ベア太郎は妖精です

「――これで、最後っと」
 互いに作った落ち葉の山を袋に回収すれば、四十五リットルの袋四つ分になった。建物内からは死角になるゴミ置き場に、カラフルな落ち葉の塊が四つ積まれる。
「あとはベア太郎か」
「体があたたまっているうちにやっつけたいよね」
「やっつけたいって」
 まるでベア太郎が敵みたいな言い方に、思わず笑ってしまう。
「掃除をね。ベア太郎じゃないよ」
 日下部が大げさなくらい、ぶんぶんと両手を振る。ベア太郎に聞かれたらまずいとでも思っているのだろうか。ベア太郎ってそんなにこわい存在だっけ? いや、神さま的な感じか?
「ベア太郎に怒られるとでも思ってんの?」
「怒られるっていうか、大事にしないといけないじゃん」
「それはそうだけど」
「機嫌損ねたら出てきてくれないかもしれないし?」
 なんだよ、それ。口にするはずの言葉が喉奥で止まる。日下部の言葉が懐かしさに触れた。
 ――でも、大切にしないと出てきてくれなくなるから気をつけてね。
 どうして日下部の言葉は、母さんを思い出させるのだろう。子どもだった頃の思い出にばかり触れてくるのだろう。どうして、と思いながらも「日下部だから」とどこかで納得してもいる。日下部は俺が持ち続けられなかったものを持っているから。
「母さんも似たようなこと言ってたな」
「八神くんのお母さんって、ベア太郎を作ったひとだよね?」
 うん、と俺が頷く間にも日下部が「そっか、そっかあ」と嬉しそうに目を細める。
「じゃあ、俺もうまくやっていけるかな。……やっと」
 明るい響きの最後、不安げな色が掠めた気がした。突っ込んでもいいのかわからず、とりあえず歩き出す。日下部も半歩後ろからついてくる。芝生を踏みしめる音だけが乾いた空気を揺らす。先に口を開いたのは日下部だった。
「午前中にさ、いろいろ教えてもらったじゃん」
 ぽつり、と降り始めの雨のような声が落ちてくる。午前中はスタッフが揃っていたので、日下部はアテンドとしての仕事を教えてもらっていた。アテンドするには着ぐるみの気持ちも知らなくてはいけないとベア太郎にも入っていた。
「なんか、こわいな、って思っちゃった」
「こわい?」
「前にも言ったけど、俺ずっと隙間バイトしかしてなかったから、そのときだけの、そのときに見えるものしか見てなくて」
 カサ、と足元の乾いた音が止まる。わずかに遅れて俺も立ち止まる。
「用意されたものだけやればいいのってラクなんだよ。このときのためにどれだけのひとが関わって、どれだけ準備してきたのかなんて知らないから、プレッシャーとかないし。なにか失敗してもそのときだけで、終わってしまえば関わることもないから責任もないわけ」
 びゅわり、と冷たい風がニット帽からはみ出た日下部の髪を揺らす。日下部は風に抗うことなく、空を見上げる。広がる薄青色は熱を留めることなく逃がしていく。
「失敗したら逃げればいいやって。そうすれば傷つかなくてすむって。だから、いまはなんか、こわい」
「――逃げたくなった?」
「まったく思ってないって言ったら嘘だけど。でも、ここで逃げる自分のほうが嫌いかな」
 にっと笑って見せた日下部が再び歩き出す。すれ違うより早く「あのさ」と声がこぼれ落ちる。
「不安になるのは真剣だからなんだって」
 え、と振り返った日下部をまっすぐ見つめる。
「真剣に準備すればするほど期待は大きくなるし、失敗がこわくなる。不安になるし、緊張もする。だけど、成功したときに心から喜べるし、失敗したときは泣きたいほど悔しくなれるんだって――ベア太郎が」
「ベア太郎が……ふっ、はは、ベア太郎が、そっか。ベア太郎、すごいな」
 さっきよりもずっと自然な笑い方だった。閉じ込めるもののない空に、からりと声が響き渡る。
「八神くん」
 冷たいだけの風が、わずかに丸みを帯びる。
「俺が失敗したら慰めてくれる?」
 それは、失敗しても逃げないという意味だろうか。俺が慰めたら日下部はこれからもここにいてくれるのだろうか。
「俺が一緒にいて失敗するとかあり得ないから」
 透き通った瞳を丸くしてから、日下部が「なんか俺のほうがベア太郎にアテンドされてそう」と息を吐き出し、笑った。