【完結】聞かざる、視ざる、匂わざる

 耳塚と目黒の不思議な関係が始まってからもう数カ月が経過しようとしていた。
 紅葉はすでにすべて散り、枝の先がはっきりと見ることができる。枝先なんて特段珍しいものでもないはずなのに、花や葉の散った木々を見ると少し寂しい気持ちになる人がほとんどかもしれないが、実際のところはすぐに雪が枝に積もり、本格的な冬の訪れを知らせてくれる。
 雪化粧しているなんて言い方もあるが、まさにその通りだろう。他にも雪持ちや枝垂れ雪なんて表現があり、それを詩的に楽しむ人も少なからずいるのだろうが、耳塚と目黒の二人にはそんなことはどうでもよかった。
 雪の上を歩くあのサクサクとした音を立てながら二人は街路樹が並んでいる通りを駆けていた。雨の日以上に滑りやすくなったアスファルトの上を転ばないようにと注意をしながら、雪のせいでびしょびしょになったローファーで雪を固めるように踏み潰しながら走る。
 そんな二人の後ろを耳塚の耳には「アバババババッ」といったそれは本当に笑い声なのかとつい突っ込みたくなるような奇声をあげながら雪をムギュムギュと雪を強く押し込んだとき特有の音が奏でられ、目黒の目には一つ目の般若の面をかぶったかのような人型のソレで、穴という穴から見えるのは人の目玉のようなものであり、そのすべてがそれぞれの意思を持っているかのように独りでに何かを探し回っているかのようにして二人を追いかけてくる姿が視えている。

「こうも雪があると、”視えてなくても”どこにいるかわかりやすいんじゃない?」
「そんな悠長なことを言ってる場合か! もっと早く走れねぇのか!」

 普段は心優しい耳塚も”バケモノ”に追われているときだけは口調が悪くなる。そんな耳塚の口調が聞けてうれしいのか目黒は耳塚に微笑みかけながら話を続ける。

「僕はもっと早く走れるけど、そうしたら耳塚くんが付いてこれないでしょ?」
「……うるせぇ!」

 耳塚は図星なのだろうか口調は強いものの声量は先ほどの何倍も小さい。

「近くに人目の付かなそうなところはないのか?」
「僕もこの地域に引っ越してきてから二年も経ってないからね……大体の場所はわかっててもすべてを把握してるわけじゃないよ。それこそ耳塚くんの方が詳しいんじゃない?」
「思いつかないからお前に聞いたんだろ!」
「……じゃあ僕の家に行く?」
「……ダメだ。お前の家族を巻き込むぞ。それに家じゃ逃げ場がない。もしものために逃げ道がある場所を選びたい……!」

 耳塚のその発言に対し、目黒は一瞬目を見開いたかと思えば、すぐにいつも通りの目黒に戻った。

「僕は一人暮らしだよ。だから家族を巻き込むような心配はいらないけど……そうだね。もしものために逃げ道があったほうがいいね」

 目黒のその声は先ほどまでの耳塚を揶揄うような少し高めの陽気な声ではなく、何か聞かれたくないことを聞かれた後のような覇気を感じられず、ボソボソと喋るような声であった。
 耳塚もその声に口にしてはいけないことを口にしてしまったのかもしれないと若干の後悔をした。耳塚は目黒がいつからあの”バケモノ共”が視えているかは知らないが、自分が後天性だったからと勝手に目黒もつい最近見えるようになったものとばかり思っていたが、そうではないのかもしれない。
 仮に先天性だった場合、生まれつき目黒の目に”人には視えてはいけないナニか”が視えていた場合、それは俺以上に苦労を重ねていたのかもしれない。幼少期から視えていたとすれば友達だけではなく、両親からも白い目を向けられていたに違いない。もしかしたらそのせいで高校生という年齢にも関わらず、一人暮らしをしているのかもしれない。この地域に引っ越してきたのも最近だという話だ。地元を離れたかったのかもしれない。
 そう考えると野暮なことを聞いてしまったと耳塚は思うしかできなかった。
 そんなことを考えているのではないかと目黒も耳塚から漂う空気感で察したのだろう。

「……耳塚くん、今は余計な事考えなくていいよ。とりあえずあの河川敷に行こう!」
「ごめん……」

 二人の体力ももうすぐ限界が近いというところだが”ヤツ”に捕まると何をされるかわかったもんじゃないため、気合で河川敷までの道を駆ける。
 いつもの橋の下までたどり着いた二人は息も絶え絶えに人目を気にすることなく接吻をする。今まで幾度となくキスを繰り返してきた二人だ。最初は戸惑っていた耳塚も舌を絡めあうという行為にはすでに慣れを感じていて、鼻で呼吸をすることも当然のようになっていた。

