まるごとぜんぶ、いただきます ~生徒会長に求婚されました~


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 翌日。また朝にメッセージが来て、また俺は顔をしかめた。

『今日も作ってきた』

 作ってきたらしい。
 昨日はあのままうやむやになって、その後連絡が来ることはなく、こっちからもする勇気はなかった。

(いや……もしかしてうやむやになったと思ってるのは俺だけで、会長はOKもらった気でいる?)

 『チャンスをくれ』のお願いをはっきり断った記憶はない。その可能性はある。

「どしたよ、また変な迷惑メール?」

 足音と声が近づいてきた。山名だ。

「ああ、うん」

 ぎこちない愛想笑いを浮かべた時、新たなメッセージが届いた。

『洋風にしてみた。ロコモコ丼にエビのマリネ。アボカドとトマトのサラダ。野菜スープもある。保温ジャーに入れてきたから温かいぞ』

(想像だけでうまそうなのやめてくれよ……)

 男の独り暮らしで、正直食生活はかなり適当だ。健康的で味も抜群な料理の数々をチラつかされると、カロリーメイトを牛乳で流し込んできただけの胃がきゅううっと鳴る。

 さあ、どうする俺。行くか、断るか。
 感情で言えば断りたい。俺は会長を恋愛の意味では好きじゃないし、好きになれるとも思えない。時間なんて与えるだけ無駄。きっぱり拒絶したほうがいい。

 というか、はっきり言って怖い。
 熱っぽい瞳で俺への愛を語る会長は、俺の知るあの人とは別人みたいだった。
 頭が切れて統率力があって、公平で頼もしい黒瀬生徒会長はどこへ行った。男でも憧れる、かっこいい男だと思ってたのに。

(断るべきだよな。うん、断るべきだ)

「……でもなぁ……」

 相手は生徒会長。まず圧倒的に立場が弱い。今後も生徒会活動は続くのに、険悪になるのも問題だ。
 加えて。

(ロコモコ丼……ロコモコはずるい、ロコモコは……! あとあったかいスープも!)

「おい、大丈夫? さっきから百面相してんぞ」
「!」

 しまった、まだ山名が傍にいたらしい。

「ちょ、ちょっとね。究極の選択を迫られてて」
「なんだそれ。どういう選択?」
「うーん……心を取るか胃袋を取るか?」
「はぁ?」

(やば、動揺で口が滑った)

「はは、冗談だよ。気にしないで」
「あそ。ま、俺なら胃袋一択だけどな」
「そうなの?」
「おうよ、迷う余地なし。あのな、理性より三大欲求が先に立つってのは、あらがいようのない人間の悲しいサガなんだよ」
「…………」




「さあ、どんどん食べてくれ」

 ……結局、来てしまった。

 例によって場所は東屋。テーブルにはすでに会長持参の弁当が並んでいた。
 丼、副菜、スープなので、今日は容器が3つだ。会長自ら、いそいそと蓋を開けていく。
 大きなデミグラスソースのハンバーグ、絶妙な半熟具合の目玉焼き。見ただけでプリッとしてるエビ。湯気を立てる具沢山のコンソメスープ。
 現金な胃が、堪え切れずにぐぅっと音を立てた。

「デミグラスソース、甘くなりすぎないように注意した。泉は甘ったるいのは苦手だろ」

「…………」

 そんな気はしてたけど、やっぱり確実に好みを把握されてる。ひそかにリサーチされてたってことか。
 そしてこの言い方は、デミグラスソースも市販品じゃなくて手作りってことで……。

「……こんな、手の込んだもの作るの大変じゃないんですか」
「全然。楽しいよ。愛する人を想いながら料理をする時間は、それだけで楽しい」

 平然と言ってのけ、会長は俺にスプーンを差し出した。

「ほら、スープが冷めないうちに。遠慮しなくていいんだぞ。泉の笑顔が俺には何よりのご馳走だ」

 凛々しい顔が、溺愛する赤ちゃんを見る新米パパのように緩んでいる。

(どうしよう、今日も絶好調にキモい……)

