自動販売機でお茶とコーラのペットボトルを買い、オフィスに続くドアを開ける。日下部はさっきと同じ席に座って、マニュアルを見返していた。
すっと静かに落とされた視線、引き結ばれた薄い唇、ページを捲る長い指――なんてことのない、普通の景色のはずなのに、落ち着いたはずの心臓が小さく揺れだす。顔の熱は引いたのに、ペットボトルから伝わる温度がさっきより冷たく感じた。
不意に顔を上げた日下部が、ぱっとこちらを振り返る。
「八神くん」
ただ名前を呼ばれた、それだけできゅっと胸が縮む。これはなんなのだろう。
「飲み物買えた?」
「あ、うん。えっと、麻生さんは?」
尋ねてから自分が二本しか飲み物を買っていないことに気づく。コーラは日下部用だし、自分用のお茶を渡せばいいか。いや、なんで日下部のことは覚えていて麻生さんのことを忘れるかな、俺。
「静なら帰ったよ。お土産渡しに来ただけだからって」
「そっか」
こっそり安堵の息を吐き、コーラのペットボトルを差し出す。
「はい」
「いいの?」
「ついでだし」
「ありがと」
コーヒーよりもコーラが似合うと思ったとおり、日下部が嬉しそうに笑う。
「コーラすきなんだよね」
「そんな気がしたわ」
日下部がキャップを回すと、プシュッと小さく炭酸の抜ける音が響く。室内が静かなことに、日下部とふたりきりだということをいまさら自覚する。いや、昨日もふたりだったし。ふたりだからってなにもないし。気にしていないことを言い聞かせるように、数分前と同じ席に座る。隣にいたってなにかあるわけじゃない。じわじわと染みだす体温を落ち着かせようと、お茶のペットボトルを傾ける。冷たい温度が喉を通り、緑茶の清涼感が広がっていく。大丈夫。べつに意識なんてしてない。大丈夫。
「八神くんって、静のことがすきなの?」
唐突に、けれどとても落ち着いた声で問われ、脳の処理が遅れた。へ、と雫のような音だけが落ちる。
「ふたり、仲いいよね」
トン、と机に置かれたペットボトルが中身を揺らす。細かな泡は内側で弾けるのを待っている。普通に座っていれば視線はほぼ同じ高さなのに、日下部はなぜか顔を傾け、下から覗き込んできた。天井のライトが色素の薄い瞳に映るのがわかる。
「それを言うなら、日下部のほうが仲いいだろ。幼馴染なんだし」
自分で口にしながら、きゅっと胸の奥が痛くなる。たった少しの時間だったけど、自分には決して入ることのできない空気だった。ふたりが積み重ねた時間の厚さに、俺が勝てるものなんてなにもない。
「そうだよ、俺は幼馴染だから仲いいけど。でも、八神くんは違うじゃん」
じっと見上げてくる瞳が体の内側まで視線を伸ばしてくる。自分でもはっきりとしない気持ちに触れられてしまいそうで、咄嗟に顔を背けた。
「俺は麻生さんがうちに来たときから知ってるってだけだし。麻生さんからしたら弟みたいなもんだよ」
「八神くんにとっても? 静はお兄ちゃんってこと?」
どうしてそんなことを聞くのだろう。俺が麻生さんのことをどう思っていても、日下部と麻生さんの関係が変わるわけでもないのに。俺が気にするならわかるけど……不意にたどり着いた可能性に、思わず顔を戻していた。
もしかして――日下部は麻生さんのことがすきなのだろうか。
「八神くん?」
それならここまで気にするのもわかる。ライバルなんていないほうがいいのだから。
痛みに鳴いた心臓の意味を考えないよう、ぎゅっとペットボトルを握りしめる。
「そうだよ、麻生さんみたいな兄貴がいたらよかったなってそれだけ」
まるで俺の言葉を瞳で吸い込んだかのように丸くなり、次の瞬間には細く弧を描いた。ああ、やっぱり。
「そっか」
