*
あれは、高校の入学式が始まる前のことだ。
入学前からインスタで繋がることが当たり前になり始めていた頃で、私と彼のインスタが繋がったのも偶然だった。
『天宮の新入生で合ってますか?』
どこの誰かもわからない、ただ同じ天宮高校に入学する予定であるだろう彼から初めて届いたDMは、そんな文言だったはずだ。
最初の印象は陽キャだな、だった。なんならチャラいんだろうな、とも思った。
返信は当たり障りなく返した。女の子の知り合いがほしかったから、ちょっと残念だったのだ。
だけど入学前に知り合いを作っておくのはメリットだったため、その後もDMはなんとなく続けた。
彼の名前は、灰司だった。ハイジ、という響きが聞き慣れなくて、最初は偽名だと疑ったけれど本名だったことに驚いた。いまの時代は便利なもので、インスタのストーリーを見れば、その人のだいたいの雰囲気が掴める。彼のストーリーは男友達と楽しそうに遊んでいる日常が切り取られていた。
灰司の第一印象は女の子の扱いが上手そうで正直良くなかったけれど、話していくうちにチャラいというより愛嬌のある性格だと知って、気付けば打ち解けていた。
灰司とは、なぜかすごく気が合った。話す場所はDMからLINEになり、毎日朝から晩までずっとLINEをしても話の種は尽きなかった。
『比奈って人見知り?』
『人見知りではないけど高校で友達できるか不安なんよなあ』
『大丈夫、おれと友達やったらなんとかなる!』
『じゃあいっぱい紹介してもらおかな』
『したるしたる。おれが比奈に合いそうなひと探したるわ』
『頼りになります泣』
灰司との会話は、そんなどうでも良いことだった。私以外にたくさんの人とDMしているコミュ力お化けだということは知っていて、もちろん女の子ともたくさん連絡を取っているのも承知だ。
入学前から出されていた宿題を、協力して終わらせた思い出もいまだに覚えている。
『ひなーーおれ英語苦手やから教えて!』
『じゃあ代わりに私が苦手な数学教えてな』
『よしゃ交渉成立!』
『今回だけやから!』
私じゃなくても良いくせに。
そう感じながらも、惹かれている自分がいた。
まだ高校生になりたての頃で、自分でも言うのもなんだけれど、すごく純粋だったのだ。
ときどき、恋愛の話になった。
彼は元カノがふたりいた。私は元カレはいなかった。
灰司は元カノに浮気されたと言っていた。だから浮気だけは絶対駄目だと、いつもお調子者のくせにその話のときはやけに真剣な返信だった。
『ひなーひまやろ。電話しよ』
『ひまちゃうけどいいよ』
『それはひまやねん』
電話を誘うのは毎回、灰司からだった。
私から誘ったことは一度もない。断られるのが怖い臆病者だったのだ。
まだ会ったことはないのに、過去のことやどんな性格なのか知っている。声も知っている。不思議な感覚だった。
*
入学式の日、灰司とほかの共通の友達と待ち合わせをした。
そのとき初めて、灰司と対面で会った。アーモンドアイが印象的で、シンプルにカッコいいなと感じた。そして文字で話していたときと同じで、無性に面白い人だった。
「あ、おれ8組や。ひなは?」
「えーっと、私は3組」
「クラス離れたな。おれがおらんくてもちゃんとやれよ」
「言われなくても!」
またな〜と手を振られて、そのまま灰司は私と違う教室に向かって行った。
あわよくば、同じクラスがよかった。
そうしたらもっと、仲良くなれたのに。
*
入学してから数日経ったある日のこと。
もうその頃には私は灰司の沼に落っこちていて、すっかり好きになっていた。単純だけど、自分ではコントロールできないくらいに惹かれてしまっていたのだ。
『比奈って、いつか悪い男にだまされそうやな』
『そんなことないって』
『あるで。ほいほいついていきそう』
