「“お父さん、おゆうはん出来たわよ”」
「“ありがとう、母さん。ほら、お前も席につきなさい”」
「“じゃあ、いただきましょうか”」
「“いただきます”」
太陽が傾いて、オレンジ色を帯び始めた放課後。大通りから外れた農道の先、雑木林に囲まれた小山の奥にひっそりと建つ、荒れ果てた木造校舎の内側で、俺は中学からの友人・麻生と『おままごと』をしている。
男子高校生二人がこんな時間にこんな場所で、好き好んでこんなことをやっているわけじゃない。
俺たちは二週間に一度、この廃校舎で『おままごと』をしなければいけないだけだ。
◇ ◇
「おーい、杉崎。掃除当番終わったなら、なんか食って帰ろうぜ」
放課後の掃除当番を終え、使っていた箒を掃除用具入れに片付けていると、特に何もせずに居残っていたクラスメイトたちが話しかけてきた。
特に部活動に所属していない俺にとって、放課後のこういったお誘いは楽しい青春の一つなのだが、残念ながら今日ばかりはそうもいかない。
「あー、わりぃ。今日『山』に行く日だからさ」
俺が困ったように笑いながらそう返すと、クラスメイトたちは驚いた顔をしていた。
「え。アレまだ続けてんの?」
「うーん、まぁなー」
「てことは、じゃあ麻生も一緒に?」
「そりゃもちろん」
話しながら持って帰るものを通学用の指定バッグにまとめ、ふと時計を見ると針は思ったより遅い時間を指している。
「やっべ、もう行かねぇと」
「おー、麻生によろしくなぁ」
「ああ、じゃあな!」
俺はバッグを背中に背負うように持つと、急いで教室を後にした。廊下や階段を駆け下り、昇降口から校舎を出ると、正門には向かわず体育館横の自転車置き場へ走る。
歩いて通うのがダルいという理由で自転車通学をしている俺は、置き場に一つだけ取り残されていた銀色の愛車に跨って学校を出た。学校前にある大通りを走り、途中の三叉路で自宅とは違う『山』のある方へと向かう。
広がる畑とまばらな民家の中を流れる大通りは、夕方が近いせいか走っている車がそこそこ多く、通り過ぎるたびに起きる風が強い。が、約束の時間に遅れている俺は、負けじとペダルを踏み込む力を強くする。
どうしてこんなに俺が一生懸命『山』に向かっているかというと、中学からの同級生・麻生と一緒に、その山の中にある廃校舎で『おままごと』をしなければいけないからだ。
こうなったきっかけは、中学二年の時。
新聞委員の活動でその廃校舎へ取材に行った際『トイレの花子さん』に気に入られてしまい、それから二週間に一回の頻度で、ずっと『おままごと』をしている。
「えっと『掃除当番で遅れた。もうすぐ着く』……と」
途中、横断歩道の信号に捕まったついでに、俺は携帯電話で麻生にメッセージを送った。
すぐにポコンと通知音がして『了解』と書かれたスタンプの返信が届く。それから『もう着いてるから準備してるね』と返信が続けて届いた。
「さーすが麻生。たすかるぅ」
俺は『感謝!』と書かれたスタンプを送り、青に変わった信号を渡って再び走る。
そのうち見えてきたバス停の、その少し手前にある曲がり角を曲がり、山へと向かう農道をしばらく進む。丁字路の突き当たりまでくると、奥にある雑木林の中に舗装も何もされていない通路が見えてくるので、俺は自転車を降りた。少し坂道になっているトンネルのような通路を、自転車を押しながら上がっていくと、そのうちぽっかりと開けた場所に辿り着く。
あちこちに背の高い雑草の生える荒れ果てた校庭の奥に、いつか森に飲み込まれてしまいそうな、木造の古びた校舎が佇んでいた。
かつては裏門だったらしい門柱の隣に自転車を駐めると、俺は荒れた校庭を足早に突っ切って、廃校舎の中央にある正面玄関だった場所へ向かう。
古くて汚れたガラスの残る、引き戸タイプの玄関ドアをガラガラと開けると、俺は中に向かって声を掛けた。
「麻生、いるかー?」
正面玄関にはボロボロに朽ちた下駄箱が林のように立ち並んでいて、その隙間を縫うように進んでいくと、奥のほうから返事が聞こえる。
「あ。スギくーん、いるよー」
下駄箱の向こうから、ひらひら揺れる手が見えた。
