高校二年最初の中間試験が終わり、制服も夏服になった頃、梅雨がやってきた。
今日も朝からヒドい大雨で、通学のための愛車は自宅で留守番である。
――今日は歩いて行かねーとだから、早めに出ないとなぁ。
俺は暗い雲に覆われた窓の外を見ながら、ぼんやりとそんなことを考えた。
今日の放課後は、廃校舎に『おままごと』に行く日である。
かつて小学校だった山の中にあるあの廃校舎は、老朽化もあって一部雨漏りはしているけれど、ちょうど『おままごと』をしている場所には雨も吹き込まないし、濡れることはないのでありがたい。しかし、農道から校舎に繋がる雑木林の中の道は舗装がされておらず、雨の日は長靴が必須だ。もちろん今日はちゃんと長靴を履いて学校に来たし、タオルだって持ってきている。
――麻生はちゃんと長靴持ってきたかな。
きっと用意周到で頭のいい麻生のことだ。そのくらいの準備はしているだろう。しかしどこか抜けているところもあるので、少し心配だな。
そんなことを考えていると、チャイムが鳴ってホームルームが始まる。
「今日はこのクラスに転校生がきたので紹介するぞー」
教室に入ってきた担任が最初に言った言葉に、教室中が一気に騒然とした。朝から職員室に見慣れない男子生徒がいたとクラスの女子が騒いでいたが、まさかこのクラスへの転校生だったとは。
担任に呼ばれて教室に入ってきたのは、背が高くてがっしり体型の、スポーツ刈りの爽やかイケメンだった。「やっぱりそうだった!」と女子たちが嬉しそうな歓声を上げていてうるさい。
「鷹村久翔といいます。よろしくお願いします」
イケメンという奴は、声もいいものらしい。羨ましいもんだ。
鷹村は家族の仕事の都合でこちらに引っ越してきたそうで、以前はここよりも都会な場所にいたらしい。どうりで佇まいも洗練されてるわけだ。
一通りの自己紹介の後、指定された奴の座席は窓際にある、ちょうど空席だった俺のすぐ後ろ。移動するだけでも、クラスメイトらのザワつきはすごかった。
――しばらくはうるさそうだな。
転校生に興味がないわけではないが、あれこれ騒がしいものが近くにあるというのは、あまり気分のいいものじゃない。
ホームルームは続いていて、担任があれこれと連絡事項を話している。その間、後ろの席の転校生は隣や斜め後ろのクラスメイトに小声で話しかけていて、随分と社交的だった。
配られたプリントを後ろに回すと、転校生は俺にもついでとばかりに話しかけてくる。
「なぁ、名前何ていうの?」
「……杉崎大智」
「そっか。よろしくな」
「おう」
転校生の鷹村は、真面目そうな見た目のわりに人懐っこく話しかける奴で、初日からあっという間にクラスに溶け込んだ。
ホームルームでこそこそ話していたのは、近くの席のクラスメイトに名前を聞いていただけらしい。
――麻生とは大違いだな。
つい自分にとって身近な存在と比べてしまった。人見知りの麻生ですら、鷹村なら仲良くなってしまうのではないか、と思うほどに色んな奴と楽しげに話していたからだ。
そして授業が始まると、奴は勉強も運動もできてしまうということが発覚し、半日と経たずしてすっかりクラスの人気者になったのである。
「いやー、すげぇ転校生が来たもんだなぁ」
昼休みになり、窓際とは反対の廊下側の席で、俺はクラスでいつも一緒につるんでいる木下と野宮の二人と飯を食いながら、窓際の席の騒ぎを眺めていた。
いつもは窓際の俺の席に集まって食べているのだが、今日ばかりはすぐ後ろの鷹村の周りに集まる奴らが多すぎて落ち着かないので、こうして席を移動したのである。
奴の周りは女子だけでなく、ノリのいい男子も集まっていて、人気者とはまさにこのこと、といわんばかりだ。
「数学の授業すごかったな。あまりにスラスラ解くから、渡辺先生スゲー顔してたし」
「英語の発音もやばかったじゃん。キャロラインも『パーフェクト!』なんて言ってたし。留学経験とかあるんじゃね?」
遠巻きに見ている木下や野宮ですらこのテンションである。そのくらい鷹村はすごかったのだ。驚異的と言っていい。
「しっかし。あれだけ頭いいなら、編入先も城誠とかでいいだろうに、なんでウチなんだか」
「本当だよなぁ」
俺らの通う森川高校の偏差値は、市内では平均くらい。麻生の通っている城誠高校は、有名大学に行く人間が多く通うことで知られていて、市内でもトップクラスの進学校である。