『どんな印象なんよ』
『でも任せろ。そうならんようおれが守ったるわ』
こういうところだ。この男の、こういうところにまたのめり込んでしまう。
私のことが好きがゆえの発言ではないとわかっていた。それなのに、灰司の言葉ひとつで一喜一憂してしまう自分が憎い。
『じゃあ、守って』
『えーよ。しゃーなしやで』
『しゃーなしとか言わんでよ』
『ごめんて。てかもう眠い。寝そう』
『え、もう寝るん?』
『寝てほしくないん?』
『うん』
『ほーん。可愛いとこあるやん』
『なにそれ。灰司と違って私慣れてないんやから遊ばんといて』
『遊んでへんわ!』
恋愛経験がほとんどなかった私は、まんまと引っかかってしまう。
悪い男はあんただよ、灰司。
*
登校時間が被ると、下駄箱で喋ることもよくあった。
「おそ。遅刻ちゃうか比奈」
「まだ1分ある。てか灰司も遅いやん」
「今日はちょっとミスっただけ」
「じゃあ私もミスっただけ」
「真似しやんといて」
「最初にちょっかいかけてきたのは灰司やん」
階段を駆け上りながら、テンポ良く会話する。
そんなときでさえ、私の心臓はうるさい。
違うクラスだけど、廊下ですれ違えば何かひと言交わすのも日常だった。
「明後日からのテスト自信あんの? 比奈は」
「うん、ごめんやけど自信しかない」
「かっけえ。んじゃ勝負しよ」
「いーよ。私勝つからね」
「そんな簡単に負けへんからな〜」
友達からもよく、「灰司と仲良いんや」と驚かれていた。灰司は入学早々、学年で知らない人はいないくらい有名人になっていて、私は反対にごく普通に生きていたからだ。
そして灰司は案の定、モテていた。すでに何人かが彼のことを好きだと言う噂を、何度も耳にした。
それでも、毎晩のLINEが楽しみだった。少しだけ、自分は特別なんだと思っていた。灰司は人気者なのに、なぜか変な期待があったのだ。
どうでも良いことを喋って、ときどき電話して、彼が寝落ちするまで繋げておく。私が寝落ちすることはなかった。なぜなら、睡魔なんかより灰司と話していたいという気持ちが大きかったから。
*
そして、忘れもしない、春の休日。
私が彼のことを好きだと知っている友達が、夜LINEで『まってひなやばい』という文言とともに、あるスクショを送ってきた。
灰司と同じクラスの、元気で可愛いカナちゃんのストーリーのスクショ。それを見て、ガツンと殴られたのかと思うほど頭が真っ白になった。
ツーショット。カナちゃんの隣には、灰司がいた。
それを見た瞬間、全てを察した。
昨日の夜、灰司はLINEで、同じクラスの仲良しグループでテーマパークに行くと言っていたのだ。そうして今日、何かをきっかけにカナちゃんと付き合うことになったのだと理解した。
どうしても信じられなくて、震える手でインスタを開いた。そして、カナちゃんのストーリーを見る。ああ、嘘じゃない。
それから、教えてくれた友達に何を言ったのか覚えていない。ショックのあまり、何も考えられなかった。
私は、思わせぶりをされただけだったのだろうか。いや、わかってた。私だけが、必死だったって。
それから数分経って、LINEが一通届いた。今いちばん話したくない、灰司からだった。
『もうひな知ってるかもやけど、おれ彼女できた』
その言葉を見た瞬間、涙がぶわっと溢れた。灰司が、他の女の子の彼氏になった。私は、付き合えない。こんなに灰司のことが大好きなのに。
泣きすぎて目が腫れるとか、どうでもよかった。そんなことより、わざわざ彼女ができたことを私に報告してくるところが心底腹が立った。
『そっか、おめでとう!』
その返信を送るのに、30分かかった。その間、ずっと涙を拭いていた。
『これからも友達として話してな!』
“友達として”、か。
その言葉がどれほど残酷か、この人は分かってるのか否か。