そちらに向かうと、広々としたエントランスホールだったと思われる場所にレジャーシートが敷かれていて、その隅に黒髪で前髪を掛けてるメガネまで隠しそうなほど伸ばした男子高校生、麻生が一人座って本を読んでいる。
「わりぃな。なかなか掃除がおわんなくてさ」
「ううん、当番じゃ仕方ないよ」
麻生の着ている制服は、俺の通ってる森川高校の濃いグレーのズボンと違って、ネクタイもズボンも紺色。麻生は同じ中学だったけど、今は市内でも有名な進学校・城誠高校に通っている。
電車で三駅隣にあるので、通学だけでも大変だろうに、こんなことに付き合ってくれるんだから、麻生は本当に良いヤツだ。
ぐるりと辺りを見回すと、相変わらずエントランスホール以外は壁にヒビが入ったり朽ちたりしていて、人の気配はない。レジャーシートの上には『おままごと』用のオモチャのキッチンセットや小さなちゃぶ台が並べてあり、準備は万端である。
「……よし。じゃあ、始めるか」
「うん」
俺は靴を脱いでレジャーシートに上がると胡座をかいて座り、麻生は読んでいた本を仕舞って俺の向かい側に正座をして座る。
小さく深呼吸をすると、互いに視線は下に向けたまま、俺はいつものように口を開いた。
「はーなこさん、遊びましょう」
「遊びの続きをいたしましょう」
「はーなこさん、遊びましょう」
「ままごと続きをいたしましょう」
麻生と交互に、まるで童謡を歌うように節をつけて、どこか呪文めいた言葉を口にする。
シン、と辺りが静まりかえった。
しばらくすると廊下の先にある、トイレのあった辺りから、ギィィとドアの開く音がして、少しだけ空気の温度が下がる。
〈はーあーい〉
遠くから囁くような女の子の声が聞こえて、二人しかいなかったはずの空間に、いつのまにかもう一人の気配だけが増える。
彼女が、きた。
〈……ふふふ〉
すぐ耳元で囁く声がして、背筋がゾクリと粟立つ。
向かいの麻生に視線を向けると、同じく気付いているようで目があった。俺は小さく頷くと、息を短く吐いて――『おままごと』を始める。
「“ただいま、母さん”」
「“おかえりなさい、お父さん”」
俺も麻生も、あらかじめ用意しておいたやり取りを、まるで台本でも読むかのように話し出した。
「“今日も仕事で疲れたなぁ。花子は今日、学校はどうだったんだい?”」
〈今日はね、学校でテストがあったのよ〉
二人しかいない空間での会話劇。
そこにごく自然に、小学生くらいの女の子の声が混ざる。
俺が『お父さん』で、麻生が『お母さん』。そして彼女が『娘』の役。
中学の時から三年近く、擬似的な『家族ごっこ』をこうして三人で続けている。
始めた頃から俺も麻生もほぼ棒読みで、似たり寄ったりのセリフを繰り返しているが、花子さんだけはいつもどこか楽しげに『娘』の役を演じる。
存在しない学校の出来事に耳を傾け、夕飯を食べるフリをし、好きな食べ物について話をしていると、窓から差し込んでいた日差しが弱まってくる。
だいぶ日が暮れてきた。
「“そろそろ寝ないといけない時間ですね”」
「“さぁ、花子も一緒に寝ようか”」
〈はーい〉
そう言って俺と麻生は、レジャーシートの中央に寝そべる。
真ん中に花子さんがいるつもりの川の字で寝れば、とても『家族』らしい就寝の姿だ。
「“おやすみ、花子”」
「“良い夢みてね”」
〈うん、おやすみなさい〉
楽しそうな返事を聞いてから目を閉じる。
しばらくそのままジッとしていると、まるで氷が溶けるように気配が消えた。
「……行ったか?」
「うん、たぶん」
横になったまま目を開けて隣を見ると、同じように目を開けた麻生が答える。
深い息を吐きながら、俺も麻生もゆっくり身体を起こした。
廃校舎の中はオレンジ色の光が差し込んで、電気のない室内だというのにまるで燃えるように明るい。
周辺の温度を下げていた『彼女』は、今日はすっかり満足して、いつもの場所に帰ったようだった。
「……はぁ、帰るかぁ」
頭をガシガシと掻きながら、俺はため息をつくようにそう言った。
レジャーシートの上に広げた、おままごとのための小道具を、同じく用意しておいた段ボール箱に詰めて片付けると、最後にレジャーシートを畳む。
正面玄関の下駄箱のなかで、比較的無事な棚の中にそれらをしまうと、俺たちは揃って廃校舎を出た。
