まるごとぜんぶ、いただきます ~生徒会長に求婚されました~


 チュンチュン、どこかで鳥が鳴いてる。
 薄くまぶたを開けると、カーテンの隙間から室内に光が差し込んでいた。

(朝……?)

 もぞもぞと起き上がり、まず制服のシャツのまま寝ていることに気づいた。

(そうだ、昨日着替える余裕もなくてそのまま──)

「って、え゙っ!?」

 目線を移した俺は硬直した。
 ベッド脇に会長がいる。
 床に座って、俺がひざ掛けにしているブランケットを羽織り、寝ていた。

「え、うそ……会長……?」

 昨日の記憶をもっと引き出そうとするけど、眠ってからのことはあまり覚えていない。
 でもおぼろげに、交換された氷枕の心地よさや、布団を肩までかけ直してもらった時の温かさがよみがえってきた。

(もしかして、夜通し看病してくれてた……?)

 会長も制服のままだ。
 とんでもないことをさせてしまったと青くなっていると、その体がわずかに動いた。

「ん……泉?」

 顔を上げた会長は、まだ眠そうに目をすがめつつもすぐに立ち上がる。
 上体をかがめると、冷却シートをはがしてから俺の額に触れた。

「よかった、熱は下がってるな」
「会長、えっと……」
「具合はどうだ? 顔色も昨日に比べたらだいぶいいが。吐き気とか、頭痛とかあるか?」
「大丈夫です。あの、すみません」

 とにもかくにも謝ると、会長は不思議そうに瞬きをした。

「どうして謝るんだ?」
「だって、会長にこんなことさせて……」

 夜中まで看病させたうえに、床で寝かせるとか。下手をしたら会長のほうが風邪を引きかねない。

(俺なんかのために会長がそんなことになったら……)

 けれど会長は、額の手を今度は頭の上にのせて、にっこりとほほ笑んだ。

「おまえが気に病むことじゃない。俺がしたくてやったんだ。まだ熱高かったし、心配で帰るに帰れなくて」

 くしゃくしゃっと、長い指が俺の髪をかき混ぜる。

「今日は土曜であいてたし、勝手に残らせてもらった。家にはちゃんと連絡したから問題ない」
「でも……」
「でもじゃなくて。俺がいいって言ってるんだから、病人が余計なことを気にするな」

 話を切り上げるように言うと、会長は傍を離れてキッチンへ向かう。グラスに水を注ぎ、持ってきてくれた。

「ほら。水分補給」
「……ありがとうございます」

 乾いた体に、冷たい水が染み渡っていく。
 結局会長は、遠慮する俺を押し切り朝食まで準備してくれた。といっても食欲はまだないので、ヨーグルトにスライスしたバナナを入れた、簡単なものだけど。
 それを食べて、薬を飲んで。会長が洗い物をしてくれている間に、俺は部屋着に着替えた。
 体温を測ると36,8度。昨日に比べれば体調は断然いい。このまま快方に向かうだろう。

(……どう考えてもこの人のおかげだよな)

 医者の薬の力も大きいだろうが、それだけじゃない。
 この人が世話を焼いてくれたから。
 俺を心配して、俺のために手を尽くしてくれて……。

(俺のために来てくれた。……一人だって知ってたから)

 聞かずにいようかとも思ったけれど、やっぱり触れないわけにはいかない。

「あの、ちょっと話が」

 洗い物を終えた会長がこちらに戻ってきたタイミングで、俺は切り出した。

「横になってなくていいのか」
「いいんです。聞きたいことあるから」

 ベッドに体を起こした姿勢で、じっと会長を見上げる。
 眼差しから察したのか、会長も真面目な顔で「わかった」とうなずくと、傍らにあぐらをかいて座った。

「……なんで、俺が独り暮らしだって知ってたんですか」

 単刀直入に尋ねる。やっぱり会長も察していたようで、驚く気配もうろたえる気配もなかった。

「悪い。実は、前に聞いたことがあるんだ」
「……聞いた?」
「去年の、夏休みに入る前、1学期最後の集まりの時に。終わってから、おまえが独り言漏らしてるのを聞いた」

(1学期最後の集まり……?)

