前世の記憶

 ひたすら話し続けている内に、始発の時間がやってきた。ずっと話し続けていたはずなのに、この時、何を話していたのかほとんど覚えていない。
 帰りの道中も同じだった。僕の言葉に対して、彼女は気のない肯定文を返す。それは僕の家の最寄り駅に着くまで変わらなかった。
 「陽!」
 随分と久しぶりに、彼女の声を聞いた気がした。
「何?」
「ありがとう。さよなら」
「えっ……」
 電車のドアが閉まり、僕と彼女の間に無機質な壁が出現した。今までクラブで会った時も、別れ際はいつも『またね』と言ってくれていた彼女が、『さよなら』って言ったことが気がかりで、言いようのない不安に襲われた。
 当時は、中学生が携帯電話を持つことが一般的な時代ではなく、彼女も携帯電話を持っている様子はなかった。それでも、彼女とはクラブに行けば会えるという慢心があったためか、彼女の連絡先を聞くことを怠っていた。
 その後、いつものクラブに足を運んでも、彼女はそこにいなかった。彼女と初めて出逢って以来、いつ訪れてもそこにいた彼女は、忽然と僕の前から姿を消してしまった。

 夏が終わりを迎え、新学期が始まっても、僕の時間は8月17日のまま止まってしまっていた。彼女と出逢う以前の日常に戻ったといえばそれまでだが、もう既に彼女の存在は、僕の日常に組み込まれてしまっていた。彼女がいない日常があまりにも非現実的すぎて、僕は自分を見失ってしまいそうだった。
 日常から逃れるためにクラブを訪れていたはずが、いつの間にかそれが僕にとっての日常になっていた。そして、彼女のいない日常を目の当たりにするのが怖くて、僕はしばらくクラブにも行かなくなった。

 残暑も薄らいできた10月に入ってすぐぐらいのこと、学校からの帰宅途中に突然人から話しかけられた。
「おーい、陽だろ?」
 声の主に近づくと、クラブのオーナーだった。街中でバッタリ会うのは初めてだったので、驚くと同時に少々気まずかった。
「最近、来てくれてないじゃん!」
「ああ、すみません。受験勉強で忙しくて」
「あっそうか、受験生か。そうかそうか、良かった。葵のことで落ち込んでいるのかと思った」
「……えっ?」
「葵もあんなに若いのに可哀想にな」
「えっ? 葵に何かあったんですか?」
「えっ? もしかしてお前知らねーの? 仲良かったからてっきり知ってるもんだと……」
 オーナーが言い終わる前に、僕は先を急かす言葉を紡いでしまっていた。