ベア太郎は妖精です

 まずは庭の中央にベア太郎を集めることにした。配置は自由に変えていいことになっているから、綺麗になったものから戻せばいい。
「あと何人?」
 日下部が水色の服を着たベア太郎を足元に置く。ベア太郎たちは思い思いのポーズをしていて、集まっているのにとっても自由だ。
「十六、十七……あと三人」
「意外とまだいるな」
 ざっと目につくところは集めたので、残りはかくれんぼしているに近い。
「ベア太郎探したかったんだろ、よかったじゃん」
「そうだけど。運ぶのは想定してなかったよ」
 日下部が腰を支えながら体を反らす。見つけては持ち上げ、運んで降ろしての繰り返しは、腕より足より腰にくる。父さんがこの罰掃除にしたのは、俺たちが一番若いからかもしれない。
「あっ、あの木の後ろになんかいる!」
 体を戻すと同時に叫ぶと、次の瞬間には駆け出していた。日下部は結構本気でベア太郎探しをしたかったのかもしれない。
「あとふたりか」
 足元に集まったベア太郎たちの服の色を確認する。子どもの頃、何度と探した記憶と照らし合わせる。
「……黒とレインボー」
 足りないのは黒色とレインボーだった。
 あと探していないのは、と視線を巡らせたとき
「八神くん、あそこ」
 緑色の服を着たベア太郎を抱えたまま、日下部が中庭と休憩室を隔てる窓を指差した。
「窓?」
「の下、ほら」
 外に出るときは死角になり、外に出てしまえば視線を向けることはないであろう場所に、黒色の服を着たベア太郎が寝転がっている。何度も出入りしているのに気づかなかった。
「あんなところにいたのか」
「ね、気づかなかったね」
 緑色と黒色のベア太郎を集まりに加えれば、吐き出した息が重なった。
「これであとひとりだね」
「だな」
 残りはレインボーの服を着たベア太郎のみだ。一番かくれんぼが得意な、いつも最後まで見つからないベア太郎だ。一番目立つ色を着ているのに。
「んー、あとひとり探したいけど、掃除も始めないとまずいよね」
 日下部が腕時計を確認してから、俺を見上げる。鼻の頭が赤い。これ以上気温は上がらないだろうし、あとひとりをどれくらいで見つけられるかわからない。まずはいまいるベア太郎たちをキレイにしたほうがいいだろう。見つけられていないのがレインボーだということもわかっているし。
「そうだな。とりあえずこいつらをキレイにしよう」
 日下部がブラシを使って磨き、俺がタオルで拭き上げる。バケツの水は冷たく、指先の感覚が奪われていく。
「交代する?」
 日下部は鼻だけでなく耳も赤い。俺よりも寒さに弱そうなのは明らかだった。
「いや、いい」
 首を振り、ベア太郎の頬を拭く。
「指真っ赤じゃん」
「お前こそ鼻も耳も真っ赤だし」
「俺はいつものことだし」
 いつもなのか、と思わず顔を上げれば「すぐ赤くなるから、冬の間は静に『トナカイ』って呼ばれてた」と不満そうな顔をする。
 他愛のない、誰にでもあるような思い出でも、日下部が話すとわずかに胸が軋む。決して俺が触れることのできない時間だからか、麻生さんの名前を聞いたからか、その両方か。
「八神くんはあった? あだ名」
 日下部が俺の隣にしゃがみ込み、順番待ちをしているベア太郎にブラシをあてる。俺も手元へと視線を戻し、鮮やかな色を取り戻したベア太郎の顔と向き合う。
「――はれたろう」
「ん? なんて?」
「だから、あだ名」
「ああ、晴太郎だから。まんまじゃん」
「あだ名なんてそんなもんだろ」
「確かに八神くんっぽい。ちっとも短くなってない感じが」
「なんだよ、それ」
 俺っぽいの意味がわからない。いい意味なのか悪い意味なのかも謎だ。
 ただ、日下部が「っぽいわー」と笑う声はくすぐったく、いつもより長くバケツの水に指を浸していた。
「そういえば、八神くんは全部のベア太郎のスケジュールを把握してるんだよね」
 黒色のベア太郎を磨き上げた日下部が立ち上がる。集めたもののなかでは最後のひとりだ。汚れを落とされたベア太郎の表面は輝いていた。固く絞ったタオルで、つやつやになったベア太郎の表面を拭いていく。俺も早く終わらせて体を伸ばしたい。
「ベア太郎って何人でやってるの?」
 日下部がキレイになったベア太郎を中庭に運びながら聞いてくる。設置場所はすきにしていいと言われているので、日下部のセンスに任せることにしていた。
