【完結】聞かざる、視ざる、匂わざる

 目黒徹(めぐろとおる)は生まれながら”この世ならざるもの”の姿を視ることができた。
 彼が覚えている範囲で一番最初に目にした”人ならざるもの”は五歳のときだ。両親と公園に遊びに行ったときにそれは目黒に襲いかかった。手首より先しかない手が自立して動いているものであった。しかしそれだけではない。指先から枝分かれするように手が複数生えており、その枝分かれした手の指先からもまた枝分かれするようにまた手が生えていた。
 まさに異形と呼べるその人でもなく、動物でもなく、植物でもない。この世のものとは思えないそれに当時の目黒はただただ恐怖を感じていた。
 しかもただの恐怖ではない。人間は自分の力だけではどうすることもできない状況に陥るとその場に立ち尽くすコトしかできないのだと、目黒は五歳という年齢にして悟ったのだ。
 その場から動くこともできない。声を出すこともできない。呼吸をすることもままならない。
 そんな目黒の状況を打破したのは、一緒に公園に来ていた両親であった。
 急に歯をガタガタと音を立て、足を振るわし始めた我が子の異常に気が付き、母親が抱きかかえたのだ。「大丈夫? ゆっくり呼吸して!」と背中をさする母親とそんな二人に気づき五百ミリペットボトルの水を持ってきて声を掛け続ける父親に安堵した目黒はそこで意識を落とした。

 次に目黒が目を覚ました時には普段見慣れた景色に変わっていた。
 場所はリビングのソファの上だ。安心する景色に安心する匂い。
 目黒が目が覚めたばかりだというのに、つい先ほど体験した恐怖と両親そして家に帰ってきたという安心感から大きな声を上げながら泣き叫んでしまった。
 目黒が泣き叫んだことで両親が目黒が起きたことに気が付き、先ほどの公園と同じようにまた目黒の背中をさすりながらあやしはじめる。
 しかしその背中をさする優しい手は目黒の発言により、ゆっくりとその動きを止めた。

「やだっ! いやだっ! 手の……手のバケモノがっ! くるの! あいつがぼくを……ぼくをどっかに連れてっちゃうんだっ!」

 ここだけ聞けば幼子がただただ怖い夢でも見てしまったのだろうと思うだけだろう。
 しかし両親にはそれが夢でないことをわかっていたようであった。というのも目黒は以前より両親や他の人には視えていない何かが視えているのではないかと夫婦の中で少し話題に上がったことがあったのだ。

 どこかある一点を見つめ続ける。
 何もない虚空に向かって手を振る。
 今日はあの子はいないの?と部屋中を探し始める。

 そんな奇行が続いていたのだが、両親も最初は幼少期によくあるイマジナリーフレンドと呼ばれるもの自分だけの友達を作り出してそれを視ているのだろうと思っていた。
 そのため両親も最初はあまり気にしていなかったのだが、今回のそれははっきりと”手のバケモノ”と表現したのだ。
 イマジナリーフレンドが人の形以外を模す可能性があることは知っている。それこそぬいぐるみであったり、動物であったりするだろう。そのため目黒徹のイマジナリーフレンドがたとえ”手”であっても特別おかしいことではないだろう。しかし”どっかに連れていく”というのは少し異常ではないだろうか。バケモノと言ったことからも、もしかして目黒が作り出したイマジナリーフレンドは目黒が望んで作り出した幻影では無いのではないだろうかというものが両親二人の脳裏をよぎった。

 思い出してしまった恐怖に打ち勝つことはできず、目黒はまた目をゆっくりと閉じた。
 そんな目黒を両親はベッドへ運び、呼吸が安定していることを確認した後、リビングで家族会議を始める。

「徹のあれ、どう思う……?」
「……異常だとしか言いようがないんじゃないか…………?」
「霊が視えてる……ってことよね?」
「そういうこと……だよな」
「…………」
「でも、あのくらいの年齢の子は視えることあるって聞くし……そのうち視えなくなるんじゃないのか?」
「そ、そうよね……だ、大丈夫よね?」
「大丈夫……だろ……」