『もうLINEはせんとくね。可愛い彼女さん、大切にしなよ』
精いっぱいそれだけ言って、灰司とのLINEは終わらせた。どうせ灰司は、付き合ったばかりでカナちゃんとラブラブなのだ。私のことなんて、どうでもいいはず。
意味わからないくらい大好きで、意味わからないくらい大嫌いになった。引きちぎられるんじゃないかというくらい、胸が痛かった。
あの失恋の痛みは、ずっとずっと、忘れられない。
*
次の日、泣き腫らした目で学校に行った。親友と歩く通学路で、慰めてもらった。
神様は意地悪で、朝、下駄箱で灰司に会ってしまった。ばっちり目が合って、勢いよく目を逸らした。こんなひどい顔、見せられない。
彼の顔を見て、また泣きそうになる。急いで靴を履き替えて、親友の腕を引っ張って階段を上る。
「……大丈夫? なわけないよね、比奈」
親友が心配してくれたけれど、曖昧にごまかした。
その日の授業は、散々だった。何も聞いていなくてペアワークもまともにできなかったし、ふとした瞬間に涙が滲んだ。なんで灰司の隣は私じゃないんだろうと本気で考えた。そんなことを考えても、灰司は私の人にはならないのに。
*
灰司のことは、1年半ほど引きずった。
中途半端に終わった恋だったせいで、プロローグみたいにその続きがあると思っていた恋だったせいで、失恋から立ち直るのに時間がかかった。
失恋から数ヶ月経って、親友があることを伝えてくれた。
「灰司さ、あいつ、あの下駄箱で会った朝、教室で私に話しかけてきてさ。『ひな大丈夫?』って。ムカついたから、『余計なお世話やわ!』って言ってしもた。余計なことかもやけど、時間経ったから一応伝えておくね」
私が好きだったこと、しっかりバレていたんだと気付いた。だけどそれより、良い親友を持ったなあと泣きそうだった。
灰司はカナちゃんと、半年ほどで別れた。彼に彼女がいなくなってからは、あの頃みたいに毎日他愛もないLINEをする日々が戻っていた。都合の良いやつ、と思いながら、楽しかったから別に良かった。
灰司への恋心は水面下で残っていたけれど、あんな想いはもう二度としたくないという気持ちが大きくて、彼と付き合いたいとはもう考えなくなっていた。
ちゃんと、友達だった。初めの頃のように灰司に対して恋愛感情をもう滲ませていない、さらりとした友情だった。その距離感が心地よかったのか、灰司は私によく懐いた。
いつの頃か、私が彼を好きだった時期を話題にして懐かしむことも普通にするようになった。
『おれさ、』
『うん』
『いや、やっぱちょっと言わんほうがいいかも』
『言いかけたんやったら最後まで言うべき』
『まあたしかに』
『なに?』
『おれも、ずっとひなのこと良い人やなって思ってた』
狡すぎると思う。灰司は、いつまで経ってもひどい男だ。
良い人ってなんなの。私はあんたの好きな人になりたかったのに。
『うん、私、良い人やもん』
かろうじてそう言った。
しばらく悲しいような嬉しいような不思議な気持ちになっていたけれど、彼にとっての良い人だった私を、誇りに思って良い気がした。
*
それからは卒業するまで、れっきとした友達だった。
たまに言葉を交わしたり、お互いの誕生日はLINEで祝いのメッセージを入れたりする、簡素で頼りない仲。
ときどき彼からの言葉を思い出してあの頃に強く引き戻されるときがありながら、それでも彼のことをまた好きになることはなかった。
あの恋がもし実っていたら、今の私はいない。
灰司と付き合えなかったからこそ、すごく苦しい日々を乗り越えたからこそ、今は良い経験だったなと振り返ることができている。
灰司、あんたは私が初めて本気で好きになった人。
許せないこともあるけど、それでも、こんな気持ちにさせてくれたこと、感謝するよ。
ありがとう。
