目が覚めるとそこは見慣れない天井であった。
見慣れないとは言ったものの天井なんて基本的にどこも同じような造りのため、初めて見るような天井であったとしてもなんとなく大体の場所がわかるだろう。
それで言うと今回耳塚が目にしている天井はシンプルなビニールクロスであり、それだけでどこかのマンションなのだろうと予想がついた。
「……雨?」
おそらくこの一室は二階以上にあるのだろう。斜めに降り注ぎ窓ガラスに突撃してくるあの雨の音と、ベランダに置いてあるであろう物干し竿にでもあたっているのか金属に雨粒が当たるあの特有の音が耳塚の耳を刺激する。
ある特定のリズムを刻んでいるようにも聞こえるし、はたまた不規則なリズムで落ちてくる雨が意思を持って音楽を奏でているようにも聞こえるその雨音に、耳塚は自分が今どうしてここにいるのか。そしてここはどこなのだろうかと自身の記憶を呼び覚まそうと、一旦寝転がっている状態から上半身だけを起こす。
あたりを見渡すと、耳塚が今いる場所は四畳ほどの小さめの部屋であり、見える範囲のフローリングはところどころワックスが剥がれているのがわかる。
その他の情報としては耳塚はベッドフレームの無い廿五センチほどの高さの黒のマットレスに寝そべっていたこと。普段は物置としてこの部屋を使用しているのか、たくさんの本が積み上げられており、若干の埃っぽさを感じることから空気の入れ替えが頻繁に行われるような部屋では無いということ。そして耳塚が着ていたであろう制服がハンガーに掛けられ干されているということだ。
それに気がついた耳塚は自身が今着用している服を確認する。
身長が一七二センチの耳塚にはとってはかなりのオーバーサイズの紺色のスウェットにズボンは履いておらず、自分がその日履いていたであろう黒のボクサーパンツだけの状態であった。
「濡れてたから誰かが着替えさせてくれたのか……?濡れてた?」
耳塚はそこで自身が”音が聞こえるだけだったこの世ならざる存在”に襲われたことを思い出した。腹部を蹴り飛ばされ、蹴り飛ばされた先の川の中で首を絞められ溺れさせられた恐怖を思い出したのだ。
思い出してしまったことをすぐに忘れることはできない。
凍てつくほどの冷たい川の水の中で藻掻き苦しんだあの感覚を耳塚の体も覚えているようで、今は別に首を締められているわけでもないのに呼吸ができなくなり、指先は震えが止まらなくなり何かを掴むことすらできない。
一体これからどうなってしまうのか。
この先一生あの恐怖と戦い続けなければならないのか。
そんなことを考えてしまうと、恐怖のせいか、冬の川の中に落とされたほどではないにしろ、体温が急激に下がったためかシバリングがおき、歯がガクガクと震え始めた。
しかもそんなタイミングで耳塚が今いる部屋に誰かが近づいてこようとする足音が聞こえる。
もしかしたら”バケモノ”かもしれない。川の中でどう助かったかを鮮明には覚えていない耳塚にとって、自身に近づいてこようとするモノ全てが恐怖の対象であった。
「来るなぁ! 来るな来るな来るな゙来る゙な゙ぐる゙な゙ぐる゙な゙ぐる゙な゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙!!!!」
今の耳塚にはもう黙ってやり過ごすという考えは存在しなかった。
部屋の角の部分まで動かない足を引きずるように動かし、頭を抱えるようなポーズを取りながら、耳塚は必死に叫ぶ。その叫び声を聞いてか、耳塚が今いる部屋に近づいてくる音はスピードを早めた。
「いやだい゙や゙だい゙や゙だい゙や゙だい゙や゙だ! 助けてください。助けてください。お願いします。何でもします。本当です。お願いします。助けてください。助けてください。助けてください。助けてください。」
耳塚の願いも虚しく、四畳しかない部屋の扉はいとも簡単に開かれた。
「耳塚くん! 大丈夫! 大丈夫だから! もう”奴ら”はいないから」
「ケンジしっかりしろ! ”アイツら”はどこにもいないぞ」
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい」