「んっ……んんぅ……あっ……」
「んぅぅっ……ああぅ……ッァァあ……」

 舌を絡めあう度に漏れる鼻息はやはり色っぽく、それでいて鼻息が直接顔に当たるとそれすら感じているという風に錯覚する。
 先ほどまで”この世ならざるもの”が背後に迫ってきており、今にもどこかに連れていかれそうになっていたのだが、今の二人はそんなことを忘れ、お互いを求めあうように両背を背中に回し、より密着させるため自身への引き寄せるように力を入れる。そのまままさぐるように腰に手を回したり、全身を撫でるようにして相手の体の形を確かめるように。そしてそれは唾液の交換だけでは満たされることのない快楽を補うように手を這わせる。
 そんな快楽が一か所に集まり熱を帯び始めたころ、二人はキスを名残惜しそうにしながらも口を離す。目は口程に物を言うとはまさにこのことで、耳塚の視線は目黒の目を憂いな眼差しで見たかと思えば、目黒の口元を目じりを下げトロンした目で見つめる。
 そんな耳塚の視線に気づいた目黒は、耳塚の頬を撫でながら微笑みかける。

「もっとする?」

 耳元で呟かれた耳塚を誘惑する目黒の官能的な声に耳塚は耳までも赤く染め上げ、ただただ頷くことしかできなかったが、先ほどの情熱的な接吻のせいで熱が一か所に集まっていることを思い出した耳塚は「やっぱり、こ、これ以上は……」と遠慮する。
 そんな自身の置かれている状況が急に恥ずかしくなったのか、耳塚は話題をそらすように目黒に話かける。

「そ、それより今日もちゃんと祓えてる? 音は聞こえないみたいだけど……」
「……そうだね。僕の目にも何も視えてないよ」
「そう……ならよかった」

 いつもこの祓い終わった後の時間がもどかしいし、恥ずかしいとすら感じる。
 先ほどまで”アイツ”を祓うためとは言え、ほぼ快楽に支配されたかのように貪るようなキスを交わした相手とどう接するのが正解なのかと、耳塚が常々疑問を抱いていた。
 だからといってこんなことを誰に相談できるわけでもなく、耳塚は一人今までとは別の悩みで頭を抱えることとなっていたのだ。
 そして問題はそれだけではない。互いを求めあうような激しいキスのせいで一か所に集まってしまった熱を帯びた存在にも耳塚は頭を抱えていた。少し下を向くと、向かい合っている目黒の”ソレ”も多少なり膨らみを帯びているようにも感じる。
 もう少し耳塚と目黒の関係値が深い間柄であれば「抜いてやろうか?」なんてことを冗談交じりにでも言えたかもしれないが、二人の関係はあくまで”バケモノども”から自分らの身を守るための協力関係にあるに過ぎない。
 それに他のクラスメイトとも一切話しているところを見たことがない目黒のことだ。そういったことには一切興味が無いかもしれないし、なんなら「抜いてやろうか?」と声をかけてしまった時点で距離を置かれ、この耳塚にとって命綱とも言えるようなこの協力関係が終わりを向かえてしまうかもしれない。
 それだけは避けなければならない。
 そう考えた耳塚が最終的に口にした言葉は「やっぱりもう少しだけキスしたい」というものであった。
 これは目黒からもキスの提案が来るため、自分だけがキスしたいことを望んでいるわけでもなく、相手もキスしたがっているというのを念頭に置いているため発することができる言葉だ。
 それを聞いた目黒は待ってましたと言わんばかりの笑みを浮かべ「口開けて」と耳塚に命令をする。その命令を耳塚はペットのように従い、目黒の舌の侵入を容易に許した。
 これによりさらに熱を増すのだが、今はただただ口だけで感じられる快楽に身をゆだねることにした。


