思い出さなければよかったのに

 メインバザールはデリーにあるバックパッカーの聖地で、安宿がひしめいている。
 タクシーを降り、宿泊先が違う彼らと別れると、俺は自分の宿を目指して歩きだした。

 インドは人口が多いと聞いていたが、噂以上に人がひしめきあっている。
 そしてそれ以上に驚かされたのは物乞いの多さだ。

 インドでは七十年以上も前にカースト制度が廃止されているはずなのに、実際には身分による差別が今なお根強く残っている。

 物乞いをしているのはダリットと呼ばれるカースト以下の身分の人々だ。
 虚ろな目をして着の身着のままで道端に横たわっている男性や、レストランの前にしゃがみ込んでひたすら手のひらを差し出してくる老人。
 そんな姿が街のあちらこちらで見うけられた。
 
 不意にTシャツの背中をツンツンと引かれて振り返る。
 そこには目だけがギョロギョロと大きい、十歳くらいの痩せこけた少年が立っていた。

 彼が指さしたほうを見てギョッとする。
 この少年の弟だろうか、彼の足元には幼い男の子が這いずっていた。両脚が無く、腕だけで上半身を支えつつ低い地面から俺の顔をジッと見上げている。

 ――マジか……。

 物乞いをする人々に障がい者の姿が目立つのは、同情心を煽って一ルピーでも多く稼ぐためだという。
 日本にいる時にある程度の情報を仕入れてはいたが、目の前にある現実は想像を上回ってた。

 物乞いすべてに同情していてはキリがない。
 これもインターネットで仕入れてきた情報だ。
 
「ごめんな……」

 俺は日本語を知らないであろう少年にそれでも一声かけると、逃げるようにその場を立ち去った。

 驚愕と同情と罪悪感。心臓が早鐘を打つ。

 貧富の差や差別なんて世界中にゴロゴロと転がっている。今見たのはそのほんの一部にすぎない。
 そうわかっていてもショックが隠せない。

 海外に来て早々に手痛い洗礼を受けたような気がした。

 そして、彼らに比べて自分が抱えている悩みのなんと小さいことか。
 彩乃への劣等感や成瀬先輩への嫉妬。
 そんなものでいつまでもウジウジして、今だに好きな女の写真ひとつ撮れやしない。

 ――俺って小っせーな。

 だからこの旅で俺は変わる。変わりたい。
 自信をもって彩乃と前に進んでいける、アイツを支えてやれる男に……俺はなりたいんだ。

「彩乃、待っててくれよ」

 強い熱気とスパイスの香りでむせかえる街を見渡しながら、俺は遠く日本にいる彩乃を想った。