部屋に入ってきたのは”耳塚を襲った怪物”ではなく目黒徹と猪鼻楽であった。しかしそんな二人に気づいていないのか、耳塚は音が聞こえないようにと耳を塞ぎ、全身を震わせ、絶望に顔を歪ませながら叫び続ける。その叫びはいつの間にか助けを求めるものではなく、何に対してかわからない謝罪へと言葉を変えていた。
「ケンジ! 大丈夫だから!」
そんな耳塚の顔を掴み、猪鼻は無理矢理にでも自身の顔を見せる。瞳孔が開ききり、目の焦点が定まっていない耳塚に何度も問いかけ続け、ようやく耳塚は今自分の眼の前にいる人物が猪鼻と目黒であることを認識する。
しかし恐怖にネジ曲がった感情はそんな二人の顔を見てもコントロールし直すことはできず、猪鼻の両肩を掴むようにして耳塚は二人にせがみ始める。
「キスしてください! 俺とキス……キスしてください。もうあんな思いしたくない。キスしてください! お願いします! おねがいします!」
一度割れてしまった花瓶を完全に復元することができないのと同じで、耳塚の壊れてしまった感情をもう治すことはもう叶わないのだと目黒と猪鼻は察した。
しかしそんな耳塚の様子を見た二人の表情には苦を表現するような要素は何一つなく、むしろ広角が上がり、目も三日月の形を模していた。
「大丈夫だよケンジ。オレとキスしようか」
「きす、きすする」
「うん、口開けて」
「あ」
耳塚は自身で物事を考えるのを止めてしまったのか、猪鼻の言う通りに行動する。それはまるで操り人形のようでもあり、洗脳されている人の状態に近いものであった。
耳塚は素直に口を開けて猪鼻が自身の咥内の隅々まで舌を動かすのを待つ。
猪鼻はそんな耳塚が愛おしくてたまらないのか、耳塚を抱き寄せるようにして口づけを交わす。触れるだけのキスを何度もした後に「それじゃないぃ。そのきすじゃなぁい」と耳塚はまるで赤子のように猪鼻に対する文句をぶつける。
それに対し猪鼻は「ごめんね。ちゃんとするからね」とだけ言い、耳塚の咥内を好きなように散策する。普段は逃げるように舌を動かす耳塚も、すがりつく相手が何処かに行ってしまわぬようにと猪鼻の舌を追いかけるようにして動かす。
そんな二人の間に目黒が割って入り、二人の距離を物理的に引き剥がすと「耳塚くん。次は僕としようか」とだけ伝え、耳塚の唇に自身の親指の腹を当てると、ぐいっと猪鼻のキスの痕を消すように動かす。
「うん、する。きすする。めぐろともきすする」
「嬉しいよ。じゃあお口開けて」
「っあ……」
目黒のキスは猪鼻とは違い、耳塚に自身の唾液を流し込むようなキスをする。それはまるで耳塚のことを自身の所有物であるかのように。そしてそのことを耳塚の体に覚えさせるようなそんな感じがしてならない。
しかし耳塚はそんなキスであっても喜んで受け入れる。飲みきれなかったのか、はたまた耳塚自身の唾液が溢れ出してしまったのか。ものだけみてもそれがどちらの唾液なのかの判断はつかないが、キスするたびに開く口の隙間から透明な線が顎を伝い、紺色のスウェットに大きなシミを作り出していく。
だがシミとなったのはスウェットだけではないようであった。
「あぁ耳塚くん。熱が入っちゃった? そんなにキスが気持ちよかった?」
「ケンジはかわいいねぇ。どうする? 一旦オレ達部屋から出ていこうか?」
「やだ、でていかないで。おれをひとりにしないで……。ずっとそばにいて……」
耳塚のその言葉を二人は聞き逃さなかった。
「ずっとそばに? いいの? これからもずっと一緒にいるってことだよ?」
「いい。ずっといっしょがいい。いっしょじゃなきゃやだ。もうおれをひとりにしないで。ひとりになると”あいつら”におそわれちゃう。もうあんなおもいしたくない。おれのことはどうぐでもなんでもいい。だからずっとそばにいて」
「ケンジがそこまで言うなら仕方がないね。ずっと一緒にいようか」
「そうだね。耳塚くんが怖い思いしちゃうもんね。ずっぅと一緒だよ。これからさきずっと」
「いいの? おれずっといっしょにいられるの? ほんとうに? うれしい。ずっといっしょにいる。なんでもする。だからすてないで。ずっといっしょだからね」
