこにいる目黒かと一緒に過ごしたいの?」
「何の話だよ……」
「高校を卒業しても、大学生になっても、社会人になっても、ずっと三人でいたいって思ってるの?」
「…………」
「だってそうでしょ? ケンジは今どうするべきかしか考えていないみたいだけど、オレと目黒はずっとケンジに合わせて生活してないといけないの?」
「えっと……」
「ケンジはオレ達にどうしてほしいの?」
将来のことを考えたことも無いといえば嘘になる。
ずっとこの関係が続くかもわからない、この不安定な協力関係は互いの進みたい道によって簡単に崩れ去るものだ。耳塚にはその道を閉ざす権利も引き止める権利も持ち合わせていない。
この先、一人であの”この世のものではない存在”に対処する必要が出てくるのに、今この瞬間から頼り続けていていいものかと。そう問われている感じがしてならない。
耳塚としては三人で仲良くやっていきたいだけの気持ちがあるが、二人はそうではないようで今のこの二人に何を言っても、どんな言葉をぶつけても響くことはないんだとそう感じた。
二人に詰められているような感覚に陥り、徐々に呼吸が浅くなっていく。どんな言葉をぶつければいいかもわからず、またその言葉を考えるための脳も正常に働いていないのが自分でもわかる。
「俺は……」
必死に言葉を紡ごうとしても、網で水を掬うようにどんどんこぼれ落ちていく。どんなに考えても正解を耳塚の口から出すことは叶わなかった。
なぜ急に目黒と猪鼻がこのような態度を取ったのか、耳塚には思い当たる節があった。
おそらくそれは耳塚が二人のことを”協力者”と言っておきながら”道具”のように扱っていたからに他ならないだろう。自分が怖いから。そしてその怖さから解放されるために耳塚は二人にキスを迫ったのだ。
耳塚個人の考えとしては、それは自分だけではなくキスをしている相手も助けることにつながると思っていた。しかし思い返してみれば目黒はいつも耳塚が呼び出すばかりで相手からの呼び出しは一切ない。猪鼻に関しても昨日の今日ではあるものの今後も安全に生きていたいならこの先ずっと一緒にいようと言われている気分になり、そこに自分の意思は含まれてないのだと言いたいのだろう。
耳塚は罪悪感と今自分が何をするのが正解なのかがわからず、あの日のように過呼吸になろうとしていた。
しかしそんな状況を打破するかのように、また教室の扉が勢いよく開いた。
「おっ! よかった目黒、まだいたか! 例の件なんだが……ってお前ら昼間も一緒にいただろ。こんな時間まで何やってんだ?」
そう言って教室に入ってきたのは二年三組の担任であった。担任は昼間見た光景とまるで変化がないことに驚きながらも、またも目黒に用事があるようであった。
「いえ、なんでも……。と、いうか先生もくどいですよ」
「そうは言ってもなぁ……こっちはお前んところの両親と連絡が取れなくて困ってるんだぞ?」
「そうは言われましても、僕からは忙しいからですとしか言えないですよ。それに学費とかは払ってるんですよね? それでいいじゃないですか」
「良くはないだろ? 生徒に勉強を教えるだけが教師の仕事じゃないんだぞ。学校生活ではこうでぇ~とか、親御さんにちゃんと伝えるって言うのもあんの! だからお前からももう一度連絡してくれって……。それにお前今一人暮らしだろ?」
そんな担任と目黒の会話を聞いていて、以前に目黒の口から一人暮らしであることを聞かされたことがあったことを耳塚は思い出した。
あの時の耳塚はなにか聞かれたくないことを聞かれた後のような覇気を感じることのできない感じでボソボソ喋っていたのを覚えている。そのときに目黒は家族仲が良好ではないのだと察した。
もしかしたら目黒の両親は目黒とは今後関わりたくないという思いから連絡を遮断しているのかもしれない。時折目黒が放課後先生からの呼び出しを喰らっている理由が明らかとなり、両親からもよく思われていない目黒のことを、自分の助かりたい一心で道具のような扱いをしてしまっていたことに耳塚自身は更に罪悪感を募らせていく。
「すみません……俺、帰ります」