 それなら前期、学年代表委員として生徒会活動に参加していた頃のことだ。
 何があっただろうか。ああ、そういえば解散前の雑談タイムで、夏休みは何をして過ごすかという話になって──……



「家族で北海道のじいちゃん家行くんだ」
「うちも父さんの実家。なんもない田舎だけど」
「いいなー、私ろくな予定ないよ。部活と塾だけ。塾の強化授業、勝手に親が申し込んでてさ」
「うわ悲惨! てか親って、ほんといつまでたっても子供扱いでまいるよね」
「ほんそれ。うちの親も夜中までゲームしてたら毎晩うるさくてさぁ」
「いや毎晩夜中までゲームは実際ダメだろ、受験生!」

 室内を飛び交う楽しげな声。積極的に加わっていたわけじゃなかったけれど、誰かが俺にも話を振ってきた。

「泉もどっか行ったりするの?」
「俺は……」

(でっち上げたところで、土産なんか用意できないし)

 数秒考えてから、意識して人当たりのよい笑みを作って答えた。

「親の休みが合わないから、旅行はないかな」
「あ、そうなんだ。どっちかサービス業?」
「うん、そんなところ」

 あいまいに答え、用事があるからとその後すぐ部屋を出た。
 廊下を進んでも室内のにぎやかな声はまだ聞こえていて、階段を踊り場まで下りた辺りでようやく聞こえなくなる。
 そこでなんとなく、足を止めた。

「……誰がサービス業だよ。アホくさ」

 そして、こんなアホくさい嘘をつくたびに『その設定を覚えておかないと』と、面倒なことが増える。
 めんどくさくて馬鹿らしいのに、やめられない。虚構が降り積もっていく。

「夏も秋も冬も……いつだって独りだよ、俺は」



(あれを聞かれてたってこと……?)

 そして、聡い会長は俺が家族となんか暮らしていないと察したのか。

(去年の7月──そんな前から知られてたんだ)

「じゃあ、親睦会の弁当も全部わかってたんですね」
「……ああ」

 何も聞かれなかったから、これ幸いとうやむやなままにしておいた。
 親が諸事情で作れなかったとか、親と不仲だとか、実は親も料理下手だとか、どう解釈されていても別にいいと思っていたけど。 
 同居の親なんていなくて、ぼっちの俺が作ったものだって、しっかりバレてたんだ。

「……最悪」

 独白癖のある自分を呪うけれど、今さらどうしようもない。
 どうしようもないけど……無性に、消えたい。

「泉──」
「それで俺のこと、かわいそうなやつだって思ってたんですか」

 何か言いかけた会長をさえぎって、どろどろした感情を吐き出した。

「寂しい哀れなやつだって。ずっと、そういう目で見てた?」

(やめろ。会長に当たってなんになるんだよ)

 そう制止の声をあげる自分もいる。でもその声は遠くて、今、自分のすぐ近くにある激情を沈めるには至らない。
 全部自分のせいだ。嘘で縛られるのも、バレたのも、独りなのも、愛されないのも。

(だけど……こんな自分、知られたくなかった)

「違う、泉。俺は──」

 会長が足を崩してにじり寄ってくる。俺は顔を背けて彼を視界から追い出した。

「違わないでしょ。もしかして俺のこと好きなんてトチ狂ったのも、同情からですか?」
「同情なんかじゃない!」

 強い力で手首をつかまれ、とっさに振り向いて目線を合わせてしまう。
 真剣な瞳が俺をとらえていた。

「……痛いですよ、離して」

 つかまれた手首より、まっすぐな意思を宿した眼差しが痛い。再び、逃げるようにうつむく。
 なんでこの人は、俺なんかにこんな必死な目を向けるんだろう。
 同情じゃないって言うなら、なんなんだ。
 俺なんて──誰からも必要とされていない、邪魔なだけの人間なのに。

「……部屋も見られちゃったし、あれこれ憶測されても嫌だから教えますよ」

 つかまれたままだった手を振り払い、俺は抑揚のない声を落とした。

「お気づきの通り、俺は独りです。誠北館に入った時から、ここで独り暮らししてます」

 間仕切りなしの、広い……広すぎる部屋を見渡す。

「でもすっごいいい部屋でしょ、ここ。高校生の独り暮らしとは思えないハイグレードマンション。家賃と生活費は親持ちなんです」
「…………」

 自虐の笑みを浮かべる俺を、会長は無言で見つめていた。
 いっそ幻滅してくれたらいい──そんな思いで、俺は先を続ける。

「会社経営の会長の家ほどじゃないかもだけど、うちの親も、両親そろって立場があるっていうか……いわゆるエリート、パワーカップルってやつなんですよ。でもね、表向きは円満ぶってるけど、ほんとはずいぶん前から崩壊してるんです」
「……崩壊って」
「お互い、別に相手がいるんですよ。母親には年下の恋人。父親のほうには子供までいて、別宅与えて住まわせてる。夫婦関係は完全に破綻……でも、世間体があるから離婚はしないんです」