あれは、高校の入学式が始まる前のことだ。
入学前からインスタで繋がることが当たり前になり始めていた頃で、私と彼のインスタが繋がったのも偶然だった。
『天宮の新入生で合ってますか?』
どこの誰かもわからない、ただ同じ天宮高校に入学する予定であるだろう彼から初めて届いたDMは、そんな文言だったはずだ。
最初の印象は陽キャだな、だった。なんならチャラいんだろうな、とも思った。
返信は当たり障りなく返した。女の子の知り合いがほしかったから、ちょっと残念だったのだ。
だけど入学前に知り合いを作っておくのはメリットだったため、その後もDMはなんとなく続けた。
彼の名前は、灰司だった。ハイジ、という響きが聞き慣れなくて、最初は偽名だと疑ったけれど本名だったことに驚いた。いまの時代は便利なもので、インスタのストーリーを見れば、その人のだいたいの雰囲気が掴める。彼のストーリーは男友達と楽しそうに遊んでいる日常が切り取られていた。
灰司の第一印象は女の子の扱いが上手そうで正直良くなかったけれど、話していくうちにチャラいというより愛嬌のある性格だと知って、気付けば打ち解けていた。
灰司とは、なぜかすごく気が合った。話す場所はDMからLINEになり、毎日朝から晩までずっとLINEをしても話の種は尽きなかった。
『比奈って人見知り?』
『人見知りではないけど高校で友達できるか不安なんよなあ』
『大丈夫、おれと友達やったらなんとかなる!』
『じゃあいっぱい紹介してもらおかな』
『したるしたる。おれが比奈に合いそうなひと探したるわ』
『頼りになります泣』
灰司との会話は、そんなどうでも良いことだった。私以外にたくさんの人とDMしているコミュ力お化けだということは知っていて、もちろん女の子ともたくさん連絡を取っているのも承知だ。
入学前から出されていた宿題を、協力して終わらせた思い出もいまだに覚えている。
『ひなーーおれ英語苦手やから教えて!』
『じゃあ代わりに私が苦手な数学教えてな』
『よしゃ交渉成立!』
『今回だけやから!』
私じゃなくても良いくせに。
そう感じながらも、惹かれている自分がいた。
まだ高校生になりたての頃で、自分でも言うのもなんだけれど、すごく純粋だったのだ。
ときどき、恋愛の話になった。
彼は元カノがふたりいた。私は元カレはいなかった。
灰司は元カノに浮気されたと言っていた。だから浮気だけは絶対駄目だと、いつもお調子者のくせにその話のときはやけに真剣な返信だった。
『ひなーひまやろ。電話しよ』
『ひまちゃうけどいいよ』
『それはひまやねん』
電話を誘うのは毎回、灰司からだった。
私から誘ったことは一度もない。断られるのが怖い臆病者だったのだ。
まだ会ったことはないのに、過去のことやどんな性格なのか知っている。声も知っている。不思議な感覚だった。
*
入学式の日、灰司とほかの共通の友達と待ち合わせをした。
そのとき初めて、灰司と対面で会った。アーモンドアイが印象的で、シンプルにカッコいいなと感じた。そして文字で話していたときと同じで、無性に面白い人だった。
「あ、おれ8組や。ひなは?」
「えーっと、私は3組」
「クラス離れたな。おれがおらんくてもちゃんとやれよ」
「言われなくても!」
またな〜と手を振られて、そのまま灰司は私と違う教室に向かって行った。
あわよくば、同じクラスがよかった。
そうしたらもっと、仲良くなれたのに。
*
入学してから数日経ったある日のこと。
もうその頃には私は灰司の沼に落っこちていて、すっかり好きになっていた。単純だけど、自分ではコントロールできないくらいに惹かれてしまっていたのだ。
『比奈って、いつか悪い男にだまされそうやな』
『そんなことないって』
『あるで。ほいほいついていきそう』
『どんな印象なんよ』