 生徒会室では絶対に見ることのない表情を前に、早くもやっぱり来るべきじゃなかったかと後悔がよぎる。
 トチ狂ってるのかこっちが本性なのか、もうどうでもいいけど、とにかくこの人、俺を落とす気だけあって愛情は垂れ流していくスタイルらしい。

 困った。本当に困った。
 ──でももう来てしまったわけだし。弁当は安定に超絶うまそうだし……。

「……いただきます」

(山名、おまえは真理を知ってる男だったよ。しょっちゅう声かけてくるウザいやつなんて思っててごめんな。ウザいけど)

 かくしてスプーンを受け取り、勧められるままスープに口をつける俺。

(……! し、染み渡る……!)

 なんて優しい、それでいて野菜のうまみが複雑に絡み合ったスープ!
 その味わいが戸惑いをどこかに流し去り、勝手に手が動き出す。またもや俺は、無心でパクつくだけのロボットになった。

「うまいか?」
「っ……ぁいっ」

 俺が持ってきたパンを食べながら会長が聞く。口にものが入ったままなので、不明瞭に短く返した。

(うまいよ! 今日もどれもうまい!)

 心はともかく、胃袋はとっくに陥落されている気がする。お腹の満足度が多幸感になり、機嫌まで上向いてしまうんだから。

「かいちょ……ほんとに、料理が得意なんですね」 

 もぐもぐ租借しながら何気なく言うと、会長は「まぁな」と答えた。

「子供の頃、親の手伝いでやってみたら楽しくて。多分、性に合ってるんだ」
「性に……」
「意外か?」
「……まぁ」

 これは俺だけじゃなく、大体の人がこう答えるだろう。花見の時だって平沢先輩が言っていた。

「なんか……いかにも、趣味は剣道とか合気道とか言いそうなタイプだから」
「ははっ、たしかにいかにもだな。強そうで清廉だ」

 つい出てしまった本音だった。会長は気を悪くした様子もなく、おかしそうに笑う。
 けれど──

「武道や運動も好きだよ。でも料理も好きだ。生徒会長の黒瀬獅央だけが、俺の全部じゃない」

 そう続けた表情は、ごくわずか、寂しそうに見えた。

(……それもそうか)

 言うまでもなく、当然のことだった。学校で見る黒瀬獅央が、100%の彼のはずがない。
 家での会長は別に会長じゃないんだ。俺がそうであるように、学校では見せない顔もあるに決まっていた。

(ていうか俺なんて、学校じゃ10%も見せてないし)

 そんな俺が『いかにも』とか『タイプ』なんて、よく言ったものだ。

「すみません。勝手なイメージで、失礼なこと言いました」

 胃袋の多幸感に任せて滑った失言だ。そう思ったから即座に謝る。
 会長はそんな俺を、穏やかな瞳でじっと見つめてきた。

「かまわない。俺だって、自分がどう思われてるのかはわかってる。失礼なことを言われたとは思ってないよ」

 口元がほころんで、包み込むような眼差しになる。
 というか実際に大きな手のひらが伸びてきて、包むように俺の頭へ載った。

「泉はまっすぐだよな。そうやってきちんと謝れるのがおまえのいいところだ」
「は……」

 驚きで、心臓が妙な感じに跳ねる。

(まっすぐ? 俺の? どこが)

「べ、別に。失言だったから、謝っただけで」
「だから、それができるのが偉いだろ?」
「偉くはないでしょ。当たり前の礼儀で……ていうかやめてください、これ」

 そわそわする心情を隠すように、俺はむくれ顔を作って会長の手首をつかみ、頭から退けさせた。
 父親みたいな大きな手。こういうのは慣れていないから落ち着かない。
 俺をまるごと受け止めるみたいな、愛情のこもった瞳を向けられるのも。
 そういうのは……免疫がないから、困る。

「た、食べにくいでしょ」

 目を伏せて吐き捨て、俺はスプーンで大きくカットしたハンバーグを口に放り込んだ。
 と、会長が何かに気づいたように目を丸くする。

「泉、ついてる」
「え?」

 一度は引っ込んだ手が再び伸びてきた。今度は頭ではなく、顔のほうへ。
 人差し指と中指が頬に触れて……親指が、唇の端をそっと撫でる。

「ソース」
「っ……ぁ……」
「しっかりしてるのに、たまに抜けてる。そういうところも可愛い」
「……!!」

(愛おしげに笑うな、ナチュラルにスパダリ感発揮するな……!!)

