ベア太郎は妖精です

「うー、さっむい」
 日下部の遠慮のない叫びが冷たい風に攫われる。日差しはあるものの、日中の予想最高気温は十度という二月中旬――まだまだ春の気配は遠い。会社に来たときはダウンジャケットを脱いでいた日下部も、いまはダウンだけでなくマフラーとニット帽も身に着けている。坂道を上る必要のなかった俺は、室温に緩んだ体のまま薄手のダウンとマウンテンパーカーを着たうえで、ネックウォーマーと手袋を装着する。できるだけの対策をしているつもりだが、頬にあたる風の冷たさに覆面も被りたいくらいだ。
「ところで、掃除ってなにからすればいいの?」
「とりあえず落ち葉を集めるところからだな。あと、ベア太郎を綺麗にしてほしいって言われてる」
「ベア太郎って、あの二十人はいるっていう……?」
 こくり、と頷き返せば、日下部が視線をすぐそばのベンチへと向けた。ベンチの下に黄色の服を着たベア太郎が潜り込んでいる。
 ベア太郎の置物は、膝下ほどの背丈に、両手で持ち上げられるほどの重さではあるが、遠目に見つけられるくらいには大きい。布で拭くだけでも時間はかかる。外に置かれているから汚れもそれなりだし。広大な庭の掃き掃除もあるし……罰掃除としてこれほど相応しいものはないだろう。
「まじか」
 日下部のつぶやきが白く溶けていく。突っ立っていては体温を奪われるだけだ。早く取りかかって、一刻も早く終わらせたほうがいいだろう。
「じゃあ、俺はこっちから始めるから」
 右奥を指差せば、日下部も「じゃあ、俺はあっちから」と左奥を指差す。この広さはふたりでは厳しいものがあるけど、やるしかない。
 掃いても掃いてもキリがないように思えたが、風が止まったおかげで落ち葉は増えなくなった。いまのうちに、と集めて枯葉の山を作っていく。赤や黄色に茶色、緑の瑞々しい香りよりも乾いた葉っぱの香りが濃く、冬を実感させる。
 ガサガサ、と自分以外の音が近くなっていく。掃き進めれば進めるほど、落ち葉の山が増えれば増えるほど、日下部との距離が縮んでいく。気温は上がらないし、指先から冷えていくのも変わらないけれど、不思議と胸の奥はあたたかい。ひとりでもサボろうなんて思わなかったけど、ひとりじゃないからこそ休むことより進むことを選べる。
 日下部がいることに感謝しそうになったが、そもそも日下部がしつこく絡んだりしなければ、罰掃除自体なかった。
 ちら、と視線を向けると、なぜかタイミングよく目が合ってしまう。
「あー、ちょっと、なにサボってるの」
 原因を作った張本人から声が飛んでくる。
「サボってないし。ちょっと休憩してただけだし」
「あとちょっとなんだから、ちゃんとやってよね」
 誰のせいで。昨日は覚えなかった怒りが、小さく芽生える。イライラがムカつきに変わり「あいつよりは早く終わらせてやる」というエネルギーへと変換される。
 ザッザッと先ほどよりも大きな音を立てて、集めていく。それに気づいたのか、背中から聞こえる音も大きく速くなる。見なくても競っているのがわかる。わかってしまうから、さらに燃料は追加され、掃き終わる頃には寒さが気にならなくなっていた。