耳塚は整理のつかない自身の考えにどうすることもできず、三人で帰ることを諦め、一人帰路に就くことにした。
勢いよく教室を飛び出した耳塚に目黒と猪鼻が何かを伝えようとしていたのだろうか、声が聞こえたような気がするが、今の耳塚の精神状態ではとてもまともに相手ができるとは思えなかった。
まずは猪鼻という強力な協力者を増やせたことによる高揚感から来るもので、眠気が吹き飛んでしまうほどの衝撃があったからだ。
まさか同じ地域、同じ学校、ましてや同学年に同じような体質の人間が自分含めて三人もいるなんて想像もしていなかった。もしかしたら耳塚が気づいていないだけで、自分の周りには同じような境遇の人間がいるのではないかと思ってしまうほどだ。
しかし突然自分の周りの人間に「俺と同じ体質なのか?」なんて聞くことはできない。それこそ高校一年のときに突如して周りから距離を置き始めた耳塚にとって、上辺だけの人付き合いは割と得意な方であると自負しているものの、自分の命に関わってくるような事柄。それこそ背中を預けるような関係値になるにはかなりの勇気が必要だろう。
だからこそ耳塚にとって目黒との出会いは運命的なものであったし、猪鼻と協力関係になれるなんて思っても見なかった。
これを運が良いと言わず、なんと表現すればいいのか。
そんな幸運を噛み締めていたがために眠気を遠ざけてしまっていた。
もう一つの理由は、目黒のことについて気づいてしまったことがあるということだ。
耳塚は目黒からキスをすることであの”この世のものではないモノ”を祓うことができると教えてもらい、現に何度も目黒と口付けを交わすことで祓うことに成功している。
しかし思い返してみると”不協和音を発生させる怪物”に襲われるのはいつも耳塚であり、それを助けるように、そして助けを求めるように連絡をする相手が目黒である。つまり目黒から耳塚に祓うことを目的とした連絡を受けたことは今まで一度も無いのだ。
ここで耳塚はある仮説にたどり着いた。
それは目黒は耳塚以外にも協力者がいるのではないかということだ。
そもそも”キス”をすることであの”バケモノ”が祓えるということを知っていたということは今までもそんな場面に出くわしたことがあるからに他ならないだろう。そしてその時接吻を交わした相手とは今も交流があり、目黒が危機的状況に陥った際に連絡をする相手が、その接吻の相手であるとそう考えたのだ。
ただそれだけであれば、睡眠の妨げになるようなことにはならないだろう。問題はそれが誰なのかということ。そしてなぜ耳塚を頼ってくれないのかということだ。
正直な話これはある種の嫉妬であると耳塚自身も気づいている。
なぜ目黒は自分を頼ってはくれないのか。今も目黒のことを支えてくれている人物と自分は何が違うのか。そんな自問自答と葛藤のせいで眠りにつくことができなかったのだ。
そんな眠い目を擦りながら今日も私立七ヶ瀬高等学校へ向かう。
昨日あんなにも怖い思いをしているのだが、学生が本業である耳塚に学校を欠席するという考えはない。そもそも両親に迷惑をかけたくないという思いが強いため、病気など以外は基本的に学校へは行くようにしている。
本当は部屋で引きこもって”奴ら”から逃げていたいと思うところではあるが、家にいることで両親を危険に晒す可能性が少しでも高まるのであればという思いから引きこもることもせずに学校へ通っている。また私立七ヶ瀬高等学校は割と学力重視の学校である。そんな学校で学力を落とすわけにもいかないため、どんなに嫌でも学校へ通っているのだ。
「ケンジ、おはよう!」
猪鼻は昨日の出来事がまるでなかったかのように挨拶をしてきた。
耳塚個人としては、小っ恥ずかしい心理状態にあるものの、自分だけ意識していると思われては癪に障るため平然を装うことにする。
「お、おはよう……昨日はありがとう。あの後はダイジョブだった?」
ところどころ声が裏返ってしまったが、問題なく平然を装えたと思うことする。そうでもしないとあまりの恥ずかしさに顔から火を吹いてしまいそうだからだ。
「ん、大丈夫。ケンジこそ大丈夫か?」
