いつものように電話帳を開きながら考え込んでは、小さく溜息をついた。
小野さんに買ってもらったコーヒーの缶を、捨てられずに持ち帰った。
ミルクたっぷり、と書かれた缶。それすらも、少しだけ特別に思えた。
「……」
——また、話したい。
それだけが望みだった。
けれど……それから数週間。
その間、小野さんと会うことはなかった。
夜の総務部には、もう私しかいない。
きっと社内に残っているのは私だけなのだろうと思ったが、その直後に小野さんの存在を思い出す。
彼は今も営業部で仕事をしている。
あの夜桜を見た日だってそうだった。私ひとりだと思っていたのに、まだ小野さんが残っていた。今日もそうだろうと、ふいに思った。
私は椅子に深く座り、スマホを開いた。いつものように電話帳を開き、小野さんの電話番号を表示させる。
帰り際、営業部に足を運んでみればいいのに。そうしないのは、私なりに貫きたい〝何か〟があるからなのか。
ショートメールを送ろうと思った。
——まだ、お仕事中ですか?
なんとなく打ってみたけど、なんだか違う気がする。
——お元気ですか?
これもまた、わざわざショートメールを送るほどではない内容かも。
——もし社内なら、少しだけお話しませんか?
「……」
送信ボタンを押そうとした手が、震えて止まる。
打った文章はすべて削除して、スマホを閉じた。けれど、また思い立った。
電話をしてみよう。
ショートメールよりも電話の方がハードルも高いのに、その衝動を私は抑えることができない。
開いたままの電話帳から、迷いなく小野さんの電話番号を押した。するとすぐに、通話画面に変わる。
心臓が口から飛び出しそうだった。でも、その感情もすぐに消え去る。
『——おかけになった電話番号は、現在使われておりません』
「……」
言葉が、出なかった。
私はパソコンの電源を落とし、焦りながら荷物を持って総務部のオフィスを後にする。
そこから裏口には向かわず、今までに踏み入れたことない営業部へと足を運んだ。
けれど——営業部のフロアは、すでに施錠されていた。
人の気配が、もうどこにもなかった。
手のひらに残る冷たさだけが、やけに現実だった。