「じゃあまずは、その熱をどうにかしようか」
「優しくするからね。一緒に頑張ろうね」
「うん。おれがんばる……」
そう言って二人は先ほどまで耳塚を寝かせていた黒のダブルサイズのマットレスまで移動させると、耳塚の意識がぷつんと切れるまで、その熱を出す手伝いをし続けた。耳塚に抵抗するような様子は一切見られない。それはまるで二人になら何をされてもいいという覚悟の現れではなく、二人に捨てられないようにするための耳塚の唯一残された無意識下のこの先生きていくための術であった。
「あ、トんじゃったね」
「ケンジはどんな姿でもかわいいねぇ」
「……それでこれから先どうするの?」
「どうするって?」
「耳塚くんだよ。これじゃもう外に出ることはできないんじゃない?」
「それでもいいだろ? ケンジはずっとどこかに閉じ込めておかないと」
「どっちかを選ばせるんじゃなかったの?」
「どうせケンジはもうオレ達のどっちかと一緒にいなきゃ生きていけないんだから……。時間ならいくらでもある。最後にオレを選んでさえくれればそれでいいよ。それに今はお前の家に一時的に避難させてもらってるだけだしな」
「耳塚くんが僕を選んだら?」
「ないよ。ケンジはオレを選ぶ」
「そうかなぁ……」
「ていうか、お前”霊”祓えるだろ? 俺と一緒だろ?」
「祓えるだろって、昨夜一緒に祓ったじゃないか」
「ケンジにキスで祓えるなんて嘘までついて……」
「でもそのおかげでお前も耳塚くんと今こうやって一緒にいられてるんだよ?」
「……ははっ。それもそうだな。じゃあケンジのこと見ててくれ。オレは食料とか買ってくるよ」
「わかった」
「抜け駆けすんなよ?」
「しないよ……。耳塚くんも寝てるしね。僕は寝てる人間には何もしないよ」
「どーだかねぇ」
そんな二人の会話は耳塚の耳には届かなかった。
⫘⫘⫘⫘⫘⫘⫘⫘⫘⫘
――続いてのニュースです。行方がわからなくなっている私立七ヶ瀬高等学校二年の『耳塚健司くん』『目黒徹くん』『猪鼻楽くん』の失踪から、今日で一週間が経過しました。警察や消防による懸命の捜索が続いていますが、依然として有力な手がかりは得られていません。最後に目撃されたのは今月半ばに三人が放課後の教室で話しているところを学校関係者が見たのを最後に、その足取りは完全に途絶えています。
――警察はこれまでに、学校付近の河川敷にて耳塚くんの持ち物らしきスクールバッグや教科書などが散乱していたことから、何らかの事件の巻き込まれた可能性が高いとして調査を進めておりましたが、行方不明である目黒くんのご両親がおよそ二年ほど前から連絡が取れない状態であると学校関係者と目黒くんのご両親の勤め先からの証言で明らかとなりました。
――これに伴い警察は、今回の失踪事案が単なる家出や事故ではなく、複数の要因が複雑に絡み合った特異なケースであるとみて、捜査方針を大幅に拡大しました。
――また、行方不明になっている目黒くんのご両親についてですが、警察の調べに対し、ご両親が勤務していた◎◎株式会社および有限会社△△当初『無断欠勤が続いていたため退職扱いとした』と説明していました。しかし、その後の捜査で、両社ともに恒常的な長時間労働や未払い賃金が蔓延する、いわゆる『ブラック企業』であったことが浮き彫りとなりました。両社は、社員の失踪という異常事態を把握しながらも、労働基準監督署の介入や企業の社会的責任を逃れるため、安否確認や警察への届け出を一切行わず、事実上の職務怠慢を続けていたことが明るみに出ました。この空白の二年間、目黒くんは保護者不在の状態でありながら、周囲には両親が健在であるかのように偽装し生活を続けていたとみられます。警察は、目黒くんがこうした過酷な家庭環境の中で、今回の失踪に至る何らかの動機を形成した可能性が高いとみて、企業の管理責任を含め厳しく追及する方針です。
――「学校」という日常の場から突如として消えた三人の少年たち。空白の一週間が過ぎ、地域には動揺が広がっています。警察は、どんなに些細なことでも構わないとして、三人の最近の様子や目黒くんの家庭に関する情報の提供を呼びかけています。
