ベア太郎は妖精です

 電車内には土曜授業を終えた俺と同じ制服が目立っていた。
 ドア際に立ち、窓の向こうへ視線を向ける。いつもとは反対方向へ景色が進んでいく。
 今日は俺と日下部が初めて着ぐるみ仕事をする日、日下部のアテンドデビューの日だ。土曜授業のない日下部はほかのスタッフと一緒に先に現地入りしている。
 スマートフォンに表示された時刻は十二時半。ベア太郎の出番は午後二時。イベントが行われる商業施設まではあと七駅、二十分ほどの距離。シフトでは午後一時半からの勤務なので余裕で間に合う。日下部に会うのは、一緒に罰掃除をした日以来だった。
 そっと目を閉じれば、内側で響く鼓動をより鮮明に感じることができる。楽しみに思いつつも緊張は消えない。
 マウンテンパーカーの上から、左肩を押さえる。
 振り払えなかった。日下部にとっては、バイト仲間を励ましたにすぎないと頭ではわかっていたのに。わかっていたのだ、ちゃんと。日下部にそんなつもりはないって。わかったうえで甘えた。それだけだ。
 これ以上を期待してはいけない。日下部は麻生さんがすきなのだから。わかっている、わかっているのに……ぎゅっと握りしめた先で皺が寄った、そのとき。
『緊急停車します』
 唐突に機械的なアナウンスが響いた。
 戸惑う間もなく景色は止まり、体が進行方向に引っ張られる。咄嗟に手すりを掴み、かかる力に耐えれば、ドアの上には駅名ではなく「緊急停車」の文字が並んでいた。
「……なんだ?」
 停車の余韻が抜けると周りから戸惑いの声が漏れ始める。状況を知らせるアナウンスはなかなか流れてこない。暖房はかかったままだし、電気も消えていないから停電ではないだろう。
 スマートフォンに地震の通知は来ていない。どこかで緊急停止のボタンが押されたか、この電車自体になにかがあったか。
 ちら、と画面に並ぶ数字を確認する。勤務時間まではまだ余裕があるけど、電車はすぐに動くだろうか? 会社へ連絡する? でも間に合うかもしれないし。そしたらただ無駄に心配させるだけになってしまう。本番前の忙しいときに混乱させたくない。とりあえず状況が確認できてからのほうがいいだろう。
 ドクドクと不安に揺れる心臓を、服の上から押さえたとき、ようやくアナウンスが流れ始めた。
『ご乗車のみなさまにお知らせいたします――』