 両親は目黒に視えているものに少しずつ恐怖を覚え始めていた。
 しかしこれはきっと幼少期にはよく見られるものだとそう結論付けたのだが、二人のその思いとは裏腹に目黒徹の目に映るものは日に日に増えていった。
 小学校に通うようになってからは、毎日何かに怯えるように帰ってきたり、学校で急に泣き始めたり、過呼吸になったかと思えばそのまま意識を失うこともあり、そのたびに両親が学校に呼び出されることとなった。
 そんな目黒のことを両親は徐々に気味悪がるようになっていた。
 最初こそは子ども特有の構ってちゃんだと思いずっと耐えていたのだが、目黒がふと向いた方向に霊やそれに準ずる何かがいるのではないかと思うと、両親も気が気でなかった。
 母親はヒステリックを起こすようになり、父親はそんな目黒のことを自分の子であることが許せないのか暴力を振るうようになっていた。
 目黒が中学生に上がる頃には両親との会話はゼロになっていた。食事を一緒に取ることもないし、学校の行事に両親が来ることも無い。まるで赤の他人と同じ家に住んでいる感覚に近いだろう。
 父親からの暴力はなくなったが、母親は鬱のような状態に変わり、こんな状態になったのはお前のせいだと言われる毎日に目黒自身も疲弊してきていた。

 目黒自身も小学生高学年になると自分が視えているそれが異常であることに気が付く。しかしその頃には目黒の周りには誰もおらず、同じクラスメイトだけでなく教師すらも目黒に声を掛ける者はいなかった。
 そんな状況になったのは今までの目黒の行動によるものと、その後の目黒の対応によるものであった。目黒は髪を伸ばし前髪で目を完全に隠したのだ。それは”人ならざるもの””この世ならざるもの”を視ないようにする一種の対処方法であった。正直にいえば常にアイマスクなど視界を完全にシャットアウトする方法があればよかったのだが、そんなことをしてしまえば日常生活を送ることはできない。そのため仕方なく前髪を伸ばすことにしたのだ。
 またそれだけではない。常に下を向いて生活をするようになったからだ。クラスメイトからは暗いやつという印象だろう。これまでの印象と相まって近づくものはいないし、目黒から声を掛けることも無いため、ずっと一人なのだ。

 そんな目黒の転機は高校生になったことだ。
 ほぼ育児を放棄している目黒の両親であるが、高校までは行かせてくれるようで、中学三年生の受験期に珍しく父親から話しかけられたかと思ったが、「どこを受験するのか?」という問いかけであった。できれば今までの自分のことを知らない高校に進みたかったため、自宅からは距離のある私立七ヶ瀬高等学校に進みたい旨を素直に伝える。
 そのことに関して父親からは思ってもいないことを言われた。

「……家を出て行ってくれないだろうか?」

 あまりにも冷たい声で言い放たれたそれは、目黒自身も想定していなかったもので、突然のことに驚きを隠せないでいた。想定していなかったというのは個人的に高校生になったらこの家を出ていこうと思っていたからだ。

「……え?」

 目黒は思わず自分の聞き間違いではないかと思い、そう聞き返すような返事をしてしまった。

「……お金は出す。学校近くのアパートかマンションを探して、そこに住んではくれないだろうか……?」
「……わかりました。それは戻ってくるなという意味と捉えていいですか?」
「…………」

 沈黙は肯定だ。それからしばらくして父親だった人物はゆっくりと頷いた。
 家族だった間柄ではあるが、敬語で会話をしている時点で関係性はもう崩れてしまっているのだ。あんなに暴力的だった父親だったであろう者も、今では目黒を恐れるようになってしまった。きっと”人に視えてはいけないナニカ”が視えてしまう目黒がもし反撃してきたらと考えると恐ろしいのだろう。
 目黒は「わかりました」とだけ呟くように告げると、もうそれ以上会話をすることはなかった。


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 無事七ヶ瀬に合格した目黒は中学を卒業と同時に、実家だった場所から離れ私立七ヶ瀬高等学校から二駅離れたマンションへと移り住んだ。
 本来であれば卒業後はクラスのみんなで集まったりするのかもしれないが、友達のいない目黒には関係の無い話だ。実家からも必要最低限のモノだけ持っていくことにして、不要なモノはすべてその日中にゴミに出して捨てた。そもそも何の思い入れも無いモノしかない。捨てても誰も何も困らないだろう。

