思い出さなければよかったのに

俺は黙ったままの彼女に後ろからゆっくりと近づくと、ローソファーの背もたれ越しに手をのばし、細い肩にそっと抱きついた。

「ごめんな、ずっと待たせて」
「……遅いよ……バカ」
 前にまわした俺の腕に、彼女の両手が重なる。
 ポトリ……と涙の滴が腕に落ちてきた。
 温かい。
 
「ごめん……」
 彼女にはずっと苦労をかけっぱなしだった。
 ずっと……。

 ――アレっ?

 俺ってその前は何してたんだっけ?
 何か言わなきゃいけないことがあった気がする。
 俺はフリーでアート写真を撮りたくて、海外に行って、賞を獲って帰ってきて……。

 なんだろう、なぜかそれ以外の記憶にモヤがかかったみたいに思い出せない。
 俺は彼女に会わなくちゃいけなくて、伝えたいことがあって……。

「なあ、俺ってさ……」
 そこまで言ったところで、振り向いた彼女に唇を奪われた。

「もういいよ、考えなくて」
 俺の首に彼女の腕がまわされる。

「何も考えないで。思い出さなくていいから……来て」
 彼女にもう一度深く口づけられて、身体の奥の欲望が(くすぶ)りだす。

 ――ああ、彼女の唇だ……。
 薄くて柔らかくて温かくて……。

 俺はローソファーを(また)いで彼女の隣に腰を下ろすと、華奢な身体をきつく抱き締めて三年ぶりの感触を味わった。
 重ねた唇はそのままに、右手の指を彼女の左手の指にキュッと絡める。

 ――んっ?
 絡めた中指と薬指のあいだに硬いものが当たり、違和感に動きを止めた。
 恐る恐る顔を離し、繋いだ細い指に目をやる。

 彼女の左手薬指。そこにあるのはシルバーの輪っか。真ん中のツイストした部分に小さなダイヤがはまっただけのシンプルな……。

「指輪⁉︎」

 俺は思わずパッと手をほどいたものの、すぐに彼女の薬指をつかみなおす。
 そしてその根元に輝くリングをまじまじと見つめた。

「おい、これって結婚指輪……おまえ、結婚したのかよ!」
 彼女は否定も肯定もせず、黙ってうつむく。

「なんでだよ……俺、三年で帰ってくるって……成功してもしなくても帰ってくるから待っててって言ったのに……」

 すると彼女がバッと勢いよく顔を上げた。目にいっぱいの涙を浮かべて、切なげに首をフルフルと横に振る。

「……待ってたよ。ずっと信じて待ってたよ」
「じゃあ、コレは何なんだよ! なんでこんなの()めてんだよ! そんなの今すぐはずせよ!」
「駄目っ!」

 彼女は指輪にのばした俺の手を振り払い、右手で自分の左手を大事そうに胸に抱きしめる。

「絶対に渡さない。これは私のだから! 私の大切な……」
「何言ってんだよ! おまえは俺の……」