それくらい、鷹村の頭は良かったのだ。
――麻生とどっちが頭いいんだろな。
そんなことを考えながら、紙パックの牛乳をズルズルと飲んでいたら、ポケットに入れていた携帯電話が不意にブーブーと短く振動する。メッセージの通知だと気付いて、携帯電話をチェックすると、麻生からの連絡だった。
麻生《電車が大雨の影響で止まってるみたい。授業終わる頃には運転再開するみたいだけど、ちょっと遅れるかも》
「……あれ、もしかして雨すげぇ感じ?」
俺は『了解』とスタンプを返しつつ、窓の外を見る。
暴風雨とまではいかないが、登校してきた朝より雨足はかなり強く、空は昼間とは思えない暗さだった。俺の言葉に、木下も野宮も窓を見ながらうんざりした顔をする。
「あー。確かに土砂降りになってきたな」
「帰る時しんどー」
森川高校は駅まで歩くには少し距離があり、バスを利用している学生も多いが、雨の日は乗る人が多い上に渋滞しやすいのだ、と聞いたことがある。
「なんか電車止まってんだってさー」
「へー。なんで電車? どっか行くのか?」
再び携帯電話が振動して、麻生から『ごめんね』と猫が謝っているスタンプが返ってきているのを確認して、ポケットにしまった。
「んーん。今日『山』行く日だからさ。麻生が遅れるかもって」
木下は俺の言葉に驚愕と同情の入り混じった視線を向ける。
「げ、こんな大雨でも行くのかよ」
「トーゼンよ。雨にも負けず、風にも負けず、お化けのご機嫌は取りに行かなきゃなんねーのよ」
天気が悪いから、具合が悪いからと、行かずにいたら家に来る。お化けは、彼女は、こっちの都合なんて知ったこっちゃない。
だって未だに時々夢に見る。
末の弟が自宅の階段から落ちて泣き喚くなか、踊り場の上におかっぱ頭で赤いスカートの女の子が立っていた様子を。
彼女は、ひどい時は家族にまで手を出してくる、厄介な相手なのだ。大雨くらいでサボるわけにはいかない。
それから午後の授業も窓の外を気にしながら受けていたら、授業が終わる頃には雨足もだいぶ弱くなっていた。
――この様子なら、麻生も来れそうだな。
これだけ落ち着いてきたのなら、電車も無事に動いているだろう。
昇降口で長靴を履いて準備していると、ちょうど鷹村とクラスメイト数名もやってきた。
「あ、スギも帰るとこ?」
「駅前のファミレスで、鷹村の歓迎会するんだけど、お前もこいよ」
転校初日にして鷹村は、すっかりクラスメイトたちから熱烈な歓迎を受けているらしい。
「オレも杉崎と、もっと話してみたいんだけど」
主役である鷹村に直々に誘われてしまったが、今日は残念ながら都合が悪い。
「あー……わりぃ。今日は『山』に行かなきゃでさ」
「えっ。あー、マジか」
「だからガチの長靴?」
俺の発した『山』という単語だけで、クラスメイトたちはすぐに察してくれた。
なんせ俺と麻生が花子さんに付き纏われている件は、当時この辺りでかなり話題になったこともあり、同じ中学だった奴ら以外にもすっかり知られている。そしてだからこそ、あの廃校舎にはもう誰も寄りつかない。
「そういうこと。雨は止んできたけど、絶対あの辺の道ぐっちゃぐちゃだしなぁ」
俺は努めて明るく言ってみせる。そうでもしないと、気味悪がられるからだ。
しかしそんな俺などお構いなしに、鷹村はなぜかジーッと真剣な目でこちらを見つめている。
「杉崎は、なんでその『山』に行かなきゃいけないんだ?」
「んあー。……ちょっとね」
「スギはさぁ、呪われてるからしゃーねーのよぉ」
適当に誤魔化そうと思ったが、すぐ隣にいた奴が親しげに鷹村の肩に手を乗せて言ってしまった。
「『呪い』?」
さすがの鷹村も驚いた顔で聞き返す。そらそうだ。
「いや『呪い』じゃねーし」
俺は口を尖らせて反論したが、傍から見ればまぁ『呪い』と言われても仕方ないだろう。でも別に、特定のお化けに付き纏われているだけで、断じて『呪い』などではない。たぶん。きっと。
詳しく説明というか弁明をしたいところだが、今日は雨な上に徒歩で行かなきゃいけないので、時間がない。
「とりあえず、もう俺行かねーとだから」
「あ。じゃああの話、鷹村に話してもいいかー?」
傘を持って出ていこうとする俺に、クラスメイトがそれならと言わんばかりに投げかける。話のネタにされるのは正直いい気分ではないが、鷹村が興味を持ってるならしょうがない。
「おー、別にいいぞー。じゃあまた明日な」