なぜだろう。猪鼻楽という人物が異様に落ち着いている気がする。”バケモノ”に襲われた昨日の今日でこんなにも落ちつているものなのだろうか。
耳塚自身は初めて自身が”奴ら”の声を聞くことができるとバレてしまったとき、あまりの恐怖に過呼吸を起こしてしまいそのまま倒れてしまったほどだ。
それがこの猪鼻という人物はどうなのだろうか。耳塚が心配するのはまだわかるが、猪鼻から経験者の耳塚の心配をするとはどういうことなのだろうか?「昨日はありがとう」ならわかるのだが、それを言ったのは耳塚であり、猪鼻はまるで気にしていない様子だ。
そんな猪鼻に若干の違和感を覚えつつも、耳塚としてはまだ気が動転しているのかもしれないと思うようにして、猪鼻からの問いかけに「大丈夫だよ」と簡素に返事をする。
これは返事に困ったから簡素な返事だけになったというわけではなく、どこか心のなかで先ほど抱えた疑問が払拭しきれていないからである。そんな別のことを考えていたため簡素な返事になったのだ。
二人は会話をそこそこに学校へ着くと、クラスの違う二人は学校の階段を二階へ上がったところで左右に分かれる。その時猪鼻から「またあとで」と声をかけられ、それに耳塚は咄嗟に「また」と返事をするのであった。
「だいぶ距離が近くなったね」
突如耳塚の背後から聞こえてきたその声に耳塚は思わず振り返る。
「め、目黒……お前かよ……驚かすなよ」
調光レンズによりサングラスのように薄黒くなったレンズが徐々に透明に戻りつつある黒縁メガネを掛けた目黒がそこにはいた。
「そんな声に反応してたらまた襲われるよ」
「……今のはお前だってわかったから振り向いたんだ」
「嘘だね。わかってたならそんなに驚く必要ないんじゃない?」
「…………まぁいい。というかどういう風の吹き回しだ? お前から学校で話しかけてくるなんて」
「声くらい掛けるよ。普段はそんなに用がないだけ。それで? だいぶ猪鼻くんとの距離が近くなったように見えたけど何かあったの?」
耳塚としては目黒は他人の行動に一切興味がないのだと思っていたため、今この瞬間のように耳塚の交友関係の質問がきていることに、突如背後から声を掛けられた以上に驚いている。
しかし驚いている場合では無いことを耳塚が一番理解している。
それは目黒に猪鼻も協力者になったことを伝えなければならないからだ。
昨日は目黒に了承を得ることなく、猪鼻に目黒と協力関係であることを話してしまっているためまずはその謝罪と、今後は猪鼻も協力をしてくれるようになったこと。そして可能なら目黒の協力者についても教えてほしいとそう問いかけようとしたときだった。
『キーンコーンカーンコーン』と無慈悲にも学校のチャイムが鳴り響く。それはホームルームの開始の合図であり、それが鳴り終わる前に教室に入室していなければ遅刻扱いされてしまうものであった。
その音を聞いた耳塚と目黒は仕方なく話を中断して、チャイムが鳴り終わる前に教室に駆け込むことにした。
ギリギリ間に合った二人であったが、肝心の担任がまだ到着しておらず、そんなことなら焦らずにゆっくりと教室に入ってくればよかったと若干の後悔を滲ませる。それは目黒も同じだったようで、教室に入るなり大きなため息をこぼしていた。
耳塚はそのため息が自分と同じもう少しゆっくり入ってくればよかったことに対する後悔かと思ったが、それは違っていたのだと耳塚はその日の放課後に知ることとなる。
授業が一段落し、昼休みの時間となった。
耳塚はいつもの場所で猪鼻が場所を昼食を食べる場所を取ってくれていると思い、中庭へと向かう。雪こそ降っていないものの季節は冬。外で食事を取る生徒はここ数日自分たち以外に見たことはなかった。
ならば他の生徒は何処で昼食を摂っているのかというと基本的には自身のクラスで食事を取っている。それ以外にも匂いの少ないものなら図書室で食事をすることも許されているし、売店付近では食事をすることの出来るスペースがあるため、そういった場所で昼食を取る生徒がほとんどだ。