―fin―
見慣れないとは言ったものの天井なんて基本的にどこも同じような造りのため、初めて見るような天井であったとしてもなんとなく大体の場所がわかるだろう。
それで言うと今回耳塚が目にしている天井はシンプルなビニールクロスであり、それだけでどこかのマンションなのだろうと予想がついた。
「……雨?」
おそらくこの一室は二階以上にあるのだろう。斜めに降り注ぎ窓ガラスに突撃してくるあの雨の音と、ベランダに置いてあるであろう物干し竿にでもあたっているのか金属に雨粒が当たるあの特有の音が耳塚の耳を刺激する。
ある特定のリズムを刻んでいるようにも聞こえるし、はたまた不規則なリズムで落ちてくる雨が意思を持って音楽を奏でているようにも聞こえるその雨音に、耳塚は自分が今どうしてここにいるのか。そしてここはどこなのだろうかと自身の記憶を呼び覚まそうと、一旦寝転がっている状態から上半身だけを起こす。
あたりを見渡すと、耳塚が今いる場所は四畳ほどの小さめの部屋であり、見える範囲のフローリングはところどころワックスが剥がれているのがわかる。
その他の情報としては耳塚はベッドフレームの無い廿五センチほどの高さの黒のマットレスに寝そべっていたこと。普段は物置としてこの部屋を使用しているのか、たくさんの本が積み上げられており、若干の埃っぽさを感じることから空気の入れ替えが頻繁に行われるような部屋では無いということ。そして耳塚が着ていたであろう制服がハンガーに掛けられ干されているということだ。
それに気がついた耳塚は自身が今着用している服を確認する。
身長が一七二センチの耳塚にはとってはかなりのオーバーサイズの紺色のスウェットにズボンは履いておらず、自分がその日履いていたであろう黒のボクサーパンツだけの状態であった。
「濡れてたから誰かが着替えさせてくれたのか……?濡れてた?」
耳塚はそこで自身が”音が聞こえるだけだったこの世ならざる存在”に襲われたことを思い出した。腹部を蹴り飛ばされ、蹴り飛ばされた先の川の中で首を絞められ溺れさせられた恐怖を思い出したのだ。
思い出してしまったことをすぐに忘れることはできない。
凍てつくほどの冷たい川の水の中で藻掻き苦しんだあの感覚を耳塚の体も覚えているようで、今は別に首を締められているわけでもないのに呼吸ができなくなり、指先は震えが止まらなくなり何かを掴むことすらできない。
一体これからどうなってしまうのか。
この先一生あの恐怖と戦い続けなければならないのか。
そんなことを考えてしまうと、恐怖のせいか、冬の川の中に落とされたほどではないにしろ、体温が急激に下がったためかシバリングがおき、歯がガクガクと震え始めた。
しかもそんなタイミングで耳塚が今いる部屋に誰かが近づいてこようとする足音が聞こえる。
もしかしたら”バケモノ”かもしれない。川の中でどう助かったかを鮮明には覚えていない耳塚にとって、自身に近づいてこようとするモノ全てが恐怖の対象であった。
「来るなぁ! 来るな来るな来るな゙来る゙な゙ぐる゙な゙ぐる゙な゙ぐる゙な゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙!!!!」
今の耳塚にはもう黙ってやり過ごすという考えは存在しなかった。
部屋の角の部分まで動かない足を引きずるように動かし、頭を抱えるようなポーズを取りながら、耳塚は必死に叫ぶ。その叫び声を聞いてか、耳塚が今いる部屋に近づいてくる音はスピードを早めた。
「いやだい゙や゙だい゙や゙だい゙や゙だい゙や゙だ! 助けてください。助けてください。お願いします。何でもします。本当です。お願いします。助けてください。助けてください。助けてください。助けてください。」
耳塚の願いも虚しく、四畳しかない部屋の扉はいとも簡単に開かれた。
「耳塚くん! 大丈夫! 大丈夫だから! もう”奴ら”はいないから」
「ケンジしっかりしろ! ”アイツら”はどこにもいないぞ」
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい」