俺はそう返すと、傘を差して足早に学校を出た。
今日も朝からヒドい大雨で、通学のための愛車は自宅で留守番である。
――今日は歩いて行かねーとだから、早めに出ないとなぁ。
俺は暗い雲に覆われた窓の外を見ながら、ぼんやりとそんなことを考えた。
今日の放課後は、廃校舎に『おままごと』に行く日である。
かつて小学校だった山の中にあるあの廃校舎は、老朽化もあって一部雨漏りはしているけれど、ちょうど『おままごと』をしている場所には雨も吹き込まないし、濡れることはないのでありがたい。しかし、農道から校舎に繋がる雑木林の中の道は舗装がされておらず、雨の日は長靴が必須だ。もちろん今日はちゃんと長靴を履いて学校に来たし、タオルだって持ってきている。
――麻生はちゃんと長靴持ってきたかな。
きっと用意周到で頭のいい麻生のことだ。そのくらいの準備はしているだろう。しかしどこか抜けているところもあるので、少し心配だな。
そんなことを考えていると、チャイムが鳴ってホームルームが始まる。
「今日はこのクラスに転校生がきたので紹介するぞー」
教室に入ってきた担任が最初に言った言葉に、教室中が一気に騒然とした。朝から職員室に見慣れない男子生徒がいたとクラスの女子が騒いでいたが、まさかこのクラスへの転校生だったとは。
担任に呼ばれて教室に入ってきたのは、背が高くてがっしり体型の、スポーツ刈りの爽やかイケメンだった。「やっぱりそうだった!」と女子たちが嬉しそうな歓声を上げていてうるさい。
「鷹村久翔といいます。よろしくお願いします」
イケメンという奴は、声もいいものらしい。羨ましいもんだ。
鷹村は家族の仕事の都合でこちらに引っ越してきたそうで、以前はここよりも都会な場所にいたらしい。どうりで佇まいも洗練されてるわけだ。
一通りの自己紹介の後、指定された奴の座席は窓際にある、ちょうど空席だった俺のすぐ後ろ。移動するだけでも、クラスメイトらのザワつきはすごかった。
――しばらくはうるさそうだな。
転校生に興味がないわけではないが、あれこれ騒がしいものが近くにあるというのは、あまり気分のいいものじゃない。
ホームルームは続いていて、担任があれこれと連絡事項を話している。その間、後ろの席の転校生は隣や斜め後ろのクラスメイトに小声で話しかけていて、随分と社交的だった。
配られたプリントを後ろに回すと、転校生は俺にもついでとばかりに話しかけてくる。
「なぁ、名前何ていうの?」
「……杉崎大智」
「そっか。よろしくな」
「おう」
転校生の鷹村は、真面目そうな見た目のわりに人懐っこく話しかける奴で、初日からあっという間にクラスに溶け込んだ。
ホームルームでこそこそ話していたのは、近くの席のクラスメイトに名前を聞いていただけらしい。
――麻生とは大違いだな。
つい自分にとって身近な存在と比べてしまった。人見知りの麻生ですら、鷹村なら仲良くなってしまうのではないか、と思うほどに色んな奴と楽しげに話していたからだ。
そして授業が始まると、奴は勉強も運動もできてしまうということが発覚し、半日と経たずしてすっかりクラスの人気者になったのである。
「いやー、すげぇ転校生が来たもんだなぁ」
昼休みになり、窓際とは反対の廊下側の席で、俺はクラスでいつも一緒につるんでいる木下と野宮の二人と飯を食いながら、窓際の席の騒ぎを眺めていた。
いつもは窓際の俺の席に集まって食べているのだが、今日ばかりはすぐ後ろの鷹村の周りに集まる奴らが多すぎて落ち着かないので、こうして席を移動したのである。
奴の周りは女子だけでなく、ノリのいい男子も集まっていて、人気者とはまさにこのこと、といわんばかりだ。
「数学の授業すごかったな。あまりにスラスラ解くから、渡辺先生スゲー顔してたし」
「英語の発音もやばかったじゃん。キャロラインも『パーフェクト!』なんて言ってたし。留学経験とかあるんじゃね?」
遠巻きに見ている木下や野宮ですらこのテンションである。そのくらい鷹村はすごかったのだ。驚異的と言っていい。
「しっかし。あれだけ頭いいなら、編入先も城誠とかでいいだろうに、なんでウチなんだか」
「本当だよなぁ」
俺らの通う森川高校の偏差値は、市内では平均くらい。麻生の通っている城誠高校は、有名大学に行く人間が多く通うことで知られていて、市内でもトップクラスの進学校である。
それくらい、鷹村の頭は良かったのだ。