暖房とは偉大な発明であり、人を幸せにするものなのだとつくづく感じる今日日であるが、そんなしみじみと考えにふけりながら目的の中庭に向かっていると、人がいないはずの中庭から何やら喧騒が聞こえてくる。
そして耳塚はその声の主に覚えがあった。
「なにが目的だ!」
「目的? 友達と一緒にいることに目的もなにもないだろ?」
「……友達だと?」
「もしかして君はケンジに友達とすら思われていないの? 今後はオレがケンジを守るから、もうお前はいらないよ」
「守る? いらない? それはお前が決めることじゃないよ。あぁ、そんなこともわからないほど馬鹿なのか?」
「あ? 友達認定すらされていないコトに対する嫉妬か? 嫉妬は見苦しいぞ」
「お前は一年のときから付き合いがあっただけだろ? 目をつけたのは僕が先だ。それを横取りするなんて、横取りするほうが見苦しいんじゃないのか?」
「お前は自分が言ったことをもう忘れたのか? 決めるのはオレ達じゃないんだろ? ケンジに決めてもらおうか。なぁケンジ?」
そう耳塚に問いかけるような口調があったかと思えば、口喧嘩をしていた二人はその言葉を皮切りに耳塚の方を見た。喧騒の正体は目黒徹と猪鼻楽によるものであり、その口ぶり方からして二人の喧嘩の原因は耳塚にあるようであった。
「…………ど、どういうこと?」
耳塚は自分が今、見聞きしているこの状況を理解することができないでいた。
それもそうだろう。耳塚の認識ではこの二人に接点はないはずだ。そもそも目黒はクラスから根暗の印象を持たれており、誰かと話すところを見たことがない。また目黒は元々この地域の出身ではなく、別のところから高校入学のタイミングで引っ越してきたと聞いた。高校一年のときに耳塚は猪鼻とは同じクラスであったものの、目黒とは別のクラスであり、以前から接点があったとは考えにくい。猪鼻もそうだ。猪鼻が目黒と話しているところなんて初めて見る。猪鼻はそれなりに友達の多いタイプで、クラスでは誰とでも分け隔たりなく話すことのできる人間であると耳塚は認識している。だがそれは同じクラスメイトに限った話で、別のクラスの人間とわざわざ話に行っている姿は耳塚自身を除いて他にはない。
そのためなぜこの二人がわざわざ言い争いをするようなことをしているのかがわからないでいた。
「ふ、二人は知り合いなのか?」
「いいや。言葉をかわすのは今日が初めてだよ」
「そうだ……それで? ケンジは何処から聞いていたのかな?」
「えっと……」
「まぁそれはいいや。それでケンジはどうする? ケンジはどっちを選ぶ?」
「え、選ぶって……」
「聞いていたんだろ? 僕とこの男。耳塚くんはどっちを選ぶんだ?」
「な、なんで選ばないと……いけないの? 俺はさ、三人で協力できればって……思って」
耳塚は瞳孔のみを痙攣させながら、それを聞いた二人がどんな表情をしているのかを恐る恐る確認する。若干の期待をしていた耳塚であったが、耳塚の瞳に映る二人の表情はそんな期待を裏切るものであった。
目黒は伸びた前髪の隙間から見せる睨みつけるようなその目つきに、左の口角だけをピクピクと震わせ、それだけで機嫌が良くないことが伺える。猪鼻に関してはあの黒いマスクをしているのにもかかわらずその怪訝な表情をしていることは手に取るようにわかった。
息が詰まる。
どうして二人は協力しようとしないのだろう。その疑問が頭をよぎって離れない。
「え、えっと……待ってよ……なんで協力したらいけないの? 目黒にも俺以外の協力者がいるんだろ? 協力者が多ければ多いほどいいんじゃないのか?」
「協力者? 耳塚くん以外の?」
目黒の目は更に鋭くなるものの、日中に外に出ているからか徐々に掛けている眼鏡の調光レンズが変色をはじめ、耳塚の位置からはどんな目つきに変わったのかわからなくなった。
「耳塚くんはなにか勘違いをしているよ」
目黒は説明するように、そして自分自身を落ち着かせるようにゆっくりと口を開く。
「僕はそもそも耳塚くん以外とキスなんてしていない。それに僕は耳塚くんのことを協力者だなんて思ったことはないよ。」