『でも任せろ。そうならんようおれが守ったるわ』
こういうところだ。この男の、こういうところにまたのめり込んでしまう。
私のことが好きがゆえの発言ではないとわかっていた。それなのに、灰司の言葉ひとつで一喜一憂してしまう自分が憎い。
『じゃあ、守って』
『えーよ。しゃーなしやで』
『しゃーなしとか言わんでよ』
『ごめんて。てかもう眠い。寝そう』
『え、もう寝るん?』
『寝てほしくないん?』
『うん』
『ほーん。可愛いとこあるやん』
『なにそれ。灰司と違って私慣れてないんやから遊ばんといて』
『遊んでへんわ!』
恋愛経験がほとんどなかった私は、まんまと引っかかってしまう。
悪い男はあんただよ、灰司。
*
登校時間が被ると、下駄箱で喋ることもよくあった。
「おそ。遅刻ちゃうか比奈」
「まだ1分ある。てか灰司も遅いやん」
「今日はちょっとミスっただけ」
「じゃあ私もミスっただけ」
「真似しやんといて」
「最初にちょっかいかけてきたのは灰司やん」
階段を駆け上りながら、テンポ良く会話する。
そんなときでさえ、私の心臓はうるさい。
違うクラスだけど、廊下ですれ違えば何かひと言交わすのも日常だった。
「明後日からのテスト自信あんの? 比奈は」
「うん、ごめんやけど自信しかない」
「かっけえ。んじゃ勝負しよ」
「いーよ。私勝つからね」
「そんな簡単に負けへんからな〜」
友達からもよく、「灰司と仲良いんや」と驚かれていた。灰司は入学早々、学年で知らない人はいないくらい有名人になっていて、私は反対にごく普通に生きていたからだ。
そして灰司は案の定、モテていた。すでに何人かが彼のことを好きだと言う噂を、何度も耳にした。
それでも、毎晩のLINEが楽しみだった。少しだけ、自分は特別なんだと思っていた。灰司は人気者なのに、なぜか変な期待があったのだ。
どうでも良いことを喋って、ときどき電話して、彼が寝落ちするまで繋げておく。私が寝落ちすることはなかった。なぜなら、睡魔なんかより灰司と話していたいという気持ちが大きかったから。
*
そして、忘れもしない、春の休日。
私が彼のことを好きだと知っている友達が、夜LINEで『まってひなやばい』という文言とともに、あるスクショを送ってきた。
灰司と同じクラスの、元気で可愛いカナちゃんのストーリーのスクショ。それを見て、ガツンと殴られたのかと思うほど頭が真っ白になった。
ツーショット。カナちゃんの隣には、灰司がいた。
それを見た瞬間、全てを察した。
昨日の夜、灰司はLINEで、同じクラスの仲良しグループでテーマパークに行くと言っていたのだ。そうして今日、何かをきっかけにカナちゃんと付き合うことになったのだと理解した。
どうしても信じられなくて、震える手でインスタを開いた。そして、カナちゃんのストーリーを見る。ああ、嘘じゃない。
それから、教えてくれた友達に何を言ったのか覚えていない。ショックのあまり、何も考えられなかった。
私は、思わせぶりをされただけだったのだろうか。いや、わかってた。私だけが、必死だったって。
それから数分経って、LINEが一通届いた。今いちばん話したくない、灰司からだった。
『もうひな知ってるかもやけど、おれ彼女できた』
その言葉を見た瞬間、涙がぶわっと溢れた。灰司が、他の女の子の彼氏になった。私は、付き合えない。こんなに灰司のことが大好きなのに。
泣きすぎて目が腫れるとか、どうでもよかった。そんなことより、わざわざ彼女ができたことを私に報告してくるところが心底腹が立った。
『そっか、おめでとう!』
その返信を送るのに、30分かかった。その間、ずっと涙を拭いていた。
『これからも友達として話してな!』
“友達として”、か。
その言葉がどれほど残酷か、この人は分かってるのか否か。
