思い出さなければよかったのに

 * * *

 十一月の初旬。俺と彩乃は同棲を開始した。

「ハッピーバースディ、彩乃。そしてお疲れ様」
「ありがとう雄大、お疲れ様〜!」

 カチンとシャンパングラスを合わせて乾杯する。

 七・五帖のLDKにガラステーブルとローソファーとテレビとパイプハンガー。
 隣の四・五帖にはクイーンサイズのベッド。
 今日からここが俺達の城だ。

 駅から徒歩十分、築七年の1LDK。
 外から出入りが見えにくく、セキュリティーもしっかりしている物件となると、家賃もそれなりになる。

『私の希望なんだから私が家賃を払うよ。どうせ荷物も私のほうが多いんだし』

 彩乃の喜ぶ顔と男のプライドを秤にかけて、前者を取った。
 家賃の三分の二が彩乃の負担、残りの三分の一が俺の支払い分と決まった。

 ここに至るまでに、全く問題がなかったわけではない。
 彩乃の所属している事務所はモデルがメインで恋愛には寛容だが、彩乃の場合はアイドルのような売り方をしているから、同棲に対して事務所がいい顔をしなかったのだ。

 二人揃って社長に呼びだされ、事務所の応接室で話し合いの場が持たれた。
 社長とマネージャー、彩乃と俺で向かい合い、狐みたいに細い目をした女社長に渾々(こんこん)と説教をされる。

『ここまで売りだすのに事務所がどれだけ力を入れてきたと思ってるの?』
『今ここでファンが離れたら、人気が落ちるのなんてあっという間なのよ』
『大体、彼氏がいることだってバレたくないのに、同棲だなんて……』

 ジロリと俺に睨みをきかせながら、彩乃とマネージャーにネガティブ発言を続ける社長に向かって、彩乃が堂々と言い放った。

『私は雄大がいるから頑張れてるんです。契約書には男女交際禁止だなんて書かれていなかったし、もしも書かれていたら、私はこの事務所で働いていませんでした。第一、もうすぐ二十四歳になるのに彼氏の一人もいないって、そんなの今どき誰が信じるんですか⁉︎』

 もう二人とも成人しているのだし、両家の親も公認。結婚したっておかしくない年齢だ。
 そういって一歩も引かない彩乃の説得に、社長が折れた。

 結果、俺との関係を大っぴらにしないこと、バレないよう細心の注意をはらうという約束の元、どうにか許可をもらうことができて、俺達の引っ越し話は動きだしたのだった。

「――彩乃、手を出して」

 シャンパンで乾杯をした後、彩乃の手にちょこんと合鍵を乗せてやる。シルバーのハート型キーホルダー付きだ。

「遅くなったけど、二十四歳おめでとう。今日からよろしくな」
「やった、合鍵!  キーホルダーまで買ってくれたの⁉︎」

 彩乃はパアッと花開くような笑顔を浮かべたかと思うと、次の瞬間には目を閉じて両手で合鍵を握りしめ、大切な宝物のように胸に抱く。

 その嬉しそうな顔を見れただけで、男として誇らしいというか、一仕事やり終えた達成感があって、心がじんわりと温かくなる。
 無理してでも引っ越ししてよかったな……と思えた。

「嬉しい……私の我が儘を聞いてくれてありがとう。 無理させちゃって、ごめんね」

 無理させた……というのは、金銭的な面と、労力の面、両方を言っているのだろう。
 彩乃は忙しいし大っぴらに動くことができないため、マンションの契約をはじめ引っ越しの手続きは殆ど俺一人で済ませた。
 じつをいうと十月末に俺だけ一足先に引っ越しを済ませて生活を始めていて、彩乃はそこに今日、荷物を運び込んできた形となる。

 彩乃の誕生日当日の十月二十五日は日曜日だった。
 その日に引っ越しすれば、まさしく『誕生日のプレゼント』になったんだろうけど、あいにくその日は彩乃に事務所主催のファンの集いがあって無理だった。

 その後もお互いに忙しくて会えないままだったから、今日は久々の再会にして、やっと出来た誕生祝い、そして引っ越し祝いというわけだ。

 誕生日より一週間もあとだとか、家賃を彩乃のほうが多く出すとかサマにならないところもあるけれど、それでも同棲開始には違いない。
 俺の誕生日に約束したとおり、彩乃が望んだ誕生日プレゼントをようやく贈ることができたのだ。