 やめてくれ。落ち着かせようとしている心拍がどんどんおかしくなる。
 ソースのついた親指を舐めるというところまでしっかりやり遂げる会長を、半死状態で見る俺。

「そっ……そういうのも……困る、んですけど」
「え?」

 かろうじて絞り出した苦言に、会長は不思議そうな顔をした。
 わかっていないらしい。でも、ここはしっかり言っておかないと今後が危うい。

「だから、そういう……触ったりとか、やたら好きとか可愛いとか言うの」

 そう告げると、ようやく会長は口を「あ」の形にして、申し訳なさそうに眉尻を下げた。

「悪い。そうだよな、おまえは昨日初めて俺の気持ちを知ったばかりなのに、まだ早かったな」
「や、早いっていうか……」

 そのうち解禁してよさそうな言い方に引っかかるも、先を続ける前に会長の声が被さった。

「わかった、もうしない。つい気持ちがあふれて……戸惑わせてしまって、すまなかった」
「……はぁ」
「まずは距離を縮めるところからだよな。いや、頭ではちゃんとそうわかってるんだが、泉を前にすると、どうしても感情が先走ってしまって」

「……はぁ」

(うーん、大丈夫か? ちゃんとわかってるか、この人?)

 謝っているようで、垂れ流しスタイルからまったく変わっていないような気が……。

「もう困らせるようなことはしないし、言わないから。明日以降も、こうして会ってくれないか」

 真剣な目で懇願された。言葉にしてはいないけれど、眼光が『スキデスアイシテマス』とビームを発している。突き刺さって痛い。

(なんでここまで……)

「……俺のどこが好きなんですか」

 少し迷ったけれど尋ねてみた。自然、声は低く沈んだものになる。
 期待どころか、実のところ疑問すらたいしてなかった。ただ、一応の確認作業だ。
 だって──

「俺たち、去年から生徒会で一緒だった。それだけですよね」

 生徒会活動は一緒にやってきた。でも個人的な交流なんてしたことない。たまの雑談や、この間の親睦会のような、生徒会活動の延長がせいぜいだ。
 それだけの関係で、この人が俺の何を知り、何に惹かれたっていうのか。

「どこと言われても……」

 会長は目線を外して言い淀んだ。

(ほら、やっぱりな)

 胸を張って言える理由なんてないのだ。深い付き合いもないのに、好き好き言う理由なんて決まっている。

「顔ですか? 顔が可愛いから?」

 今まで俺に告白してきた男もそうだった。可愛い男が好きなゲイと、ゲイじゃないけど俺の顔がモロ好みで『男でも泉ならいける!』というチャラいやつだった。

(会長も同じだったってことだ。あいつらと)

 そう考えると、心はどんどん冷えていく。
 会長はテーブルに両手をつき、がばっと立ち上がった。

「そんなわけないだろ! いや、もちろん顔も好きだけど、顔だけで好きになったんじゃない!」

 焦りの浮かぶ真剣な顔と、必死な声だった。
 だけど……響かない。

「そう言われてもな。たいして親しくもない人に言われても、信じられませんよ」

 この人は何も知らない。わかってない。
 この人が見ているのは、俺だけど俺じゃない。

「泉……」

 会長はつぶやくような声を落として、でもその先が続かないようで、静かにまたベンチへ座った。
 沈黙。弁明の言葉が重ねられることはない。明確な返答だ。

「…………」

 気まずい空気をなんとも感じていないふうを装って、俺も無言で食事を再開した。
 俺のために弁当を作ってきてくれた人に対し、こんな態度も失礼かもしれない。けど、ここは引かなかった。
 外見だけを見て一方的な好意を向けてくるのだって、ある意味失礼だ。おあいこだ。

