思い出さなければよかったのに

「彩乃、疲れただろう、はい」
「ありがとうございます」

 成瀬先輩がストローを挿した水ボトルを差し出すと、彩乃がペコリとお辞儀をして受けとった。
 先輩は彩乃がストローに口をつけるのを見届けてから隣の椅子に座り、ニッコリと微笑みかける。

 懐かしいな、高校時代に女子が騒いでいた、王子の微笑みだ。
 ……っていうか、今、『彩乃』って呼び捨てにしなかったか⁉︎

 ――まさか彩乃の結婚相手は……先輩なのか?


「彩乃が写真集の話を引き受けてくれてよかったよ。断られると思ってたから」
「……そうですか」

「どうして引き受けてくれたの? 僕はてっきり、木崎くんに操を立てて渋られるかと……」
「渋りましたよ」

「えっ?」
「先輩の初の写真集のモデルが私だなんて申し訳ないし、雄大もいい顔しないだろうし」

 ――彩乃……ちゃんと俺のことを気にしてくれてたんだな……結局引き受けてるけど。

「だけど社長に説教されたんです。〝二十八歳のおばさんになっても写真集を出せるなんて、とてもありがたいことなのよ! おまけにカメラマンが人気の成瀬駿! あなたと噂になってることだし、話題性バツグンなの! これで引き受けないようならモデルを辞めなさい!〟……って」

 ――くそっ! あの女狐みたいな女社長、彩乃のことをおばさんなんて言ったのか!

 待てよ、聞き捨てならない言葉が聞こえたぞ。
『噂になっている』って……彩乃と成瀬先輩のことだよな。

 そうか……そうなのか……。

「ハハッ、正直だね。まあ、僕としては社長に感謝だな」
「物好きですね。大事な初写真集に年増のモデルを使うだなんて」

「自分で年増だなんて言うなよ。彩乃はまだまだ現役じゃないか」
「……ありがとうございます。 それにしても、先輩に名前で呼ばれるのはまだ慣れないです。ずっと〝森口さん〟だったから……」

 ――そうだよ! なに勝手に呼び捨てにしてるんだよ!

「最初に言っただろ。撮影中は僕を恋人だと思って熱い視線を向けてほしいって。僕も彩乃を恋人だと思ってシャッターを切る。疑似恋愛だよ」
「疑似恋愛……ですか」

「そう。タイトルが『愛しい人』だからね。写真集を見た人が彩乃からの愛を感じられなきゃ。だから名前呼びも早く慣れてよ」

 ――職権乱用も甚だしいな!

 これはどう見ても全力で口説きにかかっている。
 高校時代にフラれてるのに、まだ未練たらたらじゃないか。しつこいな。

 でもこれで、彩乃の結婚相手が成瀬先輩じゃないのは確定だ。

 ――それじゃいったい誰と……。