微かに弾んだ声を聞きながら、冷たいお茶を痛みの中心へと注ぎ込んだ。
すっと静かに落とされた視線、引き結ばれた薄い唇、ページを捲る長い指――なんてことのない、普通の景色のはずなのに、落ち着いたはずの心臓が小さく揺れだす。顔の熱は引いたのに、ペットボトルから伝わる温度がさっきより冷たく感じた。
不意に顔を上げた日下部が、ぱっとこちらを振り返る。
「八神くん」
ただ名前を呼ばれた、それだけできゅっと胸が縮む。これはなんなのだろう。
「飲み物買えた?」
「あ、うん。えっと、麻生さんは?」
尋ねてから自分が二本しか飲み物を買っていないことに気づく。コーラは日下部用だし、自分用のお茶を渡せばいいか。いや、なんで日下部のことは覚えていて麻生さんのことを忘れるかな、俺。
「静なら帰ったよ。お土産渡しに来ただけだからって」
「そっか」
こっそり安堵の息を吐き、コーラのペットボトルを差し出す。
「はい」
「いいの?」
「ついでだし」
「ありがと」
コーヒーよりもコーラが似合うと思ったとおり、日下部が嬉しそうに笑う。
「コーラすきなんだよね」
「そんな気がしたわ」
日下部がキャップを回すと、プシュッと小さく炭酸の抜ける音が響く。室内が静かなことに、日下部とふたりきりだということをいまさら自覚する。いや、昨日もふたりだったし。ふたりだからってなにもないし。気にしていないことを言い聞かせるように、数分前と同じ席に座る。隣にいたってなにかあるわけじゃない。じわじわと染みだす体温を落ち着かせようと、お茶のペットボトルを傾ける。冷たい温度が喉を通り、緑茶の清涼感が広がっていく。大丈夫。べつに意識なんてしてない。大丈夫。
「八神くんって、静のことがすきなの?」
唐突に、けれどとても落ち着いた声で問われ、脳の処理が遅れた。へ、と雫のような音だけが落ちる。
「ふたり、仲いいよね」
トン、と机に置かれたペットボトルが中身を揺らす。細かな泡は内側で弾けるのを待っている。普通に座っていれば視線はほぼ同じ高さなのに、日下部はなぜか顔を傾け、下から覗き込んできた。天井のライトが色素の薄い瞳に映るのがわかる。
「それを言うなら、日下部のほうが仲いいだろ。幼馴染なんだし」
自分で口にしながら、きゅっと胸の奥が痛くなる。たった少しの時間だったけど、自分には決して入ることのできない空気だった。ふたりが積み重ねた時間の厚さに、俺が勝てるものなんてなにもない。
「そうだよ、俺は幼馴染だから仲いいけど。でも、八神くんは違うじゃん」
じっと見上げてくる瞳が体の内側まで視線を伸ばしてくる。自分でもはっきりとしない気持ちに触れられてしまいそうで、咄嗟に顔を背けた。
「俺は麻生さんがうちに来たときから知ってるってだけだし。麻生さんからしたら弟みたいなもんだよ」
「八神くんにとっても? 静はお兄ちゃんってこと?」
どうしてそんなことを聞くのだろう。俺が麻生さんのことをどう思っていても、日下部と麻生さんの関係が変わるわけでもないのに。俺が気にするならわかるけど……不意にたどり着いた可能性に、思わず顔を戻していた。
もしかして――日下部は麻生さんのことがすきなのだろうか。
「八神くん?」
それならここまで気にするのもわかる。ライバルなんていないほうがいいのだから。
痛みに鳴いた心臓の意味を考えないよう、ぎゅっとペットボトルを握りしめる。
「そうだよ、麻生さんみたいな兄貴がいたらよかったなってそれだけ」
まるで俺の言葉を瞳で吸い込んだかのように丸くなり、次の瞬間には細く弧を描いた。ああ、やっぱり。
「そっか」
微かに弾んだ声を聞きながら、冷たいお茶を痛みの中心へと注ぎ込んだ。