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 そんな耳塚と目黒だが、二人は学校ではほとんど会話をすることはない。
 今まで通り移動教室で席が隣になったときに話をする程度で、話すことがあったとしても「今日一緒に帰るか?」といった互いの安全のための会話だ。
 そもそも目黒は学校で誰ともつるむことのないタイプの人間だ。”ヤツら”を見ないようにするために前髪を伸ばし、普段から下ばかり向いているためクラスでは根暗のレッテルを貼られているため、基本的には誰も声をかけない。
 それは耳塚にも半分当てはまることで、金髪である元気のある耳塚には人は集まるのかもしれないが、皆耳塚に少し怯えているようであった。クラスの中心人物として場を和ませたり、賑やかしたりする耳塚であるが、その容姿はまるでヤンキーそのもの。自ら進んで声をかけるような者は少ないだろう。そんな耳塚だが根は心のやさしい人なため、話しかければ割と誰でもフレンドリーに接するため、クラスではただただ明るいヤンキーという評価となっている。
 そんな耳塚だが、髪を金に染める前もとい”人ならざるもの”の声や音が聞こえる前である高校一年の夏までは友達も多く、それなりに充実した生活を送っていた。それなりに友達もいたし、今以上にクラスでは場を楽しませていたのだが、知っての通り耳塚は優しい心の持ち主であり、自分が聞こえてしまっている”バケモノども”の音のせいで周りに危害が及ぶのを恐れ、誰にも周りに近づかないように日々を送り続けてきた。
 そのため高校一年の夏までにすでに友達になっていた連中からは夏休みが明けた学力テスト以降の耳塚の変わりようを見て、後ろ指を指すものも少なくはなかった。
 それもそうだろう。短い期間だったとはいえ友達だった人物が急に冷たい態度を取るようになったのだ。耳塚としては意味があっての態度であったが、そんなことを知らない周りの連中からしてみれば何も面白くはないはずだ。
 耳塚自身も申し訳ないと思いつつも、後ろ指指されて当然だとも思っていたため、個人的にはひどく心を痛めるようなことにはならなかった。

 ふとそんなことを思い出しながら、耳塚は学校の昼休み。どこで昼食を取ろうかと校内を散策していたところ、たまたま通りかかった生徒に声をかけられた。
 身長は一八〇センチ程の高身長で髪色はオレンジ色の派手髪。光のあたり加減によってはピンクに見えるため、派手ではあるもののお洒落さんという印象の方が強いだろう。そんな彼は黒いマスクを付けており、表情こそ伺えないものの、日本人は目元だけで相手の表情を読み取ることができるため、その派手髪の高身長男が耳塚に対して笑顔で話かけていることはすぐに分かった。

「あれ? ケンジじゃん……どしたの?」

 それは高校一年生の夏までよくつるんでいた人物だ。
 今までは友達と呼べる関係性だったかもしれないが、今はなんというべき関係値なのか耳塚自身でも説明が難しいそんな関係値になり下がっていた。

「ひ、久しぶり……。ら……猪鼻こそどうしたの?」

 猪鼻楽(いのはならく)。それが今耳塚に声をかけている人物の名前である。
 耳塚も当時は「ラク」と呼んでいたため「ケンジ」と名前で呼ばれたことに対しこちらも名前で呼ぼうかと思ったのだが、自分から関係を遠ざけておいて今更どの面下げて名前を呼ぼうとしているのかとその一瞬で自問自答した結果、苗字で呼ぶことにした。

「うわぁ、他人行儀過ぎ……。前みたいにラクって呼んでくれよ!」
「あぁ、うん。ごめん」
「……まぁいいけどさ、俺は今でもケンジのこと友達だと思ってるけどね」
「え……?」

 こんなにも口に出してもらえることが嬉しい言葉がこの世に存在していただろうか。と耳塚は猪鼻との再会に気まずさのせいか目線を合わせないようにと若干目をそらして話していたのだが、猪鼻の口から出た言葉を聞き、一気に猪鼻の目に吸い込まれるようにして彼を見上げた。

「とも……だち……?」
「いや、当たり前だろ……。ケンジの中で何かがあったのかもしれないけど、それでも俺はずっとケンジと友達だと思ってるよ」
「あ、ありがとう……」
「うん! それで? どこ行こうとしてたの?」
「昼食どこで食べようかと思って……校内で探してたところ……」
「え? マジ? オレいい場所知ってんだよね? 一緒に食わね?」

 誰かに食事を共にしようと誘われるなんていつぶりだろうか。
 誰にも迷惑をかけないようにと過ごしてきていたため、食事中に襲われたりしたらと思うとそんな誘いを受けるわけにはいかなかったのだ。
 しかし今耳塚には目黒という強力な助っ人がいる。それならば一度くらい自分のことをまだ友達だと思ってくれる人と食事をすることくらいは叶うのではないかとそういう考えに至ったのだ。

「うん……食べる。でも食べるのは外にしねぇ?」
「お! いいねぇ! 行こうぜ!」

 外を選んだのは、もし仮に音が聞こえたとしても、猪鼻を巻き込まずに逃げられると思ったからだ。
 校舎の中庭にあるベンチが空いており、そこに腰を下ろす二人。
 耳塚は今朝コンビニで買ったであろう鮭おにぎりと煮卵が中に入っている少し高めのおにぎりを一個ずつにチョコ味のプロテインバーと緑茶のペットボトルをビニール袋から取り出す。
 猪鼻は先ほど売店で買ってきたであろうツナマヨがたっぷりかかったパンと分厚いコロッケにソースが染みに染み込んだコロッケパン。ソーセージの周りをらせん状にパンが巻きついている総菜パンを三つにバナナオレの紙パックジュースをこちらもビニール袋から取り出した。

