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(って、どの口が言ってんだよ、俺……)
翌日の放課後、俺は水道でうがいをしながら昨日の自分に脳内で頭突きを食らわした。
うがいをしても喉のムズムズ(というか今日はもうすでにチクチク痛い)が取れない。なんとなく体がだるい。
(マジで風邪っぽくなってきた……)
昼休みにはまだそこまで気にならなくて、いつも通り会長の弁当もおいしくいただいた。
でもその後、だんだん倦怠感にも似ただるさが増してきている。
「お、泉じゃん。何してんの、生徒会は?」
ベッと水を吐いた時、後ろから声がかかって、俺は口元を濡らしたまま振り向いた。
(げっ、また山名)
「今から行くよ」
手の甲で口元をぬぐい、柔和な微笑みを張り付けて答える。
「……ん? なんかおまえ、顔色悪くね?」
「え、そう? 気のせいじゃない?」
(近づくな近づくな)
「じゃ、もう行かなきゃだから。またね」
「あ、おい……!」
会話が長引く前に切り上げ、足早にその場を離れた。
(具合悪いとか言ってる場合じゃないもんな)
生徒総会に向け、生徒会の仕事は日々忙しさを増している。会長にもあんな大ミエ切った手前、休んでなんかいられない。
授業もテスト勉強もあるし、風邪引いてる暇なんてない。
(帰りに薬買って飲むか……)
とりあえず今は生徒会だ。荷物を取りに教室へ寄り、すぐに生徒会室へと急いだ。
「泉くん、データのグラフ化どう?」
「あともうちょっとです。30分くらい」
「了解。その後、こっちの原稿もお願いしていいかな?」
「わかりました」
「ねぇみんな、タイムテーブル相談したいんだけど。質疑応答の時間これでいいと思う?」
「ああ、質疑応答。読めないんだよなぁ」
「すみません、プリントの印刷遅れてます! コピー機調子悪くて……」
「そうか。配布は明日だ、職員室のも借りて手分けしよう」
「手が空いた人は製本手伝ってください~!」
(あー、これは今日も下校時刻ギリまで確定だな)
俺は平沢先輩と会計報告に使うスライド資料の作成を進めているけれど、その間にもどんどん他の確認作業や追加の仕事が舞い込む。
「職員室には俺が行く。平沢、泉、二人は今の作業を最優先してくれ。他はこっちでフォローするから」
「はい、ありがとうございます」
と、会長が今日も頼もしい仕切りを見せてくれているけれど、忙しいものは忙しい。
いつもはこんな忙しさも嫌いじゃないんだけど……
(今は……キツ)
そしてまた翌日、3時間目と4時間目の間の休憩時間。
俺は頭痛でガンガンする頭を、比喩でなく抱えて机に突っ伏していた。
喉は息をのみ込むたびに痛いし、ひどくはないけど時々咳も出る。だるさに加えて今日は朝からずっと頭痛。とうとう悪寒までしてきた。
(クソ……あの薬、効かなすぎだろ……)
かなりつらい。どうやら本格的に風邪だ。
(さすがにもう気合でどうにかなるレベルじゃないか……)
仕方がない。幸い今日は金曜日だ。
今日は早退し、土日で休んで体調を戻す。それがベストだと判断して、俺はスマホを取り出した。
(強がったくせに情けないけど……)
『すみません、風邪を引いたみたいなので今から早退します。弁当食べられなくてすみません。生徒会、休んですみません』
まずは会長にそうメッセージを送った。『すみません』が重複しまくってることも気にする余裕はない。頭がぼーっとしている。
続けて生徒会メンバーのグループにも、弁当の部分を抜いた同じメッセージを送った。
一番に会長からの『わかった、生徒会は気にするな。大丈夫か?』という返信が来た。個人ではなくグループのほうだ。
続けて他のメンバーからも、『大丈夫?』『無理しないで早く帰れ』『熱高いの? 一人で帰れる?』『ちゃんと医者行けよ』などと返信が続く。
『大丈夫です。ありがとうございます』
まず、そう返して。少し考えてから、次にこう打ち込んだ。
『いざとなったら親に連絡するんで。心配しないでください』
(……こんな時にまで、我ながらご苦労様だな)
ぼんやりする頭で自虐的にそんなことを思いながら、席を立った。
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「あー……だっる……」
帰宅すると、荷物を落とすように手放してソファに倒れ込んだ。