「“ありがとう、母さん。ほら、お前も席につきなさい”」
「“じゃあ、いただきましょうか”」
「“いただきます”」
太陽が傾いて、オレンジ色を帯び始めた放課後。大通りから外れた農道の先、雑木林に囲まれた小山の奥にひっそりと建つ、荒れ果てた木造校舎の内側で、俺は中学からの友人・麻生と『おままごと』をしている。
男子高校生二人がこんな時間にこんな場所で、好き好んでこんなことをやっているわけじゃない。
俺たちは二週間に一度、この廃校舎で『おままごと』をしなければいけないだけだ。
◇ ◇
「おーい、杉崎。掃除当番終わったなら、なんか食って帰ろうぜ」
放課後の掃除当番を終え、使っていた箒を掃除用具入れに片付けていると、特に何もせずに居残っていたクラスメイトたちが話しかけてきた。
特に部活動に所属していない俺にとって、放課後のこういったお誘いは楽しい青春の一つなのだが、残念ながら今日ばかりはそうもいかない。
「あー、わりぃ。今日『山』に行く日だからさ」
俺が困ったように笑いながらそう返すと、クラスメイトたちは驚いた顔をしていた。
「え。アレまだ続けてんの?」
「うーん、まぁなー」
「てことは、じゃあ麻生も一緒に?」
「そりゃもちろん」
話しながら持って帰るものを通学用の指定バッグにまとめ、ふと時計を見ると針は思ったより遅い時間を指している。
「やっべ、もう行かねぇと」
「おー、麻生によろしくなぁ」
「ああ、じゃあな!」
俺はバッグを背中に背負うように持つと、急いで教室を後にした。廊下や階段を駆け下り、昇降口から校舎を出ると、正門には向かわず体育館横の自転車置き場へ走る。
歩いて通うのがダルいという理由で自転車通学をしている俺は、置き場に一つだけ取り残されていた銀色の愛車に跨って学校を出た。学校前にある大通りを走り、途中の三叉路で自宅とは違う『山』のある方へと向かう。
広がる畑とまばらな民家の中を流れる大通りは、夕方が近いせいか走っている車がそこそこ多く、通り過ぎるたびに起きる風が強い。が、約束の時間に遅れている俺は、負けじとペダルを踏み込む力を強くする。
どうしてこんなに俺が一生懸命『山』に向かっているかというと、中学からの同級生・麻生と一緒に、その山の中にある廃校舎で『おままごと』をしなければいけないからだ。
こうなったきっかけは、中学二年の時。
新聞委員の活動でその廃校舎へ取材に行った際『トイレの花子さん』に気に入られてしまい、それから二週間に一回の頻度で、ずっと『おままごと』をしている。
「えっと『掃除当番で遅れた。もうすぐ着く』……と」
途中、横断歩道の信号に捕まったついでに、俺は携帯電話で麻生にメッセージを送った。
すぐにポコンと通知音がして『了解』と書かれたスタンプの返信が届く。それから『もう着いてるから準備してるね』と返信が続けて届いた。
「さーすが麻生。たすかるぅ」
俺は『感謝!』と書かれたスタンプを送り、青に変わった信号を渡って再び走る。
そのうち見えてきたバス停の、その少し手前にある曲がり角を曲がり、山へと向かう農道をしばらく進む。丁字路の突き当たりまでくると、奥にある雑木林の中に舗装も何もされていない通路が見えてくるので、俺は自転車を降りた。少し坂道になっているトンネルのような通路を、自転車を押しながら上がっていくと、そのうちぽっかりと開けた場所に辿り着く。
あちこちに背の高い雑草の生える荒れ果てた校庭の奥に、いつか森に飲み込まれてしまいそうな、木造の古びた校舎が佇んでいた。
かつては裏門だったらしい門柱の隣に自転車を駐めると、俺は荒れた校庭を足早に突っ切って、廃校舎の中央にある正面玄関だった場所へ向かう。
古くて汚れたガラスの残る、引き戸タイプの玄関ドアをガラガラと開けると、俺は中に向かって声を掛けた。
「麻生、いるかー?」
正面玄関にはボロボロに朽ちた下駄箱が林のように立ち並んでいて、その隙間を縫うように進んでいくと、奥のほうから返事が聞こえる。
「あ。スギくーん、いるよー」
下駄箱の向こうから、ひらひら揺れる手が見えた。