「はぁあ? 何言ってんだよお前……。お前がキスをしようって提案してきたんだろ! 協力者以外の何者でもないだろ! それに俺以外とキスをしたことがないだ? キスすることで祓うことができるのを知っているのなら、以前にも誰かとしたことがあるってことだろ! それになんでお前は俺に連絡してこねーんだよ! どうしてお前は俺に助けを求めないんだよ!」
目黒が優しく語りかけるように言葉を紡ぐもんだから、赤子でもあやしているかのような錯覚に陥り、それが徐々に耳塚の中で不快感に変わると一晩悩んだことやほとんど眠ることができなかったストレスが一気に暴発する。
本当はもっと時間を掛けて目黒に聞いていく予定であったことを息継ぎもなしに一度に言葉というナイフに形に変えて目黒に振りかざす。
そんな目黒は耳塚に圧倒されてしまったのか、文字通り言葉を失っていた。
「おい! そこで何をやっている!」
耳塚が言葉のナイフを振りかざし、沈黙が流れたこの中庭で、そんな沈黙を破るように声を発したのは耳塚と目黒のクラスである。二年三組の担任であった。
「……いえ、特には。どこで昼食を食べようと話し合っていただけです」
「……本当か? 私には言い争いをしていたようにしか見えなかったが?」
「本当です。きっと先生の聞き間違いですよ」
「…………そういうことにしておこう。そして目黒、少し時間いいか?」
怒りで我を忘れ感情のコントロールができない耳塚と言葉が出ない目黒を庇うかのように、猪鼻が何事もなかったかのように先生と会話をする。
先生はどこから聞いていたのかはわからないが、ある程度話は聞いていたのだろう。それでいてなお、学生にはよくあることだろうと深くは追求することはなく、もともと用事があったであろう目黒に声を掛ける。
「またですか?」
「仕方がないだろ……。目黒がご両親に説明してくれれば何度も目黒の手を煩わせることは無いんだが……」
「僕から伝えるだけじゃだめなんですか?」
「そういうわけにもいかないだろ……。とにかく来てくれ」
そう言って目黒は先生に連れて行かれてしまった。
目黒が担任に何度も呼び出されていることを知っているため、別に見慣れた光景だなと耳塚は感じながらも、ふと思い返してみると目黒がどうして毎回呼び出されているかを耳塚は知らない。割と高頻度で呼び出されることが多く少し疑問に感じたことがあったものの、それを聞けるほどの関係値ではなかったからだ。
しかし目黒の発言を正とするのであれば、目黒は耳塚のことを協力者とも思っていないようで、ずっと協力者だと思っていた耳塚にとってそれは裏切られたような感覚でもあった。そのため今、耳塚自身が目黒と一体どういう関係値なのかがわからないでいた。
「なんなんだよ……」
そう呟き、耳塚は何もない地面をただただ軽く蹴り上げるようにキックを繰り出す。冬の冷たいアスファルトが土埃を巻き上げることもなく、ただただ『タァッ』という硬い地面を蹴る音だけが校舎に反響し、何度も自分にだけ聞こえてくる。それはまるで目黒からの言葉が脳内で勝手にリピートされるような感覚と似ていた。
中庭に残された耳塚と猪鼻は無言のままベンチに座り、耳塚は昨日は”バケモノ”のせいで値引きされた商品を手に入れることができなかったため今朝コンビニで購入した塩むすび一つと緑茶を。猪鼻は売店で購入したであろういつもの惣菜パンを雑に広げ食べ始める。
食べ始めて、そして食べ終えるまで二人の間に会話は存在しなかった。
⫘⫘⫘⫘⫘⫘⫘⫘⫘⫘
放課後となり、耳塚はどうしようかと考えていた。
普段であれば目黒と一緒に帰るのだが、目黒とは今ほんの少し喧嘩のようなことをしてしまい正直一緒に帰るのが若干億劫になっている。また目黒からはっきりと協力者では無いと告げられてしまった以上、目黒との関係性をどうするべきかを考えていた。
しかし今の耳塚には猪鼻という協力者がいる。
そのため一人で帰るという恐怖を感じることはないのかもしれないが、目黒のことが気になって仕方がない。だからこそ今日は猪鼻とではなく、目黒と一緒に帰るかどうするかという葛藤が耳塚の中で行われていた。
(……いや待てよ? なんで二人で帰らなきゃいけないんだ? 三人で帰ればいいだろ!)