――麻生とどっちが頭いいんだろな。
そんなことを考えながら、紙パックの牛乳をズルズルと飲んでいたら、ポケットに入れていた携帯電話が不意にブーブーと短く振動する。メッセージの通知だと気付いて、携帯電話をチェックすると、麻生からの連絡だった。
麻生《電車が大雨の影響で止まってるみたい。授業終わる頃には運転再開するみたいだけど、ちょっと遅れるかも》
「……あれ、もしかして雨すげぇ感じ?」
俺は『了解』とスタンプを返しつつ、窓の外を見る。
暴風雨とまではいかないが、登校してきた朝より雨足はかなり強く、空は昼間とは思えない暗さだった。俺の言葉に、木下も野宮も窓を見ながらうんざりした顔をする。
「あー。確かに土砂降りになってきたな」
「帰る時しんどー」
森川高校は駅まで歩くには少し距離があり、バスを利用している学生も多いが、雨の日は乗る人が多い上に渋滞しやすいのだ、と聞いたことがある。
「なんか電車止まってんだってさー」
「へー。なんで電車? どっか行くのか?」
再び携帯電話が振動して、麻生から『ごめんね』と猫が謝っているスタンプが返ってきているのを確認して、ポケットにしまった。
「んーん。今日『山』行く日だからさ。麻生が遅れるかもって」
木下は俺の言葉に驚愕と同情の入り混じった視線を向ける。
「げ、こんな大雨でも行くのかよ」
「トーゼンよ。雨にも負けず、風にも負けず、お化けのご機嫌は取りに行かなきゃなんねーのよ」
天気が悪いから、具合が悪いからと、行かずにいたら家に来る。お化けは、彼女は、こっちの都合なんて知ったこっちゃない。
だって未だに時々夢に見る。
末の弟が自宅の階段から落ちて泣き喚くなか、踊り場の上におかっぱ頭で赤いスカートの女の子が立っていた様子を。
彼女は、ひどい時は家族にまで手を出してくる、厄介な相手なのだ。大雨くらいでサボるわけにはいかない。
それから午後の授業も窓の外を気にしながら受けていたら、授業が終わる頃には雨足もだいぶ弱くなっていた。
――この様子なら、麻生も来れそうだな。
これだけ落ち着いてきたのなら、電車も無事に動いているだろう。
昇降口で長靴を履いて準備していると、ちょうど鷹村とクラスメイト数名もやってきた。
「あ、スギも帰るとこ?」
「駅前のファミレスで、鷹村の歓迎会するんだけど、お前もこいよ」
転校初日にして鷹村は、すっかりクラスメイトたちから熱烈な歓迎を受けているらしい。
「オレも杉崎と、もっと話してみたいんだけど」
主役である鷹村に直々に誘われてしまったが、今日は残念ながら都合が悪い。
「あー……わりぃ。今日は『山』に行かなきゃでさ」
「えっ。あー、マジか」
「だからガチの長靴?」
俺の発した『山』という単語だけで、クラスメイトたちはすぐに察してくれた。
なんせ俺と麻生が花子さんに付き纏われている件は、当時この辺りでかなり話題になったこともあり、同じ中学だった奴ら以外にもすっかり知られている。そしてだからこそ、あの廃校舎にはもう誰も寄りつかない。
「そういうこと。雨は止んできたけど、絶対あの辺の道ぐっちゃぐちゃだしなぁ」
俺は努めて明るく言ってみせる。そうでもしないと、気味悪がられるからだ。
しかしそんな俺などお構いなしに、鷹村はなぜかジーッと真剣な目でこちらを見つめている。
「杉崎は、なんでその『山』に行かなきゃいけないんだ?」
「んあー。……ちょっとね」
「スギはさぁ、呪われてるからしゃーねーのよぉ」
適当に誤魔化そうと思ったが、すぐ隣にいた奴が親しげに鷹村の肩に手を乗せて言ってしまった。
「『呪い』?」
さすがの鷹村も驚いた顔で聞き返す。そらそうだ。
「いや『呪い』じゃねーし」
俺は口を尖らせて反論したが、傍から見ればまぁ『呪い』と言われても仕方ないだろう。でも別に、特定のお化けに付き纏われているだけで、断じて『呪い』などではない。たぶん。きっと。
詳しく説明というか弁明をしたいところだが、今日は雨な上に徒歩で行かなきゃいけないので、時間がない。
「とりあえず、もう俺行かねーとだから」
「あ。じゃああの話、鷹村に話してもいいかー?」
傘を持って出ていこうとする俺に、クラスメイトがそれならと言わんばかりに投げかける。話のネタにされるのは正直いい気分ではないが、鷹村が興味を持ってるならしょうがない。
「おー、別にいいぞー。じゃあまた明日な」
俺はそう返すと、傘を差して足早に学校を出た。



