芋虫が蝶になる時

 目が覚めたら、私は芋虫になっていた。



 なんて、まるでフランツ・カフカの『変身』みたいだ。

 けれど実際、私は芋虫そのものだった。

 というのは比喩表現で、私は人間だけれど、まず手足がない。

 うすぼんやりとした記憶では、私は特に病気や大きな怪我をする事もなく、普通に暮らしていたはずだ。

 名前や家族、どこに所属してどう暮らしていたかは詳細に覚えていない。

 けれど日々の仕事に辟易としつつも、『今日はなんの服を着よう』『今日はどんなメイクをしよう』と、お洒落をする事に楽しみを見いだしていた女性ではあったはずだ。

 美味しい物が食べたい。けれど体重が増えるのも気になる。

 そんな、普通の女性らしい悩みを抱えつつ、お気に入りのパンプスに足を入れて出勤していた。

 なのに、今の私はベッドのような物の上に横たわり、自力で転がる事もできない。

 おまけに目が見えなくて視界は真っ暗だ。

 顔を擦りつけると、鼻がなく、顔はまったいらだ。

 耳もないし、髪も生えていない。

 耳がないというのは語弊があり、耳の孔は空いているけれど外耳がない。

 おまけに唇も舌も歯もない。

 この状況を第三者的に見れば、死体になっていてもおかしくない状態だろう。

 大きな事故でもあったか、常軌を逸した猟奇殺人者に、変わり果てた姿にされたと思ってもいい。

 しかし不思議な事に、私はいっさいの痛みや苦しみ、恐怖を感じていなかった。

 私はただここに〝在り〟、転がっている。

 それだけの認識だ。

「あー……」

 声帯を震わせて声を発すると、自分のものなのか疑わしい、空気混じりのうめき声が漏れた。

「おや、起きたのかい?」

 と、耳心地のいい男性の声が聞こえた。

 ――あなたは誰?

 そう尋ねたくても、舌がないので言葉が紡げない。

 その時、腹部からグゥゥウウ……、と音がした。

 おかしな事に、こんな姿になっても人は空腹を覚えるらしい。

「お腹が空いたんだね。いまご飯をあげる」

 男性はそう言ったあと、私の体を起こして背中にクッションを当てる。

 どうやら、私の鎖骨の下辺りには、何かのチューブがついているようだと、振動が加わって始めて分かった。

 しばらくして、お皿らしき硬質な物の上に、小さな物があけられる音がした。

 音の響きから、その〝小さな物〟は〝粒〟という単位で数えるに相応しいけれど、砂ほど細かではなく、ある程度の大きさがあると想像できた。

 飴玉ほど大きくはないけれど、金平糖ほど小さくもない。

 形としては球体ではなく、スティックのど飴みたいな、ある程度の平たさがある印象だ。

「これから、飴を口に入れるよ。喉に詰まらせないように気をつけて。舌がないから嚥下が困難かもしれないけれど、栄養のために頑張って」

 男性に言われ、私は頷く。

 口を開くと、歯と舌がない口内に小さくて硬い粒を入れられた。

 口をすぼめてそれをしゃぶると、ミルクのような味がした。

 しかし、舐めるのが難しい。

 飴を舐めるというのは、舌があってこそだと思い知った。

 私は時間をかけて口内に唾液を溜め、それに飴を溶かして少しずつ嚥下していく。

 ――美味しい。

 空っぽになっていた体に、飴の甘さはとても染みた。

 私は夢中になって飴をしゃぶり、小さなそれを幾つ食べたか分からなくなったあと、喉の筋肉を動かした事で疲れを覚え、いつの間にか眠ってしまった。





 起きて、飴を舐め、また寝る。

 飴は思った以上に多く、数えたら三十個近くは食べたと思う。





 ある日起きたら、私の口に歯が生えそろっていた。