そちらに向かうと、広々としたエントランスホールだったと思われる場所にレジャーシートが敷かれていて、その隅に黒髪で前髪を掛けてるメガネまで隠しそうなほど伸ばした男子高校生、麻生が一人座って本を読んでいる。
「わりぃな。なかなか掃除がおわんなくてさ」
「ううん、当番じゃ仕方ないよ」
麻生の着ている制服は、俺の通ってる森川高校の濃いグレーのズボンと違って、ネクタイもズボンも紺色。麻生は同じ中学だったけど、今は市内でも有名な進学校・城誠高校に通っている。
電車で三駅隣にあるので、通学だけでも大変だろうに、こんなことに付き合ってくれるんだから、麻生は本当に良いヤツだ。
ぐるりと辺りを見回すと、相変わらずエントランスホール以外は壁にヒビが入ったり朽ちたりしていて、人の気配はない。レジャーシートの上には『おままごと』用のオモチャのキッチンセットや小さなちゃぶ台が並べてあり、準備は万端である。
「……よし。じゃあ、始めるか」
「うん」
俺は靴を脱いでレジャーシートに上がると胡座をかいて座り、麻生は読んでいた本を仕舞って俺の向かい側に正座をして座る。
小さく深呼吸をすると、互いに視線は下に向けたまま、俺はいつものように口を開いた。
「はーなこさん、遊びましょう」
「遊びの続きをいたしましょう」
「はーなこさん、遊びましょう」
「ままごと続きをいたしましょう」
麻生と交互に、まるで童謡を歌うように節をつけて、どこか呪文めいた言葉を口にする。
シン、と辺りが静まりかえった。
しばらくすると廊下の先にある、トイレのあった辺りから、ギィィとドアの開く音がして、少しだけ空気の温度が下がる。
〈はーあーい〉
遠くから囁くような女の子の声が聞こえて、二人しかいなかったはずの空間に、いつのまにかもう一人の気配だけが増える。
彼女が、きた。
〈……ふふふ〉
すぐ耳元で囁く声がして、背筋がゾクリと粟立つ。
向かいの麻生に視線を向けると、同じく気付いているようで目があった。俺は小さく頷くと、息を短く吐いて――『おままごと』を始める。
「“ただいま、母さん”」
「“おかえりなさい、お父さん”」
俺も麻生も、あらかじめ用意しておいたやり取りを、まるで台本でも読むかのように話し出した。
「“今日も仕事で疲れたなぁ。花子は今日、学校はどうだったんだい?”」
〈今日はね、学校でテストがあったのよ〉
二人しかいない空間での会話劇。
そこにごく自然に、小学生くらいの女の子の声が混ざる。
俺が『お父さん』で、麻生が『お母さん』。そして彼女が『娘』の役。
中学の時から三年近く、擬似的な『家族ごっこ』をこうして三人で続けている。
始めた頃から俺も麻生もほぼ棒読みで、似たり寄ったりのセリフを繰り返しているが、花子さんだけはいつもどこか楽しげに『娘』の役を演じる。
存在しない学校の出来事に耳を傾け、夕飯を食べるフリをし、好きな食べ物について話をしていると、窓から差し込んでいた日差しが弱まってくる。
だいぶ日が暮れてきた。
「“そろそろ寝ないといけない時間ですね”」
「“さぁ、花子も一緒に寝ようか”」
〈はーい〉
そう言って俺と麻生は、レジャーシートの中央に寝そべる。
真ん中に花子さんがいるつもりの川の字で寝れば、とても『家族』らしい就寝の姿だ。
「“おやすみ、花子”」
「“良い夢みてね”」
〈うん、おやすみなさい〉
楽しそうな返事を聞いてから目を閉じる。
しばらくそのままジッとしていると、まるで氷が溶けるように気配が消えた。
「……行ったか?」
「うん、たぶん」
横になったまま目を開けて隣を見ると、同じように目を開けた麻生が答える。
深い息を吐きながら、俺も麻生もゆっくり身体を起こした。
廃校舎の中はオレンジ色の光が差し込んで、電気のない室内だというのにまるで燃えるように明るい。
周辺の温度を下げていた『彼女』は、今日はすっかり満足して、いつもの場所に帰ったようだった。
「……はぁ、帰るかぁ」
頭をガシガシと掻きながら、俺はため息をつくようにそう言った。
レジャーシートの上に広げた、おままごとのための小道具を、同じく用意しておいた段ボール箱に詰めて片付けると、最後にレジャーシートを畳む。
正面玄関の下駄箱のなかで、比較的無事な棚の中にそれらをしまうと、俺たちは揃って廃校舎を出た。