医者に行ってしっかり風邪の診断を受け、薬ももらってきた。
後はおとなしく薬を飲み、寝まくって治すだけだけれど……
「……あ、食後か……」
バッグから取り出した薬の袋には『1日3回毎食後』の文字。
昼も食べていないので思いっきり空腹状態だ。
(なんか食べなきゃか……食欲皆無だけど)
よろよろと起き上がりキッチンへ向かう。
「すぐ食べれるようなもんあったかな……」
冷蔵庫を開け、ろくなものがないのを確認。
こうなればインスタントラーメンでもやむなし……と、ストック入れにしているシンク下の引き出しを開けようと振り向いたら、ぐわんとめまいがした。
「っ……」
(熱のせいか……まじやばいな、ラーメン作んのも気をつけないと……)
冗談抜きで落として大やけどとか、今ならやってしまいそうだ。
(コンビニ寄ってなんか買ってくればよかった)
薬といえば大概食後だし、回復のためにも栄養補給は大事なのに。頭がもうろうとしているせいもあるけど、それくらいのことも思いつかなかった。
(一人暮らし始めて、もう1年だっていうのに……)
環境だけは、至れり尽くせりで不自由のない生活を送ってきたせいだろうか。
花見弁当すらまともに作れなかったし、部屋だってお世辞にも片付いているとは言えない状態だし。改めて、自分の生活能力の低さに自嘲がこぼれる。
「この大バカ……何やってんだよ……」
ぼやきと熱い息を吐きつつ、鍋に水をくんでいると。
──ピンポーンと、インターホンが鳴った。
(……んだよ、うるさいな)
荷物が届く予定もないし、勧誘か何かだろう。そう思い無視していると、もう一度鳴る。音がやむと、急かすようにさらにもう一度。
「っ、しつこいな、誰だよ」
仕方なくインターホンを確認しに行った俺は、モニターに映る人物を見て目を見張った。
「……会長!?」
画面越しでも見間違えようのない整った顔立ち。黒瀬会長だ。
「は、なんで……」
反射的に通話ボタンを押すと、すぐに声が聞こえてきた。
『泉、大丈夫か?』
予想通りの聞き慣れた声だ。心配そうな早口で、生徒会室で聞くような余裕のあるものじゃないけど。
「なんで……ここ……」
なぜここを知っているのか。ああ、住所は緊急連絡網で共有しているから、その気になればすぐわかるのか。でも、なぜ来たのか。
うまく機能していない頭に、疑問が渦巻く。
それも聞こえているかのように、機械の向こうの会長は短く告げた。
『心配で様子を見にきた。……一人だろう?』
「……!」
『大変だろ。あ、いろいろと要りそうなものも買ってきた』
「なんで……」
もう何度目かのその言葉が再び口を突く。
一人だと、わかっている声音だった。
今、たまたま家に一人なんじゃなくて。俺はいつも『独り』なのだと。
そこまで、この人は知っているんだと、気づいた。
『必要なことをやりに来ただけだ。ちゃんと休んで早く治さないと長引くぞ』
会長はカメラに顔を寄せて話し続けている。
『こういう時は誰かに頼ればいい。入れてくれ』
なんだかもう、これ以上何も考えられなかった。
元からもうろうとしていたところに驚きと困惑が重なって、軽いショート状態だ。
そこに、馴染んだ会長の声だけが導くように入ってきて……
「……はい」
気づくと俺は、開錠ボタンを押していた。
「医者は行ったんだな。よし、なら薬はあるな」
「食事は? ラーメン? それはやめておけ。おかゆを作る」
「他にも買ってきたぞ。リンゴとバナナ、ヨーグルトとアイスとゼリーと……欲しいものあるか?」
「ほら、おまえは寝てろ。ブレザー脱いで。ああ、待て、これを貼っておこう」
「ん……熱、だいぶ高いな。ならこっちも使うか」
やってきた会長はてきぱき動き、俺の世話を焼いた。
氷枕をセットしたベッドに、冷却シートを貼った俺を寝かせ。
瞬く間に梅がゆを作り、ウサギの形のリンゴと共に持ってきた。
「できたぞ。起きれるか?」
「はい……」
会長に支えられながら上半身を起こす。
「熱いから火傷しないようにな」
差し出されたおかゆは塩味と酸味がほどよい、優しい味だった。多分柚子も入ってる。
(さすが会長……おかゆまでうまい……)
ほかほか温まっていく頭でぼーっとそんなことを考え、リンゴも少しだけ食べて。薬を飲んで。
「じゃあ寝ろ。大丈夫、今は何も考えなくていいから」
そう言って頭を撫でる手の暖かさに誘われるように、眠りに落ちていった──。