「五人だな」
 複数同時に存在できるベア太郎は、最大で五人いる。メインの三人は平日も出られるけど、俺は土日だけ。そしてもうひとり、どうしても必要なときに駆り出されるのが麻生さんだ。
「五人か……」
 つぶやくような響きに、そっと顔を上げる。
 ベア太郎の人数がそんなに気になる? 自分がアテンドするかもしれないから? でも、慣れるまでは俺とだけ組むことになる。そう伝えたほうがいいのだろうか、と口を開いたとき、わずかに早く日下部の唇が動いた。
「二週間前――音楽ホールの近くにいたベア太郎が誰かわかる?」
 二週間前。音楽ホール。不意に届いた単語が、カツンと頭を叩く。記憶はすぐに繋がった。はっきりと思い出せる。ニコニャンを助けたときのことを。でも、どうしてそんなことを聞くのだろう? 日下部の意図がまったくわからない。
「どうして?」
「探してるんだ」
「なんで?」
「助けてもらったから」
「ベア太郎に?」
「うん。俺、あの日はじめて着ぐるみのバイトしたんだ。どんなキャラクターかもわからないまま前日に急に頼まれてさ」
 困った顔で日下部が笑う。
「で、実際に着てみたら、すっごく視界が狭くて。足元が見えないだけでこんなに不安なんだって知って。アテンドがいなかったら全然歩けないの」
 もしかして。いや、でも、そんなこと。ドクドクと存在を主張し始める鼓動が、浮かんでしまった予想に期待と否定を混ぜ込んでいく。
「そんな状態なのに、迷子の子どもが現れてさ。俺を控室に送る前にアテンドのひとが捕まっちゃって」
 そうだ、だから麻生さんが助けに走った。
「で、俺はひとりでいるしかなくて。でも、その間にも子どもが集まって来ちゃうわけ」
 音楽ホールの裏口に集まっていた人たち。その中央から飛び出していた黄色い体。
「でも、さっきも言ったけど、俺はキャラクターのことなにもわからないからさ。お願いされるままに応えることしかできなくて」
 本当は控室に戻っているはずなのに、ひとりで対応するしかなかったニコニャン。日下部の言うとおり、決めポーズもなにもできていなかった。
「そろそろ限界だなって思ったときにさ、助けてくれたんだ。ベア太郎が」
 日下部がそのときを思い出したように安堵の表情を見せる。
 あの日、ニコニャンに隠れて見えなかった顔が――目の前にあった。
「で、そのときのベア太郎にお礼が言いたくて、静に頼んだんだ」
「麻生さんに?」
「うん。ベア太郎はベアベアドリームのひとしか着られないからって」
「つまり、日下部は最初からそのベア太郎を探すためにここに来たってこと?」
「うん」
「でも初っ端から逃げようとしたよな?」
「あー、あれは、そう、ね。でも会いたい気持ちは本当だよ」
 顔も名前も知らない、会うこともないと思っていた。それなのに、いま日下部は俺の目の前にいて、俺のことを探していると言う。
 偶然なんて言葉じゃ足りない気がして、ドク、ドク、と鼓動が内側で響く。あのときのベア太郎は俺だと、自分が助けたのだと伝えたら、日下部はどんな顔をするだろう。驚く? 喜ぶ? それとも――。
「でも、ベア太郎はひとりじゃないし、尋ねる暇もひともいないし、これじゃ探しようがなくてさ。だから、もし八神くんがわかるなら教えてほしくて」
 期待に揺れていた心臓に、ぽたり、と冷たい雫が落ちてくる。
 いまの日下部は、俺がベア太郎である可能性を少しも考えていない、とわかってしまって。日下部は俺以外の誰かを探している。俺以外の誰かに助けられたと思っている。それは俺が日下部を助けることはないと思っているってことで。
「なにも言わずに俺のこと助けてくれてさ。困っているひとを放っておけない、ベア太郎そのものだったんだよ」
 ぎゅっとタオルを握りしめれば、いつかの日下部の言葉が耳奥で蘇った。
 ――ベア太郎はもっと優しくて親切でヒーローみたいだったから。こんなふうに初対面で睨んでくるようなひとじゃないはず。
 可能性を掻き消したのは俺自身だった。
 もしもいま名乗りでたとして、日下部はどう思うのだろう。喜んでくれるかもしれない。お礼を言ってくれるかもしれない。でも「八神くんなの?」と驚かれたら? そもそも信じてもらえなかったら? 冗談だと思われたら?