「え? ケンジそれで足りんの?」
「ラクこそ、総菜パンにバナナオレってどんな組み合わせだよ……美味しいんか?」
「バナナオレにはなんにでも合うの!」

 二人は今まで話していなかった期間を埋めるように会話が弾む。
 それはまるで一年間もまともに話していなかった関係とは思えないほどであった。
 互いに食事を終え、一息ついていると、猪鼻から耳塚に対して質問を投げかける。

「なぁ、聞いていいか?」
「……答えられる範囲なら……?」
「大丈夫、ケンジが一年前に何があったかなんて野暮なことは聞かないよ」

 それを聞いて安心したのも束の間、猪鼻の口から予想もしていなかった言葉が投げかけられた。

「お前って香水でも付けてるのか?」
「……え?」
「いや、だから香水! ずっとケンジから線香みたいな匂いすんだよねって線香みたいは失礼か? えっとなんだっけ……御香みたいな?」
「……いや、俺何もつけてないよ?」
「え、絶対嘘だ! めっちゃ御香の匂いするよ! あ! でも嫌な匂いとかじゃないよ。オレは御香の匂い好きだし。煙たい感じじゃなくてさ、もっとこう心を穏やかにするような……あ! お寺にいるような安心感……みたいな!」

 猪鼻の話に全くといっていいほど身に覚えがなかった。
 香水なんてものは使わないし、使ったとして御香のような品のある香りは選ばず、柑橘系のような爽やかな香りを選ぶなと耳塚自身思ったからだ。
 しかしこんなにも猪鼻に念を押されてしまえば、そういった香りが自分からしているのかもしれないと疑心暗鬼となる。耳塚は「そうかなぁ……」なんて呟きながら自身の腕を鼻の近くまで持ってきては香りを嗅いだりしてみるも、御香のような匂いを感じることはできなかった。むしろ無臭と言えるだろう。

「無臭じゃね?」
「えぇ、そんなことないと思うけどな……」

 猪鼻は納得していない様子であったが、「まぁ移り香とかかもしんねーしな」と自分に言い聞かせるようにして猪鼻はそう呟いた後腕を組み、何度も頷いていた。
 そんなタイミングで校舎をチャイムの音が包んだ。それは昼休みの終了を意味しており、クラスが別である耳塚と猪鼻の別れを意味していた。
 そのことに気づいた猪鼻はせっかく話をすることができた友達との時間を名残惜しそうにしながらも名案を思いついたと言わんばかりの表情を浮かべながらスマホをポケットから取り出すと耳塚に差し出す。

「えぇ、もう終わり? あ、そうだケンジ! 連絡先交換しよ?」
「あぁうん、いいよ」
「やった!」

 連絡先の交換を終えた猪鼻は「ごめん、オレ次移動教室なんだよね! 急ぐわ!」とだけ言い、去り際に「また連絡すっから!」と耳塚に対して大きく手を振りながら自分の教室へ移動教室に必要な道具を取りに帰った。
 そんな猪鼻の後ろ姿が見えなくなるのを待った後、耳塚は自身のスマホに目を落とす。そこには目黒と並んだ猪鼻の連絡先があった。
 自分から周りを遠ざけるため、誰とも連絡先を交換していなかった耳塚だが、やはり寂しさは常々感じているようで、増えた連絡に自然と笑みが零れているようであった。

 そんな耳塚の様子を校舎の影から見守る人の姿があったが、耳塚は見られていることには気づいておらず、自分も教室へ戻らないとベンチから立ち上がった。
 ベンチから立ち上がった瞬間。耳塚の耳には「ドン」と何かを壁にぶつけたような音が聞こえたような気がして、音のなるほうを恐る恐る見る。音には人一倍の警戒心のある耳塚であるが、やはり気になる音がするとその方向を向いてしまうのが人間の性質である。
 しかし音の鳴ったほうを見てもそこには誰もおらず、掃除用具である竹箒が入っている青い大きなバケツがひっくり返っているのが見えた。

「なんだ……誰かがぶつかっただけか……」

 状況を理解し安堵する耳塚であったが「ぶつかったなら片付けくらいしておけよな……」とひっくり返ったバケツに近づき、誰が見ているかなんて関係なしにそれを元の場所へと戻す。
 「まったく……」と大きなため息を吐いた後、耳塚は少し駆け足気味に自分の教室へと急いだ。