 私立七ヶ瀬高等学校に入学してからも特に変わったことは起こらなかった。
 中学までの目黒のことを知っている生徒や教師は誰もおらず、変に後ろ指を刺されることはなかったが、俯いて生活をすることが習慣付いてしまっていたため、特別誰かと絡むことはなかった。
 そんな日が続いたある日の夏休み。その日は夏休みにも関わらず学校に行かなければならない日だ。所謂登校日と呼ばれるものだ。
 目黒も”視えてはいけないモノ視える”という点を除けばどこにでもいる高校生なのだ。学校行事はめんどくさいと思いながらも、登校日に登校しないという変な目立ち方をしたくないためイヤイヤながらも学校へ向かう。
 学校へ行ったところで友達のいない目黒はただ自分の席に座る以外することがない。
 誰にも聞こえないほどの小さな音でため息を吐き出し、少し退屈に感じながらも教室の窓から外を見ようと行動に起こした瞬間であった。

(クッソ……見なきゃよかった)

 窓にへばり付いている人ならざるものが視界に入った。
 人間の女性のような姿をしているがそうではない。脇腹からは左右に二本ずつ、肩からは別に腕が生えている。髪は黒髪のロングであり、長すぎるがため顔と思われる部分はすべて髪で遮られており表情を確認することはできなかった。

(はぁ……目は合ってないな)

 ”ヤツ”が長髪で良かったと思いながら、見る場所が制限されることに若干のイラつきを覚えた矢先、ふと気になることが起こった。
 目黒の席は六列あるうちの窓から三列目の一番後ろの席だ。窓から外を見るためには一番後ろの席に座っている窓際の二人越しに見る必要があるのだが、その内の一人の挙動がどうもおかしいのだ。
 何か周りを確認するようにチラチラと頭を動かしていた。最初は誰か探しているのかと思ったが、そうではないのかもしれない。そう感じたのは”女性のような長髪のバケモノ”が爪で窓ガラスを突くと、それに反応するかのようにあたりを見渡すのだ。しかし今にも雨が降りそうな天候のせいか頭が痛いのだろう。蟀谷(こめかみ)の上を押さえ、あたりを見渡すのを止めてしまった。

 ただの勘違いかもしれない。
 でもそうじゃないかもしれない。
 もしかしたら自分と同じような体質なのかもしれない。

 今まで誰にも興味を持ったことなんてなかった。
 だからこそ自分のこの感覚がどういう感情なのか理解することはできなかった。
 それ以降目黒は耳塚のことをよく気にかけるようになった。残りの夏休み期間中も耳塚のことが気になって仕方がない。登校日のあの日こっそり後を付ければ良かったと後悔するほどだ。
 夏休みが明けてからはずっと下を向いているフリをしながらこそっと耳塚のほうを見るようになった。そして放課後も自宅へ帰る耳塚の後を付けたりしてみた。しかし決定的な瞬間を目にすることはできなかった。
 そんなことが続いたある日。目黒はとうとう耳塚が”ヤツら”のことを何かしらで観測している決定的な瞬間を目にしたのだ。それは私立七ヶ瀬高等学校の学力テスト中に起こった。耳塚が過呼吸を起こし、そのまま倒れてしまったのだ。
 しかし目黒は耳塚が倒れる瞬間、体のパーツがすべて逆になっている男性のようなバケモノに話しかけられているように見えたのだ。右手と左手がそれぞれ逆の肩から生え、顔は頭頂部が顎にきており、顎が頭頂部になっているバケモノが口を開いたのが見えた。テスト中だったためそこまで注力して見ることはできてはいなかったが、口が動いていたということはナニか言葉を発しているのかもしれない。
 考えたこともなかったが、”人ならざるもの”はもしかしたらナニか音を発しているのかもしれない。そしてその”音”を聞いた耳塚は過呼吸を起こし、倒れてしまったのだ。

 目黒は確信した。
 耳塚は”バケモノ”の姿こそ視えていないものの、音は聞こえるのだと。

 救急車で運ばれていく耳塚を心配そうに見守りながらも、目黒は思わず手で口元を覆った。笑みがこぼれてしまっているからだ。
 テストが終わり、誰もいないマンションへと歩いて帰る。二駅もの距離があるが、今は夕方涼しくなる風を感じながら歩きたい気分だったのだ。
 家に着くと、スクールバッグをベッドに投げ捨て、こぼれないようにしていた感情を一気に開放する。

「見つけた。僕と同じ人を……。ははっ……あははははははははははははっ」

 あとは耳塚に話しかけるきっかけを作るだけだと、そう考えまずは耳塚の体調が回復することを切に願いながら、夕食のため近くのコンビニへと向かう。
 その足取りはまるで宝くじで高額当選した人が、すべての物事から開放された瞬間と同じような足取りであった。