部屋に入ってきたのは”耳塚を襲った怪物”ではなく目黒徹と猪鼻楽であった。しかしそんな二人に気づいていないのか、耳塚は音が聞こえないようにと耳を塞ぎ、全身を震わせ、絶望に顔を歪ませながら叫び続ける。その叫びはいつの間にか助けを求めるものではなく、何に対してかわからない謝罪へと言葉を変えていた。
「ケンジ! 大丈夫だから!」
そんな耳塚の顔を掴み、猪鼻は無理矢理にでも自身の顔を見せる。瞳孔が開ききり、目の焦点が定まっていない耳塚に何度も問いかけ続け、ようやく耳塚は今自分の眼の前にいる人物が猪鼻と目黒であることを認識する。
しかし恐怖にネジ曲がった感情はそんな二人の顔を見てもコントロールし直すことはできず、猪鼻の両肩を掴むようにして耳塚は二人にせがみ始める。
「キスしてください! 俺とキス……キスしてください。もうあんな思いしたくない。キスしてください! お願いします! おねがいします!」
一度割れてしまった花瓶を完全に復元することができないのと同じで、耳塚の壊れてしまった感情をもう治すことはもう叶わないのだと目黒と猪鼻は察した。
しかしそんな耳塚の様子を見た二人の表情には苦を表現するような要素は何一つなく、むしろ広角が上がり、目も三日月の形を模していた。
「大丈夫だよケンジ。オレとキスしようか」
「きす、きすする」
「うん、口開けて」
「あ」
耳塚は自身で物事を考えるのを止めてしまったのか、猪鼻の言う通りに行動する。それはまるで操り人形のようでもあり、洗脳されている人の状態に近いものであった。
耳塚は素直に口を開けて猪鼻が自身の咥内の隅々まで舌を動かすのを待つ。
猪鼻はそんな耳塚が愛おしくてたまらないのか、耳塚を抱き寄せるようにして口づけを交わす。触れるだけのキスを何度もした後に「それじゃないぃ。そのきすじゃなぁい」と耳塚はまるで赤子のように猪鼻に対する文句をぶつける。
それに対し猪鼻は「ごめんね。ちゃんとするからね」とだけ言い、耳塚の咥内を好きなように散策する。普段は逃げるように舌を動かす耳塚も、すがりつく相手が何処かに行ってしまわぬようにと猪鼻の舌を追いかけるようにして動かす。
そんな二人の間に目黒が割って入り、二人の距離を物理的に引き剥がすと「耳塚くん。次は僕としようか」とだけ伝え、耳塚の唇に自身の親指の腹を当てると、ぐいっと猪鼻のキスの痕を消すように動かす。
「うん、する。きすする。めぐろともきすする」
「嬉しいよ。じゃあお口開けて」
「っあ……」
目黒のキスは猪鼻とは違い、耳塚に自身の唾液を流し込むようなキスをする。それはまるで耳塚のことを自身の所有物であるかのように。そしてそのことを耳塚の体に覚えさせるようなそんな感じがしてならない。
しかし耳塚はそんなキスであっても喜んで受け入れる。飲みきれなかったのか、はたまた耳塚自身の唾液が溢れ出してしまったのか。ものだけみてもそれがどちらの唾液なのかの判断はつかないが、キスするたびに開く口の隙間から透明な線が顎を伝い、紺色のスウェットに大きなシミを作り出していく。
だがシミとなったのはスウェットだけではないようであった。
「あぁ耳塚くん。熱が入っちゃった? そんなにキスが気持ちよかった?」
「ケンジはかわいいねぇ。どうする? 一旦オレ達部屋から出ていこうか?」
「やだ、でていかないで。おれをひとりにしないで……。ずっとそばにいて……」
耳塚のその言葉を二人は聞き逃さなかった。
「ずっとそばに? いいの? これからもずっと一緒にいるってことだよ?」
「いい。ずっといっしょがいい。いっしょじゃなきゃやだ。もうおれをひとりにしないで。ひとりになると”あいつら”におそわれちゃう。もうあんなおもいしたくない。おれのことはどうぐでもなんでもいい。だからずっとそばにいて」
「ケンジがそこまで言うなら仕方がないね。ずっと一緒にいようか」
「そうだね。耳塚くんが怖い思いしちゃうもんね。ずっぅと一緒だよ。これからさきずっと」
「いいの? おれずっといっしょにいられるの? ほんとうに? うれしい。ずっといっしょにいる。なんでもする。だからすてないで。ずっといっしょだからね」