 そういう家庭なんだと、察したのは何歳の頃だったろうか。もうはっきりとは覚えていないけれど。

「二人ともたまにしか帰ってこないんで、家のことや俺の世話は家政婦さんがやってくれてました。要するに、一人息子の俺が完ぺきにお荷物」
「っ……泉、そんな言い方──」
「だって本当にそうだし。だから俺、高校入るタイミングで独り暮らししたいって、自分から言ったんです。そしたらこれ幸いとこのマンション用意してくれました」

 充分すぎる家と生活費。俺と両親は、養育という義務を金銭で果たす、それだけの関係になった。もう2年近く顔も見ていない。

「でもさすがに、こんな話人にはできないし。高校生が独り暮らしとか聞くといろいろ詮索するやつもいるだろうから、普通に家族と住んでるふりして隠してたんです」

 その嘘も、かなり前から会長にはバレていた。そう思うと、また自嘲がこぼれるけれど。

「学校で人当たりのいい優等生やってるのも、全部ウソです。だって、この状況でグレたりしたらもっとダサいでしょ。ろくでもない環境で育ってても、それなりにまともには生きていきたいし。だから、『いい子』をやってるんです」
「泉……」

 会長は目をそらすことなく俺を見続けていたけれど、その先の言葉はなかった。
 その瞳は驚いているようにも、困っているようにも、哀れんでいるようにも見えて、今彼が何を考えているのかはよくわからない。

(……まぁ、別にもうどう思われててもいいか)

 ほとんど全部話した。もうこの人にはいい子を演じたって意味はない。

「俺の独り言聞いてどんなかわいそうシチュ想像してたのか知りませんけど、これが実情。ご覧の通り生活には不自由してませんから」

 そう、不自由はしていない。快適な部屋だ。
 今はまだあの二人に飼われているしかない俺だけの、温度のない空っぽの部屋。

(でも、ここでいい。俺が選んだんだ)

「時々仕方なく帰ってくる、俺のことお荷物としか思ってない親の顔なんて、こっちも見たくないし。とっくに家族なんかじゃないのに形だけでも『ただいま』とか言われると、バカバカしくて蹴っ飛ばしてやりたくなるんですよね。だから俺にとっても、今のほうがはるかに望ましい環境で──」

 ペチン、と。
 頬に伝わった振動に、俺は言葉を切った。
 左の頬に、大きな手のひらが触れている。

「な、に……」

 ごく弱い力で、まったく痛くはなかった。でもこれは、ビンタだ。
 俺の頬を打った会長は、頬に手を当てたまま少しだけ怖い顔で見下ろしてくる。

「そんなこと言うべきじゃない」
「……!」

 カッと体が熱くなった。

(ああ、知ってるよ。あんたはいつだって正しくて誠実で、一点のくもりもないような男だよな)

「なんだよ、説教? どんな人間でも自分を産んでくれた親には違いないんだから、罰当たりなこと言うなって?」

(知らないくせに。将来は一緒に働きたい、支えたいって思えるような家族の中で、幸せに育ってきたくせに)

「いや、罰当たりだとは思わないな。確かにひどい親だ。おまえには非難する権利がある」
「え……」

 予想外の返答だった。虚を突かれて勢いを失った俺の頬を、会長はもう一方の手も伸ばして両手で包み込む。

「でも、今のような言い方はするな。傷ついていないふりをするために強がらなくていい。そんな言葉、口に出せば出すほど、余計に自分が傷つくだけだ。俺は傷つくおまえを見たくない」
「……っ!」

 温度を上げていた体内の血が、さらに沸騰する。
 気づくと会長の腕をたたき落とし、ベッドの上に膝立ちになっていた。今度は俺が会長を見下ろす高さになる。

「偉そうなこと言うな! あんたの説教なんて聞きたくない!」
「説教のつもりはない、俺はただ──」
「うるさい! あんたの押し付けはもううんざりなんだよ! 俺のことろくに知りもしないくせに好きだの愛してるだの、頭おかしいし! もう俺のことに口出しすんな、もう関わってくんな!」

 ああ、全身が熱い。脳まで熱いもので満たされ、しびれたような感覚。視界が潤む。

「泉、落ち着け。無理をしたら体に障る」
「触んな! 帰れよ、もう!」

 伸ばされた手を再度払い、背中を向けた。

「…………」

 会長が身を引いたのが息遣いでわかる。ゆっくりと立ち上がる衣擦れが続いた。

「……わかった、帰るから」

 俺は背を背けたままでいた。
 足音と共に気配が遠のく。リビングのソファに置いた、ブレザーと鞄を取りに行ったようだ。

「具合が悪い時にこんな話して悪かった。ゆっくり休んでくれ。食料も、冷蔵庫に色々入れてあるから」 

 返事はしなかった。1、2秒待つような気配があった気がしたけど、最後に「じゃあ」とだけ言って、会長は出ていった。
 靴を履く音と玄関の開閉音を聞きながら、俺は強張っていた体の力を抜く。