『もうLINEはせんとくね。可愛い彼女さん、大切にしなよ』
精いっぱいそれだけ言って、灰司とのLINEは終わらせた。どうせ灰司は、付き合ったばかりでカナちゃんとラブラブなのだ。私のことなんて、どうでもいいはず。
意味わからないくらい大好きで、意味わからないくらい大嫌いになった。引きちぎられるんじゃないかというくらい、胸が痛かった。
あの失恋の痛みは、ずっとずっと、忘れられない。
*
次の日、泣き腫らした目で学校に行った。親友と歩く通学路で、慰めてもらった。
神様は意地悪で、朝、下駄箱で灰司に会ってしまった。ばっちり目が合って、勢いよく目を逸らした。こんなひどい顔、見せられない。
彼の顔を見て、また泣きそうになる。急いで靴を履き替えて、親友の腕を引っ張って階段を上る。
「……大丈夫? なわけないよね、比奈」
親友が心配してくれたけれど、曖昧にごまかした。
その日の授業は、散々だった。何も聞いていなくてペアワークもまともにできなかったし、ふとした瞬間に涙が滲んだ。なんで灰司の隣は私じゃないんだろうと本気で考えた。そんなことを考えても、灰司は私の人にはならないのに。
*
灰司のことは、1年半ほど引きずった。
中途半端に終わった恋だったせいで、プロローグみたいにその続きがあると思っていた恋だったせいで、失恋から立ち直るのに時間がかかった。
失恋から数ヶ月経って、親友があることを伝えてくれた。
「灰司さ、あいつ、あの下駄箱で会った朝、教室で私に話しかけてきてさ。『ひな大丈夫?』って。ムカついたから、『余計なお世話やわ!』って言ってしもた。余計なことかもやけど、時間経ったから一応伝えておくね」
私が好きだったこと、しっかりバレていたんだと気付いた。だけどそれより、良い親友を持ったなあと泣きそうだった。
灰司はカナちゃんと、半年ほどで別れた。彼に彼女がいなくなってからは、あの頃みたいに毎日他愛もないLINEをする日々が戻っていた。都合の良いやつ、と思いながら、楽しかったから別に良かった。
灰司への恋心は水面下で残っていたけれど、あんな想いはもう二度としたくないという気持ちが大きくて、彼と付き合いたいとはもう考えなくなっていた。
ちゃんと、友達だった。初めの頃のように灰司に対して恋愛感情をもう滲ませていない、さらりとした友情だった。その距離感が心地よかったのか、灰司は私によく懐いた。
いつの頃か、私が彼を好きだった時期を話題にして懐かしむことも普通にするようになった。
『おれさ、』
『うん』
『いや、やっぱちょっと言わんほうがいいかも』
『言いかけたんやったら最後まで言うべき』
『まあたしかに』
『なに?』
『おれも、ずっとひなのこと良い人やなって思ってた』
狡すぎると思う。灰司は、いつまで経ってもひどい男だ。
良い人ってなんなの。私はあんたの好きな人になりたかったのに。
『うん、私、良い人やもん』
かろうじてそう言った。
しばらく悲しいような嬉しいような不思議な気持ちになっていたけれど、彼にとっての良い人だった私を、誇りに思って良い気がした。
*
それからは卒業するまで、れっきとした友達だった。
たまに言葉を交わしたり、お互いの誕生日はLINEで祝いのメッセージを入れたりする、簡素で頼りない仲。
ときどき彼からの言葉を思い出してあの頃に強く引き戻されるときがありながら、それでも彼のことをまた好きになることはなかった。
あの恋がもし実っていたら、今の私はいない。
灰司と付き合えなかったからこそ、すごく苦しい日々を乗り越えたからこそ、今は良い経験だったなと振り返ることができている。
灰司、あんたは私が初めて本気で好きになった人。
許せないこともあるけど、それでも、こんな気持ちにさせてくれたこと、感謝するよ。
ありがとう。