「じゃあまずは、その熱をどうにかしようか」
「優しくするからね。一緒に頑張ろうね」
「うん。おれがんばる……」
そう言って二人は先ほどまで耳塚を寝かせていた黒のダブルサイズのマットレスまで移動させると、耳塚の意識がぷつんと切れるまで、その熱を出す手伝いをし続けた。耳塚に抵抗するような様子は一切見られない。それはまるで二人になら何をされてもいいという覚悟の現れではなく、二人に捨てられないようにするための耳塚の唯一残された無意識下のこの先生きていくための術であった。
「あ、トんじゃったね」
「ケンジはどんな姿でもかわいいねぇ」
「……それでこれから先どうするの?」
「どうするって?」
「耳塚くんだよ。これじゃもう外に出ることはできないんじゃない?」
「それでもいいだろ? ケンジはずっとどこかに閉じ込めておかないと」
「どっちかを選ばせるんじゃなかったの?」
「どうせケンジはもうオレ達のどっちかと一緒にいなきゃ生きていけないんだから……。時間ならいくらでもある。最後にオレを選んでさえくれればそれでいいよ。それに今はお前の家に一時的に避難させてもらってるだけだしな」
「耳塚くんが僕を選んだら?」
「ないよ。ケンジはオレを選ぶ」
「そうかなぁ……」
「ていうか、お前”霊”祓えるだろ? 俺と一緒だろ?」
「祓えるだろって、昨夜一緒に祓ったじゃないか」
「ケンジにキスで祓えるなんて嘘までついて……」
「でもそのおかげでお前も耳塚くんと今こうやって一緒にいられてるんだよ?」
「……ははっ。それもそうだな。じゃあケンジのこと見ててくれ。オレは食料とか買ってくるよ」
「わかった」
「抜け駆けすんなよ?」
「しないよ……。耳塚くんも寝てるしね。僕は寝てる人間には何もしないよ」
「どーだかねぇ」
そんな二人の会話は耳塚の耳には届かなかった。
⫘⫘⫘⫘⫘⫘⫘⫘⫘⫘
――続いてのニュースです。行方がわからなくなっている私立七ヶ瀬高等学校二年の『耳塚健司くん』『目黒徹くん』『猪鼻楽くん』の失踪から、今日で一週間が経過しました。警察や消防による懸命の捜索が続いていますが、依然として有力な手がかりは得られていません。最後に目撃されたのは今月半ばに三人が放課後の教室で話しているところを学校関係者が見たのを最後に、その足取りは完全に途絶えています。
――警察はこれまでに、学校付近の河川敷にて耳塚くんの持ち物らしきスクールバッグや教科書などが散乱していたことから、何らかの事件の巻き込まれた可能性が高いとして調査を進めておりましたが、行方不明である目黒くんのご両親がおよそ二年ほど前から連絡が取れない状態であると学校関係者と目黒くんのご両親の勤め先からの証言で明らかとなりました。
――これに伴い警察は、今回の失踪事案が単なる家出や事故ではなく、複数の要因が複雑に絡み合った特異なケースであるとみて、捜査方針を大幅に拡大しました。
――また、行方不明になっている目黒くんのご両親についてですが、警察の調べに対し、ご両親が勤務していた◎◎株式会社および有限会社△△当初『無断欠勤が続いていたため退職扱いとした』と説明していました。しかし、その後の捜査で、両社ともに恒常的な長時間労働や未払い賃金が蔓延する、いわゆる『ブラック企業』であったことが浮き彫りとなりました。両社は、社員の失踪という異常事態を把握しながらも、労働基準監督署の介入や企業の社会的責任を逃れるため、安否確認や警察への届け出を一切行わず、事実上の職務怠慢を続けていたことが明るみに出ました。この空白の二年間、目黒くんは保護者不在の状態でありながら、周囲には両親が健在であるかのように偽装し生活を続けていたとみられます。警察は、目黒くんがこうした過酷な家庭環境の中で、今回の失踪に至る何らかの動機を形成した可能性が高いとみて、企業の管理責任を含め厳しく追及する方針です。
――「学校」という日常の場から突如として消えた三人の少年たち。空白の一週間が過ぎ、地域には動揺が広がっています。警察は、どんなに些細なことでも構わないとして、三人の最近の様子や目黒くんの家庭に関する情報の提供を呼びかけています。
―fin―