「……あんたが謝ることじゃないだろ」

 話を切り出したのは俺だし、一方的にキレたのも俺だし。

(わかってる。会長はいつだって正しいよ)

 清くて正しい心と目で、まっすぐ世界を、人を見ている。そういう人だ。だから──

「……嫌んなる」



●〇●〇



(……36,2か。もう平気そうだな)

 日曜日、目覚ましなしで11時まで寝て、起き抜けで検温するとすっかり平熱だった。
 体調も少しだるい程度で大きな問題はない。

(まだそんなに食欲はないけど……)

 もう一度ベッドに寝転んだ。部屋の片付けとかテスト勉強とか、することはいくらでもあるけど気力がない。

「なんかもう、どうでもいいかも……」

 片付けはともかく、上位キープのために勉強は真面目にやっているほうだ。というか、しないでも好成績が取れるほど天才肌じゃない。むしろかなり頑張っている。
 だけどそれももう、今はとてもバカバカしい気がしていた。

「はぁ……」

 仰向けになり、大きな息をついて目を閉じる。
 何も考えたくない。
 考えたくないのに……思い浮かぶのはあの人の顔だ。それと、温かさ。
 もうろうとしていた金曜の夜の記憶が、体調の回復とともにいくつかよみがえっていた。

(多分何回か、氷枕とか冷却シート替えてくれてた。汗も拭いてくれた気がするし……)

『大丈夫だからな』
『傍にいるから。いつでも呼べ』

 優しい声で、そんな言葉をかけてもらったような気もする。

「多分あの人、ろくに寝てないよな……」

 作ってくれたおかゆもおいしかった。指先まで温まるような、全身に染み渡る味だった。
 あんなふうに、誰かに心から心配して甲斐甲斐しく看病をしてもらったのは初めてだ。そんなことばかり思い出す。

(自分で追い返しておいて、なんで……)

 しかもかなり暴言を吐いてしまった。仮にも俺のことを心配して駆けつけてくれた人に。

「……さすがに失礼だったか」

 でもあの時、止められなかった。完全に冷静さを欠いていた。
 理由もわかっている。図星をさされたからだ。

『傷ついていないふりをするために強がらなくていい』

 あの瞬間、心臓がドクンと跳ねた。そういうことだ。認めたくないけど。

(だけど……じゃあどうしろっていうんだよ)

 俺はこの部屋にいつも独りだっていうのに。それ以外、どういう生き方をすればいいっていうんだ。強がらずにいたら、この部屋は寒すぎる。
 孤独じゃなかったのは……会長がいた夜だけなのに。

(あの時は……あったかかった)

 ああ、また思い出してる。
 額に触れた指先の感触。布団をかけ直したあと、ぽんぽんと肩をたたいた手の重さ。
 大丈夫、独りじゃない。
 そんな安堵を胸に、また深い眠りに落ちていった。

「……謝ったほうがいい、かな……」

 しばらく悩んだすえ、体を起こしてヘッドボードのスマホを手に取った。

(でも、なんて送ろう)

 取り乱しました? 失礼なことを言いました? 会長の言う通りです?
 だけど、言葉が過ぎたとは思うけど、本音だった部分もある。
 文章にすると、どの謝罪文も微妙にずれている気がした。数行打っては消し、打っては消しを繰り返す。
 するとその途中で、受信の通知が表示された。

「会長……!」

 まさにその人からのメッセージに、ドキドキしながら内容を表示すると。

『具合はどうだ?』

 短い、簡素な文章だった。
 それでもその一文が、あの人の穏やかで優しい声で脳内再生された。

 今もあの人は俺のことを考え、気にかけてくれている。
 多分、金曜の夜と変わらず。

『大丈夫です。明日は登校します』

 まず、そう返した。
 その後に、1分ほど考えてからもう一度。

『昨日は言いすぎました。ごめんなさい。もう関わんなとまでは思ってません』

 多分これは、間違いじゃない。

 ほどなくして来た返信は、また一言だけだった。

『よかった』

 たった4文字。
 なのに、あの人がとてもほっとしていることが手に取るように伝わってくるのが、なんだか不思議だった。