「──ごちそうさまでした。おいしかったです」

 やがて完食した俺は、容器の蓋を閉めて会長に返した。
 さっきのやり取りで、断りの返事になっただろう。今後は気まずいかもしれないけど、険悪な空気になっていないだけマシだと思うことにしよう。

「それじゃ、俺、先に──」

 戻ります、と立ち上がろうとした。でも会長の声がそれをさえぎる。

「待ってくれ!」

(なんだよ。もう言うことなんかないだろ)

 俺の質問に答えられなかったくせに。呼び止めて、これ以上何を話そうっていうんだ。
 軽くイラ立ち、思わず険しい目を向けてしまう。

「……デザートもあるんだ」
「は?」

 予想斜め上の理由に唖然とする俺の前に、会長はランチバッグから新たに取り出したものを置いた。
 透明なフィルムで包まれた、コブシ大の大きさの……

「……マフィン?」

 ほのかにバターの香りが漂う。黒いツブツブがあるからチョコチップマフィンか。

「そうだ」
「なんで。俺、甘いのは……」
「大丈夫、ちゃんと甘さ控えめにしてある。おまえ好みのはずだ」
「…………」
「食べてほしい。ダメか?」

 黒い瞳が不安げに俺を見つめる。

(クソ。無敵の生徒会長がそんな顔するなよ)

 いつも自信と慈愛に満ちた、悠然とした眼差しで俺たちを導いてきたくせに。そんな、飼い主に留守番を言い渡された犬みたいな顔しないでほしい。

「はぁ……わかりました」

 結局振り切れず、俺はマフィンを受け取った。会長はほっとしたように表情をやわらげる。
 フィルムをはがすと、バターの香りがさらに強くなった。本当に甘くないんだろうかと、おそるおそる一口かじる。

「っ……、うまっ!」

 噛む前にもう声が漏れた。
 生地はしっとりしていてパサつきゼロ。バターと卵の香りが口いっぱいに広がる。甘さは極限まで抑えてあって、チョコチップもビターだ。コクがあって、いい素材が最高の配分で合わせられ、焼き上げられた──そんな逸品だった。

(こんなマフィン初めて食べた。これなら何個でもいける……!)

「よかった」

 会長が嬉しそうにつぶやいた。俺は一言発しただけだけど、輝く目が如実に感想を伝えただろう。
 甘い系のお菓子で俺がおいしいと思えるものは少ないから、マジで感動がでかい。

「……泉の幸せそうな顔を見ると、俺も幸せなんだ」

 ゆっくりと、噛みしめるように会長が言った。
 顔を上げると目が合う。
 やっぱり、これまでに見たことのない表情をしていた。
 嬉しそうなのに、どこか苦しそうな……なんだかまるで泣き出しそうな。
 人は幸せすぎて泣くこともある。その1秒前みたいな表情。

(なんでだよ。なんで、そんな顔できるんだよ)

 いっそ口先だけの口説き文句とはっきりわかる顔をしてくれているほうが、ありがたいのに。

「まだ諦められない。もう少し、続けさせてくれないか」
「…………」
「今は信じてくれなくてもいい。信じてもらえるように、がんばるから」
「っ……」

(あー、もうっ)

 この人が俺に本気だなんて信じられない。ちゃんとした理由だって聞いていない。
 でも、切実だってことは伝わってくる。こっちの胸までキリキリ痛むくらいには。

「好きとか愛してるとか、重いこと言わない。むやみに触ってこない。ていうか、できれば生徒会の仕事で会ってる時と同じテンションでいてください」

 俺は会長の顔にビシッと指を突き付けて言い放った。そして、語調を抑えてぼそっと付け加える。

「……それ守ってくれるなら、一緒に昼を食べるくらいはいいです」
「!」

 会長の目が大きく見開かれる。長めの前髪がふわっと浮くほどに、大きく数回うなずいた。

「わかった、約束する! 誓う!」

 こうして俺たち二人のランチタイムは、もうしばらく続くことになった──。