 昨日この話を聞いていたなら、俺は躊躇うことなく名乗りでただろう。お前を助けたのは俺だって。自分を助けた恩人が誰かもわからなかったのかと笑ったかもしれない。残念そうな顔をされたとしても気にならなかったはずだ。でも、いまは――。
「そういえば……あの日、電車に乗ってたの八神くんじゃなかった?」
「電車?」
「バイト向かうときに、ベア太郎の動画観てるひといたなーって思い出して」
 ドクッと心臓が大きく音を立てる。ベア太郎の動画を観ていたことと、着ぐるみに入っていたことはイコールにはならないはずだが、日下部のなかでは繋がっているのだろうか。
「違う?」
 日下部の丸っこい目が猫のように見つめてくる。
「いや、どうだろ……」
「わかんないか。まあ、そうだよね。なんか嬉しそうな空気出てた気がしたから、もしかしてと思っちゃった」
「なんで嬉しそうだと俺になるんだよ」
「えー、なんとなく?」
 からりと日下部が笑い、緩んだ空気に体が強張っていたことを自覚する。このままバレてしまったほうがよかった気もするけど、いまはまだこわい。
 いまは――少なくともいまは、まだ知られたくない。せめて俺がベア太郎である可能性を、日下部が少しでも考えられるくらいになるまでは。
「日下部」
「うん?」
 日下部が窓の下のスペースへと黒色の服を着たベア太郎を降ろしてから振り向く。
「ベア太郎がニコニャンを助けたっていうの、ほかのひとには言うなよ」
「えっ、でもほかのひとにも聞いたほうが早くない?」
「マニュアルの最後のページにあっただろ」
「マニュアル?」
 えーっと、と日下部がメモを取り出すより早く、俺は口を開く。
「ほかのキャラクターとの接触は原則禁止とするって」
「ああ、営業妨害とかなんかトラブルになったらまずいってやつか」
「そう。だからベア太郎がお前を助けたっていうのは、ほかのひとには言うなよ。ベア太郎が困ることになるから」
 実際にはトラブルになっていないし、すでに終わったことだから注意くらいですむだろうけど。
「んー、恩人を困らせるのはまずいもんな」
「そういうこと」
「じゃあ、八神くんに早いところ思い出してもらうしかないね」
 ふっと柔らかな笑みを見せられ、胸の奥が痛くなる。わざと隠し続ける罪悪感と、真実を知ってもいまと同じように笑ってくれるだろうかという不安が複雑に混ざり合う。まっすぐ視線を受け止めることが苦しくなり、不自然にならないよう顔を中庭へと向けた。
「あれ? 配置変更しなかったのか?」
「うん。変えずに戻した」
「配置覚えてたってこと?」
「メモとったから」
「変えてもいいって言われたのに」
「んー、でも、この位置に置いたひとがどうしてそうしたのかわからないのに変えるのはなんか違うじゃん」
 いまのベア太郎の配置は父さんが指示したものだ。母さんが亡くなって、中庭の手入れは定期的に業者が入るようになった。それに合わせてベア太郎の配置も変わっている。母さんが最後に残した位置を崩されてから、俺には関係ないと思っていたけど。父さんには父さんの理由があるのだろうか。
「ねえ、本当にあとひとりいるんだよね?」
 え、と顔を向ければ、日下部は自分のメモと中庭を交互に見ている。
「何度見ても十九人しかいないんだよなあ」
「まあ、レインボーは一番隠れるのがうまいから」
「レインボー?」
「ああ、最後のひとりはレインボーの服を着たベア太郎だから」
 ぱっと瞳を大きくした日下部が「もしかして」と小さくつぶやく。
「八神くん、俺それ見たかも」
 日下部の視線は中庭ではなく、なぜか窓に隔てられた室内へと向いていた。