そう考えた耳塚は目黒にメッセージアプリからではなく、直接声を掛ける。
「なぁ、今日三人で帰らね?」
「……どうして三人なの? 二人じゃだめなの?」
そんな喧嘩腰の目黒に耳塚は若干の苛つきを覚える。
「なんで目黒は猪鼻のこと敵視してんだよ。この際目黒が俺のことをどう思っていようがどうでもいいよ。でもみんな”アイツ”に悩まされてんだったら、三人でいたほうがメリットが大きいだろ!」
「僕はあの猪鼻っていう人のことはよく知らないから……」
「人間誰しも最初はそうだろ! 俺はみんなで安全に過ごしたいんだよ!」
「僕には……僕には耳塚くんしかいないんだ!」
それはまるで教室で大砲でも打ったのかと錯覚するほどの怒号であった。
今教室に耳塚と目黒以外に誰もいないが、誰もいなくて本当に良かったと耳塚は心の底からそう思った。普段クラスの印象が根暗で通っている目黒が急にこんなにも大きな声を上げたらヒステリックでも起こしたのかと思われても仕方がないだろう。そうなることの事実ではない噂がクラス中に広がり、目黒が学校に来なくなるかもしれない。そうなれば耳塚にとっての協力者が減ることになる。それだけは避けたい。
「おい、落ち着けって!」
そう言って目黒を宥めようとする耳塚であったが、その瞬間教室の扉が思いっきり開く。二人の視線をその方向へと一気に注がれた。
「よかった。まだ帰ってなかった……。ホームルームが長引いてさ……って何?」
「何って何? もしかして耳塚くんは僕とじゃなくてまたこの猪鼻とかいう人と帰るの? どうして? 猪鼻は僕から耳塚くんを取らないでよ! 耳塚くんも僕のもとから居なくならないでよ!」
こんなにも情緒が不安定な目黒を見るのは初めてだ。
普段”人ならざるもの”に襲われている最中も若干の動揺や焦りは垣間見えるものの、耳塚からしてみれば冷静沈着であると感じている。
そんな目黒がここまで取り乱すなんてただ事ではないとそう思うしかできなかった。
「目黒落ち着けって! 俺は別に目黒の前からいなくなったりしねーよ! それにラクもそんなつもりじゃないって! なぁラク?」
「…………」
「な、なぁラク? どうした?」
「……………………ケンジはどうしたいの?」
「え?」
助け舟を求めるかのように猪鼻にバトンを渡したのだが、そんな猪鼻の口からこぼれた言葉に助け舟の要素はどこにもなかった。
「ど、どうしたいってどういうことだよ……」
「ケンジはこれから先ずっとオレかそこにいる目黒かと一緒に過ごしたいの?」
「何の話だよ……」
「高校を卒業しても、大学生になっても、社会人になっても、ずっと三人でいたいって思ってるの?」
「…………」
「だってそうでしょ? ケンジは今どうするべきかしか考えていないみたいだけど、オレと目黒はずっとケンジに合わせて生活してないといけないの?」
「えっと……」
「ケンジはオレ達にどうしてほしいの?」
将来のことを考えたことも無いといえば嘘になる。
ずっとこの関係が続くかもわからない、この不安定な協力関係は互いの進みたい道によって簡単に崩れ去るものだ。耳塚にはその道を閉ざす権利も引き止める権利も持ち合わせていない。
この先、一人であの”この世のものではない存在”に対処する必要が出てくるのに、今この瞬間から頼り続けていていいものかと。そう問われている感じがしてならない。
耳塚としては三人で仲良くやっていきたいだけの気持ちがあるが、二人はそうではないようで今のこの二人に何を言っても、どんな言葉をぶつけても響くことはないんだとそう感じた。
二人に詰められているような感覚に陥り、徐々に呼吸が浅くなっていく。どんな言葉をぶつければいいかもわからず、またその言葉を考えるための脳も正常に働いていないのが自分でもわかる。
「俺は……」
必死に言葉を紡ごうとしても、網で水を掬うようにどんどんこぼれ落ちていく。どんなに考えても正解を耳塚の口から出すことは叶わなかった。
なぜ急に目黒と猪鼻がこのような態度を取ったのか、耳塚には思い当たる節があった。
おそらくそれは耳塚が二人のことを”協力者”と言っておきながら”道具”のように扱っていたからに他ならないだろう。自分が怖いから。そしてその怖さから解放されるために耳塚は二人にキスを迫ったのだ。
耳塚個人の考えとしては、それは自分だけではなくキスをしている相手も助けることにつながると思っていた。しかし思い返してみれば目黒はいつも耳塚が呼び出すばかりで相手からの呼び出しは一切ない。猪鼻に関しても昨日の今日ではあるものの今後も安全に生きていたいならこの先ずっと一緒にいようと言われている気分になり、そこに自分の意思は含まれてないのだと言いたいのだろう。
耳塚は罪悪感と今自分が何をするのが正解なのかがわからず、あの日のように過呼吸になろうとしていた。
しかしそんな状況を打破するかのように、また教室の扉が勢いよく開いた。
「おっ! よかった目黒、まだいたか! 例の件なんだが……ってお前ら昼間も一緒にいただろ。こんな時間まで何やってんだ?」
そう言って教室に入ってきたのは二年三組の担任であった。担任は昼間見た光景とまるで変化がないことに驚きながらも、またも目黒に用事があるようであった。
「いえ、なんでも……。と、いうか先生もくどいですよ」
「そうは言ってもなぁ……こっちはお前んところの両親と連絡が取れなくて困ってるんだぞ?」
「そうは言われましても、僕からは忙しいからですとしか言えないですよ。それに学費とかは払ってるんですよね? それでいいじゃないですか」
「良くはないだろ? 生徒に勉強を教えるだけが教師の仕事じゃないんだぞ。学校生活ではこうでぇ~とか、親御さんにちゃんと伝えるって言うのもあんの! だからお前からももう一度連絡してくれって……。それにお前今一人暮らしだろ?」
そんな担任と目黒の会話を聞いていて、以前に目黒の口から一人暮らしであることを聞かされたことがあったことを耳塚は思い出した。
あの時の耳塚はなにか聞かれたくないことを聞かれた後のような覇気を感じることのできない感じでボソボソ喋っていたのを覚えている。そのときに目黒は家族仲が良好ではないのだと察した。
もしかしたら目黒の両親は目黒とは今後関わりたくないという思いから連絡を遮断しているのかもしれない。時折目黒が放課後先生からの呼び出しを喰らっている理由が明らかとなり、両親からもよく思われていない目黒のことを、自分の助かりたい一心で道具のような扱いをしてしまっていたことに耳塚自身は更に罪悪感を募らせていく。
「すみません……俺、帰ります」
耳塚は整理のつかない自身の考えにどうすることもできず、三人で帰ることを諦め、一人帰路に就くことにした。
勢いよく教室を飛び出した耳塚に目黒と猪鼻が何かを伝えようとしていたのだろうか、声が聞こえたような気がするが、今の耳塚の精神状態ではとてもまともに相手ができるとは思えなかった。



